第14話 罪滅ぼしのための希望

 私たちはいくつか大きな街を救ってから、魔女のアトリエに戻ってきた。ゲートをくぐりぬけると、魔女が私たちを待ち構えていた。


「多くの信仰を集めたようだな。褒めてやろう。やがて貴様が神として完成した時、その純白の翼を引きちぎるのが楽しみだ」


 今朝、桜に拒絶された時の人間的な表情は幻だったのではないか。そんな風に思ってしまうくらいには、相変わらず神のように完璧な笑顔を浮かべていた。


 私と桜は魔女を一瞥してから、体を洗うためにシャワールームに向かった。それから部屋に戻り、二人で同じベッドの上に座る。狭い空間だと翼が邪魔だ。いつか折りたたむのに慣れて、邪魔ではなくなるのだろうか。


美月みつきさんは人の願いや心を読めるようになったんですよね?」


 桜がつぶやく。


 信仰は多くても十万人程度でしかないというのに、それでも私に人を超越した力を与えた。桜の言う通り、私は人の心を見通せる。過去の記憶すらもその時の感情すらも、感じようと思えば感じられる。


「一つ、頼みたいことがあるんです。……聞いてくれますか?」

「いいよ。友達でしょ。何でも言ってみて」


 桜はとても真剣な表情だった。心の中にはとても強い恐れが溢れているけれど、それすらもねじ伏せて私にこんなことを懇願する。


「あの人の……。魔女様の心を読んでもらえませんか? 私は、あの人のことが憎いです。でも……。やっぱり気になるんです。今朝、悲しそうな顔をしていました。魔女様が完全な悪だなんて、考えたくない私が、……未だにいるんです」


 桜は魔女がなにか大きなものに縛られているのではないか。そんな風に考えていた。


「……もしも、そんなものがなかったらどうするの? ただの狂人だったら?」


 知るということは、もう逃げられなくなるということだ。都合のいい推測で自分の「好き」という気持ちを正当化できなくなる。これまでずっと魔女を好いていた桜は苦しむことになるかもしれない。


 でも私が疑問を投げかけても、桜の決意は固いようだった。


「よろしくお願いします。こんな、宙ぶらりんな状態にしておきたくはないんです。もしもあの人がただの酷い人なら、私はもう「魔女様」なんて呼びません」


 桜は強い子だ。怖いはずなのに、それでも前に進むことを選んだ。


「……分かった。私に任せて。また顔を合わせないといけないのは憂鬱だけど、今から覗いてくるね」


 立ち上がると、桜は急に私の手を掴んだ。


「あの、私も行きます。私のこれまでの人生の全てがどうなるのか。……魔女様の全てを私の目で、見届けさせてください」


 私には自分の感情だとか情報を人に伝える能力も芽生えていた。それで魔女の過去を一緒にみたいということなのだろう。


「分かった。一緒にいこう。桜」

「……ありがとうございます」


 私たちは二人で魔女の元へと向かった。


 魔女の部屋は広かった。白い空間に大量の絵画が飾られている。そのどれもが神々しい。かつての私なら数秒直視するのが限界だっただろう。けれど今は、神に近づいているおかげか多少まぶしい程度だ。


 その部屋の奥、木製のロッキングチェアに腰かけている魔女は、黒縁の眼鏡をかけてなにやら小説を読んでいた。近づくと「幸福の王子」と書かれているのがみえた。知らない小説だ。でも意外だった。まさか魔女が他人の創作物に興味を示すとは。

 

「何だ貴様ら。一体何の用だ?」


 私たちに気付いたらしい。眼鏡を外し小説を机の上に置くと、魔女はいつもの完璧な表情で私たちを睨みつけた。 


「……私が頼んだんです。美月さんに。魔女様の過去になにがあったのか、知りたくて。ごめんなさい。勝手に覗くような真似をするのは謝ります。でもどうしても知りたいんです」


