第15話 あらぬ噂
そのとき、扉を叩く音がした。耳慣れた叩き方に、自然頬が緩む。
「ゲルト」
声を掛けると、扉が開き、ゲルトが入って来た。
毛先の跳ねた蜂蜜色の髪はふわりと上下し、深緑色の瞳には気遣いの色が見える。
神殿での聖騎士の正装とは違い、乳白色の上衣に黒いベストを重ね、下衣は草色で、ベルトという身軽な格好だ。常に彼の腰にあった大剣の姿はないが、短剣だけは身に着けている。
精悍ながら、どこか優し気な雰囲気も併せ持つ、整った顔立ちを見ると、リアはほっとして、気持ちがほぐれるのを感じた。
幼い頃は、強がるくせに小心者だった少年ゲルトも、既に十七歳。
まだ少年の面影を残してはいるが、あと少しすればそれも消え、大人の男になってしまうのだろう。それが寂しくもあり、誇らしくもある。
今もリアの頭一つ分ほど背が高いが、まだまだ伸びそうな気配がある。
リアの成長は止まってしまったというのに。
ゲルトの部屋は隣室だ。
引き離されると思っていた手前、クラウスの采配には驚かされた。
意外と良いところもあるのかもしれないと見直したくらいだ。だが、そのあとすぐ侍女たちの噂話で、好感度は急降下したが。
「リア?」
ゲルトはすたすたとリアに歩み寄り、すっとその手を頬に伸ばしてきた。
剣を握る者特有のごつごつした手がリアの頬を包み込み、優しく上向かせた。
背を屈め、覗き込むようにリアの顔を見つめる。
深緑色の瞳が不安げに揺らいでいた。
「眠れていないのか? どこか調子が悪い?」
「えっと、確かに寝つきは悪いかも。寝台が快適すぎて逆に落ち着かないし……でも、具合が悪いところはないよ? むしろ、ゲルトは? ちゃんと眠れてる?」
「俺のことはいい。睡眠は問題なく取れてる。……まあ、正直、寝入るまで時間はかかる。今までリアが眠るまで傍に居るのが日課だったから。リアの心地良さそうな寝顔を見てから眠るっていうリズムがついてるんだ」
ゲルトは俯き、力を抜いたようにリアの頬から手をはがした。
「でも、今までと違うからな」
そして、肩越しに振り返り、小さくため息をついた。
リアも体を横に曲げてゲルトの体の脇から、視線の先を追うと、細く開いた扉から覗くいくつもの目。
「‼」
ゲルトは片手で頭を抱えてから、扉を開けに行った。
扉の先には、コリンナと二人の侍女の姿。
リアとゲルトの食事を運んできてくれた三人の若い娘たちは、目をキラキラと輝かせて、ゲルトとその背後で佇むリアを交互に見やって、小さくきゃっと声を上げる。
彼女たちは台車に乗せた料理を運び入れ、卓に並べながらも、どこか愉し気にゲルトやリアに微笑みかけてくる。
(ううっ……また、見られてた)
コリンナがリアを今までクラウスが連れ込んだ女生たちとは違うと言ったのは、ゲルトの存在も大きいらしい。
これまで、男性を同伴者として連れてくる女性は皆無だったらしい。
当然ではあるが。
コリンナはリアがヴェルタの聖女だったことを知っているし、ゲルトが聖騎士だったことももちろん承知している。世間話の延長から、リアとゲルトが幼馴染だということも伝えてある。
そういった事情から、若い侍女たちの中で、リアとゲルトの切ない恋物語が作られ、大いに語られているらしい。
極悪非道のクラウスに見初められてしまったリアを追って、どうにか屋敷に入り込んだゲルト。けれど、クラウスの目がある為、大っぴらには愛を囁けない。切ない恋心を持て余し、日に日に憔悴していくゲルト。そして、ゲルトを愛しながらも、それを口にできないリア——という、悲恋物語が彼女たちの中で進行中らしいのだ。
リアやゲルトに同情的なのは有難いことではあるが、四六時中メロドラマの登場人物として観察されるのは良い気がしない。
だから、人前では少なからずリアとゲルトは言動や行動に気を遣っていた。
本音で接することができるのは、密室で二人きりの時だけだ。
ゲルトとしては神殿での生活のように、リアの身支度から、就寝まで自分の手でと思っているらしいが、好奇の目を向ける侍女たちの手前それができないのだ。
もし、ゲルトがリアの髪を梳いているのを見れば、きゃーっと大騒ぎするだろうし、夜遅くまでリアの部屋に居れば、とんでもない想像を膨らめるに違いない。
だから、頑固者で融通の利かないゲルトも、さすがに行動を変えざるを得なかったのだ。
悪気はないのはわかっているし、そこまで気分を害しているわけではないが、少なからず困惑し、戸惑ってはいる。
でも、今後の為にも彼女たちを味方につけておくのは必要かもしれない。
そう考え、リアは注意するのを踏みとどまる。
「ごゆっくり」
意味深な視線を寄こしてから、三人はそそくさと部屋を辞した。
綺麗に整えられた卓上の料理を見てから、リアとゲルトは視線を交え、ふたりして苦笑いを浮かべた。
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