第三話

 足がそこまで早くないミサカさんに追いつくことは容易だった。そして、話しかけることも容易だ。友達が居ないからって、人と話せない訳じゃない。でも、話しかける僕を突き放すような態度は苦手だ。それこそ、今のミサカさんのような態度は苦手だ。

 意識してるのか、それとも無意識的に僕を拒絶しているのか、ミサカさんは眉間に皴を寄せる。けれど、その表情は別段怖くない。むしろ、ハリネズミみたいで可愛い。


「本当に知らないのよ。貴女のことなんて」


「そう? 僕って意外と有名人だと思うんだけど。背も高いし、顔も可愛いし、頭もそこそこいいし、運動もそれなりにできるしさ。有名にならない要素が無くないかな」


 自惚れた自己紹介を初対面の人にしてしまった。

 昔からテンションが上がると、ついつい余計なことを言ってしまう。僕の悪い癖だ。いや、これが悪い癖なんじゃない。悪い癖だと知っている癖に、それを直そうとしない開き直った僕の性根が悪いんだ。


「自惚れよ。貴女のこと、この学校に入ってから初めて知ったもの。というより、貴女みたいに目に光の灯っていない人が有名になれるわけないでしょ。貴女が持っているとしたら、それは悪名よ。目を覚ました方が良いわ」


 性根の曲がった僕の目を真っすぐと見ながら、ミサカさんは事実を告げる。

 そして、ミサカさんは僕に興味を無くしたのか、背中を見せて自分のロッカーに足を運ぶ。雲から突き抜けてくる鮮やか過ぎる夕陽と濃すぎる影の両極端な背景の中で動くミサカさんは、すごく魅力的だ。靴を取るという一つの動作に過ぎないのに、まるで青春映画の一コマのように見える。僕には無い魅力だ。

 人って言うのは自分にないものに魅かれる。だから、いろんな人は華奢な体の美人さんを手に入れようと告白するんだろう。今までそんなのは所有欲に駆られた愚かなことだと考えていたけれど、日常のワンシーンを見ればそれが愚かじゃないってことに気付く。確かに美しいものは美しい。それにこの美しさを独り占めしてみたい。

 そして、僕は興味本位で抱いたこの欲求に従うこととする。

 多分、ミサカさんと一緒に居れば、僕は僕だけの王国を手に入れられそうな気がする。僕に欠けている情熱に満ちた何かが得られそうな気がする。

 漠然とした理屈を引っ提げて、僕はミサカさんの右肩にそっと手を乗せる。


「まあまあ、待ってよ。少しくらい僕と話してくれたっていいじゃん」


「……嫌よ。貴女みたいな人と話すなんて」


 自分でも驚くくらい浮ついたセリフは、ミサカさんの心を捉えるどころか、僕とミサカさんの距離を開かせてしまった。これじゃあ、僕は僕の欠けた所を補えない。いや、僕の順風満帆な生活にさらなる彩を加えてくれる人と一緒に居られない。

 興味を失ったのか、ただ僕と関わりたくないだけなのか、ミサカさんは僕の手を払って、早急に玄関から立ち去ろうとする。

 待ってほしい。

 まだ、話は何も始まっていない。始まっていないのなら終わることも無い。

 だから、まだ行かないで。


「待ってよ」


 無邪気な子供の我が儘がとりついた長い僕の腕は、いつの間にかミサカさんの右肩をがっちりと掴んでた。

 そして、掴んでいたということはそれなりの握力がミサカさんの肩に加わっているということだ。華奢な体を痛めつけているということだ。


「ごめん。ホントにごめん」


 痛めつけてしまったのなら、例えそれが無意識的であったとしても、行為をすぐさま止めて謝らなきゃだ。謝っても許してもらえないことは分かっているけれど、それでもいい気分を台無しにしてくれた罪悪感を軽減できる。だから、この謝罪は僕のための謝罪でしかない。それだから僕はミサカさんの顔が怖くて見えない。

