第54話

その体を勇は両手で受け止めてそのまま抱きかかえる。


「通ります。道をあけてください。急患です」


婦人の身体を持ち上げてそのまま歩いた。人一人の体重など勇にとっては手荷物程度の重さだった。


混雑したホームを通り抜け改札口まで来た。


「あ、あの。もう大丈夫です」


「そうですか」


彼女を地面に下ろした。不思議なぐらい元気を取り戻していた。


「今はもう、まるで平気です」


彼女は少し休めば、もう一人で帰れます。と言うが、どことなく勇に気を遣ってそう言っているように感じたので、「別に急いでいるわけではないので残っていてもいいですよ」と答えた。


彼女はすまなそうに、また断っては失礼にあたると思ったのか、地上に出てすぐの喫茶店でしばらく時間を過ごした。


話をしてると、どうやらほんとに彼女一人でももう大丈夫らしいと思えた。パニック障害という病気の実態も彼女の話からよくわかった。とても感受性に症状が左右されるようだと思った。後に調べて感性もフィジカルな体調と連動していることを知った


合理的に考えればどこにも生命の危機などないことが理性で分かっていても、身体が自動的に生命の危機に近い反応を起こしてしまう。防御反応の誤作動のようなものである。


婦人は夫に電話した。そう大きな地震ではないから心配はいらないだろうが帰宅が遅れることを伝えた。ご主人が迎えに来るとのことだった。大規模な運行障害ではなかったので、30分も経てば利用者も気にはしていないようだった。


1時間、ご主人が到着するのにかかったが、夫人の復調にもちょうどいいインターバルに思えた。


ご主人は恐縮して年若い勇に何度も頭を下げた。


「困った時はお互い様ですよ」


名も告げずに立ち去ろうとしたが、しきりに連絡先の交換を求められた。勇も「次にな何かあったら電話してください。近くにいれば馳せ参じますよ」と応じた、そんな言葉が自然と出てくるのも勇の性分だった。


二駅先の乗り換えで駅まで二人に付き合って、帰宅した。


別れ際、二人がまじまじと勇の顔を見ていた。


「さきほどは妻も私も慌てていて気付きませんでしたが、どこかでお会いしませんでしたか?」


勇もうっすらと感じていた。どこか親しみのある容貌の二人であると。しかしながらこの10年にも満たない日本での生活においてお会いした記憶が無い。


(もしかしら雑誌インタビューに写真が載ったこともあるからそれを見たのかもな? まあ、おれはそんな有名人じゃないか)

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