第二章 千年後のアポロ

第6話 三千歳の幼女

 失意の元に医務室に帰ってくると、お母さんはまだ眠っていた。その隣のベッドに腰を下ろす。それと同時にアドレナリンが切れたのか、忘れていた痛みが全身に襲い掛かってくる。


 こらえきれずうめき声を漏らしていると、シロさんはその白くて長いまつげを伏せながら、開いた傷の手当てを小さな手でしてくれた。


「しばらく寝ていれば良くなるだろう」


 シロさんの見た目はとても可愛い幼女だ。けれどアーティファクトの腕前は途方もなかった。もしも私にシロさんみたいな力があったら、お姉ちゃんを奪われなかったのだ。


「……どうすればシロさんみたいになれるんですか?」

「私のようになんてならなくてもいい。……日葵はもう、危険な目に合わなくてもいい。私が全てを解決する。メシアは、私が潰す」


 シロさんの声と表情はどこまでも優しかった。でもその裏側には激しい怒りも隠れている。シロさんは凄い人だ。任せてしまっても本当にお姉ちゃんを取り返してしまうのかもしれない。


 けれどそんなの、これまでと変わらない。お父さんが死んだときも、電車でテロリストに襲われたときも。ウロボロスに襲われたときも。私はいつだって誰かに助けられて、守られてばかりだった。お姉ちゃんの隣を歩きたい、なんて思ってるくせにそんな力はなかった。ただ、無力を嘆くだけだった。


「私、変わりたいんです。何もできない自分が、本当に……、大嫌いで」


 止んだはずの涙がまた溢れてくる。涙の軌跡を、シロさんはその青い瞳で追っていた。


「いつだって、翻弄されてばかりなんです。テロだとか、世界の崩壊だとか、防ぎようのない理不尽に。でもそれらが「防ぎようのない理不尽」である理由は、私が無力だから。もしもあの場所にいたのが私でなくシロさんなら、誰も命を落とさなかった。私たち家族は、四人で幸せに生きていたはずなんです」


 シロさんはうつむいている。長い前髪が顔を隠しているから、表情は分からない。私みたいな無力な人を鍛えるのなんて、きっと酷く面倒なことだろう。シロさんの得になるようなことはない。


 それでも私は強くならないといけない。例え土下座をしてでも、足をなめてでも、この人の弟子にならなければならない。もう誰も自分の無力さで不幸になんてしたくない。


「……私、幸せになりたいんです。こんな奪われてばかりの理不尽な世界でも、守りたい人がいて幸せにしたい人がいるんです。お願いです。私を強くしてくれませんか? 私にできることなら、何でもしますからっ……」


 私が頭をさげると、シロさんは小さくため息をついた。かと思うと私に顔をあげさせた。自分の前髪を払い私をまっすぐみつめる。その青い瞳は全てを見通しそうなほどに澄んでいて、酷い顔の私が映っている。


 けれど今はこれでいい。私はひどい人間だ。これまでずっとなんとなく幸せになれるのではないか。なんとなく平穏に暮らせるのではないか。この乱れた世の中で甘えた考えで生きてきた。


 でもこれからは、もう二度と現実から目を背けない。


 思いが届いたのだろうか。シロさんはやがて小さく頷いてくれた。


「……分かった。いいだろう」

「ありがとうございます。……ありがとうございます」


 私は繰り返し感謝の言葉を伝えた。シロさんは慰めるみたいに私の肩を叩いてくれる。顔をあげるとどこまでも優しい表情をしていた。けれどすぐに険しい顔になる。


「……前もって伝えておく。手に入れた情報によると、クリムゾンアイによってこの世界から完全に美月が「失われる」まで四か月だ。それまでに美月のいる場所を特定し、そこを襲撃するための準備を整える。前準備にかけられる時間は、多く見積もっても三か月程度。その間に君を鍛えるとなると、かなりのハードワークになる。覚悟はできているか?」

「できてます」

「いいだろう。……だが今の傷だらけの体だとできることは少ない。とりあえずこれに乗りなさい」


 シロさんは電流を走らせて車いすを生み出した。私は痛みをこらえながらそこに座り部屋の外に出る。しばらく車いすを押してもらうと、エレベーターホールにたどり着いた。


「シロさん。どこに向かうんですか?」

「これから私たちは図書館に向かう。知っているとは思うがアーティファクトはその性質を理解すればするほど、無駄が少なくなり効率的に行使できるようになる。だから君にはあらゆる物質物体の構造、性質について学んでもらう」

