第2話 剣聖の末裔
「……交易を、希望しない?」
「そうでございます。私の領地には、ルシフェレス家にお納めするような優れた交易品は持ち合わせていません」
交渉を始めて間もなく、そんな奇妙なことを言い出したのは、私と同じく辺境の弱小貴族。
名は確か、
「ランスロット卿。それでは、いったい今日はどのような要件でこちらにいらしたのです?」
今日の交渉相手はランスロット士爵。士爵といえば、貴族階級でも最下層。別名「
本来ならばこのような交渉につくこともない弱小貴族だったのだが、スケジュールの都合で紛れ込んでいたみたい。
「我がランスロット家は、代々武門の一族。そんな我々が提供できるのは、やはり武であります。有事の際の防衛力、あるいは御領土内で道場を開き、武力の底上げを図ってはいかがかと」
「……はあ」
我ながら情けないため息が漏れ出てしまった。
そして、同時に思い出す。ランスロット士爵のルーツを。
私の家とは正反対の辺境にあったために忘れていたが、彼の家は遥か昔に存在したという”魔王”を討伐した”剣聖”の子孫だという。
“魔王”も消え平和になった世の中ではその伝説もすっかり意味をなくし、今では辺境伯という閑職に追いやられているのだ。
「ランスロット卿。よろしいですか?戦争のないこの世で、武力がいったい何の役に立ちましょう。むしろ、無用な争いの種を持つ危険分子として国王に煙たがれるのが関の山ではありませんか?」
よく考えてほしい。
交易で財を成した我が領土が、今度は大量の武力を備え始めれば、国への翻意アリと疑われても仕方ない。
ましてやつい先日、サルベール領の良質な鉄鉱石を確保したばかり。いくら悪名を気にしない私でも、クーデターの疑いをかけられるのは本意ではない。
取りつく島を与えない私に、しかしランスロット卿は食い下がる。
「しかし、彼奴は滅びてもなお転生すると言われています。我が家に伝わる伝承によれば、魔王が滅びてすでに800年。もう、この世に再臨していてもおかしくないのです」
──まったく、世迷言を──
このくだらない交渉を終わらせるために、私は士爵を正面から見据える。
この魔眼の能力は、交渉を打ち切るためにも有効に働くのだ。
「分かりましたランスロット卿。では、こういう条件ではいかがでしょう」
言いながら、田舎貴族の漆黒の瞳を覗き込む。
相手が本当に嫌がることを、徹底的につきつければいい。そうすれば、こんな馬鹿げた交渉も破談になる。
しかし──
(……っ!?なにも、見えない?)
ランスロット卿の瞳の奥からは、なにも読み解くことはできなかった。
40代とは思えない、恐ろしく引き締まった身体とそれにふさわしい鋭い視線の中で、私は相手の嫌がるものを見つけ出せずにいた。
(……たまにいるのよね。こういう、本当に聖人君子とした人間が。あるいは──)
邪魔な思考を振り払い、私はさらに目を凝らす。
同時に、言葉でも揺さぶりをかける。強固な意志で抑え込んでいても、思考のガードを解いてやることで浮き彫りになる弱点もある。
「先ほども申した通り、このご時世に武力を持つというのはそれなりのリスクが伴います。あなた方にも、それ相応のものを差し出していただかなければ」
「それ……は……」
鋼のような意志がわずかに揺れるのを、私は見逃さなかった。
魔眼の力を振り絞り、卿の深層心理を覗き込む。
そして、ついに私は相手の最も嫌がるものを見つけ出した。
「一人息子が、いらっしゃいますね」
「っ!!!?」
私の言葉に、ランスロット卿の表情にひびが入る。
こうなってしまえば後はたやすい。彼が何を嫌がっているのか、手に取るように読み解くことができた。
「手塩にかけた、一族の最高傑作と言われるあなたのご子息を、我が家に預けていただくというのはいかがでしょう?私共としても、多くの兵を抱え込まねば妙な噂も経ちませんでしょうし。良いアイデアはありませんこと?」
「……し、しかし。アレを我が領から出すというのは、あまりにも……!それに、アレのことをいったいどこで?門外不出、我が家の秘蔵でありましたのに」
「あなたのご子息のことは、よく存じ上げておりますよ?こうみえて、顔は広いものですから」
「な、なんと……」
堰を切ったようにあふれ出るランスロット卿の恐怖。それをゆっくりと啜るように堪能し、私はとどめの一言を放つ。
「私も、無理にとは申しません。大事なご子息を、一人見ず知らずの土地に預けるのはご不安でしょう。本人の了解も必要なことでしょうし」
「……」
「今回のことで、魔王復活の危機があることは承知しました。私も文献を調査し、国王にしかるべき進言をいたします。ですので、ここは一旦お引き取り頂き、よりよい対策を互いに練っていきませんか?」
我ながら前向きで建設的な提案である。
何も相手の弱点をえぐるだけが交渉ではない。飴と鞭を使い分けられるからこそ、ルシフェレス家は今の地位を確立してきたのだ。
心から相手のことを
そうそう。こんな無理で無意味な交渉はさっさときりあげて、お互いもっと有益なことに時間を割いたほうが良いでしょう?
魔王だか何だか知りませんが、この平和の世の中に、剣や兵法が何の役に立ちましょうか。
「では、ランスロット卿。次の交渉の場でお会いしましょ──」
「承知しました。我が家の
「……へ?」
思わず間抜けな声が漏れ出てしまう。
生まれてこの方、こんな素っ頓狂な声をあげたのは初めてかもしれない。
「ら、ランスロット卿。いま、なにを……?」
「伝承によれば、魔王再臨の地はルシフェレス領の何処かと言われておりました。確かに、そこに我らの部門の者を配置するのは良策でありましたが、最良策ではありませんでしたな」
何やら意味の分からぬ自信を身に着けたランスロット卿は、スッとその場に立ち上がる。
先ほどまで苦慮に沈んでいた瞳が、今は爛爛と輝いている。
うわあ、こんな希望に満ちた目を見るの、苦痛だわあ……。
「魔王相手に太刀打ちできるのは“剣聖”の一太刀のみ。ナマクラを数千本送り込むよりも、
我が意を得たりと言わんばかりに私の両手を熱く握りしめてくる。
ちょっと待って、別に私の結婚相手として迎い入れるといったわけじゃないんだけど。だいいち、まだ結婚なんてするつもりなかったし。
それに、性格に難ありって言わなかった、この人?
政略結婚とは言うけど、敵地に戦力を送り込むための結婚なんて聞いたことないんですけど……!
ていうか、私の領土は別に敵地とかじゃないから!
混乱する私をよそに、ランスロット卿は颯爽とその場を後にしたのだった。
「あのような者を領土から出すのはためらっておりましたが、ゾフィア嬢の様に聡明な方であればきっとうまく取り扱ってくれるでしょう!では、式の日取りなどは後程。次は愚息を連れてまいりますので!」
……。
結局、私の話に聞く耳もたないまま、ランスロット卿は矢のような勢いで帰郷していった。
引き留めようとしたのだが、あまりのスピードに誰も卿の姿を捉えることができなかったらしい。
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