第16話 論理無視
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――日本時間午前三時十五分
太平洋上に遊弋する航空母艦から三機の艦載機が発進を控えていた。薄暮に合わせて日本列島を空爆するべく、いずれも搭載重量間際までの対地誘導弾が積まれていく。作業の完了まであと三十分。甲板では色彩に富んだ作業服の整備兵が忙しなく動き回っている。
「これで東京も終わりだな」
編隊長を務める壮年のパイロットは、空母の甲板越しから日本列島の位置する北西の方角に向かって煙草を吹かす。
「準備の方は?」
その傍らに立つ海士の胸には煌びやかな徽章が輝いていた。
「ばっちりさ。俺一人で首都を焦土にしてやるよ」
「気を付けろよ。あの国は国難に瀕した時、決まってカミカゼが吹くんだ」
「そんな迷信を信じている国なんか。風が吹く前に滅ぼしてやる」
「頼むぜ。俺達はそのために軍の地位も家族も捨ててきたんだからな」
パイロットが煙草を投げ捨てて甲板から立ち去ろうとしたその時、甲板上で警報が鳴り響く。
『敵機来襲!』
作戦前とはいえ、敵の迎撃も予想していなかった甲板員達の動きが変わった。やがて甲板から人が消え、不動だった速射砲が唸り声を上げながら砲身を旋回させる。
「敵機はどこだ?」
手狭な艦内廊下を突き進んだパイロットは、レーダー室の扉を蹴破るようにして開けた。ヘッドホンを付けた索敵班は乱入した彼に気付くほどの余裕はない。
『敵機の現在位置は?』
「依然として速度マッハ八で進行中! あと三分で本艦に到達します!」
「マッハ八だと!」
パイロットは色を成して若い索敵班の胸倉をつかむ。彼の直属の上司に当たる室長が遠くから彼を宥めた。階級如何に関わらず、海上では常にパイロットが一番偉いのだ。
「ふざけてんのか! マッハ八なんて速度を出せるわけがねえ!」
「いえ、しかしレーダー上では・・・・・・」
おどおどした索敵班員が指さすレーダーの上を、一つの点が恐ろしい速さで動いているのがわかる。やがてその点はレーダーの中心に重なった。それがどういう意味か、パイロットは程なくして知ることになる。
「滑走路被弾!」
床が左右に激しく振動する。鉄の構造物が折れ曲がる低い音が艦内に響き渡った。
「んだと!」
艦橋の窓から身を乗り出したパイロットは燃え盛る火柱を目の当たりにする。大量の爆薬を抱えた彼の搭乗機がその中心にあるはずだった。甲板では爆発に巻き込まれた整備士達が仲間の救助や消火活動に追われている。一方で空母を守る艦砲射撃は虚しく何もない空の一点を照らしていた。
「何をやっているんだ! 今すぐ発進させろ!」
「落ち着け! お前の機がやられて残骸をどかさなければ発艦できないだろうが!」
数分前まで穏やかに語り合っていた海士とパイロットは怒鳴り声を交互に響かせる。その言い合いは敵機を追尾する索敵班の言葉によって終止符を打たれた。
「敵旋回! 第二波が来ます!」
「何だと?」
空母の左手の方角から立ち上がる水飛沫が群青の海面を走ってくる。それは刹那にも満たない光景だった。
「これがカミカゼか?」
何かが近づいてくる、そう思った時には彼らの乗る空母は真っ二つに引き裂かれていた後だった。
――あれは絶対に島の人間じゃない
須賀拓海は路地の前を歩く少女を見て、そう確信した。島とは太平洋側に位置する十河島のこと。都道府県上の分類では一応東京都の範疇である。人口二千人で、北部には航空自衛隊の基地がある比較的発展した島だ。もちろん、拓海は島の人間の顔を全て覚えているわけではない。それでも拓海がそう思うに至ったのは、少女が街並みをさまようかのように、細い首を右に左に向けているからだ。
