第1話

 ヨーゼルとマリーがトリステンに着いて最初に始めたのは家探しだった。ヨーゼルを息子として育てることにしたマリーは2人で暮らせる家が必要だと考えたのだ。幸運にもトリステンの街から離れた周囲を木々に囲まれた場所に歳を取った木こりが住んでおり、別の街に住む息子夫婦の家に移り住むからと家を2人に譲ってくれたのだ。


 2人が暮らすには十分すぎるほど広い母屋に木こりが作業場として使っていた大きな長屋に倉庫。これだけのものを無償で手に入れることができた。あまりの幸運にマリーは柄にもなく神に感謝をした。あまりの幸運にヨーゼルは悪いことが起きないかなと不安になった。


 結果として、ヨーゼルの不安は的中した。もともとマリーはヨーゼルと出会った時点で金をそれほど持っていなかったのだが、トリステンへと向かう道中とトリステンでの食事代などでとうとう資金が底をついたのだ。


 ならば働いて稼げばいい、とマリーは思ったのだが不運なことに仕事が見つからなかった。厳密に言えば、マリーができる仕事がトリステンには少なかったのだ。


 実は高位の武術家であるマリーはヨーゼルと出会うまで旅の資金をその腕っぷしを使って賞金首を捕まえることで稼いでいたのだが、平和な田舎地方であるトリステンには極悪犯罪者はいない。それどころか、平和過ぎて万引きすら起きやしない。


 すぐに金になる仕事はあったのだが、これから育ち盛りのヨーゼルを食わせていけるほど十分な稼ぎにはなりそうになかった。それに、ヨーゼルがしたいことができたときに金で苦労をさせたくなかったのでマリーは出来るだけ稼げる仕事をしたかった。


 そんなわけで色々と考えた結果、マリーは空いている長屋を改装して武術道場を開くことにした。意外にもこれが当たり何人かの門下生がやって来たのだが、それでも2人が暮らしていけるギリギリな稼ぎであった。そんな風にして、2人は周囲の助けを借りながら苦労の多い最初の一年を過ごした。


 風向きが変わったのはそれから数年後のこと。ある日、マリーの噂を聞きつけた道場破りがやって来たのだ。



「≪大蛇オロチ≫のマリー・ドレアに勝負を挑む」



 たのもー、と言って勢いよく武器を構える道場破りたちをマリーを文字通り道場の外まで吹き飛ばした。初めて見る道場破りに興奮気味だったヨーゼルは、自分の視界から消えるほど素早い動きを見せた道場破りを一撃で気絶させたマリーのあまりの強さに驚いた。


 そして、マリーの次の行動にヨーゼルは驚きを通り越して絶句した。なんとマリーは負けた道場破りたちの首に薙刀(しっかりと刃引きされた危険性の少ないやつ)を当てて無理矢理入門させたのだ。そんな風にマリーは門下生を増やしていった。


 マリーが道場破りを倒せば倒すほどマリーの噂は広がっていき、さらなる道場破りが来て門下生が増えていく。道場破りたちは悲惨だったが収入が増えたマリーは上機嫌だった。


 そして、マリーに武術を習ったヨーゼルもときどき道場破りを相手するようになった。倒したら今度はヨーゼル目当ての道場破りも増えた。門下生の増えるスピードが二倍になった。最初は戸惑っていたヨーゼルだったが、道場が繁盛するのが嬉しかったので喜んで門下生を倒すようになった。


 そんな風に道場の方は繁盛していく傍らで、ヨーゼルの私生活も充実していった。レルヒェとラウルのおかげでトリステンで多くの友人や知人を作ったヨーゼルは、数年もすればトリステンという場所になじむことができた。大切な友人や知人、愛する兄と姉と祖父と祖母。そして、何よりも大切な母と一緒に過ごしたヨーゼルは青年へと育つ。


 マリーに連れられて孤児院へとやって来た日から10年が経ち、ヨーゼルは18歳になった。





 まだ日が出ていない時間帯に、ヨーゼルは道場の前で大きく背伸びをする。今年で18歳になったヨーゼルはトリステンに来た頃から随分と成長していた。


 マリーの腰上ぐらいだった身長はこの10年で大きく伸びて、ヨーゼルは雪のような白い髪を持ち優し気な目と白磁のような綺麗な肌を持った絶世の美青年になった。腰に差した鞘付きの木刀が揺れる。


 そんなヨーゼルにマリーが眠そうに話しかける。その肩には薙刀が乗せられていた。



「なあ、今日は寒いしもう少しあとにしないか?」


「俺は別にいいですけど、朝ごはんが遅くなってしまいますよ。ご飯を食べたあとに稽古したらお腹痛くなりますから」


「むっ……それは困るな」



 マリーは目をこすりながら渋々といった感じでいつもの場所に立った。しっかりしてください、と口にしながらヨーゼルもマリーから少し離れた場所に立ってマリーと向かい合う。


 毎朝、2人はこうやって試合形式の稽古をしている。実践に近い稽古をすることで、門下生たちに教えている技が使えるものであるのか。そして、自分自身も他人に教えられるほど技を使いこなせるものなのかを確認するためだ。


 師範と師範代という立場にいる2人には必要な稽古なのだが、朝早くにするため朝に弱いマリーから文句が出る。立場上あなたが師匠なんですけど、という小言をヨーゼルはいつも言いたくなる。



「それにしても寒いな。酒でも飲みたい気分だ」


「朝からお酒を飲んでは駄目ですよ」


「分かってる……ったく、最近お前はミシェルに似てきたな」


「本当ですか?」


「喜ぶな、嫌味で言ったんだぞ」



 まったく、とマリーは悪態をついて薙刀を構えた。それだけで眠そうな表情は消えてマリーは凛とした立ち姿になる。ひとまとめにした炎のように赤く長いマリーの髪が風に揺れる。


 相変わらずかっこいい人だ。そう思いながらヨーゼルは鞘に入っていた木刀を抜いて構える。


 2人がそれぞれの得物を構えただけで道場を囲うたくさんの木々から鳥たちが一斉に羽ばたいていった。



「合図はいつも通りでいいな?」



 マリーの問いにヨーゼルは頷いた。日の出、それが試合開始の合図。マリーとヨーゼルが初めて朝の稽古をやった時に決めたルールだ。


 2人は得物を互いに向けながら集中力を高めていく。



「(今日こそ勝つ)」



 ヨーゼルは高まっていく集中力の中、そう決意する。ヨーゼルとマリーは今日までに1000を超える手合わせをしてきたのだが、ヨーゼルが勝ったことは一度もないのだ。



───周囲が、明るくなっていく



 日の光がヨーゼルとマリーを照らしたとき、ヨーゼルは地を蹴った。

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