第5話 無限の宇宙、地球の反対側

 ノスタルジアから戻ると、すぐにお母さんを起こして事情を伝えた。お母さんは一切迷うことなく、身支度を始めた。


美月みつきが犠牲にならないといけない世界なんて、滅んでしまえばいいわ。世界が滅ぶまで逃げるわよ」


 その言葉は力強かった。私たちもすぐに逃げる準備を始める。もうしばらく使っていない旅行用のスーツケースに必要なものを詰める。私は自室の壁に飾られていたお姉ちゃんの月の絵もスーツケースに入れた。


 お姉ちゃんも私の描いたひまわりの絵を大切そうに胸に抱えて、それからスーツケースに入れていた。


 準備が整った私たちは玄関に向かった。そこでお姉ちゃんはつげる。


「メシアはもう、私が裏切ったことに気付いてると思う。だから私の傍から離れないで。空眼スカイアイで二人を守るから」

 

 強張った表情のお姉ちゃんの頭をお母さんが撫でる。


「一人で抱えないで。私はあなたたちのお母さんなのよ? 二人のことは、私が守るわ。……もうあんなことは繰り返さない」


 お母さんは玄関の外に出ると、いかつい装甲車を道路に生み出した。一般的に構造が複雑になればなるほど力を消耗しやすいという。なのにお母さんには少しも消耗した様子はなかった。


 構造やそれを構成する物質の性質を詳細に理解すればするほどに消耗は少なくなるという。でもこんなものを生み出して、全く疲れないなんて。


 ……もしかして、お母さんってすごい人?


「さぁ。二人とも逃げるわよ」


 お母さんは運転席に乗って手招きする。私たちも急いで車に乗った。中は広々としていて、座り心地もいい。私たちが乗ると、装甲車はすぐに走り始めた。


 夜の街が流れていく。メシアという組織が世界を股にかけるものならば、どこに逃げても絶望的ではあるけれど、お母さんにはあてはあるのだろうか?


 運転席から声が聞こえてくる。


「これから「高い城の女」。……今は悲しいことに「旧時代の亡霊」って呼び方が主流だけど、あの人の所に逃げるわ。あの人は、私の……。まぁ師匠みたいなものよ」


 旧時代の亡霊……。巨大な鋼鉄の要塞に住む、アーティファクトの権威。多くの古代兵器を有しているらしいが、戦争には中立を保っている。


 まさかお母さんがそんな人と知り合いだったなんて。正直驚きだけれど、なんだかお母さんが一段と頼もしくなったような気がする。


 窓の外につぎはぎの夜空を覆い隠すほどに巨大な影がみえた。あの要塞を私たちは目指している。まだ距離は離れているはずなのにそのあまりのサイズ感から、遠近感が狂う。


「あの人には、政府すらも手を出していない。下手なことをして敵対されたくないんでしょうね。世間はあの人を「旧時代の亡霊」なんて貶すけど、政府はそれだけあの人を評価しているってことよ。あそこに逃げ込めば、その「メシア」もなんとかなるはず」


 希望がみえてきた。でもその時、耳をつんざくような咆哮が聞こえた。窓から外を見ると、電車でみた歪んだ飛竜よりもずっと完成された、思わず見惚れてしまう程美しい巨大な漆黒の姿が、月の光で輝いていた。


「……あれは」

「ウロボロス」

「え?」

「神話生物の名を冠するイデアだよ。無限に続く時間の輪を象徴するドラゴン。二体で円環をなす」


 お姉ちゃんがそうつぶやいた時、もう一つ咆哮が響いた。


 住宅街の上空にうり二つの巨大な姿が、月を挟んで対称に羽ばたいている。家がミニチュアにみえてしまうほどのサイズ感だった。最初に感じたのは神々しさ。そしてその次に覚えたのは、紛れもない、恐怖。テロリストの歪んだ飛竜とは違う。まるで神を相手取ったような、圧倒的な威圧感がそこにあった。


 それは醜悪さによるものではなく、あまりにも美しすぎるが故の威圧感だった。この世に存在してはいけない美が、目の前に存在している。


「あれは「桜の魔女」っていう、天才的なイデア職人が作り上げた傑作。メシアは世界を救うために、色々なイデアを桜の魔女から借りているんだ。……でもまさかこんな街中でウロボロスを使って来るなんて」