この街の景観はよそ者に対していかにも不親切で、一見すると木造家屋と土蔵が織りなす迷宮のようにも見える。人がやっと通れるほどの路地が蜘蛛の巣状に張り巡らされて、島の人間でさえ、時折道に迷うことがある。拓海もまた、例外ではなかった。
「そっちじゃないよ」
少女が袋小路に進みかけたのを見て、拓海が声をかける。後ろから不意に注意を受けた少女の足はぎこちなく止まり、やがて茶髪を翻して拓海に顔を向けた。
薄桃色の唇に整った目鼻立ち。そんな端整な顔立ちに柔らかな前髪がそっと被さる。色香の中にあどけなさの残る顔だった。
「十河東の生徒だろ?」
少女はクリーム色のカーディガンを着ていたが、その下のプリーツスカートは紛れもなく十河東高校の制服だった。というより、この島には十河東高校以外に高校がないのだから、女子高生を見かければ十河東高校の生徒として確定するのが普通だった。本土から修学旅行で他校の生徒がやってくるわけでもないのだから。
やがて少女は再び歩みを進める。しかし彼女は、拓海が警告した袋小路に向かって歩き始めていた。
「おい、人の話を聞けよ! だからそっちは違うってば!」
拓海の牽制に少女は全く聞く耳を傾けない。セミショートの髪の合間からイヤホンらしき黒い導線が垣間見えたが、さっきは振り返ったのだから全く聞こえていないはずはないのだ。
「ほら、言った通りだろ」
程なくして少女は白塗りの塀に阻まれる。そして軽やかに踵を返すと、わざと拓海に肩をぶつけるようにしてすれ違う。仄かな風と、香水の香りが拓海に触れた。
「何だよ・・・・・・」
それからも拓海は少女の後ろから道案内を続けた。どのみち行先は同じ十河東高校だ。
「そっちじゃない。そこを左に曲がって」
拓海の指示に少女は立ち止まって逡巡する。しかし結局は拓海に従った。そんなことを続けながら登校してきたせいで、いつもより十分ほど登校が遅れていた。
「じゃあな!」
校門の前まで来ればもはや迷うこともあるまい。拓海は勢いよく校庭を駆けだして少女を追い抜いた。少女は知らないだろうが、拓海には絶対に遅刻できない理由があるのだ。
「全員、席に着いたか。今日は珍しく遅刻無しなんだな」
黒髪を後ろに束ねた妙齢の教師が教室内を一望した後に出席簿を手に取った。拓海のクラス担任の市ヶ谷峰子と向き合う生徒達の表情から緊張がすっと抜けた。一人でも遅刻者を出せば容赦ない叱咤の仕打ちが待ち構えている。それが、拓海にとって遅刻できない理由だった。遅刻に限らず、この若い女性教師を怒らせるとただでは済まない。一見すれば楚々とした美人だが、その外見に惑わされて馬鹿をやった生徒がこの学校に何人いることか。
「今日はホームルームの前に連絡がある。この教室に一人転校生が来る」
市ヶ谷はもったいぶる様子も見せずに淡々と言った。突然の椿事に教室内が騒然となる。
――まさか
多くの生徒が転校生に興味を示す一方で、拓海には一抹の不安がよぎった。彼は今朝、島の外の女子高生をこの学校まで送り届けたばかりなのだ。
「静かにしろ。自己紹介だ。入って来い」
市ヶ谷の言葉のすぐ後、引き戸が開いてやはり今朝の少女が現れる。クラス内でも特に男子が盛り上がった。
緊張した表情も見せず、繊手にチョークを手に取った彼女は黒板の真ん中に自分の氏名を書き記していく。
『賀川凪』
「あれ、何て読むんだ?」
生徒の一人が前列の生徒に問う。
「賀川凪です」
清廉とした声が教室内に新鮮な響きを与える。思えば彼女の声を聴くのはこれが初めてだった。
「両親の仕事の都合上、この十河島に転校することになった。都会からいきなり離島に来た身だから、全員、親身になって接するように。ところで、賀川の席は・・・・・・」
