第二十九話

 人を失望させた手前、望んだ救済を直視することは出来ない。ミサカさんには痛々しい顔を見せていたのに、アマネちゃんには喜びに満ち満ちた顔を見せることなんてあまりに醜い。でも、醜かろうと胸の内ではアマネちゃんが来てくれたことを喜んでいる。そして、ミサカさんの追求に苦痛を覚えているんだ。

 自分勝手に僕はうつむき続ける。吹き抜ける生ぬるい風、僕らの雰囲気の心地悪さに吐き気を催しながら。そうやって現実への干渉を避け続ける。


「旧友?」


「うん。小学生の時ね。中学は引っ越しちゃったから三年ぶりになるねー」


「ということは……」


「おっと、それ以上は言わない方が良いぜ。深すぎる詮索は人を傷つけちゃうからね。相手が望まないことはそっとしておくのが最善だよ。それと、そんな怖い顔しないでよ」


 ケラケラと軽く笑うアマネちゃんは余所余所しい。酷く他人行儀で、ミサカさんの存在を歯牙にもかけていないような感じがする。

 でも、おおよそ、ミサカさんが気を悪くしているのはアマネちゃんの態度のためじゃない。

 じゃあ、原因はなに?

 僕の口からそんなおぞましいことは言えない。うぬぼれに満ちた穢れた言葉を想起することなんてしたく無い。だから一切の形を与えず、概念として心に仕舞っておこう。


「別に怖い顔なんてしてないわ」


 説得力が無いよ、ミサカさん。


「まっ、君がそういうならそうなんだろうね」


 アマネちゃん、どうしてミサカさんの煽るように皮肉めいたことを呟くの?


「おちょくってるのかしら?」


「いやいや、それは勘違いだよ。私は本当に君がそれで良いなら良いと思ってるんだよ。主観的な自己に影響を与える権利なんて持ち合わせてないからさ」


「良い心がけね」


 ミサカさんは呆れと関心が混じり合った深い溜息を吐く。


「人が嫌がることはしないのが信条なんでね」


 かつて僕が言っていたらしい言葉をアマネちゃんは自信満々に紡ぐ。

 果たして、本当に昔の僕はそんな立派なことを言っていたんだろうか。

 ああ、記憶に蓋をしたのがここに来て忌まわしくなるとは思わなかった。頻繁に思い出していれば、きっとアマネちゃんと一緒に遊んでいた記憶も、それが鮮明なものじゃなくとも、輪郭が残っていたはずだ。幾らかの記憶の断片があれば、アマネちゃんを信用している理由もすぐにわかったはずだ。そうすれば僕がミサカさんに抱いている信頼の理屈がわかるし、関係が永劫に続くっていう確信が得られたかもしれない。

 いや、もしもの話を思い悩んでいたって仕方がない。積み重なった後悔を数えたところでいまに繋がる訳じゃないんだから。

 なんだ、ミサカさんが言った通りじゃないか。

 でも、それを知っていても僕は過去に囚われ続けている。忌々しい記憶を何千回と思い出し続けて、その痛みにもがき苦しんでいる。

 違う。苦しんでいる訳じゃないんだろう。感傷的になって、自分が可哀そうだと思うことで自分の価値を高めたいだけだ。今に生きれない自分を肯定したいだけなんだ……。

 醜い自分の本性の自覚は自然と体を震わせる。なりたくなかった人間、同情を嫌っているはずなのに同情を願っていて、寄り添ってくれる人に自分が背負うべき辛さを背負わせる腐った人間になってしまったんだ。

 孤独な化け物は自分が化け物であることに気付けない。主観的な世界でしか生きていないから、自分の感性が一般として定義されているから。だから他の生き物と会った時、自分が化け物だということに気付いて惨めにも傷つくんだ。


「見た目に反して素晴らしい情緒を持っているのね」


「偏見だよ。見た目とか趣味とかで人を判断するべきじゃない。その人の言動によって人を判断するべきだよ」


 気の抜けた口調を続けていたアマネちゃんは急に語気を強めて、ミサカさんの偏見を指摘した。

 ただ、ミサカさんは悪意無くクスクスと笑う。声音だけでも分かる。思いがけない何らかの感情的な要因によってミサカさんは笑ってしまったんだ。


「ふふ、ごめんなさい。貴女を苛立たせたい訳じゃないの」


「分かってるよ。そのくらい。でも、どうして笑ったの? 何か面白い要素でもあった? それこそ偏見に基づいた」


 幾らか皮肉めいた口調でアマネちゃんは問いかける。

 本当にあの頃の、ぼんやりと記憶の片隅に残っている昔のアマネちゃんはどこに行ってしまったんだろう?


