第47話 side:ゲルト2

 だから、あの日。

 ゲルトとリアが七歳だったとき。

 森で転び、しばらく気を失っていたリアが目覚めたとき、彼女の発した言葉を聞いてひどく狼狽した。


『クモノくん……?』


 聞き間違えかと思った。

 それとも、空の雲か虫の蜘蛛のことを言っているのかと思った。

 けれど、その時確信したのだ。


(リアは、響子ちゃんだ!)


 ああ、響子ちゃんは死んでいた。

 きっと、同じ事故で命を落としたのだ。

 自分は守ることができなかった。

 あの可愛らしい少女を。

壮介の愛した友人の妹を。

 

 だが、愕然とした一方で、抑えきれない高揚感がゲルトの胸を満たす。甘美なほどのその感情は、じわりじわりと全身に広がり、指先まで痺れるようだった。


(ここにいる! あの響子ちゃんが! リアとして!)


 涙が出た。ボロボロと際限なく流れて、リアの白い顔に向かって雨のように落ちていく。


(ああ、神様……感謝します。俺はもう二度と彼女の手を放さない。この腕に抱いて、絶対に離れない。ずっと、永遠に、リアだけを愛すると誓います。だから……俺からリアを奪わないで。努力する。どんな努力だって惜しまない。だから、彼女だけは。リアだけは俺から奪わないで)


 その日、ゲルトは決意した。

 どんな汚いことに手を染めようと、片足を地獄に突っ込んだとしても、リアを絶対に離さないと。

 

 例え、リアがゲルトを嫌おうと、それゆえ遠ざかろうとしたとしても、この腕を檻に変えて、彼女を捕らえておこうと。

 

 醜くても構わない。

 この腕で彼女を抱き締め、永久に愛することができたら。他は何も望まない。


 それは恐ろしく歪んだ愛かもしれなかった。

 けれど、それは身の内で渦巻く感情で、表立って出てくることはなかった。

 狂気にも似た恋情を上手く飼い慣らし、ゲルトは好青年として育った。


 そして、努力は実を結び、ヴェルタの聖女となったリアの唯一無二の聖騎士に選ばれた。

 ゲルトは幸せだった。

 響子であり、リアでもある少女と共に時を刻めることが。


 神殿にはいけ好かない神官長や影の薄い神官たちが数人いたが、そんなものは目に入らなかった。

 ふたりきりで過ごす時間の方が長かったからだ。

 思いは届かないし、それとなくリアに伝えても、全くわかってもらえない。

 それでも、幸せだった。

 彼女の美しい銀色の髪に触れ、毎日綺麗に梳いてやることも。

 その手を握り、その頬に触れることも。

 誰に憚ることなく、傍に居られること。

 自分だけに向けられる声や視線に、心を震わせる日々はまるで楽園にいるかのようだった。


 もっと触れたい。

 もっと近づきたい。


 時折、衝動的に襲い来るそれらの欲望は、おくびにも出さなかった。

 

 だのに——至福の時は、ある日突然終わりを告げる。


 クラウス・フォン・アーレント。


 アーレント伯爵家の不肖の息子が現れたその日に。

 

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