市ヶ谷の視線は拓海の机の斜め右前に止まる。
「そこがあいているな」
「先生、その席は・・・・・・」
最前列に座る女子が深刻な顔で立ち上がった。教室内を淀んだ空気が漂う。
「座れ、近藤」
市ヶ谷の言葉に女子生徒はしぶしぶ従った。
「さすが鉄の女教師だ」
誰かが揶揄するように囁いた。一方で何も知らない賀川は平然と鞄を外して椅子に腰を下ろした。
今頃教室内では女子が転校生の賀川を囲んで盛り上がっているに違いない。そう思って、拓海は昼食を屋上で済ませることにした。備品置き場となりつつある踊り場を上り、曇りガラスから陽が差し込むドアを開けると、そこは広々とした屋上だ。
「あ・・・・・・」
ドアを開けると、一つの視線が拓海に向けられた。教室にいたはずの賀川がフェンスに手をかけてこちらを振り返ったのだ。彼女の足元では、燦燦と晴れた日差しを直に受けたコンクリートの地面からは陽炎が立ち上っている。こんなうだるような暑さの屋上で一体何をしているのだろう。
「どうしてここに、・・・・・・じゃなくて、皆が下で待っているけど」
「私が邪魔だと言いたいの?」
そんな解釈も可能であるが、拓海にそんなつもりは全くない。それに、普通は他人の言葉をそこまで否定的に解釈する人間はいない。
「いや、そういうわけじゃ」
拓海がたじろぎながら答えると、少女は島の内陸にそびえる低い山並みを見渡した。あの向こうには航空自衛隊の基地がある。蝉しぐれの合間に聞こえるエンジン音は自衛隊機の発着陸によるものだ。
「こんな所で、飛行機でも見ていたの?」
「別に・・・・・・」
賀川は視線を変えないまま答えた。その無機質な言葉通り、偶然離陸した哨戒機が前を横切っても、特に興味を示す様子はない。哨戒機は高度を上げながら、南東の方角に飛び立った。
「最近、多いんだよな」
拓海はフェンスに背を預けて持っていた菓子パンの包みを解く。
「ここもいつ戦場になるか・・・・・・」
そんなことを考えながら、拓海の頭の中に三年前の光景が鮮明によみがえる。あの日を境に、日本は世界から見捨てられたのだ。
三年前の十二月、テレビの中で当時日本の同盟国だった某国の大統領がクリスマスツリーを背景に外交文書に調印している姿が放映された。
『わが国と日本の間で締結している安全保障条約は、USFの脅威に関して適用外である』
安全保障条約は日本が外国から攻撃を受けた場合に適用される。逆に言えば、国家以外の組織による攻撃は日本の警察が対処するべきであり、なまじ条約の適用は内政干渉に当たる、とするのが彼の論理だった。
彼が平然と放ったその一言が、日本国民五千万人の命運を大きく変えてしまうことになる。五千万人とは、二十二世紀に差し掛かった日本のおおよその人口だ。高齢社会に歯止めがかからず、結局人口は一世紀前の半数まで激減。経済・産業共に衰退の一途を辿り、これまで国際社会で築いてきた地位は音を立てて崩れていくのがわかった。
そんな折、日本にさらなる禍根が襲う。国籍不明武装勢力、略称USFによる軍事攻撃である。一国の軍に匹敵する装備と勢力を持ったUSFは日本の凋落を目論む某大国の支援を受けているとされているが、いまだに組織の全容は明らかにされていない。わかっているのはただ、日本のどこの地域ももはや安全ではないということだ。
最初に攻撃を受けたのは九州南岸。次は四国地方だった。東京にも三度の攻撃があったが、自衛隊の洋上戦力半数の代償を以って何とか都市は守り切ることが出来た。それでもUSFによる攻撃は依然として執拗に加え続けられている。
「ねえ、」
不意に賀川が口を切った。女子に声を掛けられることに慣れていない拓海は戸惑った声を上げた。
「な、何か?」