 不安を抱きながら振り返ると、お姉ちゃんのスカイアイが青く光っている。


「心配しないで。イデアである限り、私の敵じゃないから。お母さんも走り続けて!」

「分かったわ!」


 一対の黒竜は悠然と夜空を舞い、装甲車を追いかけて来る。すぐにそれぞれの口元に黒い炎のようなものが宿りはじめた。お姉ちゃんなら防げるはず。……そのはずなのに、なんだかとても悪い予感がした。


 気付けば私は叫んでいた。


「避けて!」


 嫌な予感は当たった。その黒炎はお姉ちゃんの生み出した「物理法則だけが支配する空間」に侵入しても消えなかった。私はとっさにタングステンの壁を生み出すも、それすらも容易に貫いてくる。


 物理法則が全てを支配する空間ですら燃える黒い炎。つまり、あのウロボロスはただ妄想だけで成り立っているわけではなく、その全てが物理的にも成り立つように設計されている……? 


 だとするのなら、あれは人間が生み出していいものではない。


 だって、そんなの神と変わらない。


 お母さんは慌ててハンドルを切った。黒炎の直撃した地面が爆風と共に大きくえぐれる。黒炎は次々に車の周辺に着弾し、触れたものを木っ端みじんに破壊した。


 お姉ちゃんは歯噛みしながらも電流を走らせて、ウロボロスたちの眼前に速度を持った鉄の塊を生み出した。完全に不意を突かれたウロボロスはそれでも凄まじい反射神経で巨体を器用にひねる。だがあえなく鉄塊は胴体に直撃した。金属同士が激しくぶつかり合ったような重低音が夜空に響く。


 だというのにウロボロスたちは小さく吹き飛ばされただけだった。墜落することすらなく、その巨大な翼で大気を切り裂き、すぐに態勢を立て直す。月光に照らされた黒い威容には傷一つない。


 ただの鉄塊でもあれだけの速度でぶつかれば、大砲と変わらない威力を持っているはずなのに。……あんな奴から本当に逃げ切れるのだろうか? 恐ればかりが膨れ上がっていく。


「お姉ちゃん。……全然、効いてないみたい」

「だったら血を流すまで繰り返すだけだよ」


 お姉ちゃんは冷静に答える。けれど時間が経つにつれて、その表情からは冷静さは失われていく。


 ロケットランチャー。徹甲弾。対戦車榴弾。その分厚い鱗を貫けそうな考え得るかぎりの全てを生み出したというのに、そのどれもがウロボロスには通用しなかったのだ。


 ついにはウロボロスたちは衝撃の受け流し方を学んだのか、ひるむことすらなくなった。ただ猪突猛進に突っ込んできて黒炎を連射してくるのだ。


 神のごとき威圧感を放ちながら、その圧倒的な力で私たちを仕留めようとする。あいつらが猟犬だとするのなら、私たちはただ無力に狩られるだけの獲物だった。


「……なんで? 今度こそは、守れるはずだったのにっ……」


 お姉ちゃんは拳を握り締めていた。その表情は自分の無力さに対する憎しみで満ちていた。私は悔しさを噛みしめながらそっとお姉ちゃんの手を握り締める。


 ……今一番無力なのは私なのだ。お姉ちゃんのことを守る、なんて言っておきながらなにもできていない。この状況を打開する方法が全く分からない。


 息をつく間もなく、二体のウロボロスは突如、見境なく黒炎を連射し始めた。明らかに回避できる密度ではない。逃げ場を封じるようにあらゆる方向へと黒炎が飛んでくる。進行方向の道路が瞬く間に抉れていく。お母さんは器用に避けていたけれど、捕まるまで時間の問題であることは明らかだった。


「……また、失うの?」


 お母さんの集中力にも限界が来たのか、ついに直撃を受ける。お姉ちゃんは反撃を諦め、必死で装甲車に追加の装甲を生み出していた。おかげでなんとか装甲車は無事だった。でもそれも黒炎の威力を多少軽減する程度。万能ではない。立て続けに直撃を受ければ、走行中の車両のバランスなんて、簡単に崩されてしまう。


