第二話
図書室の扉を開けると、古本の匂いが籠ったひんやりとした空気が体を通り過ぎる。
そして図書室の持つ独特な空気を世俗に漏らさないようにひっそりと扉を閉める。
二つの教室を合わせた程度の大きさを持つ図書室には、まるで僕の望みを知っていたかのように幾らかの人が居る。司書さんは当然のこと、真剣に本を読む真面目そうな子や、机に突っ伏して昼寝をしている子、ペンを動かして学生としての本分に打ち込む子、そういった興味深い子たちが、それぞれの活動に集中している。
活動の邪魔にならないよう、なるべく音を立てないようにリュックを床に置いて窓辺の席に座る。それから出来るだけ目立たないように、そっとあたりを見渡す。人目に付く見た目をしてるからこんな行為は意味ないと思うけど。
静寂の中で僕は孤独から意識を逸らす。
周囲をキョロキョロと見渡せば、あたりには何かに熱中している人ばかり。僕みたいに自分から逃げるためにここを利用している人は居ない。皆、自我をもって自分のすべきことに打ち込んでいるんだ。
羨ましい。
僕も自分を忘れられるくらい熱中できる何かが欲しい。誰にも邪魔されない僕だけの王国が僕も欲しい。と言っても、それは「欲しい」って言って空から降ってくるものじゃない。自分で努力することによってやっと手に入れられるものだ。だから、なおさら僕の手に収まることは無い。僕は努力することが出来ない人種なんだから。
何でもそこそこできるっていうのは、かなり辛いものだと思う。もちろん、一般解じゃない。僕個人の解答でしかない。でも、努力しないである程度のことが出来るようになるのは、つまらないし、何事にも熱中できなくなる要因になってる。全部の物事を適当に済ませる癖がついてるんだ。
曖昧な自我しか持たず、ここまでだらだらと生きてきたから、ここにある意志は特別なものに感じる。普段は目立たない人も輝いている。
僕にはその輝きが無い。磨かれることのないダイヤの原石としてずっとうずくまっているだけだ。
「……ミサカリョウ」
溜息を吐いて視線をちらりと本棚の方に向けると、本を立ち読みしている有名人が居た。
もちろん、かかわりは一切ない。
それどころか興味もない。
クラスの人たちが三組のミサカさんのことを褒めていたから知っているだけの一方的な関係だ。友達のいない僕からしたら雲の上の存在だ。
けど、見た目だけ言えばミサカさんと僕は似ていると思う。僕もミサカさんもクールな見た目をしてる。僕はショートカット(今はボブ気味)のボーイッシュって感じで、ミサカさんはセミロングのクールビューティーって感じ。身長は僕の方が高い。でも、ミサカさんも身長が低いってわけじゃない。おおよそ高身長な方だと思う。僕は覇気のない死んだ目がチャームポイントで、ミサカさんはぱっちりとした綺麗な翡翠色の目がチャームポイントだ。目鼻立ちもくっきりとしているし、綺麗な造形をしてる。それに僕らは二人とも物静かだ。あと見た目だけじゃなくて、言動もクールらしい。
僕らは似ている人種なのかもしれない。あのミサカさんと、入学してから告白され続けているミサカさんと、繰り返される告白をことごとく断っているミサカさんと一緒だと思うと、目立つ容姿と陰気な性格も肯定できる気がする。もっとも、ミサカさんからしたら迷惑極まりないことだけど。
じっくりと文庫本を読んでいる様も絵画みたいに綺麗だ。
他人から見た僕もそう映っているんだろうか。いや、毅然とした態度を入学当初から取っているミサカさんだから美しく見えるんだろう。僕みたいに覇気のない人が文庫本を読んでいても木偶の棒にしか見えない。きっと、醜いんだろうと思う。
頬杖をつきながらミサカさんに自分を投影する。すらりと伸びる手足は綺麗だ。折っていないスカートから覗く足は健康的で、ブラウスをきっちりと着こなしている様はミサカさんの真面目さを象徴しているみたいだ。きっと、今読んでいる本も真面目な性格に比例してる難しい本なんだろう。
いや、決めつけは良くない。
真面目な人だから真面目な本を読んでるわけじゃない。もちろん、難しい純文学を呼んでいることもあると思う。
けど、読んでいるに違いないって決めつけることは偏見でしかない。そうやって決めつけることは人が勘違いする大きな要因だ。そして、勘違いは良くないものと良くない関係を往々にして生み出す。だから、得手勝手に決めつけちゃ駄目だ。いずれ自分にも帰ってくることでもあるし。
「あっ……」
取り留めのないことを考えていた僕は、耳目を普段から集める人がどれだけ視線に敏感なのかを知らなかった。
それだからミサカさんの視線は僕とばっちり合っているんだ。
純朴な翡翠色の瞳が僕を捉える。
差し詰め僕は蛇に睨まれた蛙のようにピクリとも動けなくなる。もちろん、ミサカさんに恐れをなしているからじゃない。ミサカさんの綺麗な瞳に意識が吸い込まれているからだ。その証拠に今の僕は周りが見えていない。僕ただ一点、宝石よりもよっぽど美しい虹彩を見つめているんだ。
暫時、僕らは何もすることなく目を合わせ続けていた。
けれど、そういう時間には終わりが来る。大抵の場合、それは僕からじゃなくて相手方が切り上げる。今回もそうだ。
読んでいた文庫本を目の前の本棚に収めると、ミサカさんは表情一つ変えることなく、図書室から出て行った。感情の起伏が現れていない単調な足取りは、少しだけ気に食わなかった。僕のような美少女に見つめられても、平気な顔をしているのが癪に障った。
珍しくとんがった感情を抱いた僕は、どういう訳かその感情に躍起になった。
それだから僕は今こうしてミサカさんの背中を追っているんだと思う。
ミサカさんが真っ直ぐ玄関に向かったことは考えなくてもわかる。だって、ミサカさんの香りが足跡のように茜色の廊下に残っているんだから。
初めて役に立った嗅覚に従って、真っすぐと廊下を突き進む。体育館から響いて来るボールの音とか運動部員の声とかに興味を向けず、ただミサカさんを追いかける。
「ミサカさん?」
「……誰?」
「誰って酷いね」
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