「前に私の席に座っていた生徒って?」
「え、ああ。西山のこと?」
拓海はコンクリートの床に視線を落とす。
「一ヵ月前なんだけど、島を出る連絡船がUSFの仕掛けた機雷にな・・・・・・」
「また、運が悪かったのね。よりによって島を出る用事があったなんて」
「そうじゃないんだ。西山は、その、国防航空学校に入ろうとしていたんだ」
「国防航空学校?」
「女子はあまり馴染みないかな。ブルーインパクトって聞いたことない? 日本をUSFから守る精鋭の航空隊。西山はずっとそれに憧れていたんだ」
「でも、今は夏でしょ? 入学って、四月じゃないの?」
「来年の四月まで東京、ていうか本土の予備校に通って猛勉強するつもりだったんだと思う。この島じゃ、予備校もないからさ」
「でも、そのせいで彼はUSFに殺されたのね」
「まあ、そうなるな」
「お気の毒にね」
感情のない言葉だった。賀川からすれば、西山は全く面識のない生徒だ。下の名前さえ知らない。そんな苗字だけの知人に同情しろというのが難しいのかもしれない。
「ところでさ、」
拓海は思い切って話題を変えてみる。
「賀川さんって、どうして十河島に転校になったの?」
「・・・・・・両親の仕事。防衛関係だから」
「じゃあ、島の北部の自衛隊基地に?」
「まあ、そんな所かしら」
賀川はフェンスの向こうの自衛隊基地を顧みる。
「そうか・・・・・・なんか、ごめん。そういう仕事に就いていたら、心配になるよな」
危険地で働く身内を想っていたのだろう。拓海はそう考えていた。
開催宣言のすぐ後、一回戦が始まるので俺だけを残して他の魔導士と剣奴達は闘技場を去る。
「ニレイ君」
ミエラが背後で俺を呼び止めた。彼女は自分の左腕に手を当てていた。丁度彼女に作らされた魔法陣のある辺りだ。約束を忘れるなという意味合いだろう。
「わかっている」
俺が頷くと彼女は満足そうに闘技場を出た。
「さて、どんな敵が来るんだ?」
俺は早くも剣を抜いてラジャイカ家の契約剣奴を待った。目だけは反対側の入場口から一時も離さなかった。
空白の時間がしばし流れた。まだ契約剣奴の姿はない。
「どうなっている? お前の契約剣奴はどこだ?」
「じきに来るよ」
クラディンは平然と答える。その言葉の後、地面が少しぐらついた。
「な、何が起こった?」
断続的な機械音が地面の底から響いてくる。それに合わせて入場口の隣から四角い何かが地面から生えてくるように姿を現した。分厚い鉄板の屋根の下は幾重もの鉄格子。それは紛れもなく巨大で頑丈な檻だった。人間ならば二十人は詰め込めるほどの大きさだ。
「な、何だよ。これ」
巨大な檻の中には、それに見合った巨大な影が収まっていた。日の下に出るとわかるなり、それがゆっくりと動いて向きを変える。明らかに人間の姿ではなかった。
「化け物・・・・・・だよな?」
檻の扉が自動で開け放たれ、中の影が一歩を踏み出した。最初に出たのは三本の鍵爪で地をつかむ前足だった。次に現れたのは牙を逆立てた獣の頭、その後に巨岩のような体躯が何とか開け口を潜った。その後ろに続くのは大木の幹の太さほどもある尻尾だ。全体を一見すると、深緑色の肌をした虎のような獣だった。
「魔獣!? まさかそんなものを持ち出して来るなんて!」
ミエラの想像をはるかに超えた対戦者の正体は、彼女の表情から一気に余裕を破った。
「我がラジャイカ家は魔獣召喚を得意としていてね」
クラディンは得意顔で唖然とするミエラに言う。
「こんなの、魔導士の直接的な介入じゃないか! これはダブルクロスでもなければ、ブレイド・ストラグルでもない! 本当にただの戦争だ!」
