第十話

「好きです」


 おお、本当に言ってる。

 薄暗くて湿気の校舎裏で、マッシュ君は右手をミサカさんに突き出しながら勇気ある言葉を紡いだ。体を九十度近く曲げてるから、彼の表情を窺うことは出来ないけど、きっと緊張で顔は強張ってるはずだ。というか、この場面で緊張しない人なんかいないと思う。いたとしたら、心臓に毛の生えている稀有な人だ。

 硝子のハートしか持っていない僕からしてみれば、どれだけ無謀な試みであったとしても、自分の感情を伝えるために勇気を出している人はすごいと思う。上手い形容詞が見つからないけど、本当にすごいと思う。

 だから、ミサカさん。

 せめてマッシュ君を見るくらいしてあげようよ。

 校舎の壁に生えた苔なんて見てないでさ。

 興味が無いのは人それぞれだから別に良いけど、人の感情を無下にするのは違うと思うよ。まあ、人の感情を覗き込むように、壁から二人の様子を覗き込んでいる僕が言えた義理じゃないと思うけど。


「貴方は私をどうして好きになったのかしら?」


 腕を組みながら高圧的な態度を取るミサカさんに、マッシュ君は言葉を失ってる。顔を見なくても、大抵の人は口調から人の表情とか自分への興味とかは大体読める。読めない人も中に入るだろうけど、マッシュ君はマッシュヘアにしてるくらいだから一般的な感性を持ってるはず。それだから、顔を上げてキョトンとした顔でミサカさんを見つめているんだ。

 なんだか雲行きが怪しくなってきた。

 青く澄んだ秋の昼には合わない暗雲が立ち込めてきてるような気がする。


「えっ、いや、えっと……」


「早く言ってくれる? 私のことを好きになったということは、好きになるだけの理由があるんでしょう? 明確かつ私を納得させられるだけの根拠があるはず。だから、それを教えて」


「あるけど。でもさ、返事は? まずはそっちが先なんじゃ?」


 顔面蒼白とか紅潮とかマッシュ君の顔色はどちらかに振れてない。なんだか、すっかり白け切ったつまらなそうな表情をしてる。

 マッシュ君、それは悪手だよ。

 衝動的な恋に理屈を持ち出した人が居たとしても、その人が好きな人なら表情に出しちゃ駄目だ。変に理屈っぽい人は些細な変化にも気づくものだしさ。


「一方的な要求で返事が得られるっていう発想を捨てた方が良いわ」


 もっとも、マッシュ君を見下すような態度を取るミサカさんもいただけないけど。


「……だから友達が居ないんだな」


「それとこれとが今、関係あるのかしら?」


「関係あるとかないとかじゃなくて。そんな他人を見下すような態度を取ってる奴に友達なんて出来っこないってだけ」


「人と戯れて何か良いことでもあるの? 家族とも他人とも言えない曖昧な関係に価値を見出して、馴れ合うことに意味なんてあるのかしら」


 ミサカさんは眉を潜めてマッシュ君に対する興味を無いものから嫌いな人に変化させた。認識の変化って言うのは往々にして人の感情をゆすぶる。昨日まで好きだった人がちょっと醜態をさらしただけで嫌いっていう感情に代わるように。

 感情が変化すると副産物として苛立ちが産まれる。それは大抵の場合、他人にぶつけることで発散される。自分に近い人だったり、あるいは自分よりも弱い人間だったりと。こうすることによって苛立ちは紛れる。自分で解決できる人も居るけれど、そんな人は稀有だし、いずれその苛立ちが自分に向けて刃を突き立てることになって返って自分を傷つける羽目になる。だから、苛立ちっていうのは早々に他人に打ち明ける必要があるんだ。そうすることによってのみ、苛立ちは和らげることができるんだから。

 嫌というほど僕が経験したことから考えるに、ミサカさんの強い語気はこれからもっと強まっていくと思う。つまり、ロマンスが破綻して修羅場が仕上がった状態が延々と悪化していくっていうことだ。どこかで止めなければ、ずっと続いて不幸な結果が二人に訪れる。

 だから、誰かが止めなきゃならない。


「意味があるとかないとかじゃなくて、それが青春ってもんだしそれが人生ってもんでしょ」


「随分と漠然とした理由ね。短絡的かつ楽観的」


「あ?」


「自分がいま苛立っているということを伝えるためにポケットに両手を入れて、なおかつ私を睨みつける。その言動が私の言葉を証明してるでしょ?」


 僕以外の誰かが来ることを願っていると、ミサカさんはこっちの気も知らないで火に油を注ぎ始める。右足の踵を浮かさずに、トントンと地面を叩いていることから苛立ちが破裂しそうなことは明らかだ。

 ただ、破裂しそうなのは煽れるマッシュ君も同じだ。男なんだからって言うのはナンセンスな表現になるのかもしれないけど、もうちょっとそこは堪えてほしい。なんていうか、三下感あふれる怒り方をしないで冷静になって欲しい。


「ミサカさんってさ、人のこと普段から見下してるよね。教室でも黙ってる理由って、つまりはそういうことでしょ」


 ほら、そういう態度が駄目なんだ。

 どうして君は火に油を注ぐんだ。

 君みたいに普通の感性を持ってる人なら、この状況で言っちゃいけないことくらいわかるはずでしょ。

 あーあ、君のせいでミサカさんの地面を叩くスパンも短くなった。


「貴方みたいな直情的かつ軽薄な人と話すくらいだったら口を閉じておく方が有用よ。言葉ほど貴重なものはないのよ」


「……」


「どうして黙るのかしら? もしかして何も言い返せないから、つまり自分が愚の骨頂であることを認めたから。そうだとしたら、喜ばしい限りね。あと、貴方の軽薄な言葉に対する返事はノーよ」


 ああ、駄目だ。

 これはここに誰かが来るよりも先に嫌なことが行動として現れてしまう。そしたら、最悪な状況が訪れて誰もが不幸になる場面が作り出される。

 なら、誰かを待つよりも、僕が先にそれを防がないと。

 いや、駄目だ。こんな下らない正義感に駆られて僕は失敗してきただろう。同じ轍を踏んじゃ駄目だ。

 口を閉じて、目を瞑ってただ石ころのように事の行く末を見守ろう……。

 違う。

 それじゃ駄目だ。

 僕は僕だけの王国を作らなきゃいけないんだ。同じ轍を踏まないとか現状を危ぶんで、行動を起こさないんだったらそれは停滞だ。王国の建設は曖昧模糊な目標と化して、僕の生活は今まで通り退屈な生活のままになってしまう。

 そんなのは嫌だ。

 あの時からずっと変わらない灰色の生活を送るなんて、浮足立ったあのひと時を味わった後に続けるなんて、延々に続く苦痛の他ない。

 なら、行動しよう。

  




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