第十二話

 問題の解決って言うのは存外さっくり行くものらしい。だから、場を収めた僕と、状況を悪化させ続けたミサカさんは、さっきまで僕が座ってたベンチに肩を並べて座っているんだ。


「ミサカさん。とりあえず、人の誠意には誠実に対応しよっか。礼を欠いちゃ駄目だよ」


「私の問題じゃないわ。あっちの問題よ」


 ツンとしながらミサカさんは手元のスマホに視線を落とす。まるで僕が傍に居ることをどうとも思っていないよう。本当にこの人は僕があの現場に介入しなかったら、どうなっていたのかを理解していなのかな?

 まあ、恩着せがましいから口出ししないけど。

 でも、また同じようなことが起きないように釘を刺しておかないとだ。こんなことは僕が気にすることじゃないんだろう。けど、知り合いの身に何か起きたら目覚めが悪くなってしまう。だから、これは自分のためにやることだ。ミサカさんに対する特別な興味なんかじゃない。

 いいや、こんなのは僕自身の純粋な意識に対する嘘だ。今さっきのやりたくもない介入からもうかがえるけど、おおよそミサカさんに僕は特別な感情を抱いている。これがどんな色をしていて、どんな温度を持っていて、どんな感触なのかは分からないけれど。

 まったく、分からないことだらけだ。

 これも僕が今日まで交友関係の一切を捨てていせいだ。

 もしも、もしも関係を怯えずに持っていれば、この訳の分からない感情を理解できていたのかもしれない。

 ただ、歴史にイフが無いように僕自身にもイフは無い。それならやるべきことをやろう。不憫すぎるマッシュ君のためにもね。


「さっきはマッシュ君が善い人だったから特別酷い問題ならなかったんだ。でも、また同じようなことがあった時、ミサカさんと相対する人が物事の分別が着く良い人とは限らない。だから、人と一対一で話す時には相手にリスペクトを持たなきゃだよ。どんな人にも最低限の礼節は払うべきだよ」


「大丈夫。同じことが次あったら、適切に対処するもの」


「いや、だから、ミサカさんの言う適切な対処は適切じゃないんだよ。ミサカさんのそれは火に油を注ぐだけの行為だ」


「そう? 私にとっては最も有効的な対処の仕方だと思うわ。愚かな人に愚かだといえば、相手は自分の未熟さに恥を抱いて逃げるでしょ」


 ミサカさんは理想論ばかりをつらつらと唱える。

 この人は現実が見えているんだろか?


「そんなのは理想論だよ。人はミサカさんが考えてるよりも感情的なんだからさ」


「どうしてそんなことが言えるの? 貴女のそれも空想に過ぎないでしょ?」


「……」


 空想じゃない。

 経験だ。


「ミサカさん、さっきも言ったけど人にはリスペクトを持って接さないとだよ。関係が壊れるのは簡単なんだからさ」


「それも空想でしょ」


 駄目だ。

 この人には何を言っても始まらない。

 というよりもミサカさんと平生の感情を保ちながら会話できる自信がない。あと二三言で僕はミサカさんを見限ってしまうかもしれない。

 それだけは駄目だ。この人は僕の王国のために必要な人なんだから。

 だったら、どうすれば良い?

 いいや、こんな自問自答をしなくても答えは分かってる。

 言ってもわからなかったら、実力行使で分からせればいいんだ。

 けど、僕にそれを出来るだけの器量があるのか?

