第13話 魔族
刹那、広間の中央に何かが現れる。
漆黒の闇。影すら持たぬ、どこまでも深い暗闇がわだかまっている。
闇はその形を変え、やがて一つの形に収束していった。
巨大な翼を纏った、異形の生物。
私の脳裏に、何故かこんな言葉が浮かんでいた。
「──魔族!」
『我が名はヴェルフェゴール!人間どもよ、
そう宣言すると、おぞましい咆哮を上げる。
ただの叫び声ではなかったらしい。空気を振動させる魔族の雄叫びは、それを聞く者たちの半身を麻痺させていく。
「オレの後ろに下がれ!」
私達を庇うようにヴォイドが前に出て、その叫び声を剣で切り払う。
なんという人間離れした芸当……!
途端にパニックに包まれる大広間。
ウェールズの娘も、いつの間にか姿を消していた。
『ほう?この時代にも、我らと戦おうという酔狂なやつが生き残っていたか』
「敵と、くだらん会話をするつもりはない」
裂ぱくの気合で剣を打ちおろすヴォイド。
──なんて速さ。初めて会った時の彼が、微塵も本気を出していないことが初めて分かった。
魔族も鋭いかぎづめを器用に使い、彼の剣を捌いていく。
だが、ヴォイドの剣圧に次第におされていく。
不利を悟ったヴェルフェゴールは、翼を使って後退。
距離を取り、立て直す。
『人間、貴様只者ではないな……!だが、これならばどうだ』
魔族が逃げ込んだのは、最初の雄叫びで体を麻痺させられた人達の中。
『貴様の剣は長く鋭い。これだけ人が密集した中で振るえば、同族たちもただでは済まんぞ』
勝ち誇るヴェルフェゴールに、しかしヴォイドはいつもの虚無の瞳を向ける。
「別に、どうということはない。敵さえ倒せれば、
『なっ……にいい!?』
あろうことか、ヴォイドは人質となった貴族もろとも魔族を斬るつもりなのだ。
「止めなさいっ!」
「!?」
私の言葉に鋭敏に反応し、ヴォイドの剣が止まる。
「他の者を傷つけることはなりません!」
「……それならそれで、オレは構わん。いずれにしても、どんな状況であっても、オレは敵を倒す」
戦いが再開した。
そうは言ったものの、やはりこれだけ障害物が多い中ではヴォイドの長剣は明らかに不利だ。
見る見るうちに、彼の全身が血に染まっていく。
それでも、一向にひるんだ様子もなく、ヴォイドは淡々と剣を振るっていた。
恐ろしい精神力ですわ。こんな絶望的な状況にあってなお、微塵も恐怖した様子がない。
だけど、このままではヴォイドの敗北は必至。これだけ血を失えば、やがて動きも鈍くなり、致命傷を避けられなくなる。
『どうした、人間!このままだと、おまえ。失血で死ぬぞぉ!怖いだろ、恐ろしいだろう!』
「別に、どうということはない。俺が死ぬ前に、お前が死ねばそれでいい」
『強がりを言うなぁ!』
広間の床にヴォイドの血飛沫が散る。
そんな彼の姿に、私の心に暗い影が落ちる。
この気持ちはなんだろう?ものすごく嫌な気持ちだ。不快極まりない、とても、耐えられそうにない気持ちだ。
ヴォイドが、死にかけている。
いつものように無表情で、無頓着なまま、淡々と死に近づいている。
私があんなことを言ったばかりに、力を振るうことができずに。
このまま彼が死んだら、どうなる?
そんなこと、分かり切っていた。
私は、まだ彼に勝っていない。
彼の弱点を見つけ、心から彼を屈服させ、絶望に沈んだ彼の表情を見ていない。
そうなる前に彼に死なれるのは、絶対に嫌だ!勝ったまま死ぬなんて、許せない!
そのために、私にできることは──
私は、血に染まるヴォイドから目を逸らした。
これ以上、こんな彼の姿を見ていられない。それに、私達が勝つためにはもっと見るべきものがある!
「ヴォイド!敵の右翼を狙いなさい!その魔族は、そこを起点に全身のバランスを維持しています!」
『……っ!?』
ヴェルフェゴールの顔色が変わる。
「何故それを」と、言葉にするまでもなく恐怖に歪んだ表情が全てを物語っている。
私の指示を起点に、形勢は逆転した。
ヴォイドの剣は、的確に魔族の動きを封じていく。
私の魔眼は、はっきりと敵が攻撃されたくない場所を映し取っていた。
「次は右腕!翼を庇った影響で、うまく動かせていません!」
「おおおお!」
雄たけびを上げ、気勢を乗せて剣を振り切る。
「背中を庇い始めました!背後に回り込み、一気に攻めなさい!」
『バカな、ばかな、馬鹿な……!』
自らの弱点を次々と攻め立てられ、魔族はすっかり混乱していた。
この機を逃す私達ではない。一気呵成に、とどめを刺しに行く。
もはや人質を取る余裕すら無くし、ヴェルフェゴールは茫然と広間の床に跪いていた。
周囲にはもはや障害となる人もいない。ヴォイドは全力で戦える。
『どうして俺の弱みをこうも的確に……まさか……っ!?』
「これで、終わりだ」
何かに気づいた様子の魔族に、それでもヴォイドは一切の容赦をしない。
手にした剣で、魔族の全身を粉微塵に切り刻んでしまった。
『ま、魔王様……!』
灰となった魔族は、一片たりとも残ることなくこの世から消滅した。
そんな敵を見下ろし、ヴォイドは──
「……やったか?」
「誰がどう見てもやってますわよ。妙なフラグを立てるのはおよしになって」
ケガをした箇所をよく見てみる。大丈夫、どれも深手じゃなかった。
何故かそのことに安堵を覚え、嘆息する。
「……世話になったな」
「勘違いしないで。もともと私の我儘であなたを不利に追いやったのです。これくらいのこと造作もありませんわ」
まさかこの男から感謝の言葉を聞く日がこようとは思わず、何故か照れ臭くなってしまった。
「さ、立てますか」
「当然だ」
ヴォイドの手を引き、会場を後にする。
幸いにも死者は出なかったが、逃げ遅れた貴族も大勢その場にいる。
彼らは完全にすくみ上り、先ほどは魔族に向けていた恐怖の視線を、今度は私達に向け始めていた。
「見たか、さっきの……」
「ああ、恐ろしい獣であっても、ああも弱点を容赦なく突くとは」
「……恐ろしい」
「なんという、冷酷な」
「……やはり、あれは魔女だ」
「"魔眼の魔女"……!」
次々に勝手なことを口走り、私を睨みつけていく貴族たち。
まったく、これほどまでに恐怖の視線に晒されるとは。
私の大好きな視線を集められて、今日は、
乾いた心の中を無理やりそんな言葉で埋めて、私はただ真直ぐに前だけを向いて歩き続けた。
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