第15話 文書崩壊
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情報工学が社会に浸透しつつある近未来の日本。サイバーセキュリティーを担う学生組織――SCCを国内で初めて設置した光風学園は高度IT人材を目指す学生の門戸として名を轟かせていた。ところが光風学園の生徒会宛にサイバーテロの脅迫状が届く。
光風学園の二年生、尾上誠二は自らの正義感の下、人知れずハッカーとしての腕を磨き続けていたが、SCCの委員長である塚本蓮を犯人と疑う生徒会役員、細川明日香の依頼によりSCCへの潜入捜査を依頼される。彼を待ち受ける近未来サイバー戦争の実態とは?
まるで周囲の空気が歪められたような異様な緊迫感だった。
――これが場の空気ってやつか?
日常と変わらぬ放課後の廊下で、尾上誠二は緊張感の籠った生徒達の視線と幾度もすれ違った。嫉妬、嫌悪、軽蔑――生徒達の表情に現れる感情は様々だったが、負の感情という意味では共通していた。普段は目立たない生徒を演じているつもりの誠二にとって居心地が悪いこと、この上ない。
――ま、仕事だから仕方がないか
何とか割り切って立ち止まる生徒達をやり過ごす。彼は別段、生徒からそんな視線を受けるような非行に手を染めたわけではない。学校成績もそれなりに維持している。特徴がなくとも無難な性格が好まれる昨今の風潮からすれば、誠二に対する評価は決して悪くはないはずだった。
ただ問題があるとすれば右腕、それはブレザーの右肘につけられた腕章にあるのだ。群青色のブレザーから明らかに浮いている若草色の帯。その上に“SCC”と赤字で印字されたアルファベットが補色効果を醸し、余計に目立つ。この腕章こそ、全ての元凶に他ならない。
SCC――School CSIRT Committee――校則に定義されるところの学園サイバー委員会の略称。CSIRTとは元来、企業や政府機関の情報セキュリティーの管掌部署を意味し、今は高等学校においても設置されている。平たく言えば、高度IT社会に適応した人材の育成を理念とする光風学園高等学校に日本で初めて設置されたサイバー空間の学生取締り組織のことだ。
工業高校が自動車を作り、商業高校が株式会社を設立するこのご時世だ。情報系学科でも学生に早いうちから実戦経験を積ませようという流れで設立したSCC。それは他の課外活動とは違って委員会の範疇に分類されている。全校生徒の個人情報を預かる職務の性質上、部活動や授業の一環としての活動には含めることはできないと、文科省の顔色を窺っての結果だった。それ故に、ネット世界の風紀委員と揶揄されることもしばしばだ(ちなみにこの学校には風紀委員が別途設置されている)。
SCCの活動内容は学校内セキュリティーの管理と全校生徒への啓発活動。要するに学校のネットワークを不正に使用する不埒な学生の摘発と内外の攻撃の解析と監視、そして防衛だ。善良な第三者から見れば格好の良い正義の味方に思われるかもしれないが、学校内での評価は違う。大半の学生は品行方正であるはずだが、それでも常時ネットワークを監視されているというだけでSCCを快く思う者はいない。要するに、SCCはこの学園の汚れ仕事だった。それにSCCが嫌われる理由はもう一つ。それは誠二の正面に構える扉の向こうにある。
生徒の通りが少ない三階の廊下。教室棟とは渡り廊下を隔てて併設されるこの建物は管理棟と呼ばれ、特別教室や会議室など特殊な用途に使われる部屋が並ぶ。
他の古めかしい板戸とは違って、頑強な金属製扉と最新式の認証システムが埋め込まれる一郭があった。あたかもSF世界の一面を切り取って、ここだけに埋め込んだかのような違和感。学校内ネットワークの管理拠点、すなわちSCC本部は見た目からして金属的な冷たさを帯び、近寄りがたい。
