第12話 天秤

 ワープゲートの先には、まだ「太陽よりも素晴らしい太陽」はのぼっていない。どうやらこの地域は真夜中であるようだ。明かりもないし一寸先ですら見通せない。


 どうしようかと思っていると、突然明かりが私の足元を照らした。建物の残骸のようなものがみえる。振り返ると魔女のイデアの一人が懐中電灯のようなもので暗闇を照らしていた。


 見た目は可愛らしい女の子だ。あの魔女が生み出しただけあって、美しい。けれどその美しさは人を拒絶するものではなかった。


 おそらく、人とコミュニケーションを取りやすいように、ある程度造形を崩しているのだろう。


 黒くて比較的短い髪に、紅い瞳。でも感情は宿っていなくて人形みたいだ。その可愛らしい容貌との対比でかなり不気味に感じる。


 でも魔女のイデアであるとはいえ、私のために明かりをつけてくれたのだ。私は感謝の言葉を述べる。


「ありがとう」


 するとその少女は無感情につげた。


「……魔女さまの目的を達成するために、明かりをつけたまでです」


 魔女のイデアなだけあって、あいつに忠誠を誓っているらしい。あいつがその気になれば、簡単にこの世界から消されてしまうというのに。


 私は小さくため息をついてから、周囲の状況を調べるため、目の前の家の残骸らしきものを調べる。魔女の発言から考えるに、ここはかつてロシアと呼ばれていた地域。そのどこかだ。


 そんなことわかっても、何の役にも立たないわけだけど。ロシアはあまりにも広大で、利用される言語も多岐にわたる。おそらくは文化も地域によって大きく違うのだろう。……だがそれでも共通するものはある。


 目の前の残骸の下に、一枚の写真をみつけた。


 そこには二人の男女。そしてその子供であろう男の子と女の子が映っていた。家族写真なのだろう。みんな幸せそうに笑っている。


 魔女がいうには、この地域は戦闘が頻繁に勃発するらしい。写真の中で幸せそうにしている一家が今も生存しているのが不明だが、私としては生きていてほしいと思う。自分に関係なくとも、自ずとそう思ってしまう。


「そんな写真をみて、なにになるんですか?」


 不意に後ろから声が聞こえてきた。明かりをつけてくれた少女。魔女のイデアだった。感情のなかったはずの顔には、わずかに苛立ちが浮かんでいる。


「……生きていてほしいなって、そう思っただけ」


 私が口を開くと、イデアはますます不満そうに表情を歪めた。


「だから! そう思うことが、どう魔女様の目的に寄与するんですか?」

「……私に人間でいることをやめろって?」

「魔女様のためなら、辞めるべきです!」


 さっきまでの無表情はどうしたのか、きゃんきゃんと睨みつけてくる様は、まるで獰猛な小型犬のようだ。


「……あなた何て名前なの?」

「そんなもの、私にはありません! 私は魔女様の手足。手足に名前は不要です!」

「名前がないと呼び辛いでしょ。それがあなたのいう「魔女様の目的」に悪い影響を与えるとは思わないの?」


 私がため息をつくと、イデアは顔を真っ赤にした。


「い、今私を馬鹿にしましたね!? 至高なる魔女様の被造物である私を!」

「……だったら名前を教えてくれると嬉しいんだけど」


 なんていうか、まるで人間味のないものを想像していたから意外だった。私がメシアで訓練を受けていた時も、これほどまでに人間臭い構成員はいなかった。


「馬鹿なんですか!? 言ったじゃないですか 私には名前がないんですよ! そもそも教える名前がないんです!」


 一人で大騒ぎしているこのイデア。だがその後ろのメシア構成員たちは対照的に、まるで人間でないみたいな無表情と直立不動の姿勢で私たちをみつめていた。


「……なんであなたは他のと違うの?」


 その瞬間、少女はしゅんと肩をすくめた。


「それは私が不良品だから……。って、変なこと言わせないでくださいよ! 至高なる魔女様の被造物である私が不良品なわけないです! この馬鹿!」


 やっぱり獰猛な小型犬だ。いっそ愛嬌すらも感じさせられる。なんだかからかったら楽しそうだ。そういえば、まだお父さんが生きてた頃は、よく日葵をからかって遊んでた気がする。