 違う。器量だとかそういう問題じゃなくて、これは僕が僕自身に怖がってるだけだ。自分自身に恐れをなしてるなんて情けない。

 なら、さっさとやってしまおう。

 もちろん、暴力じゃない。ミサカさんの尊厳をちょっとだけくじくだけだ。


「ミサカさん」


 人の肌って言うのは存外冷たい。

 いや、ミサカさんだから冷たいのかもしれない。感情がすこぶる豊かな人だったら、もっと暖かいのかもしれない。

 でも、こんなのはいつまで経ってもイフで終わるしかない話題だ。

 経験したことが無い問題を頭の中で繰り返していても意味がない。

 だから、この特殊な感覚を楽しもう。お人形さんのような顔立ちとガラス玉みたいに透き通った翡翠色の双眸を目いっぱい視界に入れながら、人のプライドをほんの少しくじいて見せよう。


「何よ」


 不機嫌に、けれど顔を微かに赤らめてミサカさんは視線を逸らす。

 ぶっきらぼうに振舞うミサカさんは、昨日今日とでさんざん見てきたけれど、それらは全部感情的じゃなかった。理性に支配された態度だった。

 でも、今の態度は感情的だ。


「ちょっと黙っててね」


 重畳。

 感情的になってるってことは、否が応でも僕を意識しているってことだ。プライドよりも恥じらいが優先されてるってことだ。

 今まで掌の上で転がされていたけれど、今や僕の掌の上でミサカさんを転がしている。何だかうきうきしてくる。調子に乗れそうだ。

 頭を動かして物理的に視線を外そうとしてくるミサカさんの左頬を右手でそっと押さえつける。果たして僕は本気の雰囲気を纏えているんだろうか。纏えていなかったら僕は笑い物にもならない一番惨めなピエロだ。そう考えると胸の高揚も沈んでいくような……。

 駄目だ。

 初志貫徹の意志を持って全てを突き通そう。


「ちょっと、何するの」


「さあね。何をするんだろう。僕にもさっぱり分からないよ」


「反復は止めて」


 きつく睨んでくるミサカさんは野良猫みたいで可愛い。

 うん、こんな表情を見せられたらどんな人だってミサカさんに惚れると思う。実際、僕自身もキュンっとしてる。甘酸っぱい青春っていうのはこういうことを言うんだろう。

 でも、それは演技が崩れる程度の力を持ってるわけじゃない。

 だって、それは一時の感情でしかないから。

 威圧してくるミサカさんに臆することなく、僕は顔を近づける。

 良かった顔は熱くないし、鼻息も荒くない。演技は万事順調だ。おおよそ、ミサカさんは自分が想像している通りのことを僕がしようとしてるって思ってるはずだ。

 良し、このままミサカさんに教えてあげるんだ。世の中はミサカさんが考えているよりも感情で動いていることを、それに従って間違いを犯し続けるってことを。


「貴女は重要なところでぼろを出すのね」


 ただ、上手く行ったのはここまでらしい。

 互いの呼吸を感じられるくらい顔を近づけたところで、僕の演技はミサカさんに看破されてしまった。続ければよかったのかもしれないけど、恥じらいの勘違いに気付いた人を前にしてそれを出来るだけの器量は僕に無い。逆にこっちが恥ずかしくなる。

 ミサカさん左頬から手を離して、僕は人一人分の距離を取る。


「どうしてわかったの?」


「目よ」


「目がどうしたの?」


「その死んだ目に光が灯ったのよ」


「スピリチュアルだね」


 自分の発言に頬を赤らめるミサカさんに少しだけ腹が立つ。


「けど、貴女の態度から察するに私の形而上学的見地は正しかったと言えそうね」


「結論から言えばそうだ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、冷めた視線をミサカさんは送ってくる。

 もしも、僕の目に気付かなかったらミサカさんの態度は今と違っていたはずだ。ミサカさんは初心な女の子の赤らむ顔を浮かべて、潤む瞳で僕を見つめていたはずだ。そんな未来があったはずなのに、一番楽しそうな未来があったはずなのに……。