「ここが本部か」
『初期ID認証:ロック解除』
入り口の傍らに設置された専用端末に新品の光沢を放つIDカードをかざす。初期パスワードを入力後にパスワードの改変を求めるシステムメッセージが表示される。あらかじめ用意した番号を入力するとオートロックが解除された。
「失礼します」
分厚い金属製ドアを押し出した誠二を出迎えたのは、厳密に温度管理されたサーバー室の冷たい空気だけだった。
窓もなく、大型筐体のハイエンドコンピュータの数々が所せましと並ぶ窮屈な部屋に人影は見当たらない。毛細血管、あるいは神経を思わせる無数の配線の伝送路がそれぞれのハードウェアの懸け橋となり、頻繁に飛び交うデータがLED灯を点滅させている。
「入って」
ハードディスク音の中からかろうじて聞こえたのは少女の甲高いソプラノ声だった。誠二を歓迎するというより、開きっぱなしになった自動ドアの間から誠二を退かす意図が感じられた。程なくしてラックの間から声の主が姿を現す。
ブレザーの襟に青色のラインを刺繍された三年生だった。ただ、その表情は刃の輝きを想わせる緊張感に満ちていて油断も隙も見せず、他の三年生でさえ幼く思えてしまう。絹糸のような銀髪故に、冷たい印象はひとしおだ。小さく華奢な右肘にはもちろん、修二と同じSCCの腕章がつけられていた。
「えっと」
「聞いているわ。新人でしょ?」
「はい、そうです」
同じ目線の高さだというのに、彼女に凝視されるとなぜか自分が卑屈に思えてしまう。そんな高潔さが目の前の三年生にはあった。
「そこに掛けて待っていてくれないかしら? もうすぐバックアップが完了するから」
少女は部屋の片隅を示した。コンピュータ群の先には、居場所を失ったかのように一つの長机とそれを取り囲む椅子が窮屈に並んでいる。会議用か、休憩用のスペースだろう。椅子の数は全部で四つ。それがSCCのメンバー数を現わしているのかは定かではない。
誠二が席に着かないのを見届けず、銀髪の三年生はくるりと踵を返し、サーバーラックの前にかがみこむ。
「わかりました、塚本委員長」
学園でのある種の有名人である彼女の名前を、修二はここに来る前から知っていた。
正確には、月に一度の全校朝礼で必ず顔を見ている。朝礼では、SCCの首領である塚本委員長からの諸注意事項が題目に必ず含まれているからだ。
全校生徒が緊張した面持ちを向ける中、学校のインターネット端末を私的利用して趣味のサイトを閲覧する不埒な学生を、彼女は尽く一刀両断にしてきた。教職員とて、彼女の断罪の例外ではない。彼らにおいてはスキャンダルが首に直結するのだから、生徒以上に生きた心地がしないだろう。とにかく学園にはまるで悪しき伝統とでも言うかのように、殺伐とした五分間が毎月訪れる。故に彼女は『処刑執行人(イグゼキューター)』の異名を囁かれている。
修二が適当な椅子の一つに腰掛けると同時に、テープドライブからバックアップメディアが押し出される。塚本委員長はそれを慣れた手つきでケースに収め、耐火金庫の奥にしまい込むと、修二の正面に腰掛ける。
「尾上誠二君、だっけ?」
ここに座る直前、デスクの上から抜き取ったファイルを開き、そこに書かれる文字を目で追いながら、彼女は訊いた。
「はい、本日よりSCCに配属することになりました。よろしくお願いします」
「私のことは、既に全校集会でも知っているだろうから割愛するわ。仕事の説明の前に少し簡単な質問をしてもいいかしら?」
人形のようにドライな童顔が、誠二とファイルの間を頻繁に行き来する。どうやらあのファイルには誠二のプロフィールか何かが書かれているのだろう。
「え? 質問、ですか?」
「そんなに驚くことはないでしょ。これから学校システムの基幹に関わってもらうわけだから、あなたの能力や適性を把握する必要があるのだし」