「不良品ねぇ。……でも私は後ろの連中よりは、あなたの方が好きだよ」


 少女は顔をかあっと赤くした。完全に想像したままの反応だった。なんだか昔の日葵に似てる気がする。


「あ、あなたなんかに褒められてもうれしくないですよっ! 早く魔女様の目的を達成してくださいっ!」


 私は少女に背中を押されるままに、前へと進んだ。 


 進んでも進んでも進んでも、現れるのは崩れた建物ばかりだ。時間が経ちもう日は昇りかけているというのに、救うべき人がどこにもいない。


 私は家族を人質に取られている。私の協力が必要だからそうそう危害は加えないだろうけれど、この状況はあまり良くない。


「……人、見当たらないね」

「人がいそうな明かりもないです。このままでは、魔女様の目的が……」


 少女は私の隣で不安そうにしている。


「……でもここに飛ばしたのはその魔女でしょ?」

「魔女様は悪くないです! 魔女様の意図をくみ取れないあなたが悪いんです!」

「あなたはくみ取れたの? その意図とやらを」


 私が問いかけると、少女は唇を尖らせて黙り込んでしまう。


「……仮にくみ取れないのだとしても、……それは私が不良品だからです」

「私からすると、後ろの奴らの方がよほど不良品に見えるけど」


 無感情で、威圧的。人間を模している癖に、人間性なんて一切ない。


「……魔女様は、感情を嫌っています」

「その割には、ノリノリで神の地位を簒奪するとか言ってた気がするけど?」


 あんな姿をみせられて感情を嫌ってるとか言われても、困る。


「あれはそういう演技ですよ。……魔女様はあんな風にみえても、優しいお方ですから」


 あいつが優しい? 世界を分断して、戦火をまき散らして、イデアを生み出して、美しいものをこの世から奪って、みんなも、私や家族も苦しい目にあわせている。


 それなのに、優しい?


「あいつは自分の美が全てを超越する。そんなつまらないことを証明するために、世界を巻き込んだ。間違いなく極悪人だよ」

「……魔女様を悪く言うのなら、私が許しません」


 少女は真剣に私を睨みつけていた。他の構成員たちは、ただ私たちの後ろをついてくるだけなのに。……この子はどこまでも人間的だ。それなら、魔女を慕う理由もやはり人間的なものなのだろうか?


「……だったら教えてよ。その優しさの根拠を」


 すると少女はふふんと胸を張った。


「魔女様はですね、なんと、おいしいご飯を作ってくれるんです!」

「イデアってご飯食べるの?」


 すると少女は呆れたような顔をした。


「……食べますよ。私のこと、なんだと思ってるんですか。私は完全に人間の構造を持ってます。だから食べないと死にます」

「でもご飯作るだけなら私にだってできるよ? それだけであなたは、私のことを魔女と同じくらい盲信してくれるの?」

「犬じゃないんですから、そんなわけないです!」


 小さな体でぷんぷんと怒る少女は、やっぱり小型犬みたいな印象だ。


「……以前一度、とある国とパイプを作るために、共に戦地を歩いたことがあるのです。その時も、魔女様はとても辛そうな顔をしていました」

「……」

「親を亡くした人。子を無くした人。恋人を無くした人。そして、その復讐に燃える人。……私には魔女様の考えていることは分かりません。だって、魔女様のやっていることは全てが矛盾していますから。でも一つだけ分かるんです。魔女様は、何かに縛られている」


