第9話

「無理してない?大丈夫?」

夕方になり、気温が下がり始めた。彼女に上着をかけて、俺も座る。

あと数時間でリハーサルも終わる。フェスが始まると熱気がこもり始める。周囲はボルテージが上がりつつあった。それでも太陽が傾き始めると冷えてくる。

「ありがと、平気。薬をちゃんと飲んでたらそんなに酷くないの。痛みもこない」

テントの外で芝生の上に座って、今、輝礼アキラ尚惟ショウイ、俺、二美子ニミコさんの4人で座ってる。

にみさんが目が覚めて、尚惟に話したことは、輝礼が不安に思ってた通りの内容だった。テント内でのことを、俺たちなりに3人でにみさんが眠っている間に整理したのだ。

何らかの病気を患ってるのではないか、その事を言おうとしていたのではないのか、と。

「いや、体調もだけど、いろいろと……」

俺の言葉にフワッと笑う。

「大丈夫、ごめんね、ありがと」


ごめんねって……


「尚惟からちょこっと聞いたけど……」

輝礼が口を開く。

「うん、心臓が弱ってるの私。」

「心臓……」

「輝礼くんがとってくれた薬は息ができなくなるくらい痛くなった時に飲むの。心臓が痛くなって、血が上手く巡らなくなったときに血管を広げる薬」

二美子さんから笑顔が消える。

「裕太兄は……もう来てる?」


裕太さん?


「まだ、混んでてギリになるって連絡があった。何?裕太さんくるまでこれ以上言わないとか?」

ここにきて裕太さんの名が出るとは思わなかった。思わずカチンときてしまった。

しかし、俺の考えは浅はかだった。彼女は覚悟を決めたんだ。だから確認したんだ。兄がいないことを。

「ごめん、ヘラヘラしないで言う」

彼女は一回呼吸を整えると、言葉を選ぶように大切に話し始めた。

「これから話すことは兄は知らないの。初めて人に話すの。ごめんね、聞いて」


 裕太さんが知らないことをこれから聞くのか。


「……わかった。なあ、アキラ、ショウ」

2人の目を見る。裕太さんが知らないっていうキーワードに少し動揺した。3人とも口にこそしなかったが、よい話ではないことを察した。

「ありがとう」

遠くから聞こえてくるサウンドが少し陰ってきた空に消えてく。

「診断を受けたのはほんとに最近。ついこの間なの。3人は兄から聞いて知ってると思うけど、私、大学時代にちょっとしんどい経験して、パニック症状みたいなの出たの。なかなか落ち着かなくて、病院にかかってた」

あの時の、台所で皿が割れた時のシーンが脳裏によぎった。

「病院って、裕太さん知ってるの?」

輝礼が言う。

「行ったのは知ってる。ただ、まだ通ってるって思ってない。1年間通院して症状がおさまってきたから、様子見ようって言われて、それから行ってない……って思ってる」

「主治医の先生は良くなってるって?」

尚惟が聞く。

「うん、改善してるって。人も怖かったけど、随分安定して。良くなってたの。物音が怖かったり、寝られなかったり、夢見たりがほんとなくなって」


そんなに……何やったんだよあの男は、


「でも……胸の痛みが和らぐことがなくて」

「ずっと痛かったの?」

「ずっとってわけじゃないのよね。時々、チクって。最初は病気だなんて思わなくて、突然恐怖が襲ってきたり、立ってられなくなったり、ビックリすることが多くて、だからドキドキが辛いんだって思ってたから。でも、良くなってきてるのに、この痛みだけ続いてるなあって。兄がいない時に診てもらったら心臓病かもって。検査になった」

輝礼は、一点を見つめながら聞いている。尚惟は、体育座りした足に顔を埋めてる。俺は二美子さんを見ていた。

にみさん、頑張ってる。泣かないように、誤魔化さないように頑張ってる。


「もともと血管が細いみたい。普通だったら問題なく生活して、年取って、おばあちゃんになって、ちょっと心臓弱いね、だったかも。でも、私は強いストレスがかかって一気に弱ってしまったんだろうって。あの事を思い出してしまうと、大丈夫なこともあるけど、ダメなときもあるの。で、今は薬で頑張ってる。まだそんなに進行してないし、落ち着いた生活を送れば問題ないから」


強いストレスって……あいつか……


恐らく2人も思ったはずだ。彼女を傷つけた男のことを。


あれ……?