 お母さんは必死でバランスを取ろうとしていたけれど、ボコボコになった道路ではとても不可能だった。体が浮くような不快な感覚と共に、視界が傾く。凄まじい衝撃が襲い掛かるのと同時に、装甲車は横倒しになった。


 火花を散らしながら、地面を横滑りする。窓ガラスが砕け散り宙を舞ったかと思えば、腕に深く突き刺さる。激痛にのたうち回る暇もなく頭を強く打ち付け意識が混濁する。けれどその直後に足にまでガラス片が突き刺さり、神経を直接傷付けられたような焼けつくような痛みを受けた。


 おかげで辛うじて意識は保たれた。でも、ただそれだけだった。


 停止する頃になると、車内には火の手が上がっていた。頭から流れてくる血を無視しながら、死にたくなるほどの痛みをこらえながら、ガラス片だらけの腕をお姉ちゃんに伸ばす。


「……お姉、ちゃん」


 お姉ちゃんに反応はない。手を握っても、握り返してくれない。その間にも、火の手が迫って来る。炎のせいで酸素濃度が下がってきているのか、息がひどく苦しい。単純な痛みだけでなく、全身が、痺れたみたいに動かなくなっていく。


 お母さんも、運転席で意識を失っている。


 視界が霞んだ。あんなに激しかった痛みまで遠くなってゆく。お姉ちゃんが、遠くなっていく。こんなところで、私たちは死ぬのだろうか。


 ただ、普通に生きることだけが望みだったのに。


 幸せに生きられたのなら、それで良かったのに。


 涙が、頬を流れてゆく。意識が朦朧としてきた。


 本当に、最悪の人生だった。世界はいつだって私の大切な人を奪っていく。やっと。……やっと三人で一緒になれたのに。お姉ちゃんに思いを伝えられたのに。


 幸せな日常がすぐそこまで見えていたのに。


 足音がたくさん聞こえてくる。ぼんやりした視界に、誰かが扉を開くのがみえた。その誰かが、お姉ちゃんを車内から乱暴に引っ張り出していく。けれど、私たちには目もくれない。


「ター……ト、か……ほ」


 曖昧な意識でも分かった。こいつらが、メシアなのだと。


 大切な人を、私は守れなかった。これからお姉ちゃんは、世界の存続のための犠牲になる。この世の全てから忘れられていく。


 私はあまりにも無力だった。助けるとか言っておきながら、何もできなかった。


 足音が車の周辺から消える頃、私は無力感に苛まれながら完全に意識を失った。



「……」


 目を開くと、見たことのない白い天井だった。周りには医療器具のようなものがみえ、ここが医務室のような場所であることを理解する。けれど落ち着いている暇はなかった。


 燃え盛る炎と、連れ去られるお姉ちゃんが頭の中にフラッシュバックしたのだ。


「お姉ちゃん! ……っ!」


 叫びながら体をあげると、全身を引き裂かれるような激痛に襲われた。最悪の目覚めだった。でも幸いにも隣のベッドに眠るお母さんには目立つ外傷はないし、呼吸も安定していてほっとする。


 私たちもメシアにさらわれたのだろうか? だとするのならまだ助けるチャンスはある。細い糸かもしれないけれど、ゼロではない。


 全身に力を込めてベッドから降りて歩こうとすると、体に、特に足に激痛が走った。ガラスに切り裂かれた痛みだけなのか、あるいは骨まで折れてしまっているのか。分からないけれどこんな場所で寝ているわけにはいかない。お姉ちゃんをまた失うわけにはいかない。


 よろめきながら部屋の扉に手をかけ、外へ出る。


 そこは道路だった。何かしらの施設の内部らしく灰色の壁に囲われている。辺りを見渡していると、小柄な幼女と目が合った。年は十歳前後だろうか。腰まで伸びるほどの長髪で白髪だ。服装は白いワンピース姿。肌も白く、まつ毛まで白い。


「起きたのか。安静にしておいてくれ。これから私の家族を……、いや、君の姉を取り戻してくる」


 色素の薄い幼女が、私の肩を叩いた。


 その幼女は諭すような声色の内側に、確かに怒りを秘めていた。この子が誰なのか。一体今、どういう状況にあるのか。何も理解できなかった。けれどただものではない雰囲気を放っているし、敵意も感じなかった。