 少女はほのかに明らんだつぎはぎの空をみつめる。


「なにか、途方もなく、大きなものに」


 その横顔はどこまでも深く魔女を心配しているようだった。魔女のなにかしらの策略という可能性もある。でもこの子の生きた表情を嘘だと決めつけるなんてできなかった。


「……それじゃあ、アトリエに戻ったら魔女に聞いてみるよ。あなた相手では答えてくれないかもしれないけど、もしかすると私なら答えてくれるかもしれない」


 すると少女はぱあっと顔を明るくした。


「ありがとうございます! よろしくお願いしますね?」


 まぶしい笑顔だった。怒ったり悲しんだりはしていたけれど、やっぱり私は笑ってる人の方が好きなんだなって思う。例えそれが敵対組織の構成員でも。


「……うん。任せて」


 私は頷いて、歩みを進める。その隣を歩く少女は、どういうわけか私の横顔をみつめて、もじもじしていた。


「どうしたの?」


 問いかけると、顔を赤らめながらこんなことをつぶやく。


「……その、名前を教えてもらっても、いいですか?」

「名前?」

「あ、その。別にあなたのことが気に入ったとかではなくて、……。そう。そうです! 名前を知らないのが魔女様の目的の妨げになるかもしれないので!」

「……私は美月みつき。できればあなたをどう呼べばいいかも教えて欲しいんだけど」


 少女は悩まし気に眉をひそめた。でもやがて、誇らしげな表情を浮かべる。


さくら、と呼んでください」


 桜の魔女だから、桜か。この子らしい。


「よろしく。桜」

「よろしくお願いします。美月さん」


 桜は笑顔で私に手を差し出してきた。握手を求められたのだと気付いて、私はその手を握る。ちょうどその時、爆発音が聞こえた。かなり距離は遠い。


 だが向かうべき方角は分かった。


「距離が遠いから車を使う。危ないから離れて」


 目の前に電流が走り、不整地向けのタイヤを装着した大型の車が現れる。これなら全員乗れるはずだ。運転技術はメシアにいる時に学んでいる。だから問題ない。


 私が運転席に座ると、桜は当然のように助手席に座った。他のイデアたちはぞろぞろと後部座席に座る。


「一応言っておきますが、私たちの役割は美月さんを悪意ある人間から守ることです。つまり私たちには、強力なイデアと戦う力はありません」

「問題ないよ。イデアは私が倒す」


 空眼スカイアイ。あの魔女に与えられたものだから心境は複雑ではあるけれど、この目のおかげでイデアが主力の現代戦において、私は無類の強さを誇る。流石に魔女みたいな規格外のイデア職人は他にいないと思うし、大丈夫なはずだ。


 どこまでも続く荒野をただひたすらに走る。爆発音は次第に大きくなってくる。ようやく視界に見えた街は、数えきれない飛竜に襲われている所だった。


 遠目にみているときは、ただ漠然と「燃やされている街」だととらえていた。けれど近づくとその考えは一瞬にして変わる。


 飛竜のブレスに燃やされる人々。焼け焦げた死体、それを抱きしめながら叫ぶ小さな女の子。火だるまになりながら叫びまわる人。ただただ憎しみに飲まれ無謀にも飛竜に殴りかかる男。


 ……私には、ずっと後悔していたことがある。テロリストに襲われていた日葵ひまりを助けたとき、隣の車両で大勢の人が焼け焦げて死んでいた。


 もしも私がもう少し早く来ていたらみんな助かったのだろうか。みんなを救えなかった私が、本当に日葵を救ってもよかったのだろうか? 死んだ人と死ななかった人。そこにどれほどの差があったというのだろう? 


 私は日葵さえ救えれば、それでいい。家族を守れる力さえあればいい。そう思っていた。けれどあの日、そうじゃないのかもしれないと気付いた。


 力を手に入れるというのは、目の前でイデアによって引き起こされるすべての責任を、心に抱えてしまうということ。


 今、私が日葵たちと引き離されて、それでも悲しみに浸れないのは、こんなに冷静でいられるのは「救えなかった」ということに対する罰を与えられている。そんな安心感があるからなのかもしれない。


 そのことを、目の前で繰り広げられる地獄のような光景を目にして、私は自覚した。


 電流が目の前を走っていく。焼け焦げた死体の上を走り、空を舞う飛竜の上へと天を貫いた。物理法則のみが支配する空間は、私を中心に街一つ覆うほどに広がっていく。


 飛竜は蠅のように地面に叩き落されてゆき、燃え盛る炎も消えてゆく。


 それでも死人は蘇らないし、悲しみは消えない。それを後悔してしまう私は傲慢だろうか? もしも私が人類の理想をかき集めた全知全能の神様になれたのなら、こんな葛藤からも解放されるのだろうか?


「みなさん! この方が飛竜を倒してくれた救世主様です!」


 そんな感じの言葉を桜はいくつもの言語で繰り返したのだと思う。


 そのうち一つがこの地域の言語だったのか、生き残った人々の視線が一斉に私を向く。神でもあがめるみたいに頭をさげる人がいれば、憎しみを込めた視線を向けてくる人もいた。


 でもみんな、間違いなく、私や日葵と同じ人間だった。家族がいて、友達がいて、恋人がいて、悲しみもするし喜びもする。

 

 ……私は今はまだ、人間だ。人類を平等に愛することなんてできない。日葵とお母さん、そして二人と楽しそうに話していたおばあちゃん。大切な人の幸せのためなら、全人類を犠牲にだってできる。


 けれどこのままこんなことを続けていれば、自分の根幹が変わってしまいそうな、そんな予感がしていた。紅眼クリムゾンアイでこの世から存在が消え、神になる。そんな過程を経ずとも、生きているうちに優先度が逆転してしまいそうな気がする。


 これから私は、私が自分の幸せのために犠牲にしようとしていた人々。彼らの苦しみや悲しみを直に浴びることになるのだ。


 ……私はずっとずっと大切な人のために頑張って来たというのに。


 魔女はそれすらも私から奪うというのだろうか?


