相乗り
あべせい
相乗り
夜の国道を1台のタクシーが走る。
時刻は午後11時20分。車の中は、運転手のほか、助手席に男性1人、後部座席に女性2人、計3人の乗客がいる。
車は1200ccの小型車だから、ゆったりとはいかない。それと、会話が、どこかおかしい。
「ここ、どこ?」
「知らない。おれたちは、あとだから……」
「あと10分ほどです」
「わたし、コンビニに寄ってほしいンです」
「待って。雄太、言いなさいよ。あなた、助手席なンだから」
運転手は、それまで前ばかり見ていて、だれが何をしゃべったのか、わからない。しかし、助手席と聞いて、チラッと左の男性を見た。
若い。健康的で、マスクもいい。名前は「雄太」というらしい。本当は東都大の4年生。
運転手のかおるは、初めて男性を意識した。かおるは27才。タクシーを初めて、まだ半年、夜間営業はこの日が初めてだ。
「すいません、運転手さん」
「はァ?」
かおるは、雄太を見て、ブレーキを踏みながら車を左に寄せる。会話の内容が予想できたからだ。
「なんでしょうか?」
車が停止した。辺りは、古い民家が並ぶ住宅地。都心を出発してから10数分がたっている。
「コンビニに寄っていただけませんか?」
雄太が、かおるを見て言った。
「いいですが……」
かおるは、それまで抱いていた疑問をぶつける。
「お客さんはみなさん、おともだちですか?」
「それは……」
雄太が、言いよどむ。
すると、かおるは、
「いいンですよ。駅のタクシー乗り場で気の合った者どうし、一緒にお乗りになったのなら、これは相乗りです。我々の業界で禁止されている乗り合いではありませんから」
事実、雄太は片想いしている同学部の百合を映画に誘っての帰り道、ターミナル駅のタクシー乗り場で、紅と名乗る30代前半の女性から、タクシーに便乗させて欲しいと頼まれた。
そのあと、百合は紅と2人で、こそこそと内緒話をやっていた。女どうしの、女ならではの会話なのだろう。雄太はそう考えた……。
「乗り合いと相乗りは違うンですか。料金は、乗客全員で、メーター分だけお支払いすれば、いいのですか?」
「もちろんです。料金の割り振りは、お客さまどうしでやってください。私としては、メーターの料金をいただければいいのですから」
雄太の顔がパーッと明るくなる。
後部座席を振り向いて、
「百合さん。よかった!」
「でしょう。だから、言ったじゃない。ただ、運転手さんに悪いから。こんな相乗りのお客ばかりだったら、タクシー会社はたいへんでしょうね?」
百合はかおるに同意を求める。
「会社は困るでしょうが、我々運転手は考えないことにしています。それより、コンビニはどこでもいいンですか?」
すると、百合が、左横に腰かけている女性に向かって、
「紅さん、どうなの?」
紅は、
「もう少し走ったところに、ブルーの看板が出ているコンビニがあります。そこに……」
「はい」
かおるは、承知したとばかり、アクセルを踏み込んだ。
ところが、タクシーがコンビニに到着してから、事態はおかしくなってきた。
紅は、コンビニで買い物をすませて出てきたが、彼女より少し若い男を連れている。
紅は、
「ごめんなさい。お店にカレがいたので、連れてきちゃいました」
悪びれず言ったものだ。
彼女のことばにウソがないとすると、たまたま立ち寄ったコンビニにカレがいたから、一緒に行こうと誘ったことになる。
雄太も百合も、釈然としない。あとは運転手のかおるが、どう判断するかだ。
かおるは、
「少し狭くなるけれど、どうぞ。みなさんで譲り合って、ご乗車ください」
助手席の雄太はそのまま。
「賢人です」と自己紹介したカレは、百合と紅の間に腰かけた。紅が、賢人に「先に乗って」と言ったからそうなったのだが、後部座席は進行方向に向かって右から、百合、賢人、紅の順に落ちついた。