「そうだろうか。ブレイド・ストラグルの前座では、新米の剣奴による闘獣試合がおなじみだと聞いたのでね。それに、敵を前に闘志をむき出しにする剣奴と、魔獣のどこが違うというのかね?」
「つくづく嫌みな奴だな! そんな性格だからどこの剣奴も契約を結ばなかったんじゃないか?」
俺もこの機にクラディンの卑劣さを批難した。クラディンはまったく気にしない様子で俺の方を向く。
「何を言う。元はと言えば君のせいだぞ。トリックスターが参戦すると聞いて、他の剣奴が尻込みしてしまったではないか」
「へっ、それでお友達はこの気色悪い怪物だけってことかよ」
「せいぜい、貴様はそこで魔獣に食われるがいいさ。試合はもう始まっているぞ。さて・・・・・・」
クラディンは席を立つとミエラの傍に腰掛ける。
「な、何? はっ!」
ミエラに至近距離で顔を近づけた彼は小さな体を抱き寄せるなり、身体の各所を撫でまわし始めた。
約束の土曜日はいつもより早く訪れたように感じた。こんな休日は三分の一を寝過ごすのだが、今日はそうもいかなかった。
「いい加減起きて下さいよ! 今日は深田町のデパートに行くんですからね!」
目かしこんだ真弓は拓人を布団から朝の冷え切った空気にさらした。これに耐えきれなくなった拓人はダラダラと身支度を始める。
「食器くらいは片付けて下さいよ!」
玄関越しまで真弓は口うるさかったが、それ以降の山城家は静かになった。
拓人は携帯に『ソードマスタ』の全国ランキングを表示した。あの日以来、夏樹の仕組んだ『ソードマスタ』のプレイを一切止めていた。今ではその順位は三位にまで転落している。すると手にしていた携帯電話が鳴った。
「山城君、今日時間ある?」
声の主は夏樹だった。そろそろ電話が掛かってくるような予感はしていたのだ。電話番号も『ソードマスタ』に登録済みなのだから。
「有りますけど」
「場所はメールで地図を送るわ。午後一時に待っているから」
否応なしに電話は向こうから切られた。
「これ、来いって言っているんだよな?」
夏樹の横柄さは今日も相変わらずだった。
待ち合わせ場所は近くの公園の噴水前と指定された。自転車でその場所を訪れた拓人を待っていたのは制服姿の夏樹ひとりだった。
「今日が期限よ。答えを聞かせて」
「この前も言った通り、答えは変わりません」
夏樹は顔をしかめもしなかった。
「一つ教えて。山城君には、命を懸けてまでも守りたいほどの大事な人は居る?」
「もちろんです」
「もしその人達が甲機に襲われたりしたら、貴方はどうするつもり?」
「その時俺が甲機を使うとでも? 軍拡競争的な発想ですね」
「私ね、とても大事にしていた人がいたの」
夏樹の視線の先には幼い子供とその両親がこの晴天に負けないくらいの晴れ晴れとした表情で遊んでいた。
「まさかその人って」
拓人は夏樹と自分の共通項めいたものを見出しつつあった。国外に出て甲機の惨劇に見舞われたのは拓人の父親だけではない。大勢の人が命を懸けて甲機の酷薄さを世界に訴えているのだ。
「その人のためを思うのなら、むしろ甲機から離れるべきだと思いますよ」
「それは出来ないわ」
「どうして?」
夏樹は唇を結んだ。それでも眼差しだけは厚い決意を物語っていた。
「どうしても」
「そうですか」
「残念だわ」
やっと諦めてくれたのか、夏樹は腰かけていた噴水の縁から立ち上がった。
「ごめんなさい。貴方には不愉快な思いをさせただけだったね」
「いえ、こちらこそ力になれなくて」
夏樹はスカートの土埃を払う。拓人も自転車のスタンドを外した。二人は同じ高校に通いながらも、別世界に生きる他人同士に戻った。
丁度携帯電話がいつもと違う音を立てた。それは政府の発信する緊急エリアメールだったのだ。
「深田市街地にて甲機試作機が暴動」
毒々しい赤字でメールにはそう綴られていた。