「分かりました。頑張ります。シロさん」


 私が頷くと、シロさんはどことなく不満げな表情になった。 


「……あと、私のことはシロさんではなく」

「師匠と呼べばいいんですね」

「……。いや。なんでもない。自由に呼ぶといい。私にそんな呼び方をされる資格なんて、ないだろうしな」


 こんな凄まじい実力を持っている人でも、卑屈になることはあるのか。お姉ちゃんを助けられなかったのを気に病んでいるのかもしれない。


「資格ならありますよ。師匠は間違いなく世界一のアーティファクト使いです」

「……そうか。ありがとう」


 師匠は幼い顔つきをしている。というか実際十歳前後くらいなんじゃないだろうか。言葉や雰囲気は大人びてはいるけれど、これくらいの年頃ならまだ達観できてなくて色々なことに悩みがちだ。


 私が褒めても、まだ罪悪感を残している様子だった。


 私は振り返って、ぎゅっと師匠を抱きしめた。


「な。いきなり何をするっ」


 師匠はその白い頬をほのかに赤らめた。


「師匠は悪くないってことを伝えたかったんです」

「……」

「もしも師匠がいなかったら、私もお母さんも死んでました。それに師匠のおかげで、お姉ちゃんに気持ちを伝えることも出来ましたし」

「……君はいい子だな」


 師匠は少しだけ口元を緩めた。こうしてみると、本当にただの女の子だ。お姉ちゃんと同じ、ただの女の子。……お姉ちゃんに世界なんて背負わせることになった理不尽な運命も、メシアも、私は許さない。


 扉が開いたから私たちは二人で乗り込む。要塞は見た目通り広いらしく、エレベーターはなかなか止まらない。こんな広い場所であるにもかかわらず、いや、広すぎるからだろうか。


 今のところ師匠以外には誰も見ていない。


「あの、師匠はここに一人暮らし、ってわけではないですよね?」

「いや。……もう二十年は一人で暮らしているだろうか」

「えっ?」

「ん?」


 二十年? つまり師匠の年齢って……。


「えっと師匠って何歳ですか?」

「女性に年齢を聞くのはタブーだと知らないのか?」

「あ、ご、ごめんなさい」

「……三千歳は超えている」

「え?」


 私は思わず師匠をみつめる。子供らしいもちもちのお肌に小さいおてて。大きなまん丸の青い瞳。小さなお顔。どこからどうみても幼女だ。師匠なりのジョークかな? なんて思って師匠の表情をみるも、いかにも真剣だった。


「どうした。私の顔に何かついているか?」

「……い、いえ。三千歳にしてはとてもお若いなと思いまして……」

「よく言われる」


 でしょうね……。


 色々と疑問はあるけれど、三千年生きているのならこの強さも納得だ。圧倒的な知識と経験がその根元にはあるのだろう。私も頑張らないとだ。せめて、師匠の足を引っ張らない程度にはなりたい。あのウロボロスを一人で倒せる程度には、強くなりたい。


