第17話 内部事情

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 重く肌にまとわりついた衣服を引きずって、メセナは岸に上がる。滝壺に頭から落下したメセナは当然のことながら、下着までぐっしょり濡れている。

「私、まだ生きてる?」

 メセナは轟々と水の落ちる滝を振り返る。メセナの故郷の山にも同じくらいの滝があった。あの滝壺に飛び込めば間違いなく生きてはいないだろうと想像していたが、人間とは案外死なないものだ。

「い、痛い・・・・・・」

 それでも無傷とまではいかなかった。転んだ時の打撲と池に落ちた時の表面張力で、全身がバラバラになりそうだった。四肢が一つも欠けずに繋がっているのはまさに奇跡だ。そこへ冷たい水が急速に体温を奪う。

「ダメよ・・・・・・このままじゃ」

 メセナは自身の胸に掌をかざした。自分に回復魔法を掛けるのだが、何となく気色悪い。どことなく脱皮を重ねる爬虫類みたいだ。

――癒えよ 【ヒーリング】

 大分楽になった。こんな時に回復魔法だけでも使えてよかったと、安心して岩に座り込むメセナ。ふと腰に手を回した彼女はあることに気が付く。

「あれ、ない?」

 唖然とするメセナ。何がないのかと言えば、財布がないのである。生きるために必要な、金の詰まった財布がないのである。

「どうしよう、まさか滝壺の中?」

 取りに行くべきだろうかと逡巡する。轟々と水の音を立てる滝はメセナを近づけさせてくれそうにない。第一、そこに本当に財布があるのかもわからないのだ。崖の上で落としたかもしれないし、オオカミに出会った時かもしれない。藪の中の鳥に怯えた時かもしれない。考えれば考えるほど、どんくさい自分に腹が立った。

「どうしよう。明日からどうやって暮らしていけばいいの? それより、ここはどこ?」

 今、自分がどこにいるのかわからない。山育ちのメセナでも、知らない森林の歩き方を心得ているわけではない。況してや知らない森を逃げ回り、激流に翻弄されてしまっては東西南北はわからなくなってしまう。どっちに進めば港町に戻れるのかもわからない。金がないのを嘆くより先に、金があっても意味がないことを嘆くべきだった。不幸が重なるうちに、何を嘆くべきかがわからなくなってきたようだ。

「あ~ん!! どうしよう!」

 絶望して蹲るメセナ。日没までに人里に戻らなければ危険だ。今夜の宿代はさておき、まずは森から脱出しなければならなかった。

「ん?」

 向こうの叢が何やら揺れている。何かが奥にいるのだ。それはわかったが、何が居るのかはわからない。わからないから推測するしかない。今までの経験から推測してみる。可能性が高いのは次の三つだった。

――1、さっきのオオカミ

――2、山賊

――3、熊

 つまり、危険な何かが向こうにいるということだ。不幸に見舞われ続けるメセナには、そういう想像しか出来なくなっていた。

 近くに身を隠せる場所はない。今度は逃げ場もない。どうやら今度こそ命を賭して戦う時らしい。

幸い、護身用の短刀は無事だった。それを両手で握りしめて、メセナは茂みに忍び寄る。すると新緑の葉の間から突然、白い何かが飛び出した。

「うわあぁ!!」

 それが顔面に張り付くと同時に、メセナは大きくのけ反って尻もちをついた。キューだかピーだか、小動物の鳴き声のようなものが聞こえてくる。そして顔面にまとわりつくふわふわとした感触。しかしそれはすぐにメセナの顔から離れた。

「一体、何ですか?」

 仰向けになったメセナは、自分を見下ろす視線と目が合った。雪玉のような白い毛玉が、赤い二つの目をこちらに向けている。大きさは丁度両手ですくえるサイズ。可愛らしいサイズにジャストフィットだ。

「か、可愛い!!」

 アルフレイン以外の対象に、初めて母性本能を刺激されるメセナ。今までの悲憤慷慨はどこかへ吹っ飛んで行った。起き上がって球体のような生き物を抱きかかえる。毛皮のすぐ下は温かく、小動物らしい小さな鼓動が感じられた。