 私は痛む足を見下ろす。ここがもしもイデアの施設ではないというのなら、この足ではお姉ちゃんに追いつくことは不可能だ。この子が誰なのかは分からない。けれど、今はこの子に頼るしかない。


「だったら私も連れて行ってください。お願いです……!」


 私が頭をさげるとその幼女は顎に手を当てて、ほんの少しだけ考え込んだ。だがすぐに小さく頷く。


「分かった。急ぐぞ」


 目の前を電流が走る。それと同時に、道路の上にミサイルで武装したヘリコプターが現れる。ここは壁に囲われている狭い空間だ。にもかかわらず、幼女は迷うことなく操縦席に座った。困惑していると「どうした。来ないのか?」とせかしてくる。


 急いで武装ヘリに乗り込んだ。幼女はすぐにエンジンを起動させる。ローターが勢いよく回転するとヘリは飛び立った。狭い空間を器用に接触することなく飛んでいく。卓越した技術を持つ熟練のパイロットかと錯覚しそうになるけれど、操縦席にいるのは色素の薄い小柄な幼女だ。


 やがて暗い空間を抜けると、私たちはつぎはぎの夜空に飛び出した。振り返ると、そこには「高い城の女」の要塞があった。幼女は可愛らしい声ではあるが、威厳もある声色でつげる。


「分かったと思うが、私が「高い城の女」。……もとい「旧時代の亡霊」だ。シロとでも呼んでくれ。事は急を要する。乱暴な操縦になるが我慢してくれ」


 シロさんの小さな背中がとても大きくみえた。この人が、お母さんの師匠。見た目がとても可愛い幼女なのが気になるけれど、能力は確かみたいだ。私は必死で懇願した。


「よろしくお願いします。お姉ちゃんを助けてくださいっ……!」


 自然と涙が溢れ出してくる。抑えようとしても、抑えられなかった。


 私をほんの一瞬見たシロさんは、幼女とは思えない、煮えたぎるような怒りをにじませた低い声でささやく。


「……メシアはよほど私に潰されたいらしいな」


 まだ夜は明けていない。地平線がほのかに明らんだ薄暗いつぎはぎの空に、二つの巨大な影がみえた。間違いない。私たちを襲ったウロボロスだ。そしてその奥にヘリコプターらしき影もみえる。きっとあそこにお姉ちゃんがいる。


「ウロボロスは桜の魔女の作品だ。無視はできない。先にあの二体を排除する。こちらもそれ相応の武装が必要になる。今よりも音がうるさくなるが、我慢してくれ」

「はい!」


 ウロボロスの作者、桜の魔女はもはや神の領域に踏み込んでいる。その黒い巨体を守るのは空想の鎧だけではない。シロさんが警戒するのは当然だ。


 シロさんは操縦しながらヘリの後方に加速装置を生み出して、凄まじい加速を引き起こした。不安定なバランスをその卓越した操縦技術で補っている。


 かと思うと、次は更に大量のミサイルを生み出す。アーティファクト職人としてシロさんが規格外であることを、私は察した。


 不安定なヘリのバランスを取りつつ、大量の兵器を生成する。それが如何に難しいか。ミサイルの生成量も、普通の人なら疲れ果ててとっくの昔に気絶してしまうであろう程だ。


 大量のミサイルが一斉に射出される。気配に気付いたらしい二匹のウロボロスは危険を感じたのか、その巨体をものともせず高速で空を飛び回避行動をとる。


 やがて傘状の雲が二体に纏わりつくように発生していた。ソニックブームと思われる雷のような爆発音まで聞こえてくる。信じられないけれど、二体はこの短時間で音速を超えたのだ。


 にも関わらずミサイルが迫るとほとんど直角での旋回をみせた。まったく常識外れな軌道だった。私の知っているミサイルなら、こんなものを撃ち堕とすなんて不可能だ。


 けれどシロさんのミサイルは私が知識として知っている古代の遺物よりも、遥かに誘導性能も速度も優れていた。その白線までもが信じられない軌道で直角にウロボロスに迫ったのだ。