 お姉ちゃんのために、無力な自分と決別するために、頑張らないと。


 エレベーターの扉が開くと、私は思わず感嘆の声をあげた。


「ここが私の知る全てを集めた図書館だ」

「……すごい」


 ずらりと並べられた本棚の列は数えきれず、その奥行きも果てが遠い。ちょっとした街ほどもあるその空間には、どこか癖になる紙の匂いも充満していた。


「私はデジタルデータがそれほど好きではない。だから書籍という形でも知識を保有している。だがデジタルデータを望むのなら端末を渡そう。どうする?」


 師匠の手元には古典で習ったスマートフォン。いや、アイパッド? あまり古典は得意じゃないから区別がつかないけど、とにかく大昔に失われたはずの遺物が握られていた。


「……師匠はどうすればいいと思います?」

「端末の利用を勧める。この図書館は戯れのようなものだ。端末はスペースを取らないし、わざわざ書籍を手元まで運んでくる必要もない」


 確かにその通りだ。私は怪我のせいで満足に歩けない状況。もしも書籍を利用するのなら、師匠の手を煩わせてしまうだろう。


「だったら端末にします。師匠に手を煩わせるのも嫌ですし」


 すると師匠はどことなく寂しそうな顔をした。


「いや、好きなだけ煩わせればいい。私は君たちに何もしてやれなかった」

「師匠にそんなことさせられませんよ。端末で勉強することにします」

「……そうか。分かった」


 師匠はなおさら寂しそうな顔になっていた。


 端末を師匠に与えてもらった後、私たちは二人でエレベーターに乗り、お母さんの眠る医務室に向かった。その道すがら師匠に問いかける。


「師匠。この要塞ってどれくらいの時間で作ったんですか?」


 要塞はあまりにも巨大だ。ちょっとした街位の大きさがある図書館すらもきっと、この要塞の一部でしかない。だから気になったのだ。


 師匠は「そうだな……」と考え込むように顎に手を当てる。


「この要塞は私一人で作ったものではない。一千年前、まだイデアが生まれたばかりの頃に仲間たちと共に、元になる建物を作った。その時は大体二年くらいだったか。今よりはずっと小規模だったが、人は多かったな」

「どんな人がいたんですか?」

「科学者だとか、エンジニアだとか。画家や小説家、料理人もいたな。面白い奴が多かった。まぁ、私はいつだって子ども扱いされていたが」


 昔を懐かしむように、師匠は遠い目をする。


「師匠、きっと人気者だったんでしょうね」


 師匠は色白で肌がすべすべで白い髪の毛も綺麗で、とても可愛い。見るだけで癒される容姿をしている。目に入れても痛くなさそうだ。


「そうだな。私が不老であることを理解しても、気味悪がるものはいなかった。それどころか好奇心の強い連中だったから、二千年前の世界はどんな風だったのか、だとか質問攻めにされたりしたな。常に私の周りには人がいたよ」


 どうやら師匠の周りには、師匠の見た目よりもその性質に興味を持つ人が多かったらしい。その時間がよほど楽しかったのか、師匠は頬を緩めている。


「そうだ。あいつらの作品を展示しているスペースもある。もしも気になったのなら、私が案内してやる」


 千年前の作品か。かなり興味がある。それになにより、師匠がその青い目をキラキラさせて、期待を全力で表現している。物凄く案内したそうだ。


「怪我が治ったら案内して欲しいです。師匠の友達がどんなの作ったのか気になります」


 私が微笑むと師匠はとても熱心に、作品やそれを作った人がどんな人だったか語り始めた。師匠、二十年も一人でいたんだもんね。きっと寂しかったに違いない。私がその寂しさを少しでも埋められたらいいな。


 師匠と話しながら医務室に戻ると、お母さんが体を起こしていた。それほど重体ではなかったようでほっとする。

 

「お母さん。良かった。起きたんだね」


 私が声をかけると、お母さんはゆっくり振り向いた。けれどその顔にははっきりと困惑の色が浮かんでいる。


「……お母さん? えっと、……私に言ってるんですか?」


 その声はどこまでも不安そうで、そして、どこまでも他人行儀だった。


「……」


 私も師匠も声を出せなかった。


「すみません。私、何も覚えてなくて」


 お母さんは申し訳なさそうにしている。その視線はどうみても他人に向けるものでしかなかった。どんな表情をすればいいのか、分からなかった。


 お姉ちゃんだけでなく、これまでずっと私たちのために頑張ってくれたお母さんまでもが、姿を消したのだ。


「……いや、いいんだ」


 師匠も無理やりに微笑んでいるが、明らかに動揺を隠しきれていない。よほど大切に思っていたのだろう。その小さな手が震えている。


 記憶を失ったお母さんは明らかに現状に恐怖していた。視線はゆくあてなくさまよい。不安そうに室内を見回している。当然だと思う。いきなり記憶を失って、知らない私に「お母さん」なんて言われて。