 私は魔女に意識を集中させる。今なら何時間見つめても平気そうだった。


 私の意図を理解したのだろう。魔女は明らかな焦りを表情に出した。


「待て!」


 大慌てで立ち上がり、汗を流しながら私たちに手を伸ばす。だが抵抗は無駄だ。他人に記憶を覗かれる。それに如何にして抵抗すればいいのか、知っている人間なんてこの世にはいない。


 その手が届く寸前に、魔女の記憶への侵入へ成功した。


〇 〇 〇 〇


 目の前に、古めかしい服装をした若い女性が現れる。短い黒髪に、紅い瞳をしていた。その容姿はどういうわけか桜に非常によく似ていた。完全に同一人物だと捉えてしまいそうになるほどだ。


 彼女の後ろの窓には深い森がみえていた。建物は木製で、内装も古めかしい。どうやら遠い昔の記憶のようだった。


「お姉ちゃん」


 魔女は桜によく似た若い女性を「お姉ちゃん」と呼んだ。知らない言語だけれど魔女の記憶を参照しているからか、自然と理解できた。


「んー? どうしたの。ミア」


 魔女はどうやらミアと呼ばれていたらしい。ミアはお姉ちゃんのことが大好きみたいだ。深い愛情が伝わってくる。お姉ちゃんもミアを好いているらしく、笑顔で頭を撫でている。


「一緒に遊ぼ!」


 ミアは無邪気にお姉ちゃんに抱き着いていた。


「分かったわ。何して遊ぶ?」

「お花畑にいこ! お花の冠また作ろうよ!」


 ミアはよくお姉ちゃんと二人で花畑で遊んでいたみたいだ。どうしてかお姉ちゃんは不安そうな顔をしている。だけどすぐに笑顔になって「分かったわ」とミアの頭を撫でていた。


 二人は家を出て、手を繋ぎながら森の中を歩いていく。それにしても本当に深い森だ。どうしてこんな人気のない場所に、隠れるように住んでいるのだろう。 


 しばらく進むと、二人は開けた場所に出た。青空の下に色とりどりの花が咲いている。カラフルな蝶も羽ばたいていて、とても美しい場所だ。


 ミアはさっそく花を摘んでいた。頭の中にはお姉ちゃんとお揃いの花の冠を頭にかぶる想像が広がっている。


 やがてミアは摘んだ花を不器用ながらも、冠の形に仕上げていった。その隣でお姉ちゃんも笑顔で花の冠を作っている。手先が器用なようで、あっという間に仕上げてしまう。それをミアは幸せいっぱいな気持ちでみつめていた。


「ミア。はいどうぞ」


 お姉ちゃんは笑顔でミアの頭に冠をかぶせた。ミアは飛び跳ねて喜んでいる。


「わぁ! お姉ちゃんありがとう! お姉ちゃんもはいどうぞ!」


 ミアは自分の作った歪な冠をお姉ちゃんの頭にかぶせた。


「ありがとう。ミア」


 お姉ちゃんはとても幸せそうに微笑んでいる。


 それからしばらくして二人は花畑に寝転んで、綺麗な青空を見上げていた。


「ねー。お姉ちゃん」

「なぁに?」

「お父さんとお母さん、いつになったら迎えに来てくれるのかな?」


 お姉ちゃんの表情が曇った。でもすぐに笑顔を作って「もうすぐ会いに来てくれるよ」とミアの頭を撫でていた。


 その時、ミアは何となく森の方に目を向けた。木陰から知らない男が二人をみつめていた。でも瞬きするといなくなっていたから、ミアは気のせいだと思ったみたいだ。すぐにお姉ちゃんの方へと目を向けた。