「真弓が危ない!」
立ち上がった拓人は自転車に飛び乗って深田市街地へと向かう。まさかと思っていた不安が次第に成長しながら現場へと向かった。道路は警察によって通行が規制され、野次馬とメディア関係者が押し寄せ、警官と揉みあっていた。
「子供が人質に取られているようですが!」
「犯行声明は出されているんですか?」
「事態の鎮圧に甲機を投入する予定はあるのですか?」
殺到する質問に警官は対処しきれなかった。非番も構わず現場に立たされる彼らも十分な情報を持たされていないのだろう。
「ダメだ、繋がらない」
真弓の携帯電話は何度かけても応答がなかった。
「おい、見ろ!」
群衆の中の指がデパートの五階部分を指した。およそ人の姿をした何かが棚や家具を壊しながら窓の傍でこちらを見下ろした。ずんぐりした体躯に緑色の分厚い鎧。両肩と背中ランチャーパックやガトリングガンを搭載し、胴回りは人間の五倍の太さである。まるで足の生えた戦車だ。
「我々は防護省最新鋭の甲機三機を占有し、民間人一人を人質に取っている。身代金として三時間以内に支払いを要求する。額は既に政府の公安に連絡済みだ」
その緑色の鎧からスピーカーを通した男の声が発信された。
するともう一つ、同じ型式の甲機が後ろから現れる。作業工具のような武骨なアームの中に誰かが囚われている。
「真弓!」
恐れていた予感がいよいよ現実のものとなった。甲機の腕の中で真弓はぐったりとしていた。無我夢中で真弓に駆け寄ろうとする拓人の腕を、誰かが引き留めた。腕の先には夏樹が両足で踏ん張っていた。
「新藤先輩? どうしてここに」
「どこへ行くの! あなた一人が行った所で何も変わらないじゃない!」
拓人は冷静ではなかった。夏樹の声もやや上擦っていた。
「でもあそこに真弓が!」
ビルを目指す拓人とそれを制止する夏樹の姿が群衆の中から飛び出し、街の景色を一望する甲機の目に留まった。
「何だ、アイツ等」
「テツ、念のため近くには誰も近づけるな」
真弓を抱える甲機はもう一体を顎で指図すると建物の奥に消えた。正面に居た甲機が一歩前に出て、肩に担いだパックの蓋が開いた。そこからけたたましい銃撃音と、散発する火花が飛び出して、銃弾が雨霰の如くアスファルトの道路を撃ち抜いた。
「逃げろ!」
下に居た一般人も警官も命の危険を感じて四散する。威嚇の銃撃だったらしく、人に向けられなかったのは幸いだった。しかしショーウィンドウは尽く破壊され、車は針でつつきまわしたように小さな穴だらけになった。街の景色は一瞬にして、内戦地域の廃墟と化した。
「山城君、行って欲しい場所があるの!」
これほどの非常時に至っても夏樹は逞しかった。拓人の自転車に乗れと促した。
「でも真弓が」
「助けたいのなら言う通りにして! 早く」
拓人は言われるままに自転車をこぐ。その後ろから夏樹が跨り、拓人は背中に何か柔らかい感触と夏樹の息遣いを感じながらその場を離れた。向かった先は閑散とした船東高校だった。既に非常事態宣言が出されているのか、いつも休日に練習する運動部の姿や見回りの教員の姿さえ目にしなかった。
「学校で何を?」
「決まっているでしょ。エクスフォールで応戦するの。あんなのが暴れたら外に出られないじゃない。山城君はもう帰ってもいいわ。佑子が来るから」
夏樹は校門に足をかけてよじ登り、スカートを大胆に翻して門の向こう側へ飛び降りた。拓人も無関係を標榜して一人で帰るわけにはいかない。何が出来るわけでもないが、夏樹を一人には出来ないので続いた。
「警察は何やっているんだよ」
拓人は倉庫の壁に拳をぶつけた。
「見なかったの? 拳銃しか持たない警察の手に負えないわ」