「ただ無為に「亡霊」として生きてきたわけではないぞ!」


 シロさんが叫ぶ。ウロボロスのほとんど物理法則を無視した回避軌道すら上回ったミサイルが、全てその漆黒の背中に直撃する。夜が昼になるくらいの凄まじい爆風が広がった。かなり距離はあるはずなのに、轟音と共にちょっとした衝撃波まで感じるくらいだった。


 灰色の煙の中から現れた二体のウロボロスは頭から地上へ墜落しようとしていた。鱗はボロボロになっていて、生物らしい生身の体がところどころ露わになっている。翼も穴だらけになっていて、いたるところから血が滴っていた。


 それでも神話生物としての意地なのだろうか。二体は墜落する寸前で、咆哮をあげながら辛うじて体勢を立て直す。


 今でも途方もない強敵であることは変わらない。でも最初戦った時は神を前にしているのかと思ったのに、今は私たちと同じ。ただの赤い血を流す生物にしかみえなかった。


 神すらも引きずりおろす。それほどの実力をシロさんは持っているのだ。


「……これでも火力が足りないか。もう一度斉射する」


 シロさんがそう告げた時、突然、お姉ちゃんがいるだろうヘリコプターの前方の空間が歪んだ。黒いもやのようなそれを見た瞬間、私は叫んだ。


「急いでください!」


 あれはまごうことないワープゲートだ。それもウロボロスよりも遥かに巨大な直径をみるに軍事用。大陸間すらも移動できてしまう。もしもあそこに逃げ込まれれば、私たちの再会は絶望的だ。


「分かっている。背に腹は代えられない。ウロボロスは無視して突っ込むぞ」


 体中血だらけで辛うじて空を飛んでいるだけ。そんな二体の間をまっすぐ通り抜けてヘリの元へ飛ぶ。近づくと、窓ガラスの向こうにお姉ちゃんがみえた。お姉ちゃんも私に気付いたのか、窓ガラスに寄りかかっていた。


 でもその後ろにはお姉ちゃんに銃口を突きつける男がいた。もしもアーティファクトを行使すればその瞬間射殺する、とでも脅しているのだろうか。


 お姉ちゃんは無力なんかじゃない。ただ、桜の魔女のイデアであるウロボロスが規格外だっただけだ。だってノスタルジアなんて美しい世界を生み出せるほどの力をお姉ちゃんはもっている。世界を救う力が、お姉ちゃんにはある。


 プロペラの音で声なんて届くはずはない。それでも必死で叫ぶ。


「お姉ちゃん! お姉ちゃんっ!」


 シロさんは卓越した技術で、ヘリを隣接させた。相手は必死で距離を取ろうとしているけれど、食らいついて離さない。かと思うと、次々に相手のヘリの構造に干渉し、はぎ取り、安全に破壊していく。相手のアーティファクト職人も抵抗しているようだが、全く追い付いていなかった。


 そもそも他人のアーティファクトに干渉するって何!? そんなの見たことも聞いたこともない。自分の生み出したものを改変するならともかく、他人の意志が宿ったそれをねじ曲げるのは不可能に近いはず……。


 そんな私の驚きもよそに、シロさんはお姉ちゃんのいるヘリの構造を次々に破壊していく。お姉ちゃんに銃を突き付けていた男が何度も射撃してくるが、きっと高速で飛翔する弾丸にさえも干渉したのだろう。空中で弾は全て消え、男の銃も電流と共に消滅する。神業としか言いようがなかった。


 やがて窓もはがれ、私はお姉ちゃんの顔をはっきりと視認した。相手のヘリは辛うじて飛行しているが、緩やかに墜落しつつあった。もう少し、あと少しシロさんが干渉するだけでお姉ちゃんを取り戻せる!