「ミア。そろそろ帰るわよ」

「うん!」


 二人は手を繋いで、家に帰った。



「ミア。逃げるわよ」


 花畑で遊んだ日の夜中、今までみたことがないくらい焦るお姉ちゃんにミアは起こされた。目をこすりながら、ぼんやりした頭で問いかける。


「お姉ちゃん? どうしたの?」

「早く! 私の背中に乗って!」


 お姉ちゃんがこんなに怖い顔をするのは初めてだった。ミアは怯えながらもお姉ちゃんの背中に乗った。


 真っ暗な外に出ると、暗闇の中にたくさんの松明の明かりがみえた。鈍い光を放つ凶器が闇の中に浮かぶ。そこから男たちの声が聞こえてくる。ミアはすっかり怯え切って、目を閉じてお姉ちゃんの背中にしがみついた。


「見つけたぞ! 魔女の子供だ! 殺せ!」


 殺気の込められた声だった。ミアには理解できなかった。何も悪いことをしていないのに、どうして私たちがこんな怖い目に合わないといけないの?


 お姉ちゃんは必死で走っていた。けれど明かりのない森の中をミアを背負って逃げるのは、明らかに無謀だった。やがて月の光が届かない場所の草木に足を取られ、転んでしまう。お姉ちゃんはそれでも立ち上がり必死で走ろうとするが、足をひねってしまったようだった。


「お姉ちゃん? 早く逃げようよ」


 ミアはお姉ちゃんの背中から降りて、必死でお姉ちゃんの手を引く。けれど痛めた足では速度は遅く、すぐそこまで男たちの声が近づいてきていた。


 月明かりに照らされてほんのり見えたお姉ちゃんは、今にも泣いてしまいそうだった。けれどそれでも強い覚悟を決めたまなざしで、ミアをみつめる。


「ミア。あなたは逃げるのよ」


 ミアは首を横に振った。


「嫌だっ! お姉ちゃんと一緒じゃないと嫌だっ!」


 視界が歪んで、涙がぼろぼろと地面に落ちていく。このままだと殺される。そのことが分かっていても、ミアは動けなかった。お姉ちゃんのことが大切だった。誰よりも大切だった。たった一人置いていくなんてできなかった。


 だけどお姉ちゃんは涙ながらに語る。


「ミア。あなたの幸せが私の幸せ。一人ぼっちは辛いと思う。でもいつか、あなたを助けてくれる人が現れるはず。だからこんなところで終わらないで! あなたが幸せになって、私のことも幸せにして!」


 お姉ちゃんはミアの手を振り払った。


「……お願いよ。ミア。私の代わりに、幸せになって」


 お姉ちゃんの必死の声と表情をみたミアは、気付けば走り出していた。自分でも分からなかった。どうして私は逃げているの? どうしてお姉ちゃんを放って生きようとしているの?


 泣きながら、それでも必死でミアは走り続けた。走って、走って。転んでも走って。雨が降っても走って。お腹が空いて、喉が渇いて、死にそうになっても、それでも走って。傷だらけで泥だらけで。


 でもそれでも、生きるのを諦めるわけにはいかなかった。


 ミアは知っていた。本当は、知っていた。


 お父さんも、お母さんも「魔女」として殺されてしまったことを。でもそれを自分が現実として受け入れられなかったことも。お姉ちゃんに甘えることで必死で辛い現実から逃げようとしていたことも。


 でもお姉ちゃんは、もういない。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも「神」なんて曖昧なものを信じる人たちに、正義の名の元に殺されてしまったのだ。神が、神なんてものが存在するから、殺されてしまったのだ。

 

 まだ幼いミアの心は、悲惨なほどに憎しみ一色だった。復讐のために、ミアは走った。生き残るために、ミアは走った。その努力の甲斐あって、幸か不幸か、森で力尽きかけていたところを親切な老夫婦に拾ってもらえた。


 ミアは二人に心から愛された。けれど復讐を忘れることは決してできなかった。武術を学び、大人になると家族を殺したろくでなしどもへの復讐に命を懸けた。


 殺して殺して殺して、どれほど血まみれになってもミアの心が満たされることはなかった。なぜならミアが本当に求めているのは復讐ではなく、また家族と幸せに過ごすことだったのだ。