 受け入れろという方が、無理がある。


「……君の名前は「星海ほしみ」だ」

「……星海」

「そして私は君の、……師匠だ。そしてこの子が君の娘の日葵ひまりだ」

「……日葵」


 私と同じこげ茶の瞳がみつめてくる。


「そして君にはもう一人、美月という娘がいる」

「……」

「だがここにはいない。どうしてなのかは今は考えなくていい。今はただ、……少しずつ記憶を取り戻してくれればいい」


 師匠の声は優しかった。いきなり自分の娘がメシアとかいう秘密結社に連れ去られて、世界存続のための楔にされようとしている、なんて言われても余計に混乱するだけだ。


 師匠の判断は正しいと思う。


「……分かりました。えっと、……師匠?」

「無理して呼ばなくてもいい。馴染まないのなら「シロ」と呼べばいい」

「……シロさん。分かりました」


 お母さんに他人行儀に接される師匠は悲しそうにする一方で、どこかほっとしているようにも見えた。


「困ったことがあったら、そこの内線で呼んでくれ。使い方は分かるか?」

「はい。なんとなくですけど……」

「ならよかった。トイレは室内にある。のどが乾いたらそこにあるウォーターサーバーを使うと良い。退屈ならその本棚の小説でも適当に読むと良い。昼食の時間になったらまたやって来る。まだ自由に動くには傷が酷いから、安静にしておくように」

「……分かりました。あの」

「なんだ?」

「あの、助けてくれてありがとうございました」


 お母さんはおどおどした様子で言葉を紡ぐ。師匠はお母さんと距離を取ったまま、ぶっきらぼうな態度で首を横に振った。


「気にしなくていい」

「……」


 師匠はすぐに医務室を出ていった。お姉ちゃんがどこにいるか探りに行ったのだろうか? どんな手段を使うのか知らないけど、師匠なら多分見つけ出すはずだ。私も知識を蓄えるのに専念しないと。


 ベッドに入り端末に目を向けて、指先で操作する。沈黙が医務室に広がる。


 静かであるということ。それは集中するにはいい環境のはずだ。


 でもお母さんはいつもなら、明るい声で私に声をかけてくれる。そんな人が、私に目もくれずただただ静かに小説を読んでいる。気が散るというわけではない。けれどなんだか心が辛くて集中できない。


 私はお母さんを一瞥してから、車いすに乗って医務室の扉に手をかけた。うつむきながら扉を出るとそこには師匠がいた。なにやら後ろめたげな表情で、壁に背を預けている。


「師匠? どうしたんですか?」

「……なんでもない。これから君の姉を探してくる」


 それだけつげて、立ち去ろうとした。けれどその後ろ姿は明らかに辛そうだった。……そんなに心配なら部屋に入ってそばにいてあげればいいのに。


 そういえば、お母さんは一度も私に師匠の話を聞かせてくれなかった。同じ町に住んでいるのに、最近まで関係を匂わせすらしなかったのだ。


 もしかして昔、二人には何かあったのだろうか? 私の考えすぎかもしれないけど、気になる。なんとなくではあるけれど、二人の雰囲気がぎくしゃくしているのは、記憶喪失だけのせいではない気がするのだ。


 人の過去に首を突っ込むのは良くないことかもしれない。でも助けてくれた恩返しをしたい。助けになれるかは分からないけれど、おせっかいだと思われるかもしれないけど、力のない私にできるのはこれくらいしかない。

 

「師匠。待ってください。……一つ聞いてもいいですか?」


 師匠は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。


「……何でも聞けばいい。知っていることなら教えてやろう」

「その、お母さんと師匠はもしかして、……仲が悪いんですか? ……お母さん、師匠について全然話してくれなかったから。だから、つい最近まで知らなかったんです。師匠がお母さんの師匠だって」


 師匠は沈黙していた。一瞬にして空気が重くなる。言ってしまってから、私はひどく後悔した。こんなデリカシーのない聞き方をしたら、口も堅くなって当然だ。どうしてもっと柔らかい聞き方をできなかったのだろう。


 大慌てで頭をさげる。


「その、ごめんなさい。答え辛いこと聞いてしまって」

「……君の母、星海は優秀な弟子だったよ。できればずっと手元に置いておきたいくらいには。……ずっと守ってあげたいくらいには」


 師匠は車いすに座る私の正面にやってきて、私の手にその小さな手を重ねた。


「……師匠?」

「……日葵。君が知りたいのなら、なんでも答えよう。だがそのためには少し、年寄りの長話に付き合ってもらう必要がある」


 師匠のその大きな青い瞳は少しうるんでいるようにみえた。


 私は小さく頷いた。

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