「ニュー、ニュー」

 小動物はそんな鳴き声を漏らした。よく見ると、背中の辺りに怪我をしているようで、純白の毛皮の一部が赤く染まっていた。

「怪我しているの? 待って」

――癒えよ、【ヒーリング】

 メセナの回復魔法で小さな生き物の傷はすぐに癒えた。小さな生き物はまるで感謝を伝えるように、メセナの前で飛び跳ねて見せた。

「どこから来たの? 親とはぐれちゃったの? 実はね、お姉さんもなの。ずっと慕ってた幼馴染に捨てられちゃってね、お金も全てなくしてしまったの」

 会話というより、人間以外の相手に一方的に愚痴をこぼす。そんなメセナに迷惑の気色一つ見せず、球体のような生き物はつぶらな瞳を向けてくれた。

「そうだわ。せっかくだから名前を付けてあげましょう」

 メセナはこの生き物の名前を考えてみる。やがて一つの名前が浮かんできた。

――アルフレイン

「あなたは今日からアルフレインよ・・・・・・う、何か嫌な気分」

 やはり考え直すことにしよう。

「とりあえず、『ニュリン』でいいかな?」

「ニュー」

 得体の知れないこの生き物に名前を付けたところで、メセナの境遇が改善されるわけではない。ただ、数日前から突然のごとく降りかかってきた孤独からやっと抜け出せたような気がした。言葉が話せなくても、自分に寄り添う命が傍にあるだけで世界が違って見えた。

「ありがとう。君がいるだけで、私はまだ世界に絶望せずに済みそうだわ」

 立ち上がる元気が湧いてきた。ニュリンはすっかりメセナになついている。そんなニュリンを肩に載せてメセナはようやく立ち上がった。

「ん?」

 茂みがまたそわそわと揺れた。ニュリンが現れた場所の近くだ。

「ニュリンのお友達かな?」

 しかし、茂みの揺れ方は大きかった。明らかにもっと大きな身体の生き物だ。しかも肩の上のニュリンが震えている。白い毛は毬栗のように逆立っている。

「大丈夫、大丈夫よ。そこに居るのは誰なの? 出て来なさい」

 ニュリンの虜となったメセナは揺れる茂みを睨みつけて誰何した。

「何だ、人間か」

 今度は返事があった。落胆したような声と共に、茂みの奥から現れたのは大剣を担ぐ少女だった。胸や肘に軽装の皮鎧を当て、ミリアのように下着も同然の露出度の高い恰好をした女戦士だった。オレンジ色の髪の毛をざっくばらんに後ろに縛り、引き締まった身体つきがこれ見よがしに露出している。

「な、何ですか? あなたは。山賊ですか? それとも冒険者ですか?」

 メセナは及び腰で尋ねる。というのも、女戦士は斧を巨大化したような厚刃の大剣を肩に担いでいたからだ。あんな物を振り回されては、華奢なメセナの胴体などぶった切られてしまうだろう。

「冒険者だ」

 女戦士はそれだけ答えると、何かを探すように周囲を見回した。

「それよりお前、ここに小さな綿毛みたいな奴は来なかったか? 丁度これくらいの大きさの」

 女戦士は拳を握ってメセナの前に示す。間違いなくニュリンのことを言っている。そのニュリンは今、メセナの銀髪に紛れるようにして背後に隠れている。

「さ、さあ・・・・・・」

 メセナはうそぶいて見せた。だが、女戦士は怪訝な顔色を変えなかった。その鋭さが、メセナのうなじの後ろに隠れていたニュリンを見つけ出す。

「おい、後ろに隠しているソイツだよ。ソイツを渡しな」

「こ、この子をどうするつもりですか?」

「決まっているだろう。ぶっ殺すんだよ」

 多分、肩に担いだあの剣でぶった切るということだろう。小刻みに揺れる毛がメセナのうなじをくすぐる。ニュリンは完全に怯えているのだ。メセナが癒した傷も、この女戦士にやられたものに違いない。