「いえ、ただフルタさんにあまりにも似ていたから。思わずね」


「似てるねえ……」


「気を悪くさせたのならごめんなさい」


「いや、良いんだよ。むしろ……」


 アマネちゃんの淡白だった声音が艶やかな声音に代わった。けれど、口籠ってしまったからその要因は分からない。もっとも、別にその要因を知りたい訳じゃない。知ったところで、その情報が僕を楽にしてくれるわけじゃないから。


「まあ、ともかく問題ないよ」


「そう」


 楽し気な雰囲気が一瞬間前にあったとは思えないほど淡白な雰囲気が、再び僕らの間を満たす。


「それじゃ、私は帰ろうかな」


 帰る?

 僕を助けに来てくれたんじゃないの?

 俯いて沈黙を保ち続ける憐れな人間を救うために、わざわざ干渉してきたんじゃないの?

 違う。

 そもそも、こうやってアマネちゃんの言動に失望していること自体が間違っているんだ。甘えちゃいけない。信頼の問題に対する回答は自分で見つけなければならないんだ。

 でも、僕の顔が上がることはない。適当な言葉を見出すことも出来ないし、信頼と未来に関する恐怖が払拭できたわけでもないんだから当たり前だ。

 本能は解決を拒んでいる。

 僕はそれに従っている。

 惨めだ。


「そう。それじゃあ……」


 居た堪れない僕らの会話に干渉してきたアマネちゃんが去ることに安堵を覚えたのか、ミサカさんはあからさまに柔らかな口調になる。

 きっと、ミサカさんは僕が明確な回答を見つけるまでこうした口調で寄り添ってくれる。先延ばしにすることすらも許してくれるだろう。甘えることを許してくれる。居心地のいい世界でのびのびと羽を伸ばすことができるんだ。

 けれど、その世界を受け入れたら僕の見出す解答はミサカさんの感性を幾らか含んだものになると思う。僕だけの王国は、僕とミサカさんのための王国になる。それは僕の望みとは大きく異なる。僕は僕だけの、純粋な僕だけの王国が欲しいんだ。

 実現する訳のない夢を見て、そのために僕はまたミサカさんを傷つけてしまうんだろう。妄想による仮定がいつの間にか現実と地続きとなって、さもそれが起こるであろうと錯覚することは悪いことじゃないはずだ。ただ憐れなだけで、それは悪いことじゃない。だからいまはこうして妄想に浸っていよう。妄想の中で最もミサカさんが傷つかない言葉を探そう。

 ただ、妄想がそのまま未来に反映されることはない。

 その証拠に僕の右手首は力強く握られる。


「それじゃ、私たちは帰るね。バイバイ」


 肩が脱臼するんじゃないかと思う程、強い力で僕の腕は引っ張られる。気を抜いていたから踏ん張りが効かず、アマネちゃんの駆けだす勢いに飲まれ、僕とミサカさんは急速に離れていく。呆気に取られて何も言えないミサカさんは、パクパクと口を動かしている。そんなミサカさんは僕から遠のいていく。そして、離れれば離れるほど僕らの間には人が割り込んできて、互いを見失わせる。

 何も言えず、何も解決できずに今日は終わるんだ。

 望んでいたはずの離別には苦い後悔の味がついている。胸をむかむかとさせ、息苦しくさせる酷く強烈な苦味がある。

 息苦しい。

 辛い。

 どうして僕はこんなにも優柔不断なんだ?

 自分でも訳が分からない。望んだものが叶って、けれどそれによって苦しんで、また望んで苦しんでの繰り返しをしておきながら、決断することができないんだ?

 道行く他の人たちみたいにのほほんと生きていけないんだ?

 普通の友情をどうして受容できないんだ?

 過去をどうして捨てきれないんだ?

 誰か教えて。

 僕に信頼がなんなのか、恐怖がなんなのか、好意がなんなのかを教えて……。




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