第4話 虚無の騎士
「ルールは、この細い針金を先に相手にあてたほうが勝ち、で良いのか?」
「針金ではありません。
「……そうか、ではどうする?始めるか?あの男が言うには、殺さずに勝てとのことだが……まあ、別に構わんが」
「あの男……?あなた、自分の父親をそのような呼び方をするのですか?」
それに、殺さずに勝つ?
随分と物騒な発言だわ。
「ランスロット卿、ご子息にはなんと伝えているのです?」
私が睨みつけると、卿は困ったように苦笑いを浮かべ、
「いやはや、ソレには生まれてこの方、剣での戦い方以外一切仕込んでおりませぬ故。また、急ぎの用事であったため、今回の件もいつもとは違って
「剣での戦い方
「伝承に伝わる、魔王再臨の年に生まれた子供でしたもので、これは最早運命かと──」
いやいやいや。普通ありえないでしょ、そんなの。
この平和な世の中にあって、剣での戦い方しか学んでこなかったですって?そんな、完全な無駄スキルに特化させた子育てをするなんて……
私が呆れていると、
「おい、女。始めないのか?それとも、もう始めてもいいのか?まあ、別に構わんが」
「お、女ァ!?今、私のことを女と呼びましたか!?」
「胸も膨らんでいるし、髪も長い。動きにくそうなフワフワした鎧を着ているからてっきり女かと思ったのだが、違ったのか。別に、どっちでも構わんが……」
「ああ、もう。無礼にもほどがありすぎていったいどこから突っ込めばいいのやら……」
軽いめまいを覚えて額に手を当てる。
でも、確かに彼の言うとおりだ。こんな勝負、さっさと始めてさっさと終わらせるに越したことはない。
気持ちを切り替えて、改めて自分の”婚約者”に視線をやる。
名前は、ヴォイド=ランスロット。
ボサボサのくすんだ茶髪に、薄汚れた肌。
長身の上、引き締まった身体はしているものの、ズタボロの服のせいで全てが台無しだ。
子爵の令息、というよりも、山賊と言われたほうがしっくりくる身なり。
まったく、どうしてこんな薄汚い男と私が婚約などしなければならないのか──
いえ、それもこの勝負が終わるまでのこと。
先ほどヴォイドが言ったように、こんなか弱い乙女に負けるような男では、私の婚約相手にはふさわしくない。この場にいる誰もが認めるところだろう。
「では、勝負を始めますわ──」
「……」
私が構えると、ヴォイドの目つきが変わった。
さすがに武術に覚えがあるだけあって、私の実力に気づいたみたいだ。
自分で言うのもなんだけど、私には生まれつき剣の才能があった。
戦争が無くなりすっかり廃れてはしまったけど、剣術は貴族の嗜みとして今も多くの競技人口を抱えている。
そんな中、剣を初めて握ってから今まで、私は一度たりとも負けたことがなかった。
先ほどヴォイドが指摘した通り、この肌に傷1つ負ったことがない。つまり、一度たりとも攻撃を受けた経験がないのだ。
剣の師に言わせると、私は全身のバネ、バランス感覚、そして攻撃の押し引きの勘がずぬけて優れているとのことだった。
(師とは言っても、初めて剣を握った私にボコボコに負かされたわけだけど)
でも、実のところはそうじゃない。
私が競技剣術で無敗を誇る一番の理由は、この魔眼にある。
この目にかかれば、相手が最も嫌がる戦術が取れるのだ。
怪我をした右腕を狙う?苦手な長期戦を挑む?
真剣勝負という極限状態にあっては、特に相手の感情はむき出しになる。恐怖や怖れといった負の感情は、特に。
持って生まれた剣才と、的確に相手の弱点を突く戦術を合わせることで、百戦無敗の偉業を成し遂げたのである。
「さあ、いったいどこを攻めて差し上げましょうか?」
優雅な仕草で
研ぎ澄まされた刃が放つ冷たい光が、空気を切り裂く乾いた音と共に競技場に響く。
こうして挑発的な言葉で相手の心理を揺さぶり、弱点をむき出しにする。
さて、この無骨で無礼で無作法な田舎者は、どんな弱点を抱えているのかしら──
「始めて、いいんだな?」
ぶっきらぼうに言い放つと、ヴォイドは無造作にこちらのとの距離を詰めてきた。
やはり、こちらを女だと思って侮っている。
そんなヴォイドの漆黒の瞳を覗き込む。
すると──
「……えっ!?」
私は思わず声を漏らした。
ヴォイドの余りにも無防備な構えに驚いたわけじゃない。
何も見えなかったのだ。
巨大な洞穴を覗き込んでいるような
彼の父のように、意志の力で恐怖を抑え込んでいるわけではないというのはすぐに分かった。
完全な虚無。
恐れや嫌悪といった負の感情が存在しない。というよりも、一切の感情がないようだった。
人は、プラスとマイナスの両方を併せ持つ存在だ。
巨万の富を手に入れれば、今度はそれを失う恐怖に付きまとわれる。
比類なき名声を手に入れれば、その後は周囲の評価を気にし続ける人生が待つ。
最強の力を手に入れたとて、きっと自らの衰えに怯える日はいつか来るだろう。
だけど、このヴォイド=ランスロットという男性には、本当に何もなかった。
そんな彼の視線に、私は生まれて初めて恐怖という感情を覚えた。
他者の恐怖を意のままに操ってきた、魔眼の魔女と畏怖された、この私が──
「い、いやあっ!」
悲鳴と共に繰り出した刺突。
こんな中途半端な攻撃が通じる相手ではないと分かっていたのだけど、身の内から湧き出る恐怖を振り払うにはそうするしかなかった。
当たるわけがない。そう思っていた攻撃を、ヴォイドは──
ザクッ
「エエッ!?」
あろうことか、彼は
彼の左腕に深々と剣が埋まっていく感触が手に伝わる。
「ど、どうして……?」
「胴体に当たらなければ負けじゃない、そう聞いたが」
「確かに言いましたが、ただの天覧試合でこんな深手を負うなんて」
「別に、相手を倒せさえすれば他はどうでもいい。お前の剣は、素早く鋭い。だから、こうやって封じ込めるのが確実だ」
「ぬ、抜けない……っ!」
筋肉を絞り上げ、私の剣を完全に封じて見せた。
とんでもない戦法である。
しかも、剣が根元まで腕に刺さっているというのに眉一つ動かさない。
痛みという感覚すらないのでは、と疑ってしまう。
私は、素直に負けを認めざるを得なかった。
武器を封じられてしまっては、万に一つの勝機もない。
両手を挙げ、降参の意を示す。
く……屈辱の極みだわ。
「ま、参りましたわ。偶然とはいえ、この私から剣を奪い去るとは、なかなかの腕前で──」
この国中で未だかつて誰も聞いたことのないであろう、私からの素直な賞賛の言葉。
でも、この無作法な男は、国宝級の私の賛辞ですら足蹴にするのだった。
私の言葉が終わらぬうちに、彼はこう言った。
「じゃあ、
「は、はええええええええええええ!?」
無造作に放たれた横薙ぎの一閃は、細身の
「勝負はオレの勝ちだな。安心しろ、峰撃ちだ。まあ、どっちでも俺は構わんが」
こんな勢いでしばかれたら、刃が立ってなくても十分危険よ、この間抜け!
という叫びすら上げる余裕もなく、宙に舞った私はその場で意識を失ったのだった。
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