〇 〇 〇 〇


「……」

「どうしたんですか? 美月さん」

「私、ずっと力が欲しいって思ってたんだ。……大切な人を守るための力が」


 私は車を運転していた。助けた住民たちから聞いた救援が必要な別の街へと向かっている所だった。夜は明けていて「太陽よりも素晴らしい太陽」が、つぎはぎの空にそのへんてこな顔を輝かせている。


「凄い力でしたね。みんな感謝してました」

「……感謝なんてしないでほしかった」


 桜は首を傾げた。不思議そうにしている。


「むしろ口汚く罵ってくれた方が、良かった」

「……どうしてそんな風に思うんですか?」

「だって、感謝されたらまた助けなきゃって思うでしょ?」


 かつての私は人類をたった二つのくくりで分けることができていた。


 大切な人か、どうでもいい人か。


 ほんの数人の大切な人の方が圧倒的に大切で、何十億ものどうでもいい人は、どうでもよかった。けれど助けたことを感謝されたのなら、どうでもいい人も日葵たちと同じ善性のある人間なんだってことを強く認識してしまう。


 世界と日葵たちを天秤にかける機会がこれから先、万が一にもあったとして、その時人々を救い続けた私は、日葵たちのために世界を犠牲にできるのだろうか? 数人のために何十億人もの人々を、殺せるのだろうか?


 そこでもしも世界を選ぶのなら、それはもう私じゃない。ただ多数であるというだけで、多数を救ってしまうなんて。そんなの、もう、お母さんの娘じゃない。日葵のお姉ちゃんじゃない。


 そのことが、とてつもなく恐ろしいのだ。自分の存在が消えることよりも、ずっと恐ろしい。でも人々を救いつづけなければ、やがて魔女は私の大切な人たちを傷付けるだろう。


「いつか、私は私の大切な人よりも、人類を優先してしまうかもしれない。そうでしょ? これから私たちは色々な人の苦しみや悲しみをみることになるんだから。……やっぱり魔女は残酷だよ」


 暗い声でぼそりとつげる。


 魔女を否定したらすぐに噛みついてくるはずなのに、桜は黙り込んでいた。それどころか真剣な表情でこんなことまでつげる。


「……それなら今日はもう、帰りますか? もう空間転移のイデアも使用可能になっていると思います」


 帰りたい気分だった。けれど今私が帰れば、これから向かうはずだった街の人々を、救われるはずだった人々を見捨てることになる。


「せめて次の街を救ってからだよ。……帰るとしても」


 すると桜はあからさまに心配そうな表情になった。


「美月さんは、正義感が強いんですね。いいことだとは思いますが、魔女様も言ってました。過ぎた正義感は身を滅ぼすと。……魔女様の被造物でありながら、こんなことを言ってもいいのか分かりませんが」


 桜は真っすぐな視線で私をみつめ、意外なことをつげた。 


「……魔女様の目的は、二の次でいいと思います。きっと魔女様も怒りませんよ。あんな風にみえて魔女様は優しい人ですから。じゃないと私も魔女様を好きにはなりません」


 もしも桜の優しさが魔女の意図するものであるとするのなら、目的に反するようなことをつげさせる理由がわからない。やっぱり桜には、人間としての心があるのだろうか。確信はないけれど、……疑う理由も薄れてきている。


「……帰っても、いいのかな」


 流れていく景色を運転席からみつめながら、ぼそりとつぶやく。すると桜は私の頭を優しく撫でてくれた。


「いいんですよ。美月さん、魔女様には私がきちんと説明します。美月さんの大切な人には危害を加えないようにって、ちゃんと説得しますから」


 桜は、私の敵のはずだった。なのに優しくしてくれた。素直に受け止めていいのか分からないけれど、それでも今はその優しさに甘えていたかった。


 車を静かに減速させる。私たちは車から降りた。無感情のイデアたちの一人が何もない空間に、黒いもやのようなワープゲートを生み出す。桜に手を引かれるようにして、私はその中に入った。

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