第3話 エデンの園

「お疲れ様でした。」

 今日もそつなく仕事をこなした。




 スッキリ目覚めないままベッドから起きて、スッキリしないまま朝食を食べる。

 更に眠気が増していく中、職場に向かう。

 やる気が出ない。

 やる気が無いままやる。

 帰っていつの間にか眠ってまたスッキリしない一日が始まる。

 殆ど同じ様な日が束になってバサバサと消えていった。


 突然の涼しさに切なくなる。

 ツクツクボウシは泣いたのだろうか…

 季節が変わってしまった事に気付いていなかった。

 今日の服装は失敗だ。

 体が冷えてお腹がザワザワする。

 心許ない原因は服ではなく、来週から得意先へ出向になったせいかもしれない。


 あ~ヘタレな自分が嫌いだ。

 知らない所怖い。

 すぐお腹痛くなる。 

 精神安定のお守り買いに行く。


 硝子のドアが開いた。


 いつものお守りまで一直線。

 迷い無く手に取るとレジへ並んだ。


 フワーーーーーーーーーーーー


 出会いはスローモーションというのはこの事かと思う。

 見知らぬ美しい佇まいに見とれてしまう∴

 新しく入ったアルバイトだろうか…

 サラサラと流れる前髪から覗くアンニュイな瞳に囚われてしまった∴

 動けない∴

 今、絶対変な顔してるけど直せない∴

 ドライアイで目ヒリヒリするけど瞼閉じてくれない∴

 息が吐けない吸ってる吸ってるどんどん吸ってる∴


 フワーーーーーーーーーーーー


 天使の梯子が降りて来た。

 体も思考も時も止められてしまった。

 きっと狙いを定める為だろう。

 躍動が加速する心臓だけが際立つ。

 天使は外さない。

 矢は見事に命中した。


 →心臓…痛い。


 苦しい…

 助けて…

 死にそうになっていると、視線の先で柔らかそうな完璧に美しい唇が開く。


「宣誓ー」


 んんん!?

 選手宣誓…

 ハッとして眉間にシワを寄せ名札を見た…


[ワカメ]


 あああ!?


 そういえば居た…

 ワカメ…

 以前見かけた…

 あれはいつだったか…

 今まで思い出す事も無かった微妙なモサモサワカメ…

 白い靴下の記憶が甦る…


 えー!?

 どうしたよ!?

 この何日間か何週間か何ヵ月か分からないけれど…

 何があったよ!?

 前髪どうしたよ!?


 別人の様に急に大人びたワカメに錯乱する。

 だけど髪型でこんなにも変わるなんて…

 清潔な白シャツが肌の美しさにも注目させる。

 髪型ファッションあな恐ろしや…

 バラ色の頬でサラサラホワンと見つめられ、ビックリした目で立ちすくむ。

 ワカメが何か言っているけれど聞き逃してしまった。


 しばし見つめ合う…


 か…可愛い~

 美味しそうなワカメの口がパクパクと動く。


「あの…袋入れますかー」


 ワカメがお守りの下痢止めを手に持っている…


 NOーーーーーーーーー!!


 自分のバカッ!

 下痢…

 精神安定用のはずだったお守りが精神を乱しまくる。

 身体中の全平常心を顔面に集めて言った。


「フクロイイデス」


 ウーパールーパーの様な瑞々しいワカメの手から下痢止めを受け取った。

 下痢止めを持った自分の手を見て泣きそうになる。

 下痢止めがカッコ悪かったからではない。

 ワカメが禁断の果実だと思い知って絶望したのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る