 たくさんの血を浴びた後、ミアは自分が歳を取らなくなっていることに気付いた。いつまでたっても家族を殺した連中への、「神」への憎しみが消えてくれなかった。


 それでもミアは自分が殺した相手にも、家族がいることを知っていた。奪われたからこそ分かる。ミアは良心の呵責を覚えていた。致命的な矛盾を抱えていた。親を殺されて絶望する子供を幾人も目撃して気付いたのだ。

 

 このままだと、復讐を続けられなくなる、と。


 だから、狂うことにした。何者にも同情されず、何者にも共感されない。決して止まらない、孤独な血塗られた復讐鬼になることを選んだ。ミアは神を信じる人間を殺め続けた。子供も大人も男も女も、彼女には、何も関係なかった。


 狂気は時代と共に移り変わった。


 あるときは鮮血を欲するサイコパス。ある時は科学に狂うマッドサイエンティスト。そしてまたある時は芸術に狂う画狂。ただ家族を殺した全てへの復讐のためだけに、ミアは歩み続けた。


 二千年近い時間を、たった一人で、孤独に。


 そしてついに神殺しの方法を見つけた。


 姉を殺した神への復讐。そのためにミアは世界を分断した。これまでに培ってきたあらゆる分野への能力を全力で生かし裏で暗躍し世界から調和を奪った。世界にイデアが生まれ、人は自分の願望をかなえることが可能になった。


 ミアは一番最初に自分の姉を模したイデアを、桜を生み出した。けれどミアは彼女を愛せなかった。本当の姉はもう死んでいるのだ。姉を心から愛していたミアは、自分が贋物を愛することを許せなかった。


 けれど彼女を消滅させることもできなかった。だからミアは名前も付けず、心に酷い罪悪感を抱えながら、ただただ桜を冷遇した。


 ミアは神を殺すための戦力を蓄えるのに長い時間をかけた。自らのイデアが神の領域に届いたと考えたミアは、千年後、ついに、神の顕現を実行することに決めた。神を顕現させるための依り代に私を選んだのは、決して偶然ではなかった。


 ミアは私に自分の姉の姿を重ねていたのだ。


 そして自分と同じ妹である日葵をひどく羨んでいた。幸せそうな姿が、憎かった。だから自分と同じ目にあわせてやろうと思った。ミアはそれが醜い私怨であることは理解していた。けれど私たちの仲睦まじい様子をみていると、こらえきれなかった。


 けれどやはりミアは完全な悪人ではなかった。悪人にはなり切れなかった。だからその罪悪感を消すために、狂おうとした。


 美に狂った狂人。それは、罪悪感を潰すための仮面でしかなかった。


〇 〇 〇 〇


 凄惨な記憶が終わる。気付けば、私の目からは涙が溢れ出していた。


「……魔女、様。いえ、ミアさん」


 桜は嗚咽を漏らしながら、ミアを抱きしめる。けれどミアはすぐに桜を突き飛ばしていた。その頬には、涙が流れていた。


「やめろ。その顔で、その名前で呼ぶなっ! 貴様はただの贋作だ! ……お姉ちゃんではない!」


 本当は、誰かに話したかったのだろう。自分の苦しみを分かってほしかったのだろう。けれどそんなことをすれば、復讐心がしぼんでしまう。だからミアは、ずっと一人で抱え続けた。狂人であり続けた。


