第14話 奉剣の儀’


 ヴォイドの怪我も癒え、私達は家の庭園でお茶をしていた。

 もっとも、ヴォイドにとっては最高級のハーブティーも「苦いお湯だ」くらいにしか思っていないのでしょうけど。


「ヴォイド様。私、どうしても聞きたいことがありますの」

「この前の、魔族についてだな」


 私は黙って頷く。


「あのように強大で恐ろしい生物がこの世にいたとは思いませんでした。しかも、あれは「魔王の命によって」この地に現れたと」

「伝承によれば、魔王の復活に合わせ、魔族共も次第に転生するという。ヴェルフェゴールとか言う奴も、その一人なんだろう」


「伝承は、嘘ではなかったのですね」

「そう言ってただろ」


 当然と言わんばかりのヴォイドの口調。

 確かに、あんな恐ろしい敵と戦わなければならないのであれば、彼のような人材が必要になってくるというのもうなずける。

 ランスロット卿は、自分の役目を全うしたのでしょう。


「それにしても、貴方はあんな敵と戦い、そして死に瀕してもなお恐れというものを持ちませんでしたわね」

「……」


 ランスロット卿の言葉に偽りはなかった。ヴォイド=ランスロットという男は、恐れを持たない完璧な戦士だった。

 こんな男の弱点を探ろうなど、到底無理なことだったのだろう。

 心の中で白旗を上げると、私はついにこんなことを口走っていた。


「貴方のような方が、果たして何かに恐怖するということがあるのでしょうか?」


 半ば自棄になってそう問いかける。

 どうせ、いつものように「別に……」だとか、「そんなものない」だとか言うのでしょうね。


 隣に座ったヴォイドは、しばらくの間目を瞑り何かを考える。

 やがて目を開くと、こう言った。


「……


 ……?


 いま、なんと?


 予想だにしなかった彼の返事に、私はしばし呆然として彼の瞳を見返していた。

 他人にも、自分自身にも執着を持たない虚無の騎士。そんな彼が恐れるものが、本当に?


 しかし、その言葉を裏付けるように、虚無色に染まっていた彼の黒い瞳に、初めて何か感情らしきものが浮かぶのが見えた。

 同時に、魔眼の力が発動する。うっすらと、彼の奥底にある、彼が心から嫌がるものが浮かび上がってきた。


「お前は、人々から"魔眼の魔女"と呼ばれ、恐れられているな」

「え、ええ」


 唐突に私のことを話し始めるヴォイド。

 そんなことはどうでもいいから、早く貴方の弱点について知りたいのに!

 

 はやる私をよそに、彼は私の目を見つめ続け、言葉を続ける。


「オレは、そんなお前と結婚の約束をし、色々なことを学ばせてもらった。文字も読めるようになり、学問というものですら、身につけることができた。生まれてからこれまで、戦うことしか学んでこなかったオレには、想像もできなかったことだ」


 それは、貴方が"持たざるもの"だったからです。

 全ては貴方に弱点を作るため。私を恐怖させて、屈服させるための作戦ですわ。


「そんなオレだが、ものを学んだおかげで分かったことがある」

「……なんですの?」


「これまで、おまえが交渉してきた相手のことだ」


 交渉?ああ、魔眼の力で屈服させ、有り金を巻き上げてきた相手のことですわね。


「サルベール伯爵は、先祖代々カウワリ山に領民を召し上げては、酷い重労働を課してきたらしい。だが、おまえとの交渉の後、悪事が大々的に発覚する前にあの鉱山を処分したらしい。おかげで、原因不明の失踪事件がなくなったそうだ」

「そんなことが、あったのですね」


「ユヅハ=スランも、あれ以来弟に暴力を振るうことはなくなったと聞く。弟の健康も持ち直し、今では仲良く勉学にいそしんでいるらしい」

「それは結構ですこと」


「ルシフェレス領の民だってそうだ。お前は重税を課しているが、それらを全て食料と教育に回している。おかげで、領民共は飢えることもなく、健全に日々を送れている。領民が本当に何を恐れているか、おまえは知っているのだろう」

「健康で賢い民であればこそ、苦しむ姿がより映えるのですから」


「負けそうなオレを、助けてくれた」

「……」


 先ほどから、この男は何をっているのでしょう。

 すべて、偶然の産物です。全ては、嫌がる相手の顔が見たい、私の願いの副作用に過ぎないというのに。

 自分の勝手な解釈で、何を好き勝手に……。


「ヴォイド様、先ほどから何の話をなさっているのです?あなたの恐れるものが何か、それを聞きたいのですが」

「そうだったな」


 そう言うと、ヴォイドは腰に下げた剣に手をかけ、立ち上がる。

 彫刻のように美しい、凍てついた顔に、初めて必死な表情を浮かべて。


「ゾフィア」


 え……今、私の名前を?


「オレは、他人から"魔眼の魔女"などと言われ、恐れられる。そんなお前の姿を見るのが、耐えられない」

「え……?」


 この男は、なんと大それた勘違いをしているのでしょう。

 半分以上麻痺した頭で、私は必死に彼の勘違いを正すことにした。


「か、勘違いしないで!私は、他人から恐れられることを何とも思っていません!むしろ、他者の恐怖こそが私の生きがいなのです!」


 今までひた隠しにしていた、決して他人には話してこなかった本心を、私はその時初めて暴露した。

 それでも構わない。この男に、そんなふうに思われるほうが耐えられなかった。


「他者の恐怖こそ私の糧!そのためだったら、どんなことでもやって見せる。だから……」

「──ゾフィア」


 私の言葉をヴォイドの言葉と視線が遮る。

 それは、今まで私が見たこのない目だった。


 虚無の瞳に鮮やかに浮かび上がっているのは、恐怖ではなかった。

 生まれたから今まで、他者の恐怖を浴びて育ってきた私には、無縁のもの。


 慈愛に満ちた瞳で、ヴォイドはこう尋ねてきた。


「ゾフィア。では聞かせてくれ。何故、お前は泣いている?」


「あ……え……?」


 三度間抜けな声が漏れ出る。同時に、頬を伝う熱い液体の正体を知り、私は戦慄した。

 私……泣いているの……?


 思考が停止した私の目の前で、ヴォイドは剣を抜き放つ。

 そして、その場に跪き、剣先を自らの心臓に向ける。


 これは──"奉剣の儀"


 騎士の覚悟を身に刻んだ、ヴォイドは最後にこう宣誓する。


「ヴォイド=ランスロットはここに誓う。己の全てを賭け、ゾフィア=ルシフェレスを傷つける、あらゆるものを排除する。もう二度と、おまえを誰かが恐怖しないように、全ての敵を俺が倒す!」


 この世のあらゆる気迫と慈愛を集めた様な温かい声で、


「オレと、結婚してほしい」


 そんな彼の言葉に、私は──


「は、はいぃ……」


 "魔眼の魔女"に似つかわしくない、魔の抜けた返事をするのだった。






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