第6話 仮病

「本当に大丈夫?無理をしないでね」

「うん、寝たらよくなると思うから、早く行ってきなよ」

「ごめんね」


 俺は母親に体調不良で今日は休むと伝えた。

 いじめのことは伝えていない。

 親に心配を掛けたくないからだ。

 

 でもさすがに親といったところか、薄々俺の様子がおかしいことには気付いていそうだった。

 でも俺が何も言わないから無理には聞いてこない。


 昨日も失意の中で無言で帰ってきた俺のことを何も言わずに迎えてくれた。

 察するものがあっただろうけど、俺の意地に付き合ってくれたのだろう。


 ほんと、母親には敵わない。

 早くに父をなくしてから、俺は母親に迷惑をかけてばかりだ。

 小学校の頃から色々なことに首を突っ込んでは怪我をして戻ってきた。

 その度にすごく心配された。


『あんたまでいなくなったら私は……』


 そういわれると、ズキリと心が痛んだ。

 でもこれは性分だし、きっと父が生きていればよくやったって褒めてくれると思う。

 所詮小学生がやれる範囲のことだ、そんなに心配しなくても死にはしないさ。


 楽観的に俺は思っていた。




 布団の中でふいに目を覚ます。


 いつの間にか寝てしまっていたようだ。

 なんの夢を見てたんだっけな。

 ああ、確かあれは小学校五年生の時、変質者に襲われそうになっていた女の子を助けた時の夢だ。


 本当に変質者か分からなかったけど、女の子が怯えていたのがひどく印象的に残っている。

 怖かったんだろうな。

 俺はその変質者にドロップキックを食らわせて女の子にいうんだ。


「俺が相手をするから早く逃げて!」


 なにかっこつけてるんだか、あの頃は自分が正義のヒーローにでもなったような気でもしていた。

 学校ではケンカの仲裁もしたし、他校との喧嘩にも参加した。

 やんちゃしてたなあ。


 あの頃は楽しかったな。


 俺は窓の外を見る。

 安い木造のアパートから覗く景色には下校している小学生達が見える。


 戻りたいなあ、でも時間はもう巻き戻らない。

 俺はもう一度布団に潜り、嫌な思いを振り切るように眠りについた。



「雄太、まだ寝てるの?」


 母親が帰ってきたのか、俺を呼ぶ声が聞こえる。


「うん、もう起きた」

「そう、もう晩御飯出来るから食べましょう」


 俺はそう言ってリビングへと向かう。

 食卓にはご飯とみそ汁、生姜焼きに備え付けのキャベツに、かぼちゃの煮物だった。


「病み上がりにはきついよ」

「何言ってるの、そういう時だからこそよく食べないと」


 実際は仮病なので俺のお腹はぐぅーとなってしまう。

 そういえばお昼も結局なにも食べてなかったな。


 体は正直だ。


 席についてご飯を口に入れる。

 暖かい。

 いつも食べているはずのご飯に味がするような気がした。


 そうか、今日は何もされずに一日を過ごしたんだ。

 だからかな、俺は目から溢れ出る涙を止めることが出来なかった。


「ちょっと、雄太!? 大丈夫? まだどこか痛いの?」

「だい、大丈夫、ちょっと喉に詰まって……」


 そういった俺の目から涙は止まらない。

 俺は嗚咽しながらご飯を机に置いた。


 母親はその後何も言わずに、ただ背中を撫でてくれた。

 それが無性に嬉しくて、悔しかった。


 結局全てお見通しだったのだ。

 俺が強がっていたことも、無理をしていたことも、でも黙って何も言わなかった。

 俺から言うのを待っていたのだろう。

 

 本当に、親にはかなわないや。

 俺は涙でぐちゃぐちゃになりながら今までの顛末を少しづつ話し始めた。

 クラスメイトが虐められていたこと。

 学校が取り合ってくれなかったこと。

 俺がいじめられるようになったこと。

 今日学校を休んでしまった本当の理由をすべて話した。


 母親は黙って俺の話を聞いてくれた。


「辛かったわね、ごめんね、何も出来なくて」


 違うんだ、俺が悪いんだ。

 自分の身の丈も知らないで突っ込んでしまったのが。


「明日は休みにして私は学校にいくわ、雄太は休んでいなさい」

「でも、学校は取り合ってくれないよ……」

「息子がこんな目にあって、何もしない親がどこにいるの! 例え無駄だとしても文句の一つでも言ってこないと気が済まないわ」


 母は、父と同じように正義感の強い人だ。

 うちの家庭はみんな同じような性格をしている。


「うん、俺は、明日も休むよ」

「任せておいて、ぶん殴ってきてあげる」

「それはやりすぎだよ」


 久しぶりに笑った俺は、もっと早く相談しておけばよかったかなとも思った。

 でもそれでも事態は簡単には解決しないだろうなとも思った。




 翌日、朝から出ていった母親を見送ると、俺はまた布団に入って不貞寝をした。

 ウトウトとしていると、急に玄関の扉が蹴られる音が聞こえた。


「おいてめぇ! ここにいるのはわかってるんだぞ!! 出て来い! お前が全部やったんだろ!」


 加藤だ。

 俺はブルブルと震えて布団にくるまった。

 実家にも来た。

 俺の逃げ場はもうない。


 絶望感に苛まれていると、外の音が少し小さくなった。


「近隣住民……これ以上……補導することになるよ」


 誰だろう、大人と話をしているようだ。


 布団に潜った俺にはよく聞こえなかったが、もう一度扉が蹴られたと思うと加藤の声だ聞こえてきた。


「ただじゃ済まねえからな! 待ってろよ!」


 そういった後、外は静かになった。


 俺は布団から出て、恐る恐る扉ののぞき穴から外の様子を見る。

 そこには真っ暗で何も見えたなかった。

 何かに隠されたのかな?

 

 結局外の様子を見ることが出来ず、かといって扉を開ける勇気もなく、俺は再び布団に包まって眠りについた。


 昨日から思っていたが、体が相当痛んでいたようだ。

 体が休まっていくのを感じる。


 すると朝出ていったはずの母親が昼前には戻ってきた。

 それ自体は不思議ではない、時間的におかしいことはない。


 ただその顔は不思議な表情をしていた。

 俺は母親に問いただす。


「どうだった?何かあったの?」

「いや、それがね、職員室にいったんだけど、先生達が電話対応ばかりしていて全然対応してくれなくて、しばらくは待っていたんだけど一向に進まないから怒鳴りこんでやろうとしたら、女の子に止められてね」


 なんだろう、何か学校であったのかな。


「それでね、その子が、明日は雄太君に登校するように言っておいてくださいって。あんた誰か知ってる?二年生みたいだったけど、黒い長い髪をした、後ろでポニーテールを結んでいるすごいかわいい子だったんだけど」


 生徒会長だ……。

 その容姿、そして俺に登校を促す。

 数日休んでいてくれとのことだったが、もう解決したってことなのか?

 それにしても何で俺の母だって分かったんだろう。


 まあそれはいいか。

 明日は登校か……。

 いやだなあ。

 もう次にアイツらに会ったら逃げよう。

 もう恥も外聞もない。


 俺の心に刻まれた恐怖は拭い去ることは出来なかった。

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