第20話 side:壮介2
(……うわ、失敗した)
浮足立った友人たちと、どうにか体裁を整えた寝所で、壮介は改めて自分の寝間着を見下ろし、小さくため息をついた。襟のあるボタン式の寝間着は青と白の格子縞で、いかにも寝間着といった風情だ。
顔を巡らせれば、友人たちは皆普段着のようなTシャツやジャージのような服装が多い。
十五歳にもなって、律儀に寝間着を着るような者はいない、ということだろうか。
もし自宅では寝間着だとしても、修学旅行というイベントであるから、敢えて普段着を持参したのだろうか。
だが、今更着替えるのも気が引ける。
誰も壮介の寝間着について指摘しないのだから、気にするほどのことではないのかもしれない。
それよりも、しっかり巻き込んだはずの皺ひとつないシーツが、就寝前だというのに既に外れかけ、しわくちゃだ。
「枕投げやろうぜ!」
言い出したのは、風間大吾。壮介の一番の親友だ。
(中三にもなって、枕投げはないだろう、大吾)
半ば呆れながら、枕を抱えた大吾を見やる。
「えーやめろよ。そろそろ電気消さないと、先生回って来るぞ」
良識のある田中の声が上がり、壮介はほっとして、整理を終えたドラムバッグのチャックを閉める。
中学三年生になり、ついに最大のイベントがやってきた。
京都、奈良、大阪への二泊三日の修学旅行だ。
まだ五月でクラスに慣れたとは言い難いが、不思議と気心の知れたメンバーが集まった。
だから、班分けも滞りなく決まった。
今は一日目の夜で、同じ班の五人で一部屋もらい、就寝時間を迎えたところだった。
「じゃあ、電気消すぞー」
電気のスイッチに一番近い位置に布団を敷いた山下が立ち上がり、スイッチを順に押していく。パチパチという小気味良い音と共に、灯りが消えていった。
それでも、摺り硝子を嵌めた扉からは廊下の蛍光灯の灯りが洩れてきており、細く開いた襖から細い光が入り込む。カーテンの隙間からも街の明かりがわずかながらに入ってきて、真っ暗にはならない。
それぞれ割り当てられた布団に潜り込むが、嗅ぎ慣れない部屋や布団のにおいに落ち付かないし、五人いれば誰かしらもぞもぞと動くので、その音が気になって、目が冴えてしまう。
「なあ、恋バナでもしようぜ。せっかくだし」
言い出したのは、斎藤だ。
「お前は女子か!」
大吾が茶化すようにつっこむが、斎藤は気にする素振りもなく、話を続ける。
きっと話したくて仕方がなかったのだろう。
「じゃあ、言い出しっぺの斎藤が話して」
薄暗い和室に、控えめな声が飛び交う。
「実はさ、明日予定している工芸だけど、広瀬たちの班と同じ時間なんだよ」
「それが?」
「俺さ、広瀬の班に気になる奴がいてさ……」
斎藤がぽつりぽつりと語り出した話に、みんなは自然と耳を傾ける。
壮介も黙って、斎藤の話を聞きながら、内心まずいなと思っていた。
斎藤が自分語りを始めれば、そのうち誰かが「お前はどうなんだよー」とか「どんな子が好きなの?」とか、話を振って来るに違いないのだ。壮介にしたって、別段恋バナが嫌いなわけではないが、聞くのは良いとして、話すのは苦手だ。
それに——
(本音を言えば、ロリコンだの、変態だの言われるに決まってる)
同級生の女子を好きであれば、もしくは若い新任の女教師だったり、部活の後輩女子の名を挙げれば、何の問題もなく通過できる話題も、壮介にとっては鬼門だ。
いないと嘘をついてしまえば良いが、正直嘘をつくのは上手くない。
きっと嘘だと見破られ、根掘り葉掘り聞かれるに決まっている。
壮介は息を潜めて、まるで眠っているように装いながら、目を瞑る。
(そうだ、響子ちゃんにお土産を買って行こう。何にしようかな)
大吾の妹である響子は、小学五年生になった。
出会った頃に比べれば、背もだいぶ伸びてはきたが、ランドセルを背負っている姿はまだあどけない。前は「そーすけくん」と屈託なく呼んでくれていたのだが、近頃抵抗が出てきたのか、「壮介くん」と言うようになった。もしかしたら、そのうち「雲野くん」や「雲野さん」など、他人行儀な呼び方に変わるのかもしれない。そう思うと、胸が潰れるような痛みがある。そんな日が来ないことを心から祈るしかない。
(やっぱり、お菓子かな。いや、キーホルダーとか?)
明日は土産屋を念入りにチャックしようと心に決める。
「そういえば、大吾の妹、可愛くなったよなー」
それまで響子への土産のことで頭がいっぱいだった壮介だったが、聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んできて、一気に現実に引き戻された。
(今誰が言った?)
田中か? 山下か?
「はぁ? 冗談でもよせ。あいつはまだ小五だぞ」
大吾が迷惑そうに声を上げると、田中が「だよな」と乾いた笑いで返す。
(田中……)
田中も山下も斎藤も、大吾の家に集まって遊ぶ仲なのだ。
もちろん古株は壮介だが、壮介は塾に通う日が多い為、ここのところなかなか顔を出せていなかった。
響子は可愛い。
白い肌も、くっきりした二重の目も、基本的にはまっすぐな黒髪なのに、首のあたりで跳ねてしまう癖も。鼻の上に少しだけ散ったそばかすも。笑うと目元にえくぼができるのも。
全部が全部可愛らしく、愛おしい。
許されるなら抱き締めて、その頭に頬を擦りつけたい。
兄である大吾なら、それが可能なのかもしれない。
妹であれば、家族として抱擁しても差し支えないのだろうか。
「それにな! 百歩譲っても、お前が弟になるのは認めん! 壮介くらいオールマイティーになってみやがれ」
打って変わって冗談めいて続ける大吾に、田中は再び乾いた笑い。
壮介は田中に対して警戒心を強めながら、大吾の言葉にわずかながら高揚した。
今の発言からして、少なくとも大吾は壮介を認めているのだ。
響子の相手として。
背中を押されたような気分になり、壮介は密かに頬を緩める。
(あと数年したら、四歳差なんて気にならなくなる。そうしたら——)
正々堂々、響子へ想いを伝えよう。
それまでは誰にも明かせないが、響子に悪い虫がつくことだけは避けなければならない。
恋バナから別の話に移っている会話に加わることなく、壮介は「悪い虫」の撃退方法に頭を悩ますのだった。
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