 でも今のミアは神でも狂人でもなかった。ただのか弱い人間だった。私たちと同じ、人間だった。もう、私はミアを敵とみなせそうにはなかった。


 だって、私はミアのことを知ってしまった。その理由も、感情も、全て自分のものとしてとらえてしまったのだ。


 ミアは、確かに多くの人々を苦しめた。私たちを傷付けて、引き裂いた。けれどミアをここまで追い込んだのは、かつての人類だ。ミアだけを責めるなんて、そんなのできない。


「……醜女。貴様もそんな目で見るな! 家族を皆殺しにされたいのかっ!?」


 これまでの私なら、その発言も信じただろう。でも「桜の魔女」ならともかくただの「ミア」であるこの人には、私の家族を傷付けるなんてできない。


 私は無言で涙を流しながら、ミアの元へと歩いていく。


「……貴様。いったい、何のつもりだ」


 私はそのままミアを抱きしめた。


「……やめろ。……やめて、くれ。私は、お前たちを……」


 ミアにはもう、三千年越しの優しさを拒むだけの力は残っていなかった。ただ、幼い少女のように嗚咽を漏らして涙を流すだけだ。桜もそんなミアを優しく抱きしめる。


「もう、大丈夫ですよ。……ミアさん。もう、一人で抱えなくていいんです」


 ミアは身動きすらもしなくなった。でも私は確かに感じていた。ミアの中に凄まじい自己嫌悪が吹きあがってくるのを。ミアは復讐のために、神を殺すために、これまで多くの人々を手にかけてきた。


 その罪悪感から逃げるための狂人の仮面だったのだ。


 もっと早く気付くべきだった。


 それを無理やりはぎ取られたミアがどうするか。


「ごめんなさい。お姉ちゃん。ごめんなさい。みんな。ごめんなさいっ……」


 視線の先には「幸福の王子」の小説があった。それから目をそらしたかと思うと、突然、右手に銃を生み出し、自分のこめかみに突き付けた。


「ミア……。魔女様っ。だめです! やめてください!」


 桜は泣きながら叫んだ。


 けれどミアは涙を流しながら悲惨な笑顔を浮かべるだけだ。


「私は、……私は生きていてはいけない人間だ。復讐なんてしても、意味はない。分かっていたんだ。それでも、私は……」


 拳銃のトリガーにかけた指が、震えている。私は必死でその拳銃を分解しようとした。私のおばあちゃん。高い城の女が見せてくれたように。

 

 けれどびくともしない。ミアは震える声で、静かに笑う。


「私は、ずっと、ずっと後悔していた。もしもあの時、お姉ちゃんの前から逃げなければ。お姉ちゃんと一緒に殺されていれば……。なぜ、あの時、私は逃げてしまったのだろうな? なぜ、貴様の妹のように、できなかったのだろうな……? 私は、貴様の妹が羨ましい。……自分が憎い。憎いのだ……。最期までお姉ちゃんのために戦おうと、そばにいようとしなかった、自分がっ……!」


 ミアは自分が自分の命惜しさに、姉の前から逃げ出した。そう思い込んでいるようだった。けれど記憶をたどった私たちには、そんな風にはみえなかった。


 きっとミアは姉の「幸せに生きて」という願いを叶えようとしたのだ。けれど憎しみに耐えられなかった。優しさゆえに、愛ゆえに、ミアは狂ってしまった。

 

「遅くないよ。ミア。あなたは、まだお姉さんの願いを叶えられる」 

「……私に、幸せになる権利があるとでも? 世界を乱し、人々を苦しめ、貴様にも危害を加えた。だというのに、……それでも貴様は私の幸せを祈るのか?」


 思うところはある。でもどんな悪行を積み重ねた人間にだって、その行為に対する罪悪感があるのなら、やり直す権利はあるはずだ。


 ……けどそれを今のミアが受け入れるとは、思えない。きっと綺麗ごとにしか聞こえないのだろう。それでも、無意味かもしれないって分かってても、今は私の本心を伝えるしかない。


「……私は祈るよ。ミア」

「そうか。……。貴様は幸せになるべき人間だ。心から、そう思うよ」


 ミアはトリガーに力を込めた。


「……すまなかった」


 溢れ出す涙もそのままに、ミアは静かに目を閉じる。もう止められないのか。あるいは、止めるべきではないのか。ミアにとっては死ぬことだけが救いなのだろうか。


 ……でもそれなら残された桜はどうなる? 桜はミアのことを好きでいるのに、一人残してもいいの? ミアは自分と同じ状況に、桜を追い込もうとしているだけなんじゃないの? 


