第三十四話
ありていに言えば僕はアマネちゃんの部屋で犯された。
アマネちゃんの母親は帰ってこなかった。だから、行為が邪魔されることは無かった。アマネちゃん曰く、母親は夜遅くまで仕事をしていることが多いらしい。僕はそれに不快感を覚えた。
おぞましい行為は僕らに気まずい沈黙を残していった。
絡み合う肢体、交換される体液、快楽と嬌声、その記憶が僕らを黙らせる。そして、体液の染み付いたシーツ、互いの匂いが混ざり合った独特な匂いは沈黙に痛々しさを与えてくる。
ただ、不思議と僕はこの行為について嫌な気持ちを抱かなかった。むしろ心地よいとすら思えた。きっと、アマネちゃんも同じだろう。三年近く離れていた想い人と繋がることができたんだから。
アマネちゃんが行為を肯定する理由は恋愛とそれに基づく性欲ということで肯定できる。けれど、僕はどうしてこの行為を肯定的に受け入れているんだろうか……。
まあ、そんなことはどうだって良いや。
今はこの体に満ちる疲労を癒そう。もう、考えることは疲れた……。
「ねえ、ミサヲ」
アマネちゃんは皴塗れの布団に足を崩して座って、体を水色のタオルケットで隠している。日も暮れて、灯りすら点けていない部屋なんだから、恥ずかしがって声も体を潜める必要はないと思う。僕らは互いの体の秘密を知っているんだし。
でも、確かに恥ずかしいか。
共感から来る恥じらいに、僕は寝返りを打ってうつぶせになる。それから頬杖をついて、目と鼻の先で輝いている藍色の瞳を見つめる。
「なに? もしかしてまだしたいの?」
「いやいや、しないよ」
行為の最中と違って弱々しいアマネちゃんは慌てて言葉を紡ぐ。その様はかつてのアマネちゃんにそっくりで可愛らしい。
「じゃあ、何さ?」
「体の傷。あれ、どうしたの?」
「事後に聞く話かな?」
少しだけ声を低くしてたずね返してみる。別に気に触れた訳じゃない。昔のアマネちゃんをもう少しだけ見たいだけだ。
「ご、ごめん」
そうするとアマネちゃんは体を丸めて足を抱え込む。すらりとした体も、畳み込まれると丸みを帯びて、艶やかな雰囲気を醸し出す。と言ってもアマネちゃんの体は元からいろめかしいけど。
もう少しだけ怯える子犬のようなアマネちゃんを見ていたい。でも、それは罪が過ぎる。幼気な女の子を虐めるなんて畜生にも劣る愚行だ。
「冗談だよ」
「冗談にしてはきついよ」
ムッとした表情アマネちゃんは睨みつけてくる。けれど、子猫の威嚇が怖くないようにそれは愛らしく思えた。過去と今が結びついている今、どれだけ見た目が変わっていたとしてもアマネちゃんは僕の後ろをついてきたあの頃と同じなんだから。
口をすぼめ、アマネちゃんは可愛らしい怒りを表現する。手持無沙汰になった手は少しでも感情を紛らわすためか髪を弄っている。滑らかに動くアマネちゃんの指先はほんの十数分前の記憶を蘇らせる。
記憶で体が火照る。
酷く恥ずかしいし、一抹の罪悪感が心を蝕んでくる。自分で受け入れたはずの行為なのに、これじゃあ恰好がつかない。
意地汚いプライドは恥じらいを隠そうと躍起になって体を動かす。行動に意味がないと分かっていても僕は再び仰向けになって自分の視界を腕で覆う。もっとも、自分の裸体が晒されることは知ってる。ただ、もうそんなことはどうでも良い。僕は僕自身で決断した行為によって微かな後悔を覚えていることを忘れたいだけなんだから。
「それで何が聞きたかったの?」
忘れられるはずのない快楽の記憶を少しでも消すために、本当は分かってる質問の内容を聞き返す。そして、疲労に満ちた溜息混じりの声がアマネちゃんの呼吸と混じる。
「お腹の傷のこと。自分でやった訳じゃないでしょ?」
アマネちゃんの返答と同時にタオルケットが床に落ちる音がした。それはきっと猫が伸びるみたいに体を動かしているからだろう。気になっている痕を見るために、僕の晒された上半身を覗き込むために。
実際、視線を感じている。負の感情が大いに籠った刺々しい視線を。
「っん。くすぐったいよ」
「そりゃあ、お腹を撫でられたら誰だってくすぐったいよ」
「じゃあ、っん、止めてよ」
「いやだ」
率直な回答に僕は閉口してしまう。なのにすべすべとした手で、少しべたつく手で、撫でられると嬌声が漏れてしまう。自分でも信じられないくらい甘い声がくすぐったい快楽と呼吸と混ざり合って、本能的に零れる。
壊れ物を触れるかのような優しい手つきは何時か変わる。触れているものを多少力強く扱っても壊れないと理解したときがそうだ。
「痛っ」
肉体はそう簡単に壊れない。だからアマネちゃんは僕の傷跡を抓ってるんだろう。塞がってるけど、少しは優しくしてほしいな。
「それでこの傷はどうしたのさ?」
「中学の時に色々あってね。その時の名残だよ。カッコよく言うんだったら、アマネちゃんの知っている僕を殺した致命傷ってところかな」
「面白くない」
真面目なトーンでアマネちゃんは抓る力を強める。
途端、鋭い痛みが体を駆け巡る。
「痛いってば」
「話してくれなきゃ、ずっとこうしてる」
「わあお。それは強引だねえ」
「ふざけないで」
「痛いってば」
力でアマネちゃんを突き放すことは出来ないだろう。今日一日の経験と貧弱な僕の体がそう証明している。だから、僕がこの痛みから逃れるためには過去を話す他ない。ミサカさんにすら話したことがない僕の過去の全てを……。
僕はアマネちゃんを信用している。アマネちゃんは痛みを知っているし、何より過去の僕自身だから。それに独立独歩の精神と力強さを兼ね備えている。だから、誰かに言いふらすことや、証言を逆手にとって僕を脅すようなことはしないはずだ。
でも、核心が持てない。この人なら大丈夫だっていう、自分の過去を明け透けに話しても良い、もう人に怯えなくても良いっていう確信が持てない。僕は証拠が欲しい。行為によって得られた不確実な感情やその行為を肯定した諦めのような感情じゃなくて、僕が僕自身を納得させられるだけの、過去に依存しない今に限った証拠が欲しい……。
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