落ち着かないのは、助手席の雄太だ。
「百合さん、ぼくと替わりましょうか?」
何度も振り返り、声をかける。
賢人の体が、百合にびったり密着しているからだ。
しかし、百合は、
「平気よ。これくらい……」
気にする風がない。
「おれだって、あんなにくっついたことがないのに、あの野郎!」
雄太はそう思い、賢人をにらみつけるが、賢人も、両側から若い女性にしっかり挟まれ、居心地が悪そうだ。
とにかく、車は発進した。次の目的地は、沢枝3丁目、紅のマンション。もうすぐ。
「わたし、いくら出せばいいの?」
と、紅。
料金メーターの表示は「¥1860」
百合は運転しているかおるに尋ねる。
「運転手さん。最後になるわたしの世田谷区田園までは、ざっといくらくらいになるのかしら?」
「そうですね。8000円ほどですが……」
すると雄太が助手席から、
「だったら、4人乗っているンだから、1人あたま2000円だな」
「待ってよ!」
紅が叫ぶ。
「それ、おかしいでしょッ! ここまでの料金が1860円よ。なのに、2千円なんて、どうしてここまでの料金より多く払うわけ?」
雄太は負けていない。
「それが相乗りです。居酒屋に行って、割り勘になったとき、一緒にきた仲間より飲んでいなくても食べていなくても、多く払うのは当たり前でしょ」
「居酒屋の割り勘は、最後まで付き合うでしょ。でも、この相乗りは、途中で降りるのよ。居酒屋だって、途中で帰った場合、完全割り勘は出来ないでしょうが……」
雄太は考える。
すると、百合が間にいる賢人越しに、
「紅さん、だったら、いくらがいいの?」
紅は、ニヤリッとして、
「そうね。うちまで2千円として、その4分の1、つまり多くても5百円、がいいンじゃない?」
雄太、呆れて、
「それはおかしいだろッ。キミの計算方法だったら、最後の百合さんは、8千円の4分の1、すなわち2千円の負担ですむけれど、実際には、あんたの払う5百円と、杉並のぼくのところまで4千円としてその4分の1の千円を足すと、千5百円。百合さんは、8千円との差額、6千5百円も多く負担することになる。ちっとも、割り勘になっていないじゃないか」
紅が反論する。
「あなた、バッカじゃないの」
これには、百合がムッとした。
しかし、こらえた。
「いいこと」
紅が続ける。
「相乗り勘定は、いちばん遠くに行くひとが得になっているの。8千円もかかるところが、6千5百円までプライスダウンしているンだから、ありがたく思いなさいッ」
「ナニィッ」
雄太は助手席から身を乗り出し、手を振り上げたが、賢人がにらみつけたため、手を下ろした。
「雄太、紅さんの言う通りよ。わたしが得をしているの」
「いや、いちばん得をしているのは、いちばん先に降りる人間だ。それを知っていて、駅でぼくたちを相乗りに誘ったンだ。この女……」
雄太あとを続けようとして、息をのんだ。
百合と紅に挟まれた賢人が、堪忍袋の緒が切れた風に、
「オイッ! あんたは何者だ。おれの紅を、どうしようというンだ。文句があるンなら、表に出ろ!」
タクシーが急停止する。
かおるが振り向き、
「オ客サン!」
助手席の雄太を含め、乗客の全員が、その気迫ある鋭い声に、押し黙った。
「ケンカする人だけ降りて! 車内を血で汚されたら、商売できないのよ! 早く! 出ろヨッ!」
かおるは運転席を出ると、助手席側のドアと後部ドアを続けざまに勢いよく開けた。
運転しているときはさほど感じられなかったが、かおるは上背があり、堂々とした姿勢は格闘技の有段者を感じさせる。
「ごめんなさい」
助手席の雄太が小さくなって、最初に頭を下げた。
賢人も動かず、体を縮めている。
「後ろのカレはどうするノ!」
かおるは、賢人に視線を向ける。
