第17話 開戦前のひととき
早朝、午前5時20分。UAAフェスに関する仕事を片付けるためまだ日が登っていない暗い夜道を自宅から車を走らせ事務所に向かった。
事務所は二階建て構造で一階は社長と初華が寝泊まりする場所となっており、二階にNEO芸能事務所が設置されている。
そのため普段は朝一番乗りで事務所入りするのは俺で、朝ごはんを食べ終えた社長や初華達が遅れて二階に登ってくるのが日常である。
ところがフェスまで1週間に迫った今日は少しだけ様子が違う。事務所前の駐車場に車を停めるなり二階のスタジオから光が漏れていることに気がついた俺は即座に嫌な予感を抱いた。
「マジか‥‥」
そこにはスタジオの床に髪から弾かれた汗を散らしながら身を舞わせる初華の姿があった。一瞬声をかけようと思ったが、極限の集中を保ちながら何度も何度も同じ曲を狂ったように繰り返す光景を見て静かに部屋の扉を閉めた。
一体何時からそこに居たのか。体の
昨日の夜だって俺が帰宅する11時まで体を休まずフル活動していたんだ。睡眠時間を満足に取れているはずがない。
「やっぱ。やめさせるか」
そう思い
「おはようございます。2人とも早いですね」
頭を下げると先ほど入れた自分用のコーヒーを手渡す。社長は”ありがと”と俺に感謝を述べると光が漏れるスタジオの部屋に目を当てた。
「私はね。あの子は今日寝てないわよ」
「へぇ‥‥は?」
唖然として口を開けたままの俺を
「ライブとか音楽番組の前とかステージ絡みの案件になるとあの子は人が変わったようになるからちょっと危ないのよね」
「いや止めないとヤバいでしょ。どうしてそんな悠長に話してるんですか‥‥」
「アレを何十何百回と見てきたもの。スタジオに
いやいやそんなの放っておけば死ぬだろ。
「大丈夫よ。というかあぁやって自由にさせておかないと逆にストレスが溜まって爆発するわ。今後あの子のマネージャーをするなら早めに初華のトリセツを理解しておくことね」
ポンッとトリセツの意味が理解できない俺の左肩を叩いた社長は神妙な面持ちを見せながらこの場を去った。
▼▽
午前8時過ぎ。学校へ希美を送った俺は途中コンビニで買ったアイスコーヒーを片手に事務所のデスクにて朝のニュースをスマホでを使って優雅に視聴していた。
「ねぇ」
「なんですか?社長」
スーツに着替えた社長が嫌悪の視線をどういうわけか俺に向けてくる。
「なんですか?じゃないわよ。その貧乏揺すりやめなさい。ソワソワして落ち着かないから」
「落ち着けるわけないでしょ?時間アイツスタジオに引き篭ってんですか?もう8時回るんですけど」
普段なら制服を着て髪型を悩ませている初華がドレッサーの前に居るはずなのだが、先ほどから一向にその姿を見せない。
「今日は学校に行かないんじゃない?高校は最低限の単位さえ取得できればいいんだし。きっと休憩もスタジオで取ってるでしょ」
そう言う問題ではないとツッコミたいところだったが、そうも日常茶飯事の雰囲気を出さられると今すぐ初華を止めなければいけないという緊急性が欠けてしまう。
「やっぱり俺今からでも呼びに———————」
社長と目を合わせて椅子から立ち上がったその瞬間、手前のスタジオの扉が開かれた。出てきたのは勿論初華なのだが、体全体から湯気を放ち湯水のように汗を垂らしながらこちらに歩いてくる姿に俺は絶句した。
「お前、どんなレッスンしたそうなるんだよ」
その姿はバケツに溜まった水をモロ被りしたと錯覚するほどだった。髪はずぶ濡れ、服はびしょ濡れ、公衆の面前でこの姿を見せればアイドルとしてだけでなく、人として終わるだろう。
「どしたの大樹?目隠しなんかしちゃって。社長どうして?」
「‥‥早く着替えてきなさい。服が透けて見えてるから」
ただでさえ薄い生地のスポーツウェア。そこに当然水を被れば見えるものも見えてしまう。20を超えたとはいえまだまだ元気な俺のアレも危なく反応しかける。
「あらら〜ほんとだ。危なく大樹におっぱい晒しちゃうとこだったよー」
「お前なぁ‥‥」
陽気な笑い声を響かせながら自室のある一階へと降りると、濡れた服を着替えて再び事務所へと戻ってきた。
ようやく俺はコイツを学校まで送り届けられると安堵していたのだが、嫌な意味で期待を裏切るのがうちのアイドル。想定通り事が進むことなどあり得なかった。
「どっかで朝ごはん食べに行こーよ」
学校まで送るつもり気しかなかった俺は、目の前の現実を見て脱帽した。
お出かけ用の服を着用しており、学校に行く気などさらさら感じない。
「お前今日学校だろ。いいからさっさと制服着てこい」
「えぇ〜ファミレスでモーニングしたーい!」
この日、俺は一角初華というアイドルの取り扱い説明書を近いうちに作成しようと誓った。
「追加でパフェも食べまーす」
「‥‥もう勝手にしてくれ」
次回 UAAフェス編開幕
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