Prologue-2 故郷

 ヨーゼルとマリーは長い時間列車に揺られてようやくトリステン地方へ到着した。現在2人がいるのはトリステン地方の中心都市トリステンの駅のホーム。2人以外にはこの街で降りる人間はおらず、列車に乗り込む人もいない。


 時刻は夕方、ガランとした駅のホームで今日の最終便が出発するのを見送った2人はホームから出た。



「ここが、トリステンですか?」


「そうだ。それにしてもこの駅もずいぶんと古くなったものだな。まあ、10年も経っているだから当然か」



 10年前にこの街を離れて旅に出た、という話をヨーゼルはマリーから聞いている。その10年の間で一度も里帰りをしていないという話も聞いた。



「おや、そこのお嬢さん。もしかしてマリーちゃんか?」



 駅を出ようとした2人に話しかける人物がいた。年季の入った制服を着こんだ駅員だ。その制服と顔に刻まれたしわの数から長い間駅員として働いていることが伺える。



「……驚いたな。私のことを覚えていたのか」


「おお、やっぱりマリーちゃんかい。そりゃあ覚えているとも。マリーちゃんみたいな子を忘れるなという方が無理な話さ」


「そうか。グウェルさんも元気そうで何よりだ」



 いきなり話しかけて来た駅員はマリーの知り合いのようだった。ヨーゼルがグウェルのことを見つめていると、グウェルが視線に気が付く。



「おや、驚いた。こんな綺麗な女の子初めて見た。もしかして、マリーちゃんの子かい?」


「ああ、私の息子だ。血は繋がってないがな」


「……何か訳ありのようだねって、男の子なのかい?」



 ヨーゼルはコクリと頷いた。グウェルはまたも驚いたような声を出す。



「こりゃあ成長したらとんだ美男子になる」


「それは私の甲斐性次第だがな。グウェルさん、私たちはそろそろ行く。またトリステンに住むことにしたから近いうちにまた顔を見せに来るよ」


「うん、また来なさい。マリーちゃん、それと……」


「ヨーゼルです」


「ヨーゼルちゃん、覚えたよ。君もいつでも来ていいからね」



 グウェルと別れた2人はトリステンの街を歩く。初めて来た街ではいつもキョロキョロと辺りを見渡すヨーゼルだが今日は違った。懐かしそうな表情をして街を歩くマリーの横顔をずっと見ている。


 そのことにマリーは気が付いた。



「ヨーゼル、どうした?」


「先生が見たこともない顔をしていたので気になりました。物思いにふける? みたいな顔です」


「むっ、そんな顔をしていたか? というか、難しい言葉を知っているな」



 小説を立ち読みして覚えました、というヨーゼルの頭をマリーは撫でた。



「私たちが向かう孤児院はこの街を出て少し歩いたところにあるんだが、どうする? 今日はもう日暮れだから一日宿に泊まってもいいぞ」


「僕は大丈夫です。まだまだ歩けます。それに、先生の育った場所を早く見てみたいです」


「よし、それならもう少しだけ歩いてもらう。もし疲れたら早く言うのだぞ。おぶってやる」



 ヨーゼルは頷き2人は孤児院へと足をすすめた。



★★★



 街を出てすぐに雨が降り始めた。2人は街に戻ろうかとも考えたが、小走りで孤児院へ向かうことにした。冷たい雨に打たれながらヨーゼルとマリーは舗装された街道を突き進む。



「どうしてこんなときに雨が降るんだ」


「先生は雨が嫌いなのですか?」


「子供のころは好きだったよ。それこそ雨が降ったらわざわざ外に遊びに行くぐらいにはな。だが、歳を取ると雨に濡れることが嫌になるし他にも嫌なことが増えていくものなのさ。覚えておくといい」


「え……歳取りたくないです」



 そんな風に2人は軽口を叩きながら小走りを続けていると、オレンジ色の明かりが漏れ出る建物が見えた。



「あれだ」



 マリーとヨーゼルはその建物の軒下へと入った。マリーが扉を叩く。強くなった雨の音に掻き消されないようにマリーは扉を強く叩くのだが、入る力が強すぎてヨーゼルは扉壊れないかなと心配になった。



「ゴードン、ミシェル。私だ、マリー───うおっ」



 扉が勢いよく開いた。扉の前にいたマリーの鼻先を扉がかする。



「マリーじゃないか。あまりに強く扉を叩くから野盗かと思ったぞ」


「それは悪かった。そんなことより私とこの子を入れてくれ」



 マリーに肩を抱かれたヨーゼルが開いた扉の前に立つ。ヨーゼルはマリーと話していた男と目が合う。白髪交じりの髪にも関わらず静観な顔立ちをした彼の名はゴードン・ドレア。この孤児院の院長にしてマリー・ドレアの養父。そして、後にヨーゼルが祖父と慕うことになる男である。



「……この子は?」


「私の息子だ。名をヨーゼルという」


「むす、……まあいい、早く入って体を温めなさい。ミシェル、2人にタオルを用意してやってくれ。わしは風呂の準備をしてくる」



 ヨーゼルとマリーはゴードンに促されて孤児院の中へと入る。2人が用意された椅子に座ると中にいた品の良さそうな老婆がマリーへとタオルを渡す。彼女の名前はミシェル・ドレア。ゴードンの妻でありこの孤児院の副院長。そして、マリーの養母であり後にヨーゼルが祖母と慕うことになる女性だ。



