当世殺し屋事情

そうざ

The inside Story of a Modern Assassin

「どいつもこいつも殺しゃ良いと思ってやがるっ」

 我が師お得意の、ぼやきと嘆きである。

 今時、殺し屋なんて役回りは貧乏籤を引くようなもの。美学や矜持に拘る玄人プロ仕業しわざが尊ばれたのは大昔の話で、今時はSNSで『◯◯を殺せる人って居る?』と呟けば素人アマが次々に名乗りを上げ、安価でやってしまう。

 こういう素人が厄介且つ脅威なのは、浅墓で、向こう見ずで、注目されて承認欲求さえ満たされればそれで良いからだ。用意周到とか、当意即妙とか、一意専心とか、殺し屋として当然踏まえなければならない観点が端から頭になく、後になって恥ずかし気もなく、『しくじるとは思わなかった』『ばれるとは思わなかった』『パクられるとは思わなかった』などと述懐するのである。


「〽人は必ず死にたもう、怪我か病か老衰か、所詮しょせんままにはならぬもの、誰ぞに委ねて御覧ごろうじろ」

 我が師作の戯れ歌である。

 千件もの仕事ころしを完璧且つ鮮やかに成し遂げた事でお馴染みの我が師は、現場で必ず吟じていたらしい。

 しかし、寄る年波には勝てなかった。足腰や五感の衰え、集中力や瞬発力の低下、勃起不全、そして半端ない頻尿の所為で惜しまれつつ引退、普通の小父さんに戻るつもりでいた。

 が、先述したような素人仕事が溢れ返る現状を憂い、忽ち業界に電撃復帰。が、相変わらず頻尿が半端ないので、後進育成に注力する事になった。


「ばーって、ぶぁーって、ずんごーんで万事オッケーだ」

 一事が万事、この調子である。

 確かに我が師は超人的な勘でどんな案件もやり遂げてしまう生まれながらの殺し屋だったが、どんな業界にも存在する天才の多くが得てしてそうであるように、実践者としては優秀でも指導者としては否と言わざるを得ない。

 尚且つ、昔イケイケだった人物に限っていざ身体が動かなくなるとその代替行為と言わんばかりに何かに付けて口煩くなるものだ。現役時代は『お前には出来んだろうな』と鼻高々だったのに、一線を退くと『何故お前は出来ないんだ』と途端に思考が裏返る。老いさらばえた自らを受け入れられず八つ当たりを始めるのだ。


「二十人や三十人、半日でちゃちゃっと殺っちゃえよっ」

 そもそも我が師はせっかち過ぎる。

 殺しのの字も教授しようとせず、習うより慣れろ、慣れたらさっさと一人前になれと言う。その癖、武器に触れるなんぞ十年早いとも言う。炊事に洗濯、掃除に買い物、夜伽よとぎに添い寝に下の世話、些末な事柄に忙殺されるのが弟子の日常である。


「お前みたいな穀潰ごくつぶしは死んで詫びた後に一からやり直せっ」

 そして理不尽に口が悪い。

 何度、喉ちんこに銃口を突き付けられたか、何度、ダガーナイフで頸動脈を愛撫されたか。

 どんな業界であろうと昨今はハラスメントに敏感である。昔ながらの愛の鞭やスパルタ指導に執着すればする程、却って素人の跋扈ばっこを許してしまうように思うが、このやり方が師を師たらしめているのだろう。


「はっきり言ってお前は殺し屋に向いてないが、ずっと俺の側に居ろ……この意味が解るな?」

 我が師が死んだのは、それから間もなくだった。心筋梗塞だった。

 それは労災の一種と言えるかも知れない。出来の悪い教え子の所為で心労が募りに募り、ストレスの塊と化していたらしい。

 一方で、千件もの殺しに手を染めれば、逆に命を狙われる立場になっても何ら不思議はない。実際、僕は『伝説の殺し屋を殺せる人って居る?』という呟きを目にした事がある。


 伝説の殺し屋を腹上死に見せ掛けて巧妙に葬った大型新人――僕は一足いっそく飛びに出世を果たした。記念すべき仕事ころしのデビューで我が師を、しかも銃器も刃物も使わずに葬ってしまうとは、人生とは誠に皮肉なものだ。

 色々と辛い事はあったが、師には感謝してもし切れない。師が居なければ僕なんかが殺し屋に成れる筈もなかった。

 これからも草葉の陰から僕の活躍を見守って欲しい。そう願わずには居られない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

当世殺し屋事情 そうざ @so-za

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説