1 出会って一年1

 黒い柴犬はじっと見ていた。見られていると気づき、少女は声を掛ける。


「……ミヤコ」


 愛犬ミヤコ。今の少女の姿となっている。声をかけても、黒い柴犬はじっと見つめゆっくりと尻尾を振った。急にミヤコが威嚇をしだす。


「! ミヤコ。どうした……!?」


 声を掛けると、少女は背後から腐敗臭が漂ってくるのに気づいた。足音が近づいてくる。四本脚で歩いてくる何か。少女が息を呑んで背後を見ようとすると、黒い翼が急に少女の視界を覆う。


「見てはいけませんよ。あさがおさん」


 安吾の声が聞こえ、彼女ははっとして目が覚めた。

 目覚まし時計のアラームが鳴り、『わんこ』は時計を手にしてスイッチを切る。身を起こし、目覚ましの時間を見た。5時30分。三十分ほど寝過ごしてしまったらしく、『わんこ』は慌てて起きた。



 夏を楽しみ秋を共に過ごし、冬を共に越えて、春を一緒に迎える。犬神を倒し母親の体が戻ってきたとしても、『わんこ』は愛犬のミヤコの姿のままだ。彼女の姿が犬神となった愛犬の呪いであると考えている故に祓えなかったのだ。安吾も彼女の気持ちを考慮し、見守ってくれている。

 安吾と再会した日から、受験シーズンのこともあり『わんこ』は忙しく勉強などした。

 4月の高校の入学式の日。桜は葉桜であるが、一部に桜は残っている。父親が入学式に来てくれた。写真は取らなかったものの、娘の中学の卒業式と高校の入学式は来てくれるようになった。母親の遺体発見という喜べないきっかけではあるが、少しでも親子関係が修復できるのは少しでも嬉しかった。

 入学式の後、父親から入学祝を貰ったあと明日の仕事のために戻るとのこと。父に料理のレシピを渡して、健康など諸々注意をして駅前で見送った。

 彼女の入学した高校は県立にあり、頑張って勉強をして合格した第一志望校。制服も高校のものとなり、バッグや教科書も一新された。姿は愛犬のままではあるが、『わんこ』は新鮮な気持ちであった。バスや電車、自転車なども乗り継ぎもあるため、通うのは大変であるが、彼女が望んだ高校であるため文句はない。

 家に一旦荷物をおいたあと、『わんこ』は鍵と携帯だけもって家の鍵を締めた。

 彼女は待ち合わせている慰霊塔公園の広場の前に来る。前とは違う姿の春服をきた安吾が公園の前で待っていた。『わんこ』は彼の姿を見て、尻尾を激しく振りながらにこやかに声を掛ける。


「安吾さん! こんにちは!」

「おや、あさがおさん。こんにちは。入学おめでとうございます」

「ありがとう! えへへ」


 父親が入学を祝ってくれたこと、からも祝いの言葉が嬉しく彼女は破顔した。嬉しそうな彼女を見たあと、安吾は感慨深そうに呟く。


「一年ですか」

「うん、安吾さんにとっては瞬きの間になるのかな。私は安吾さんとここまでの付き合いになるとは思わなかったな」

「僕もです。あさがおさんと出会って色々と知れましたし、色んなことがありました」

「だよね」


 彼女も笑って同意した。

 春に出会い、夏を過ごして秋を共にし、冬を越した。そうして春を共にいる。だが、彼女は安吾に本名を言っていない。名乗ったほうがいいと考えたが、彼女は名前をなくなった友人を傷つけた過去がある。その負い目からまだ彼女は言えていなかった。

 口を何度か開けようとし、彼女は閉じる。人外の組織に属している安吾ならば、知っているだろう。そうも思ったが礼儀に反すると彼女は感じる。意を決して『わんこ』は声を上げた。


「安吾さん。私の名前言ってないよね?」

「ええ、貴女が誇れると思ったときにと一年前に言いましたね」

「うん。でも、一年経つから、そろそろ名前を、言うよ。私は──っ!?」


 彼から口を手で抑えられ、『わんこ』は目を丸くした。安吾から口を押さえられているのだ。恐る恐る彼を見ると、切なげな顔で見ていた。


「無理をしないで。僕は辛い気持ちで名前を名乗るのを見たくないです」


 言われ、手が外される。


「貴女が貴女を誇れるようになったときに、お願いします。礼儀とか気にしないで」


 負の感情から機微が読み取れるらしく、『わんこ』の気持ちを読んだのだろう。名を名乗ることの複雑な気持ちを読み取り、先回りして口を塞いだ。気持ちを案じてくれたのだとわかっており、彼女は犬の耳を倒して顔を俯かせる。