「マリー、これで体を拭くとよいですよ。気休めですが寒さが和らぎます」


「ありがとう、ミシェル」



 ミシェルは持っていたもう一つのタオルをヨーゼルの頭に被せた。そのまま優しく濡れたヨーゼルの体を拭き始める。



「いまお風呂の準備をしていますから、もう少し待ってくださいね」



 ヨーゼルが頷くと「いい子ですね」とミシェルは笑った。その瞳は慈愛に満ちており、ヨーゼルは僅かばかりにあった警戒心を解いた。



「ヨーゼルは賢い子ですね」



 ミシェルがそう言うと、何故かマリーが嬉しそうな顔をする。



「ミシェル、分かるのか?」


「目を合わせればわかります。いまこの子は私の目を見て警戒心を解きました。私に害意が無いことを理解している証拠です」



 えらいですね、とミシェルに頭を撫でられているヨーゼルは誰かから見られているような気がした。視線を感じる方向を見ると孤児院の奥に続く扉が少し開いている。そこからいくつもの小さな目玉がヨーゼルのことを見つめていた。



「新しい子かな?」


「でも、お母さんといっしょみたいだよ」


「それにしてもかわいい女の子ね」


「男じゃないの?」


「わかんない……っていうかわたしたち気付かれてない?」



 ひそひそと話す彼らからヨーゼルは敵意を感じなかった。特に考えずにヨーゼルは彼らに向かって手を振る。彼ら───この孤児院の子供たちも嬉しそうに手を振り返した。そんなやり取りをしているので当然ミシェルとマリーも子供たちに気が付いた。マリーも子供たちに向かって手を振る。



「フフッ、子供たちが来てしまったのですね」



 ミシェルが扉に近付くと「にげろー」という声とともにバタバタと駆け出す音が聞こえてくる。ミシェルが扉を開けたときに残っていたのはヨーゼルよりも歳上そうな2人の男の子と女の子だった。



「ラウル、レルヒェ。あなたたちは逃げなくていいのですか?」


「別に悪いことしてないもの。逃げる必要はないわ。ミシェルさん、それよりもわたしたちに手伝えることはない?」


「そうですね。マリー、ヨーゼルの着替えってあるのですか?」


「あるにはあるが、ここに来る途中で雨に濡れてしまっている」


「それなら、2人とも。この子の体に合う服を探してきてもらえませんか?」


「分かりました。レルヒェ、行こう」



 眼鏡をかけた利発そうな少年・ラウルが、いかにも気が強そうな少女・レルヒェに声をかけるが、レルヒェは反応をせずヨーゼルのことをジッと見つめていた。


 ヨーゼルは何故見られているか分からなかったが、レルヒェに悪意が無いことが分かったので手を振った。すると、レルヒェはずんずんと大股でヨーゼルの目の前にやって来た。

 

 気を悪くしただろうか、とヨーゼルが考えているとレルヒェがいきなり抱きついてきた。



「かわいい」


「……はい?」


「もう、かわいすぎ! あなた私の妹になりなさい!!!」



 キラキラとした瞳を向けるレルヒェにヨーゼルは申し訳なさそうに頭を下げた。



「ごめんなさい、妹にはなれないです」



 ミシェルが分かりやすく落ち込んだ表情をした。



「え……どうして?」


「ぼく男ですから弟にしかなれないです」


「……! 弟にはなってくれるのね!」


「レルヒェ、その辺にしておきなよ」



 ヨーゼルに頬ずりをし始めたレルヒェをラウルがべりッと引きはがす。驚かせてごめんね、と申し訳なさそうにしながらラウルはそのままレルヒェを連れて部屋の外へと出て行った。行ってらっしゃい、とヨーゼルが手を振るとレルヒェの目が再び輝いたのだった。


 ラウルとレルヒェ。この二人は、これから数多くの別れと出会いを繰り返すヨーゼルが生涯で最も尊敬し愛した兄と姉である。



「相変わらずここは個性的な子供が集まるところだな」


「毎日色んなことが起きるので飽きることがありませんよ」


「マリー、風呂の準備が出来た。ヨーゼルと一緒に入ってこい」


「分かった。行くぞ、ヨーゼル」



 マリーに手を引かれてヨーゼルは浴室へ向かい、2人は長旅の疲れを癒すのであった。





 東の大国───ルディウス共和国の田舎地方であるトリステンは、英雄ヨーゼルの故郷として有名だ。彼のルーツがあるのはトリステンよりも遥か北の大地であるが、多くのものがトリステンこそが彼の故郷であると認識している。それは英雄ヨーゼルの日記にトリステンへの思いを綴る文章がいくつも残されていたからであった。


 今宵、英雄ヨーゼルは後に自分の故郷と定める土地へとやって来た。過酷な運命が待ち受ける彼は、これから10年間安息の時間を得る。その間に、彼は力を蓄え知恵をつけ守りたいものを作った。それらは時にヨーゼルを苦しめるくさびになった。


 だが、その楔があったゆえに英雄ヨーゼルは英雄の出来損ないとして世界を救うことになるのだ。


 これから、出来損ないの英雄による英雄譚が始まる。

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