倉庫の中の黒い甲機は三日前と同じ姿勢のままだった。
「軍は? 甲機だってあるのに」
「強奪されたのは軍の主力機、一八式甲機を改良した二八式甲機よ。その性能はデバッガ・ストラグルの内定最有力候補とも噂されるわ。勝てるかわからないし、第一あの一八式甲機が使われることはない」
「どうして?」
「甲機反対派が今頃軍の基地で出動を妨害する騒ぎになっているはずよ。甲機をもって甲機と戦う。平和主義の人達にとって、そういうハンムラビ法典的な考え方は蛮勇なの。前時代的だってね」
「人の命一つ救えないで、何が平和だよ」
怒りに心を奪われた拓人に突然、悟りに至ったような閃きが起こった。今まで夏樹に詰問されたのはこういうことだったんじゃないかと。
夏樹が呼び出した甲機部の面々は程なく顔を揃えた。各々が狭い倉庫の中を忙しなく行き来して、エクスフォール出撃に向けてその辣腕ぶりを発揮する。滔々とプログラミング言語を入力してシステムの環境変数を設定する矢那、生身の人間と遜色のないほど自由度の高い関節運動を検査する佑子、装甲の隙間を念入りに調べる梓。そして、甲機部メンバーに的確な指示を送る夏樹。その倉庫の片隅で見守ることしかできない拓人はもどかしさに苦しんだ。
「山城君、さっきも言ったけど、貴方は家に帰ってもいいのよ」
倉庫の一隅に座り込む姿を見下ろす夏樹に対し、拓人は深々と頭を下げる。
「・・・・・・俺にも手伝いをさせて下さい」
全員が手を止めて視線が拓人に注がれた。
「今まで、皆が甲機部を勧めてくれたのに、俺は甲機から逃げていた。今まで自分の前から甲機が居なければ平和だと思っていた。でも、今それが幻想だってわかった。俺にこんなこと言う資格はないけど、捕まっているのは俺の妹なんだ。だから俺にも手伝わせてくれ! お願いします」
断られても仕方ないことはわかっている。
「一つ、聞いていいかしら?」
真っ先に声を掛けたのは夏樹だった。
「山城君は『ソードマスタ』をやめてから随分時間が立つけど、操作は覚えているかしら?」
「それって」
拓人の目に希望と感謝の光が射した。
「確認したいことは言って。説明する時間は決して多くないわ」
「そうですよ、真弓ちゃんを助けてあげて!」と梓。
「私を超えるオペレータなんだから壊したら承知しないわよ」と佑子。
「言った通り借りは返す。それだけよ」と矢那。
甲機部の一致団結により、エクスフォールの出撃準備は滞りなく完了した。梓が全身の力でハンドルを回してシャッターを上げる。出撃の時には既に日が沈みかけていた。
「この画面・・・・・・」
拓人はエクスフォールの画面に目を瞠った。それはエクスフォールの視点から映し出される画像なのに、まるでこの倉庫の天井から見上げているかのようにエクスフォールと拓人達の姿を俯瞰していたのだ。
「視点変換システム、エクスフォール全身の小型カメラから撮影したデータを再構築して、仮想上の三人称視点に画像を変換しているの。こうすればより、『ソードマスタ』に近い操作環境で戦えるでしょ?」
「それで他の操作は大丈夫?」
夏樹が拓人の肩越しに囁く。
「大体理解しましたが、このアイコンは何ですか?」
画面の右上に、一際目立つ赤いボタン上のアイコンが配置されていた。映画に出てくる自爆装置のスイッチのようだ。
「それはまだ必要ないわ。必要になった私が指示する。後はいい?」
「大丈夫です」
「それと一つ言い忘れていたわ。もしエクスフォールが破壊されて電子制御系のアクセスログが回収されれば、この甲機を作ったのが私達だとすぐにばれるわ。遠隔操作とはいえ、これは私達の命の掛かった戦いだからね」
「わかりました。絶対に負けません」
(みんなで助かるんだ! 頼むぞ。エクスフォール!)
