第16話 ライバル

「おはよう希美。今日も朝早いね」


 チャイムから遅れること数秒、ラップに包まれたおにぎりを手に香澄(初華)が教室に姿を見せた。朝のホームルーム開始5分前の合図であるため先生の姿はまだ見えないため雑談にいそしんでいたクラスメイトは騒がしかった。


「香澄が遅いんだよ。また朝からスタジオで練習してたんでしょ?」

「うん。まぁね〜」


 フェスの出演が決まってからというもの香澄はいつも通学していた時間を遅めにし、朝練と名づけて課題曲の練習にはげんでいた。そのため大樹は朝7時に希美を、8時に初華を学校まで送っている。二度手間になるため2人とも同じ時間帯にしてくれと大樹に直談判されていたが、聞く耳持たずに希美はマネージャーを酷使していた。


「練習もいいけど、たまには自分の体を休めないと本番に力が残らないよ?」

「大丈夫大丈夫。私にとって歌とダンスは別腹だから。疲労とか溜まらないの」


 指についた米粒を舐め、小さな朝食を食べ終えた香澄は机に鞄を置いて中身を取り出した。


「そう言えば今日宿題あったよね。さっさと終わらせよーっと」

「は?今からやるの?もうホームルーム始まるんですけど」

「平気平気!コッソリやるから!」


 いやあんたの席一番前でしょ。

 

 事務所の中ではそのストイックさに尊敬する部分があるものの、学校を含めた日常生活ではこの子は”不思議ちゃん”と呼ばれる部類に当てはまると思う。

 ホームルームが始まると分厚い書類を持った担任が教壇に立つ。慣れた雰囲気で席に座る生徒を見渡すと、案の定一番前のあの子に視線が固定された。


「鮎川さん。何をやっているのですか?」

「宿題をやってます!」

「いや分かりますよ。私が担当している英語の課題ですよね。なぜ今それを?」

「家でやってこなかったからです!」


 あくまで前提である答え。それを胸を張って口にする香澄に周囲の生徒は担任にバレないよう静かにほくそ笑った。普通は宿題を忘れただけで罪悪感に耐えられず頭を下げる所を、この子は平然と担任が立つ教壇正面で宿題をやってのける。肝が座っているのかただのアホな子なのか、私の中でまだ彼女の立ち位置は定まらない。


 あれからホームルームが終了し、1時間目と2時間目が終わった。休み時間に入ると中断させられていた宿題を香澄はこなしていた。その隣で私は次の移動教室の授業の教科書を抱えながら様子を眺める。


「終わりそう?」

「うん。これ終わって先生に提出したらさ、私早退なんだよね」

「練習でしょ?学校終わったら私もそっちに向かうから」


 別行動が増えてきた私たちだけど放課後の事務所での練習は一緒に行うようにしている。彼女の横でギターを弾いていたら集中を散漫さんまんさせてしまう最初は遠慮していたのだが、隣に居てくれると逆に集中できると言ってくれたからそうしている。

 私も早くバンドを組んで香澄のように夢を掴みたい。それを最近常々思う。


「ん?なんかあそこの人達、私たちの方見てない?私のファンかな?」


 また変な冗談を言っている。そんなことを考えながら香澄が向けている視線に合わせるとそこには見知った顔が瞳に映った。


「あっ——————」

「希美?」


 早く、私もデビューしないと。



▼▽


 UAAフェスまで2週間を切った。俺はその間にするべき準備を社長と共に進め、今は車内にて彼女が着用する衣装に関しての書類に目を通していた。


「お疲れ、マネージャー」


 学校を終えた希美が後部座席のドアを開ける。窮屈きゅうくつそうにしていたリボンと第二ボタンを外すと、エアコンの冷房の風を仰いだ。


「お前なぁ、帰りくらいは歩きで来たらどうなんだ?行き帰り車で送り迎えなんてお嬢様がさせることだぞ」

「いいじゃん。うちの事務所にとって私がお嬢様的存在なのは間違ってないわけだし、それに担当の子がマネージャーに迎えを頼むのは当然の権利でしょ?」


 エンジンを吹かして車を走らせる中、饒舌に言い訳を述べる希美。初華の天然型とは異なり、理屈で物事を通すコイツの言い分は嫌に筋が通っていて毎回俺が後手に回る。


「そういうのはデビューして売れてからいくらでも言えよ。少なくとも出世争いじゃ初華が一歩リードだぞ?」

「仕方ないじゃん。初華は1人でもデビューできるし。私の場合少なくとも4人はいないとライブすら出来ないもん」


 希美が理想としているプロデュースは5人で編成されたバンドユニット。事務所加入当時はシンガーソングライターとして売り出すことも提案したのだが、どうにもそれは嫌らしく。あくまでバンドのギタリストとしてプロデビューしたいらしい。


「ねぇ、私のデビューいつ頃になりそう?」


 対抗という点ではやはり初華を意識しているのか、最近希美は俺と2人きりになるたびこの話題を持ち出してくる。


「そうだな。お前が他のお仲間を揃えてくれば最短で3ヶ月後には初ライブの場を設けてやってもいいと思ってる」

「上から目線‥‥ってか、そんなに早いの?」

「そんなに早いのって、見つけるのがそもそも大変なんだろ。楽器に関しての理解や知識が乏しい俺でもお前の技術が同年代に比べて逸脱してるってのは面接の時にわかった。ならバンドユニットを編成する場合、お前に見劣りしない技術とプロ志望の人材を集めることに一番労力を強いられる」

 

 それは運良く5人が今日揃ったとして、楽曲の作成、練習、舞台の用意にそれぞれ1ヶ月かけた場合の3ヶ月。そもそも他事務所とのパイプを持ち合わせていないウチがそんな将来有望なミュージシャンを簡単にスカウトできるわけもない。

 申し訳ないが、今の希美はうちにとって宝の持ち腐れのようなものだ。


「それで私が見つけてくるのが1番の近道ってこと?」

「履歴書を見たがお前だってその技術を培うのに今まで1人だけだったわけじゃない。周りの音楽仲間や気の合う奴らを集めて事務所に連れてきたっていいんだ。お前が信頼してる奴って言うなら俺は従うよ」


 初華のフェス出演、そしてその先の初ライブを完遂してようやくうちの事務所は最高のスタートを切れる。そして事務所の看板となった初華の影で希美のバンドユニットを育成する。できれば今すぐにでも希美に最適な環境と仲間を見つけてやりたいのだが、それが実現させてやれないのが現時点での俺の力なんだろうな。


「悪いな希美。せっかくうちの事務所に来てもらったってのに」


 運転席の頭上にあるルームミラーを通して彼女に目を合わせると、希美は真剣な眼差しでこちらを睨んだ。


「言っとくけど私はNEOを辞める気ないから。散々他の事務所に勧誘されて、一度入ったのはいいものの居心地は最悪だった。私にはこんな上下関係の薄い事務所くらいが丁度いいの。それに使い勝手のいいマネージャーもいるわけだし?」

 

 ニヤリと生意気な笑みを浮かべる希美を見て1つの覚悟を心に宿した後、俺はアクセルを少しだけ強く踏み込んでスピードを上げた。



 

 

 

 

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