「……ごめんなさい。ありがとう、安吾さん」

「気にしないでください。僕も、貴女の気持ちを読んでしまってすみません」


 互いに謝り、安吾ははっとするように声を上げた。


「ああ、そうですそうです。入学祝いも兼ねて、渡したいものがあったのです」


 安吾はバッグから小さな紙袋を出す。『わんこ』は受け取ると、何気なく紙袋を見て小首を傾げる。


「ありがとう。でも、これはなに?」

「僕の加護入のお守りです」

「お守り? 見てもいいの?」

「どうぞ」


 言われ彼女は紙袋から出すと、神社に置いてあるお守りと遜色ない綺麗なお守りであった。紫に近い青色の朝顔の刺繍とお守りの色に、『わんこ』は尻尾を激しく振る。


「可愛い……きれい……! 本当に貰っていいの?」

「ええ、貰ってください。持っていてほしいものですから」


 持っていてほしいものと言われ、『わんこ』は夢の内容を思い出す。すぐに彼を見て、『わんこ』は訪ねた。


「そういえば、夢の中でミヤコが出てきて安吾さんの声が聞こえてきたけど、これって何か意味あるかな。安吾さんは占い。できるよね?

夢占いもできる?」


 夢占い。夢に出てきたものから運勢や吉兆を占うとされるものだ。それぞれ夢に出てきた動物や自分の行動に意味があり、そこから運勢やこの先について占う。夢の内容を覚えていない限り占えない。『わんこ』からの話を聞き、安吾は苦笑した。


「申し訳ありません。夢占いについては勉強しないとわかりません。ですが、このお守りが渡したことが貴方が話した夢と関係あります」


 お守りを指差し、彼は話し出す。


「あさがおさんは一年ごとに貴方の愛犬に関する夢を見る。つまり貴方の中で人の部分が変わってきている証拠のものなのでしょう。前の髪ゴムやキーホルダーのように、このお守りは貴女の中にある変化を抑制するものです」


 一年毎に変化が現れてくる犬のような奇行と行動は、犬神と関連しているものだ。ミヤコの呪いが姿や奇行となって現れたことだと、『わんこ』は納得している。ミヤコの亡くなった日を思い出し、彼女は苦しげに言葉を出す。


「……やっぱり、あの夢はミヤコの……」

「あさがおさん」


 話しかけられ、彼を見ると安吾は切なげに微笑む。


「僕は、あさがおさんのミヤコさんという愛犬が気になります。よろしいですか?」


 愛犬について知りたいと言われ、『わんこ』はキョトンとする。暗い気持ちから逸らしてくれたのだとすぐに理解した。気持ちを読まれるのは良い気分ではない。だが、安吾は彼女の気持ちを傷付けさせないために使用している。自分を責めるより、思い出話に花を咲かせたほうが良いのかもしれない。


「じゃあ、ミヤコの写真がある家に行く?」


 誘われると、安吾は心配そうな顔をする。


「あの……常々思っているのですが、一応年上の男が友人である旨をお父様に伝えてますか?」

「言ってないよ。迷惑になると思って、安吾さんの事は何も話してないし。言ったとしても、友人ができたとだけだよ」


 父親に話していないと言われ、安吾は困ったように腕を組む。


「煩くて申し訳ないのですが、この交友関係やオカルト関係についても言っておいたほうが良いかと。いつまでも黙っておくということはできないかと思います」


 安吾の意見は正しい。普通の女子学生が成人男性が、仲良く買い物や家にあげるなどよろしくない。安吾との関係が幼馴染や学校の先輩後輩ならまだ良かっただろう。言われて、『わんこ』は悩ましそうに声を出す。


「……そうなのかもしれないけど………………やっぱりお父さんとか親類にも黙っておくよ。そのほうがいいと思うから」


 一瞬だけ考え、笑って答えた。

 父親に黙っておくことにする。話しておいたほうが利口だろう。しかし、『わんこ』は自分のこの先がわからない以上、黙っておく選択を選んだ。自分が自分で無くなる様を父親に見せたくもない。

 安吾はじっと『わんこ』を見つめ、苦笑をした。


「……全く、貴女は自分を大切にしたほうがいいですよ」

「……うん、心配してくれてありがとう」


 感謝をし、安吾と共に家へと向かっていった。


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