「おれも、あなたとケンカしようとは思っていません。すいませんでした」
かおるは急に穏やかになり、
「なら、静かにしているのね」
タクシーは再び動き出した。
車内は凍りついたまま、だれも声を発しない。
かおるが重い空気を破った。
「これから、みんなをいいところに連れていってあげる」
「エッ!?」
と、百合。
「いいところ、って?」
と、雄太。
「いいところよ。ケンカなンかしているヒマがないところ」
かおるはやさしい声で話す。
ところが、
「わたし、急いでいるンです」
紅が言う。
「そう、おれたち、用事があって」
と賢人。
「あなたたち、コンビニで偶然会ったようなことを言ったけれど、そうじゃないでしょ。待ち合わせていた。そうでしょ」
「どうして、そう思われるンですか、かおるさん」
脇から雄太が尋ねる。
すると百合が、
「雄太。かおるさん、って、どうして運転手さんの名前を知ってンの?」
雄太は目の前の、乗務員カードを目で示す。そこには、運転手の顔写真と、「市家薫」の名前がある。
「雄太にそんな注意力があったなんて。ごめんなさい。お話、続けてください」
かおるがたいへんなことを言い出した。
「後ろの2人は、我々の業界じゃ有名な詐欺師。カゴ抜けをやっているの」
「エッ!」
雄太と百合は驚愕。
百合は左隣の賢人から離れようと、思わず窓側に体を寄せた。といっても、もともとキチキチに詰めて坐っているから、ほんのわずかだ。
紅と賢人は黙ったきり。ということは、本当!
「もし、雄太と百合さんの……」
かおるから、勝手に呼び捨てにされた雄太は、へんな気分になるが、狭い車内だ。呼び合っていた名前を他人に覚えられても仕方がない。
かおるは、運転しながら、懇切丁寧に詐欺の手口の説明を始めた。
「お2人さんが乗っていなくて、この詐欺カップルの2人だけだったら、そのうち、自宅だと言ってタクシーを適当なマンションに着けさせる。そこでまず、男が降りる。お金は女が払うと言って。男はマンションの玄関に入り、オートロックを操作して中に入る。運転手はその光景を見て「間違いない」と思う。タクシーが発進すると、女が急に思い出したように、『シマッタ! ごめんなさい運転手さん、いまのは弟なンだけれど、大切な書類を手渡すのを忘れていた』といって、バックから封筒を出してみせる。運転手は当然『戻りますか?』。女は、『お願い』と言い、振り向いた運転手をじっと見つめる。この目がクセモノなの。男の運転手は、バカなことを考えるわけよ。タクシーは、再びマンションの玄関前へ。女は『ちょっと、弟の部屋に行ってくるから。もし、5分たっても戻ってこなかったら、悪いけれど、○○号室まで訪ねてきてよ』と行って、マンションの中に入っていく。もちろん、料金は払わずに。しかし、運転手は考える。タクシーメーターは、3千円程度。踏み倒されては困るが、諦められる金額でもある。それに、2人とも、オートロックの玄関ドアを開けて入っていった。マンションの住人だ。部屋の番号も聞いている。この場合、詐欺師は最上階の部屋番号を教えることが多い。時間を稼ぐためよ。やがて、5分が経過する。男は、すでにバカなことを期待している。運転手はタクシーから降りると、マンションの玄関へ。オートロックを解除する操作盤で、教えられた部屋番号を押す。時刻は、深夜零時を過ぎている。たいていの家では就寝中。インターホンを鳴らされて歓迎する人間はいない。当然、騒動になる。運転手は「こちらにお住まいの方がタクシーを利用されて……」などと懸命に事情を説明するが、相手にはわけがわからない。そのうち、玄関前にとめて置いたタクシーが突然走り出す。そこで運転手は初めてだまされたことに気がつく。降車の際、車のキーを抜いていた運転手でも、ドアには施錠していないことが多いから、中に置いてあった売上げ金と釣り銭はそっくりやられる、ってわけ」