電源を入れると、不動のまま蟠踞していたエクスフォールの黒い鎧が身じろぎして、倉庫のすぐ外の景色が画面に転写された。
そして一歩、黒い鎧の戦士は前へと踏み出した。
二八式甲機は真弓を人質に、占拠したデパートビルに立てこもり続けた。手も足も出ない政府や警察に対し、国民は勿論、甲機を操作する犯人達も苛立ちを募らせていた。
「いつまで待たせるんだよ! ウダさん! バッテリーが上がっちまうぜ!」
一つの甲機から落ち着きのない若い男の声が流れた。
「安心しろ、テツ。この建物の電力供給を止めれば人質を殺すと脅しているから、交代で充電すれば問題ない」
《ウダさん》という人物の操る甲機は貫禄のある中年男性の声だった。
「俺のバッテリーだよ! ああもう、窮屈だぜ」
「身代金が支払われれば、悠々としたリゾート暮らしが待っている」
「あなた達は、お金の為に沢山の人に迷惑をかけたんですか!」
唐突に批難した真弓に対して、機敏に動き回る甲機のカメラが一斉に向いた。
「あ? 別にいいだろ? 外を歩く人間だって大半は金の為に動いてんだからさ」
「一緒にしないで下さい! 他の人達は一生懸命働いているんですよ」
「俺達だってそうさ。散々こき使われてこの何だかわからない兵器のシステムを開発したのに、利益配分でもめた途端にクビを切ったんだからな。ま、お嬢ちゃんにはまだわからないかもしれないけど」
開き直った甲機の言葉を聞くと、働いた経験のない真弓は封殺された。
「へへ、お待たせしやした!」
さっきまで姿の見えなかった三機目の甲機が合流した。かすれた声で年齢はわからない。
「遅かったじゃねえかよ。ハッサン」
「仕方ないですよ。二八式は長時間稼働にバッテリーが四つも搭載されているから時間もかかるんです」
「お前、間抜けだけど甲機のことになると本当に詳しいんだな」
「ひどいじゃないッスか! 俺が甲機のシステムをハッキングしたお陰でこんな大それた真似が出来るんスよ」
「言い争っている場合じゃないぞ。リジウム反応を確認しろ」
甲機達はしばらく沈黙した。
「接近するリジウム反応が一つ? 防護省の一八式か?」
「単機で、しかも最新鋭の二八式に向かってくるとはいい度胸だ。ここで迎え撃つぞ』
重厚感のある甲機がゆっくりと体制を変え、階段の方向を目指した。《ウダさん》の甲機だけが真弓の監視に残った。
「そこに居るのはわかっている。姿を出せ」
サーチライトに照らされたのは黒い鎧の甲機だった。片手には鋭利な剣を握っている。
「どこの所属だ? 防護省の試作機データベースに登録されてないと思うが」
「どこであれ関係ない。あの甲機をよく見ろ」
《ウダさん》の声は露ほども狼狽の色を見せず、前方の二機を指揮した。そのやり取りからして彼が主犯格らしい。
「あの黒い鎧はリジウムの地の色だ。塗装もない未完成品を急ごしらえで向かわせたクチだろう。性能とて大したことは有るまい」
「案外、通常兵器で木っ端微塵になるかもな」
前衛の二機の甲機のうち、一方は中腰になり、体中に取りつけたランチャーパックを開き、もう一方はやたらと長い小銃の銃口を敵に向けた。人間であれば跡形も残らない弾やミサイルが黒の甲機一点に集中する。
「オラオラ! 堡塁も貫通する二十五ミリ小銃の威力を思い知れ!」
辺り構わず乱射するせいで周囲のコンクリート壁は溶ける様に削られて、舞い上がる粉塵が黒の甲機を覆う。
「その辺にしておけ」
弾を打ち尽くすと同時に二八式甲機による火力攻撃は止んだ。揺らめく粉塵の影にサーチライトを当てながら、《テツ》と呼ばれた若い男の甲機が先行して残骸を捜索した。
「ネジの一本も残らなかったか?」
前に出て足元を探す《テツ》の甲機に突然、黒い拳がめり込んだ。大きな外傷はなかったものの、凄まじい衝撃に吹き飛ばされた二八式甲機は虚空を舞った。
「何だ!」
濛々たる硝煙の中から浮き出た甲機の鎧には傷一つなかった。
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