「どうして、どうしてこんな小さな生き物を殺すんですか? 毛皮を取るためですか? それとも、食べるためですか?」

「どっちでもねえよ。つうか、食べるってねえだろ? ソイツはモンスターだ。つまり、倒せば経験値が手に入る」

「も、モンスター!? こんなかわいい子が?」

 そちらかと言えばむき出しの闘志を全開にする女戦士の方が恐ろしかった。

「知らないのかよ。名前はスノーラピッド。攻撃力はほぼ皆無。子供でも倒せる雑魚だ。レベルの低い冒険者は、ひたすらこういう小物を倒してレベルを上げる。お前、冒険者じゃないのか?」

「たったそれだけのために? 経験値が欲しいだけで殺すんですか?」

「モンスターなんて所詮、その程度の存在だろ?」

「で、でも・・・・・・無抵抗の小動物を殺すなんて」

 メセナが口ごもると、女戦士は大きく目を見開いた。

「わかった。アンタの目に着かない所で始末をつけるから、とにかくそいつを渡しな」

「・・・・・・嫌です」

「舐めるなよ。アタシは気が短いんだ」

 女戦士は肩に担いだ大剣を軽く振るった。空気が低く唸りを上げる。

「こ、この子は渡しません! この世界で絶望の淵から私を救ってくれたんです」

「はあ?」

 呆然とする女戦士の前でメセナは短刀を振りかざした。口笛のような小さな音が聞こえるだけだった。

「来ないで下さい! こんな剣だって、刺されば痛いですよ!」

「あ? やるのか?」

 女戦士の顔色が変わった。絶対にやられる。武器のサイズも戦力差も向こうが圧倒的だ。突き付けられた大剣を前に、メセナは今にも泣き出しそうだった。同時に漏らしそうだった。

「・・・・・・なんてな」

 女戦士は微笑すると構えを解いた。


「な、何だ!!」

 クラディンは空から墜落してきたそれを見て愕然とした。壇上席の一部を壊してまで降ってきたものが、変わり果てた子飼いの魔獣の姿だったからだ。

「こ、これは・・・・・・」

 クラディンは刮目して俺の方を向いた。ずんぐりとした本体の方は頭部を失って完全に沈黙している。魔獣も死後硬直するのかは知らないが、不思議と四つ足は巨大な身体を支え続けている。

「嘘だ・・・・・・あの魔獣を、もう倒したのか?」

 うわ言のようなつぶやきでクラディンは俺に問いかけた。

「見て分からないか?」

 彫像のように制止した胴体を剣で示しながら俺は聞き返した。

「嘘だ! 剣奴風情が! 魔獣に勝てるわけがないだろうが!!」

 クラディンは身を震わせて現実の全てを否定する。

「まだ信じられないか? それじゃあ・・・・・・」

 踵を返した俺は柄を両手で握り、魔獣の胴体のちょうど真ん中あたりに斬撃を食らわす。弾力性のある筋肉と、それを支える石柱ほどもあろうかという背骨の断面が露わになった。頭部に加えて前後の足を分断された胴体は、さすがに平衡を失って前後に崩れた。

「これでどうだ? さっさとこの魔獣の屍骸を片付けろ。何だったら運びやすいように小さく切り分けてやってもいいぞ」

 向き直った俺の視線の先で、立ち上がる力さえも失ったクラディンは放心しきっていた。

「馬鹿な・・・・・・そんなこと、有り得ない! これは夢だ! それとも魔法だ! 貴様、本当は魔導士なんだろ! こんなの規定違反だ!」

「クラディン様!」

 慌てた従者達が主人の醜態を隠そうとクラディンの周りに集まる。むずかるクラディンは正気を失ったまま、ダブルクロスから退場させられた。魔獣の屍骸処理も並行して進められた。