 深々と頭を下げる。

 ミサカさんは玄関から立ち去らなかった。

 一体、ミサカさんはどんな表情で僕を見ているんだろう。

 僕は気になる。

 でも、僕は臆病だから顔を上げることが出来ない。酷く下らない理由で人の体と心に嫌悪感を与えてしまったことから逃れたいから。見なければ、何も分からなくて済む。だから、僕は目を伏せて床を見るんだ。


「……別に痛くなかったら大丈夫よ。まあ、驚きはしたけどね」


「……ごめん」


「なんでそこまで深く謝るの?」


「……言えない」


「言えないなら初めから話しかけてこないで」


「ごめん……」


 溜息を吐きながらミサカさんは僕に失望する。と言っても、別にミサカさんの表情を見た訳じゃない。ただ冷たくて淡白な口調とため息に混じる嫌味から、ミサカさんの気分を推察しただけに過ぎない。

 決めつけに過ぎない。

 僕が一番嫌いな。


「貴女の情緒、調子が狂うわ。お調子者なのか根暗なのか分からない上に、自分の立場をはっきりとしない態度、嫌いよ」


「はっきり言うね。これでも意外と傷つくんだよ?」


 じくじくとした痛みが言葉通り生じる。

 傷つけたのは僕なのに、自分の痛みだけ訴える。

 馬鹿らしいな。


「先にやってきたのは貴女の方でしょ」


「まあ、そうだけどさ。思いやりとか慈悲とかあるんじゃないの? 慰めの言葉とかさ」


 顔を上げて、決して目を合わせないように夕暮れの校門に視線を向けながら、情けない言葉を吐き出す。ふいに右頬を人差し指でぽりぽりと掻いてしまう。


「慰めなんて無いわよ。ほんのひと時しか心を癒してくれない言葉なんて意味がないでしょう。物事は白黒はっきりさせた方が良いわ。だから、私はこうして貴女を拒絶しているのよ。金輪際関わってこないで欲しいから」


 凛とした声音で絶交を宣言するミサカさんの言葉は、胸に突き刺さる。否応なく僕の心に侵入してきて、酷い痛みを生じさせる。形而上の痛みは胸を苦しめて、形而下の変化として僕の視線を落とさせる。頬に触れていた右手もだらりと肩からぶら下がる。

 やっぱり、僕が人と仲良くなるのは無理なんだろう。人との距離感が分からない僕なんかが友達を作るのは無理なんだ。


「そっか」


 人を利用して自分だけの王国を手に入れようとした罪は罰せられた。そして、罰の反動は僕の感情を抑圧して、淡白な声音だけを与えた。

 明らかに視線を落としている意気地なしの情調は、散漫していて元に戻すことは難しそうだ。

 明日、学校休もうかな……。


「ちょっ!?」


 悪い気分に浸りやすくて伏せがちな弱虫の右手首を、ミサカさんは急に掴み上げる。それから僕の顎先に手を当てて脱力していた僕の顔を上げさせた。

 翡翠色の美しい双眸が、僕の瞳を捉える。凛とした二つの玉石が放つ一条の輝きは、澱んだ僕の瞳にさえ光を灯してくれそうな気がする。シャープな顔つきから発せられる独特な冷たさは僕を導いてくれそうな気がする。僕の手を引っ張って、僕だけの王国に導いてくれそうな気がする。

 推察塗れだけれど、僕は僕の希望を全て投影するくらいミサカさんの表情に魅かれている。きっと、救世主に会った人もこういう気分だったんだろう。


「はっきりとした言葉で自分のしたことの意味を言いなさい」


 透き通るような声音は痛んだ心に軽やかに響く。傷をほじくるようなことは無く、ただただ触れるような優しさが僕の心に木霊する。


「僕はミサカさんと友達になってみたいんだ」


 だから、僕の本音もポロリと漏れる。優しいだけの言葉じゃなくて、嫌味だけの言葉じゃなくて、僕を見つめてくれる芯の籠った言葉だったから。


「言えるじゃないの」


 弱虫から本音を聞き出したミサカさんはクスリと微笑む。

 翡翠色の二つの玉石の光は細くなるとさらに美しさを増す。僕はその透明を体現したような微笑の爽やかさに胸を満たされる。




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