雄太は一応納得したが、詐欺師がオートロックを開けていることに疑問を持った。
「2人は自分が本当に住んでいるマンションを詐欺の舞台に選んでいるのですか?」
かおるは、後部に眼をやり、
「2人に聞いてみたら?」
賢人は渋い顔で無言だ。
と、彼の左腕を右手でグッと掴んでいる紅が、悪びれずに言った。
「マンションには、オートロック解除用のキーを持ち忘れる住人のために、暗唱番号があって、キーがなくても4桁の番号でドアを開けられるマンションがけっこうあるの。そういうマンションを選ぶのよ」
「そんなのがあるンですか」
雄太は紅の潔さに感心した。
タクシーが停止した。
赤塚警察の正面玄関だ。
「さァ、到着したわよ」
そう言ったのは、紅。
「紅さん、あとは任せたわ。また、何かあったら、お願いね」
と、かおるが言う。
紅と賢人がタクシーから降りた。
雄太と百合も続く。見ると、紅と賢人は手錠でつながれている。紅の手錠は左手首。
雄太は、驚いて、
「だれが、いつの間に」
百合が笑って、
「雄太、なに言ってンの。彼女は赤塚署の刑事よ。知能犯専門の。わたし、駅で相乗りを誘われたあと、彼女といろいろ話をしていたでしょう。そのとき頼まれたの。タクシー運転手をカモにしている詐欺師の逮捕に協力して欲しい、って」
「ぼくだけが知らなかったンですか」
「知っていたら、あなた、落ち着かなかったでしょ。だから」
「百合さん。ありがとう」
紅はそう言うと、賢人を引き連れ、立ち番警官に挨拶して署に入っていく。
紅の右手には、雄太に見覚えのある、黄色い横長の革財布が。
「あの財布は百合さん、のでしょ?」
「いいの。事情があって、お貸ししたの」
百合は、当然のように言う。
雄太は、かおるを見て、
「運転手のかおるさんも、承知で協力していたンですか?」
紅を見送っていたかおるが、その声で振り返る。
「そうよ。あの男の、相棒の女は、先週捕まったのだけれど、男はうまく逃げていた。で、紅警部補が、女の供述から、男の立ち回り先を調べあげて接近。男が下半身にだらしないことから、うまく信用させ、今夜が2人の初仕事になるはずだったのよ」
「でも、今夜はまだ詐欺を働いていない。犯罪の証拠がないのに、よく逮捕できますね」
「百合さん、話してあげて」
「いいから、乗って。帰りが遅くなるわ」
百合が、雄太をタクシーの後部座席に押し込み、自分も乗った。
タクシーは発進した。
百合が話す。
「あの男の逮捕容疑は、窃盗。窃盗の現行犯」
「エッ?」
「わたしのジャケットのポケットから財布をすったから」
「スリですか」
「スリのプロじゃないけれど、お金が目の前にちらついていると、手を出さずにいられないのね。わたしは紅警部補に言われて、わざとジャケットの左ポケットに、横長の財布を縦に入れ、ポケットから頭が覗くようにしておいた、ってわけ」
「現行犯逮捕ですか。しかも、別件」
「そうね。これから、詐欺の被害者を呼んで、面通しして、詐欺と窃盗を立証するンでしょうね」
「たいへんな仕事だ」
雄太そう言ってから、ふと気がついた。
「かおるさん、これから、どこに?」
「杉並にある雄太のアパートでしょ」
「シマッタ!」
「どうしたの、雄太?」
百合が聞く。
「百合さん、あの2人から、相乗りの負担金をもらい忘れたよ」
「わたしは財布がなくなったから、雄太の懐をあてにしている」
「そんな。ぼく、そんなに持ち合わせが……」
かおるが、ニヤッとして、
「だったら、百合さん。今夜は雄太の部屋に泊まってあげたら?」
百合が真っ赤になった。
(了)
相乗り あべせい @abesei
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