「ミエラ、大丈夫か?」

 乱れた衣服を整えたミエラは涙をにじませながら頷いた。

「ぐすっ・・・・・・うん」

 ミエラの精神的なショックは想像以上に大きかった。何事にも先見の眼を持つ彼女でも、クラディンの魔獣投入と自身に降りかかる災難は想定外だったらしい。

「泣きたいなら声を上げていいぞ。その見た目なら全然見苦しくないぜ」

「う、うるさいな! キミが魔獣をもっと早く倒してくれたらよかったのに!」

 とんだとばっちりを受けてしまった。こうなると今のミエラはただの子供も同然だ。

「ああ、わかっている。クライアントを後悔させない。そういう約束だったよな」

「次はボクのためにもっとちゃんと戦ってよね」

 アルバート=グロワまでがクラディンと同じ性癖の持ち主であるかどうかはわからないが、俺は適当に頷くと観客席に戻ろうとした。

「あ、ありがとう」

 ミエラが俺の背中越しに、ぎこちない口調で囁いた。

「魔導士にいくら貸しを作っても何の得にもならないけどな」

「でもキミは本当に強いよ。まさか魔獣まで仕留めてしまうなんて」

「強い、か。確かに体力は化け物でも、俺にしてみれば生きる意志とそのための戦術を用意した人間の剣奴の方がよっぽど手強かったさ」

 クラディンを卑下しての皮肉ではなく、俺は事実を話したつもりでいた。

「そうかい。ともあれ、これであと一勝すればボク達の勝ちだ。だから――」

 ミエラの言葉の間に、斬撃の刹那的な音がよぎった。振り返った俺の前にはダブルクロス二回戦の結果がありありと映し出されていた。

 程なくして二回戦が開催され、どれだけの時間が経っただろうか。ミエラと数語を交わすうちに、グロワ家の契約剣奴はホースリド家の契約剣奴を屈服させていた。正面切ってのブレイド・ストラグルのはずが、不意打ちにでもあったかのようなあっけなさだった。

「まさか、契約剣奴を一撃で?」

 剣を携えながら棒立ちする外套の契約剣奴は、既に次の対戦相手である俺を見据えていた。その脇には抜き身の剣を握ったまま果てたホースリド家の契約剣奴が転がっていた。

「どうやら次の対決はすぐそこまで迫っているようだね」

 ミエラの言葉を待つまでもなく、目の前の光景が俺の次なる戦いの到来を告げていた。



「何とか、持ち応えたな」

通常火器の嵐をしのいだ拓人はひとまず安心した。

「さすがに鉛玉は通さないか。お前ら、エクス・ブレイドをアクティブにしろ!」

余分な装備を捨てて身軽になった甲機達は両手斧に槍、そして両手剣と物騒な得物を持ち出した。各々が取り出した武器の刃が怪しげな青白い光を放つ。スピーカーからは振動数の低い唸りのような音が反響する。

「何だ?」

「あれがエクス・ブレイドよ。あの光はリジウム合金を励起状態にした光。あれに斬られたらリジウム装甲も持たないわ。こっちもエクス・ブレイドをアクティブにして」

夏樹の指示通り操作すると、エクスフォールの剣も同じ光を放った。

「やっちまえ!」

《ウダさん》にけしかられるまま、両手斧を持った《ハッサン》の甲機が真っ先に飛び出した。斧の重量に任せて、障害物に構わず武器を振り回す。青い光が円弧を描きながら飛んでくる。

しかし、エクスフォールの機動速度はそれを数倍上回っていた。二八式甲機の斧はさっきまで敵が居た場所を虚しく粉砕するだけだった。

「何だコイツ、動きが速い!」

 厳密には動きが早いだけではなかった。二八式甲機の箱を重ねたような鎧は動きの自由度が低く、鎧の外装が互いに干渉して思い通りに関節を曲げられないのだ。だからその動きはまるで単調でぎこちない。

「リジウム装甲でかなりの重量のはずなのに、どうやったらあんな速度が出るんだ? しかもあの操縦技術、本当に人間が動かしているのかよ!」

「機動性と防御性を最大限に生かせるよう、鎧の形状は部品の一つ一つまで手計算したのよ。コンピュータの丸写しとは違うんだから」

画面の向こうでエクスフォールの柔軟な機動力に圧倒される鈍重な二八式を見て、梓がこれ見よがしに言い放った。

「何をしている? こっちは軍の新兵器だぞ」

突如現れた黒の甲機に悪戦苦闘を強いられる《ウダさん》は業を煮やしていた。

「仕方ないぜ! 二八式は野戦用の歩兵支援兵器だ。弾除けになるよう、図体を無駄にデカくしてるから格闘戦になれば不利だ!」

「しょうもねえ! テツ、見てないで加勢しろ! 二人掛かりで畳みかけるんだ!」

よし来た、とばかりに槍を持った《テツ》の甲機がエクスフォールを挟撃する。斧を避けたエクスフォールの虚を衝いて、方々から繰り出す矛先がエクスフォールの鎧をかすめた。こっちは少し操縦センスがあるようだ。