なんだかよくわからない違和感……。。


「私は…兄が私の状況を知ることが怖かった。どうなるんだろうって、裕太兄はどう考えるんだろうって。そう思ったら…言えなくなった。まだ通院してることも、心臓が悪くなったことも」


確かに、裕太さんが知ったら怒りは雅人に向かうだろう。今も静かな炎を燃やしてるから。けれど、裕太さんは早計な行動にはでないのではないだろうか。俺は漠然とそう思っていた。超シスコンだが、裕太さんが社会的に認められているのにはしっかりその理由がある気がする。


「でも、私のことだけど、抱えきれなくて……」


二美子さん


「怖くて、何が怖いのかもわかんなくなってて、自分の事なのにわからんなんておかしいけど、わからないの」

二美子さん、ふーっと息をつくと膝の上の手をより固く握りしめた。

「でも、ひとつ、ここに来て実感したことがあった」

「なに?」

「私、頑張る」



3人が二美子を見る。

「上手く言えないけど……頑張ることにしたの」

今日の晩ごはんはパスタにしたの、みたいな温度で言っているけれど、きっと、まだ心は迷ってるんだろう。でも、


 ああ、もう………。


俺は苦笑いしてしまった。

そうか、彼女はこのフェスを最後にしようと思っていたんだな。誰にも言わず、消えるつもりだったのかもしれない。方法はわからんけど、少なくともひとりになろうとしてたんだろう。それをやめたんだ。


 怒れねえ……。


尚惟はどこまで理解したのだろう?

ふと彼を見ると……目がマジになってる。これは怒ってるな。あいつ、怒ると怖いんだよ。輝礼も怒ってる。でもこれはあの男への怒りだな。分かりやすいんだ。

俺は、息をひとつ吐いた。


「頑張る宣言を俺たちにしたってことは、俺たちも二美子さんの病気と戦っていいってことだね」

俺の発言に驚く彼女はほんと天然。

「え、私の病気とって……。そんな迷惑なこと言わないよ。私は裕太兄のことを頼みたかったのであって……」

「知られないようにだろ?病気もこうなった所以も。わかってるよ。知ったら大変だろうなぁ。まあ、雅人がどうなろうがいいけど、裕太さんが暴走したら二美さんが困るよな。ってか裕太さん頼まれた方が面倒」

「輝礼くん」


それは、そう。


「何で俺に言ってくれないんだよ。病院だって行くじゃんか。嫌なの?俺が一緒に行くの。頼りないって思ってるんだ」

「尚惟、嫌なわけないよ!」


あ…、ショウ、嬉しそう……。


「じゃあ、いいじゃん。言えよ。今みたいに。薬も3種類あるの?俺たち知っておいてもいい?」

「え?う、うん。用途がちがくて……、

茶色のケースには今試している薬。8時間毎に2錠。赤は発作が起きたとき用。今回初めて飲んだから効用が理解できてなかった。でも持ってきてよかったよ。1時間くらいで治まるんだね」


え……


「ちょ、ちょっと待って。え、今回初めて発作が出たの?」

「え、え?何か怒ってる?壽生くん」

怒ってないが、口調が強くなる。

「発作、初めてなの?」

「う、うん。たぶん。これまであんなのはなかった。今回は遠出だから、何かあってもいけないってお医者様が初めてくれた。だから、発作がどんな風なのかっていうのも、どうなったのか私もよくわからなくて」

3人の視線がバッチリ合った。


 あの男は…………!


裕太さんに言わずとも、俺たちの怒りに触れた。

「わかった。もう隠さないでよ。じゃないと何も出来ない。ひとりで不安にならないで」

キョトンとする二美子。

「え、どしたの」

「え、えっと、今、すごく楽になった気が……した……」

再び3人の視線が交じる。

「「「それは良かった」」」

彼女は潤んだ目をくしゃっとして笑った。

この後、白い薬ケースには貧血の薬があり、貧血であることも発覚。なぜ黙ってたのかと二美子は3人に問い詰められる。

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