 まあ、後悔しても仕方がない。

 おおよそ僕の伝えたかったことは伝わっただろうし、双方ともに恥ずかしい一件はこれに終わりにしよう。


「ごめんなさい」


 ほら、ミサカさんも謝ってくれたことだし。

 もっとも、謝る対象は僕じゃなくてマッシュ君だと思うけど。僕は傷ついてないし。


「分かってくれればそれで良いんだよ」


「上から目線ね」


「意識的にやってるだけ良いでしょ。というよりも僕にこんな態度を取らせるくらいぶっきらぼうで、理想的なことばっかり言うミサカさんが悪かったんだよ」


「そうね」


 ぼそりと自分の非を認める言葉をミサカさんは呟いた。それから手持無沙汰になった視線をゆっくりと青空へと向けた。まだまだ熱の籠っている蒼穹の青さは、季節感が無くて、凪のような無感動を与えてくる。

 きっと、この無感動をミサカさんも抱いているはずだと思う。それで小さな子供のような無垢な理想に従った価値観が持つ熱を冷ましていると思う。現実を見つめているんだと思う。


「お昼、まだ食べてないかしら?」


 暫時、透き通るような純粋な双眸で空を見つめていたミサカさんはふと僕に視線を送った。柔らかく、けれどどこか早口な語調を持っている言葉は、沈黙の気まずさに耐えかねたような調子と言葉が続かないだけで心が不安になる自分に対する羞恥心が含まれているような気がした。憶測にすぎないけど。


「食べてないよ」

「それじゃ、何か奢るわ。人から貰った恩を取っておくのは性に合わないのよ」


「意外。ミサカさんってそういう価値観持ってるんだ」


 不躾な言葉にミサカさんはムッと眉間に皴を寄せる。

 ついさっきまで纏っていた可愛らしい女の子の雰囲気もすっかりなくなって、とげとげとした敵対心に代わった。これは僕の悪手だ。


「ごめんごめん、冗談だって」


「冗談だと思ってる人はそんな反射的に言葉を紡がない」


「それじゃホントって正直に言った方が良いの?」


「自分で考えることよ。人がその言葉によってどういった感情を抱くのか吟味してね。私が言えた義理じゃないんでしょうけど」


 苛立っていた時と打って変わったミサカさんは、自嘲するように客観的な言葉を紡いだ。自虐的なミサカさんは似合わない。


「言葉に信頼性が無くてもそれが真実なら受け止めるよ」


「……優しいのね」


「僕はずっと優しいよ。すこぶるね」


 ニカッと出来るだけ爽やかな笑みを浮かべる。


「良い笑顔ね。相変わらず目は死んでるけど」


「余計なことは言わなくて良いんだよ」


 余計な一言共にミサカさんは自然な笑みを見せる。

 やっぱりミサカさんには、いや、可愛い女の子には柔らかい微笑が似合う。逆に言えばそれ以外の笑みは悲劇的だ。

 およそ僕も。


「それでお昼はどうするの?」


「ああ、僕はお昼ご飯を食べない主義だから遠慮しておくよ。その代わり何時かこの借りを返してね」


「食べた方が良いわよ。細い私が言うのもあれだけれど、貴女は細すぎるもの」


「その心配だけ受け取っておくよ」


「そう。それじゃ私は購買でパンでも買ってくるわ」


 僕を心配してくれる優しいミサカさんはベンチから立ち上がる。そしてスカートに薄っすらと着いた土埃を払って、素っ気なく足を一歩前に出る。

 けど、ミサカさんは何かを思い出したかのように、勢いの乗る前の足を止める。


「ここで待っててくれるかしら」


 まだ夏の香りが混じる秋風にぽつりと呟かれた言葉はすんなりと理解できて、腑に落ちた。打算的だとか疑うことなく、それが真実である受け入れることができるくらいには分かりやすい。

 きっと、ミサカさんの耳が赤らんでいるから臆病な猜疑心は働かなかったんだろう。


「待ってるよ。でも、お昼休みもあと三十分くらいだから早めにね」


「ありがとう」


 振り返ることなくミサカさんはせかせかと遠のいていく。

 久しぶりの交友は少し甘いみたいだ。

  




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