「槍の奴は厄介だな」

突き出した槍を避けると、エクスフォールの片腕が槍の柄を掴んだ。そのまま後ろに引きずると、《テツ》は抗う術もなく引き寄せられた。ドラム缶のような二八式の頭部が画面を覆う。

「なんて力だよ!」

「アタシが作ったアクトロンは人間の筋肉を忠実に再現しているのよ! ロボットみたいなぎこちない動きはしないんだから」

エクスフォールが全身の力で槍を引くと、《テツ》の甲機はつんのめる様に無防備な姿をさらした。そしてあと少しでたぐい寄せられるところを、斧を持った甲機が急に割り込んで槍の柄を断ち切ったのだった。

「助かったぜ、ハッサン」

槍の代わりにやや短めの剣を抜いた二八式甲機は体勢を立て直した。エクスフォールはこの二機の挟撃に対処せざるを得なくなる。

「二対一なんて卑怯よ!」

パワーも機動力も自分達より優れていると悟った二八式甲機は以前よりも慎重になり、拓人に隙をさらさなかった。

「『ソードマスタ』は基本的に一騎打ち形式のプレイ環境だから、こういう戦いは不利かもしれないわ」

「待って下さい。俺に考えが有ります」

振り下ろされる斧を首の動き一つで空振りにさせたエクスフォールが急に詰め寄って、斧の柄にしがみついた。

「山城君、そんなに一方に気を取られていたら」

案の定、競り合っているエクスフォールの背後に立った《テツ》の甲機が猛烈な勢いでエクスフォールに急接近した。

「いいぞ、ハッサン! そのまま抑えていろ! 俺が背後から止めを刺してやる!」

背中から敵を串刺しにするかと思いきや、急にエクスフォールが向き直って背後からの襲撃者を睨みつける。全く気付かれていないと思っていた《テツ》の甲機は怯んだ。

「げっ! コイツ、後ろにも目がついているのか?」

「こっちは三人称視点の画像データだ。後ろに居ても動きは見えているんだよ!」

その躊躇が命取りだった。エクスフォールの剣が電光の如く横薙ぎに振られる。真っ直ぐな水平線を描く剣先は二八式甲機の脇腹に深々と食い込んだ。鋼鉄にも負けない頑丈なリジウム合金に守られた身体は面白いくらいあっさりと両断された。

「テツ!」

既に彼の操る甲機は足だけになっている。本人はさぞ、ここから遠く離れたどこかで地団駄を踏んでいることだろう。

「よっしゃ、一体目!」

撃破された仲間の復讐に燃える甲機の斧は、空気を唸らせて力任せに盲進する。

「長谷部! 熱くなるな! それ以上甲機に負荷をかければ・・・・・・」

うっかり本名を口にするほど慌てたのも無理はない。さっきまで威勢よく斧を振り回した二八式甲機の身体が、金縛りにでもあったかのように硬直して小刻みに痙攣した。

「何だ? コマンドを受け付けない!」

「システムダウンよ。CPUの処理能力を超えた命令を送り続けたからオペレーティングシステムがフリーズしたみたいね。エクスフォールのシステムなら、この位でキャパに達したりしないけど」

矢那は抵抗できなくなった甲機を嘲笑する。遂にはエクスフォールの容赦ない一撃が分厚い二八式甲機の胸板を痛快に斬り下ろした。

「あと一機! どこだ?」

索敵するエクスフォールの視界から奥に控えていたはずの甲機と真弓の姿が消えていた。画面を一周する途中、薄闇から青白い閃光がエクスフォールの急所を狙った。反射的に不意打ちする敵の剣先を跳ね除けたものの、反撃に転じる余裕はなかった。すると二八式甲機はよろけたエクスフォールの画面から姿を消した。後には敵の手から離れたエクス・ブレイドだけが横たわっていた。

