第二十七話
喧騒が静まり返ったおかげでミサカさんの声は教室に良く響いた。
ただ、誰も彼もがミサカさんに集中したということは、ミサカさんの発言もみんな聞いたということだ。今日に限って授業に遅刻した優等生を呼んでいることを誰もが聞いて、誰もが僕らの方を見た。
最悪のタイミングだ。
ほら、喧騒に紛れていたギャルちゃんも僕を見つめている。いや、僕じゃなくてこの子を見つめているんだろう。僕の手を力強く握るこの子を。
空気が読めるというよりかは、一般的な恥じらいを何時如何なる時でも発揮できる彼女はパッと右手を離す。そして、視線をクラスの人たちと同じようにミサカさんに向ける。意図しない注目に顔は赤くなっている。相当焦っているんだろうと思う。
でも、教室の入り口で仁王立ちしていたミサカさんはそんなことに興味を示さず、つかつかと教室に入ってきて、僕の目の前で立ち止まる。みんなの視線は面白いほどミサカさんの動きに追従していた。それが何だかおかしくてぷぷっと笑い声が漏れてしまう。
「何が面白いのかしら?」
「いや、別に何でもないよ」
不満げに眉をしかめるミサカさんは、クスクスと笑い続ける僕に呆れたのか溜息を吐く。
「まあ、それならそれで良いんだけど。ちょっと用事があるから来なさい」
「用事? なんの?」
「言わなきゃ分からないのかしら。お昼休みに手伝ってくれるって言ったでしょ」
「……優しいんだね」
涙が零れそうになる。
比喩じゃなくて本当に。
感動の最中に居る僕の手をミサカさんは握る。痛いほど力強く。けど、その痛みさえも僕の心を動かす。彼女には申し訳ないけれど、本来は拒絶するべき刺激でさえ、ミサカさんのものだったら嬉しい。
でも、それはどうして?
ミサカさんに会ってから、そしてミサカさんにある一程度の信頼を置いてから何度も自問自答しているけれど、これは一体どういう理屈なんだ? どうすれば僕はこの問いに対する解を求めることができるんだ?
「また考え事」
「駄目?」
「駄目じゃないわよ。ただ、衆人環視が過ぎるだけ」
そういうとミサカさんは僕の手を強く引く。その意図が分からない訳じゃない。だから僕はリュックを左肩にかける。
ただ、そうは問屋が卸してくれない。
僕の左手のやんわりと彼女が握ってしまった。もちろん、その意図がつかめない訳じゃない。痛みと悲しみ、いくらかの絶望が混じり合っていることは分かっている。そして、この結末を、相手の好意を知っていながら間接的に相手を袖にする最悪の行為に従事していることも。
自罰感が胸を苦しめる。左手から伝わる温もりが僕の心を突き刺して、流れに身を任せないようにと理性のブレーキがかかる。ここまでしておいて、自分だけが楽になろうと流れを断ち切るのは、酷く傲慢で、この子をより傷つけてしまう。
ああ、でも、やっぱり。
僕は振り返って、ある分かり切った不安に瞳を揺らす彼女に笑みを向ける。自然な笑みになっていると信じながら。
「ごめん。でも、ありがとう。おかげで少しだけ気が楽になったよ」
そして、僕は最悪な嘘を柔らかな口調で吐く。
「それならよかった」
そして、彼女は安堵と共に僕に笑みを向ける。
ああ、瞳の中には一縷の希望が宿っている。自分で仕向けておいて、どうして僕はこんなにも息苦しいんだろう。罪を理解しているのならば、いっそのこと罪にのみ従事すればいいのに。善行なんて捨て去ればいいのに……。
「それじゃ、また明日」
「うん。さようなら、ミサヲちゃん」
何か望みがあると確信して屈託のない笑みを浮かべる彼女をしり目に、僕はずるずるとミサカさんに引っ張られていく。
ああ、彼女は疑いの余地なく清廉潔白な人だ。
廊下の窓から差し込む橙色の夕陽は、僕とミサカさんを遠慮なく照らす。注目を浴びる僕らを否応なく照らす。ただ、照らされているのは僕らだけじゃない。そのことは努々忘れちゃいけない……。
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