 そのことに気付いた私は叫ぼうと口を開いた。


 けれどその時、突然、桜が頭を地面につけて、私に土下座をした。


「……お願い、します。美月みつきさん。私の願いはあなたから、自我を奪うかもしれない。でもその神のような力で、ミアさんの大切な人を、お姉ちゃんを蘇らせて欲しいんです」


 ミアは目を見開いて、桜をみつめていた。


「なにを……。どういうことだ? 蘇らせる、だと?」


 けれどミアは未だに銃口を下ろしていない。トリガーに指をかけたままだ。


「桜の発言の説明をして欲しいのなら、銃を下ろして」


 私が告げると、ミアは苦悩するみたいに目を閉じた。でもやがては、あの日失った姉を蘇らせる。その希望が絶望を上回ったのだろう。


 銃を静かに地面に落とした。それでも桜はじっと地面に頭をつけている。


「桜。もう土下座なんてしなくていいから」

「でも、美月さんは……」

「もとから覚悟してたことだよ。……それにさ、今になってあの子の言葉が力強く思えてきたんだ」


 ――絶対に忘れないから! 絶対に助けに行くから! 無数のイデアの壁を越えて、無限の宇宙だって超えて、地球の反対側でも、夜空の月でも、宇宙の果てでも、どこにでも助けに行くからっ! だからっ。だから待ってて! お姉ちゃんっ!


日葵ひまりなら、私のこと、本当に助けてくれるかもしれない。例え私がみんなの信仰に人格を侵食されて、ただの神になり果てようとも、それでも私をまた人間に堕としてくれる」


 あの子は、頼りない子だ。弱くて、弱虫で、泣き虫で。けど誰よりも私のことを大切に思ってくれている。誰よりも、私を愛してくれている。


「具体的な根拠なんてないよ。……でも思うんだ。大切な人のことは信じてあげるべきだって。妹のこと信じてあげられないのなら、そんなのお姉ちゃんじゃないよ。……だからね、私は」


 ――あなたのお姉さんを、この神の力で蘇らせる。


 私は巨大な白い翼をはためかせた。その瞬間、ミアは神のごとき美しさを散々に乱して、子供みたいな顔で泣き叫んだ。


 桜は複雑そうな顔をしている。本物が蘇れば、その模倣でしかない自分は完全な用なしになるかもしれないのだ。だというのに、すぐに前向きに笑っていた。


「私は、ミアさんが幸せなら、それでいいんです。美月さん。よろしくお願いします。ミアさんを、救ってあげてくださいっ」


 一筋の涙が頬を落ちていく。私は深く頷いた。人を蘇らせるほど強大な神の力。それを手に入れるには、どれほどの信仰を集めればいいか分からない。だから急がなければならない。


「ミア。ワープゲートの準備をして。すぐに世界を助けに行く」

「……私も同行する。美月。……本当に申し訳ないが、クリムゾンアイを外すことは私にもできないんだ。だから私にできることなら何でも言ってほしい。美月が望むのなら、私は命でもなんでも君に捧げるつもりだ」


 ミアは涙を拭って、真っすぐ私をみつめた。そこからは冷徹な神のような圧倒的な美は失われていた。けれど人としての美は確かにそこにあった。


「命はいらないよ。でも代わりに私が神になるために協力して欲しい」

「……」


 私が微笑むと、ミアは後悔をにじませた表情で爪をはじいて音を出した。その瞬間、ワープゲートが開き、護衛の人型のイデアも現れる。私の両脇にはミアと桜がいた。私たち三人はお互いに視線を交わしてから、ワープゲートに入った。

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