「日葵っ。日葵っ……!」

「お姉ちゃん!」


 私は涙でぐしゃぐしゃのお姉ちゃんに手を伸ばす。お姉ちゃんも私に手を伸ばしてくれた。まだ届かない距離だって分かっていた。それでも掴もうとしてしまうのだ。


 でもその時、シロさんが叫んだ。


「まずい。手を引け!」


 突然、ワープゲートから轟音と共にウロボロスの二倍はある巨体が現れたのだ。それはウロボロスに負けず劣らずの神性を身に纏わせていた。雪のような白さの白竜はまだ日ものぼっていないのにまばゆく輝いている。だが見惚れている暇なんてなかった。ゲートを抜けた途端に空を悠然と羽ばたきながら、問答無用で口から白い炎を吹き出してくるのだ。


 高速で飛翔するそれが私たちのヘリに直撃する。シロさんは辛うじて壁を張り防御したものの、凄まじい衝撃だった。ヘリの外に投げ出されそうになるのを、椅子にしがみついてなんとかこらえる。


 ヘリは地上を走る車以上に不安定だ。体勢を崩し空中で回転してしまっていた。回る視界の向こう側でお姉ちゃんの乗った半壊したヘリが、黒い煙を吐き出しながらワープゲートに侵入していく。


「お姉ちゃん!」


 叫んでも、距離は離れていくばかりだった。


 やっぱり私は無力だ。……誰かに縋ることしかできない。自分のこの手で大切な人を守ることすらできない。だから、大切な人を奪われるのだ。この世の理不尽の前にひれ伏すしかないのだ。


 それでも私の目には、涙を流すお姉ちゃんが映る。お姉ちゃんは凄い力を持ってる。でも、それでもただの女の子なのだ。私のお姉ちゃんなのだ。物理的には救えないかもしれない。だけど今の私にもできることはあるはずだ。


 ……それなら、せめて心くらいは、救ってみせる。


 これからお姉ちゃんは一人で、誰か助けてに来てくれるかも分からないのに、この世界から消えてゆく恐怖を味わわなければならない。


 無力な自分が憎い。それでも私は必死で叫んだ。


「絶対に忘れないから! 絶対に助けに行くから! 無数のイデアの壁を越えて、無限の宇宙だって超えて、地球の反対側でも、夜空の月でも、宇宙の果てでも、どこにでも助けに行くからっ! だからっ。だから待ってて! お姉ちゃんっ!」


 お姉ちゃんが侵入した瞬間、ワープゲートは最初から何もなかったみたいにかき消えた。黒い靄の中に消えるお姉ちゃんは、泣きながらも必死で笑っていた。


 止まってくれない涙をぬぐう。私はお姉ちゃんとのキスを思い出していた。柔らかな唇も、あの愛おしい声も。今では全てが呪いのようだ。けれど、それでも。


「……お姉ちゃん。待っててね」


 あの夢のような瞬間の続きを手に入れられるのなら、私はなんだってする。


 シロさんはヘリの修理と体勢の立て直しを同時に行いながらも、悔しさを噛みしめているみたいだった。態勢を立て直したヘリの先には、満身創痍のウロボロスが二匹、そして巨大で真っ白な飛竜が敵意をむき出しにして飛行している。


 シロさんは無言でミサイルを生み出した。撃ったそばからまたミサイルを生み出し、三匹に回避する猶予すら与えずハチの巣にする。煙が消えると、そこにはひとかけらすらも残っていなかった。


 シロさんにとってあんなものは敵ですらないのだろう。けれどタイミングが最悪だった。もしもあの飛竜が現れなければ、お姉ちゃんを救えたはずなのだ。


 ……けれどそれ以上に、私は私を憎んでいた。私にできたのは、ただ叫ぶことだけだった。私はあまりにも無力だった。だからこそ、私は変わらなければならない。


 私の瞳にはシロさんの背中が映る。シロさんはこれまで見た中で、最強のアーティファクト使いだ。弟子入りできたのなら、この頼りない手でもいつかはお姉ちゃんに届くのではないか。


 うつむいているとシロさんがぼそりとささやいた。


「すまなかった」


「……いえ。ここまでしてくれて、ありがとうございました」


 シロさんにとって私は弟子の娘でしかない。それなのにここまでしてくれたのだ。私は拳を握り締めながら、頭をさげた。


 未だ地平線は暗く、夜はまだ明けていない。私の叫びはお姉ちゃんに届いただろうか。お姉ちゃんの心が救われていること。それだけが今の私に与えられた唯一の希望だった。



第一章 明けない夜に少女は叫ぶ 終

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