第52話
言葉も絞り出すようにしているが、何が起きているのか説明できないようだ。
「パニック……不安症で……」
「パニック不安症?」
何か聞いたことがあるような無いような。とにかく容態が悪いようだ。
「俺に何かできることがありますか?」
どうやら呼吸困難に陥っているようだ。心臓発作や貧血の類でもない。推測だが、フィジカルな疾患ではないように見える。戦場でも極度の緊張状態に陥ると、新兵は今の彼女のような過呼吸になることがある。
「あ、過呼吸か」
自分で言っていて自分で気づいた。別に勇にとってみれば珍しい症例ではなかった。こちらの世界に来てからは一度だけ、てんかん発作を起こした同級生の救護を手伝ったことがあった。
ためらうことがあるとすれば、目の前の女性が自分よりふた周りは年上そうなので失礼にならないよう気をつかうことだった。体に触れることも躊躇われることだが明らかに彼女は助けが必要な様子だったので勇も素早く決断した。
「息ができないんですね」
耳元へ戦士の声で囁く。優しさや気遣いもなく事務的に言った方が相手は落ち着くこともある。救護者の冷静さが当人の救いになることが多かった。
コクンコクン、と女性が小さい顎で頷く。幸い列車は混雑していない。
落ち着いて支援すること。患者に対して冷静で優しい態度で接すること。パニック発作中は不安や恐怖に支配されており、落ち着かせることが重要だ。
「体を曲げて、しゃがんでもいいですよ。俺と一緒に座ってしまいましょう」
環境を安全にすること。できるだけ静かで安全な場所に移動させたい。人が多い場所や騒音のある場所から遠ざけ、落ち着いた環境を探す。
女性の背中に手のひらを当てる。この状況で痴漢と騒ぐ他の乗客はおるまい。
深呼吸はパニック発作の症状を和らげるのに役立つ。ゆっくりと息を吸い込んで、ゆっくりと息を吐き出すように促すことだが、どうもうまくいかないようだ。
過呼吸の対処方法は知っている。過度に酸素を取り入れて体がしびれてしまった場合には、よくビニール袋を口元に当てて呼吸をするといいと言う。これにより呼気中の酸素の割合を減らすことができる。
だが、目の前の彼女は呼吸そのものができずに苦しんでいる。これは、過呼吸の初期に息苦しさからより多くの空気を求めてとにかく息を吸いすぎてしまうことが原因だ。そしてて息ができなくなったことそのものがまたパニックを加速させる。横隔膜が動かなくなったと彼女が感じていることだろう。
つまり息を吸えなくて苦しんでいるわけだが、それは吸いすぎて空気が肺の中いっぱいにあるために次の呼吸をすることができないのだ。
「あなたは空気を吸いすぎたのです。いちど吐き出しましょう。そうすれば呼吸が楽になりますよ」
彼女が言われたとおりにしようとしているが、なかなかうまくいかないようだ。
「手伝いましょうか。体に触りますよ」
勇は女性の腹部に手を置いて力をかけた。ゆっくりゆっくりと。
「さあ、吐いて吐いて。吐けば呼吸ができるようになります」
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