「どこだ?」

あの図体から考えて、逃げ場も隠れ場所も限られているはずだ。その時、突如崩れた壁から飛び出した二八式甲機がエクスフォールの背中にしがみつく。

「背後からならば! 動きはとれまい」

二八式甲機は自由になった両腕でエクスフォールの胴に手を回している。衝撃でエクスフォールのエクス・ブレイドもまた、地面に落ちて光を失った。

「このままバッテリーを消耗させてやる。充電したばかりの二八式ならば、あと百五十時間は稼働できる」

二八式は抱え上げるようにエクスフォールの足を地面から離した。

「不味いわね。エクスフォールの稼働時間はもってあと五十時間よ」

「いよいよアレを使うしかないようね」

夏樹が示したのはエクスフォール操作画面の右端のボタンだった。

「まさかこれ、自爆装置じゃないですよね?」

そうだとすれば、真弓の近くでそのボタンを押すのには躊躇われた。

「そんな物じゃないわ。いいから使いなさい!」

「どうした、急に大人しくなったが。もうバッテリーが限界か?」

エクスフォールの全身から、皓皓と光が漏れだす。その光が鎧全体に浸潤した時、それがエクス・ブレイドの光と同一色に変わった。危険を察知した二八式甲機はエクスフォールから離れたが、遅れた左腕は跡形もなく溶損してしまった。

「何だ、この光は!」

光り輝く鎧をまとう黒の甲機を見て、敵はまごついた。

「エクスフォールの最終兵器、それは全身の鎧のリジウム合金を励起状態にして、エクス・ブレイドに変えること。名付けてエクス・ドライブよ。エクス・ブレイドとなった鎧はいかなる刃も受け付けない。全身を刃に変えるこの特殊機能こそ、エクスフォールの名の由来。ただ、内部が発熱するから長くは使えないわよ。早く決着をつけて」

二八式甲機は残った右手でエクス・ブレイドを掴み、矢継ぎ早にエクスフォールを薙ごうとする。そこへ猛追するエクスフォールが拳を前へ突き出した。二八式の繰り出した片手突きとほぼ同時だった。

エクス・ブレイド同士のぶつかり合う白いフラッシュ光が真夜中の建屋から溢れ出た。

「行けえ!」

エクスフォールの拳が剣を押し返し、二八式甲機の頭部を粉砕した。それと同時にエクスフォールの鎧も光が消えた。エクス・ドライブも限界に達していたのだ。まさに紙一重の戦いだった。

「塗装してないから未完成ですって? エクス・ドライブを使えば全身の塗装が剥げて塗り直すのが面倒だからに決まっているじゃない」

 夏樹は初めて、エクスフォールがリジウム装甲を塗装しない理由を顕にしたのだった。

「勝った。ギリギリだった。って、おい!」

「やったじゃん! 拓人!」

沈黙した二八式甲機を認めると、佑子が後ろから拓人に抱き着いた。

「よかった、みんな本当に無事で」

愁眉を開いた梓はへなへなとしゃがみ込んだ。

「喜ぶのはまだ早いわ。撤収するわよ」

夏樹だけが冷静だった。

「でも真弓が」

真弓は瓦礫の片隅に身を寄せてエクスフォールを警戒していた。

「エクスフォールが見つかったら大変な騒ぎよ。真弓さんは警察が保護してくれるわ」

「待って!」

エクスフォールの背中に向かって真弓が呼びかけている。

「貴方は味方なの?」

真弓は慎重に一歩ずつ、瓦礫を乗り越えながら近づいた。

「山城君、わかっているわよね」

拓人がその場所にいるならばともかく、エクスフォールは何も答えずに真弓に背を向け、その黒い背中は闇に同化する様に消えた。その後、騒ぎを聞きつけた警官の呼ぶ声が真弓を呼び止めた。

エクスフォールが倉庫に帰投した時には黎明に近かった。寿命を全うした複数の電子部品を除けばほぼ無傷の完全勝利だった。その後、デパートビルで真弓は無事保護された真弓はほとんど怪我もなかった。一方、二八式甲機の残骸から回収されたアクセスログが証拠となって、甲機を強奪した甲機製造会社の元社員三人が一週間後に逮捕された。


 真弓の回復は順調だった。あれだけの奇禍に遭いながらカウンセリングも必要なく、入院三日後には拓人との面会も許可された。

「本当に大丈夫ですから。兄さんこそ、私が居なくて家の中は大丈夫なんですか?」

「俺だってやる時はやるさ」

勿論、大丈夫でない。大見えを切ったに決まっている。

「まさか、私の寝顔を見ようと思って待ってんじゃ・・・・・・」

「だからそんなことしないってば」

相変わらず真弓は手厳しかった。

「でも警察のお陰だよ。特殊部隊が甲機を撃退したんだろ?」

事件を解決したのは名目上、警察の特殊部隊とされていた。所属不明の甲機が単独で乗り込んで防護省最新鋭の甲機を駆逐した事実を政府が公言するはずがない。

「兄さん、ですよね?」

内心を見透かされたような発言に拓人は振り返る。真弓は拓人の顔を見据えていた。

「あの時、黒い甲機で助けてくれたの、兄さんなんですよね?」

「何言って・・・・・・」

「実は、兄さんがここに来る少し前に来たんです。兄さんと同じ学校の制服を着た金髪の人が」

真弓が言っていたのは夏樹だった。

「その人が全部話してくれました。兄さんが私を心配して甲機部の入部で悩んでいたことも、私を助けるために甲機に対する憎しみを抑えて戦ってくれたことも」

それは、強引で知られる夏樹が見せた全く別の一面だった。拓人は改めて、甲機部や夏樹に対する自分の無知を自覚した。

「そうか、新藤先輩って。そういう優しいトコもあるんだ」

「ごめん。真弓を助けるには、ああするしかなかった。真弓は甲機を死ぬほど嫌いなのに」

どんなに罵られようと構わない。場合によっては平手打ちも覚悟していた。

「真弓?」

彼女が取った行動は兄への抱擁だった。

「何、言っているんですか。私、兄さんのお陰で今ここに居られるんですよ。そんな私が、どうして兄さんを咎めることなんてできるんですか?」

「でも親父は怒るだろうな」

「そんな訳ないです。お父さんは、一人でも多くを甲機から救いたかったんです。兄さんがあの場を止めなかったら、私以外にも誰かが悲しい目に遭っていたかもしれません」

「俺なんかが」

 拓人には今一つ実感がわかなかった。自分の小さな掌一つがどれだけの命を救ったのかということを。

「俺、何となく自分のやるべきことが見えてきた気がする」

 真弓はそれが何なのか聞かなかった。彼女にはもう、まなじりを決した拓人の内心が手に取るようにわかるのだろう。

「もしこれが俺に恵まれた才能なのだとしたら、俺は戦い続けるべきなんだ。この甲機の闇に覆われた世界から、一人でも多くを救うために」


 拓人が甲機部を訪ねたのは翌日である。倉庫には夏樹とエクスフォールだけが居た。

「どうしたの? 忘れ物?」

夏樹は拓人の訪問を不思議そうに眺めた。

「遅くなったけど、ありがとうございました! 甲機を貸してくれたことも、真弓のことも」

「気にしないで。今日はその話をしに?」

「俺、この何日間で先輩が言おうとしたことがわかった気がします。甲機はもしかすると、人を救う手段になるのかもしれない。過去のことは一度忘れて、その可能性に賭けてみたくなりました」

夏樹は拓人の言葉を真剣な表情で受け止めていた。

「それは入部を妨げる理由はない、そう解釈していいのかしら?」

拓人は固く頷いた。

「何よりも俺は、真弓も含めて大事な人達を失いたくない。少なくともその気持ちは、甲機部の人達と同じだと思いました」

拓人の気概を見定める様に夏樹はしばらく黙然としていた。そして拓人の前に出た彼女は一枚の書類を差し出した。

「入部届? それじゃあ」

「多少の意見の相違はあるけれど、貴方の熱意は感じ取ったわ。共にデバッガ・ストラグルに向けて力を合わせましょう」

「ありがとうございます! 改めて宜しくお願いします」

倉庫の上の空は一人の若者の出立にふさわしい、清々しい青色をしていた。


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