「しかしそれは既に試験で――」
「早速だけど、SCCを志望した理由は?」
誠二の反論など聞き入れる様子もなく、塚本委員長はいきなり有り体な質問を突き付けた。
「理由・・・・・・正直に言えば・・・・・・単位のため?」
「単位?」
委員長はボールペンの手を止め、修二の顔を見上げる。眉をひそめた顔を前に、修二はぎこちなく切り出した。
「あの、おかしいでしょうか?」
情報教育を柱とする光風学園において、SCCの活動は内申点に大きなアドバンテージになる。極端な話をすれば情報系科目で仮に赤点を取っても補習はなく、工学系大学への推薦入試もほぼ確実に合格できると考えていい。SCCが発足した当初、世間では次世代教育の先駆けだとメディアが盛り上がってくれたお陰で知名度はかなり高いのだ。中には専らSCCを夢見てこの学校を目指す生徒もいる。故にSCCを垂涎の的と見る学生は本心こそ口に出さないものの、決して少なくはないだろう。SCCの誠二に向けられた視線の中には、その意味での嫉妬も含まれていたかもしれない。
「いえ、まさか単位に困っているとは思わなかったから」
「そうですかね」
誠二は頭を掻いた。
「だってそうでしょ。少なくともここに来るってことは」
「えっと、誰だっけ?」
「あ? 同じ学年なのに覚えてないの?」
「女子の名前と顔は中々一致しなくて」
「アンタ、そっち系なの?」
「ちげえよ!」
「彼女は一年の塚原(つかはら)佑子(ゆうこ)。入部して間もないけど、駆動系の人工筋肉と関節のレイアウトが担当よ。それと」
「装甲設計が担当の氷室(ひむろ)梓(あずさ)です。よろしくね」
稚気の抜けないその二年生、梓は温顔で接する愛想のよい先輩だった。
「そして小坂矢那(こさかやな)が制御系のシステムエンジニア」
「以後お見知りおきを」
どこか残念な美人三年生、矢那は抑揚のない声であいさつした。数台並んだパソコンの画面を交互に見ながら、キーボードの上に指を走らせる。
「で、私が部長と基本設計担当の新藤夏樹よ。甲機部はこれで全員」
「それで何で俺を勧誘するんですか? 部の存続に必要な最低人数も揃っているし」
「甲機の開発は今のメンバーで十分よ。でもその先の活動には甲機を遠隔操作する操縦士、オペレータが必要なの」
「俺にそれをやれって?」
「ちょっと待ったぁ!」
短く頷いた夏樹に佑子が異を唱えた。
「コイツがオペレータってどういうことですか、部長!」
「言った通りよ。エクスフォールは彼が扱うわ」
「アタシはどうなるんですか! 一生懸命操縦を覚えたのに!」
「いい? 佑子。デバッガ・ストラグルは、メカニックのミスでもオペレータのミスでも敗けは敗け。いわば戦争なの。だからオペレータにも最善の人選で臨まなければならない」
「デバッガ・ストラグル?」
「さっき甲機開発基本法という法律の話をしましたよね? それによると、開発された甲機にはある試練が課せられて、それを突破しないと国産甲機としての内定は認められないのです。それがデバッガ・ストラグル。開発された甲機同士をトーナメントリーグで戦わせ、勝ち残った甲機が内定です」
「さっきも話したように、一八式甲機が旧式化して、国内から後継機を募集することになったの。デバッガ・ストラグルに優勝すれば勧進元の防護省から軍の標準装備として内定。莫大な富と名声が手に入るわ。その一方で、内定した甲機には防護省の虎の巻とするステルス技術や地球の反対側でも通信できる衛星通信回路といった、防護省専売特許のプレミアがつくの。この技術は通称、アルティメットオプションと呼ばれているわ。つまり、このデバッガ・ストラグルを制覇した甲機は先端科学の結晶を吸収して世界最強の甲機が誕生する。世界中がその顛末に注目しているわ。そんな大事な戦いに臨むため、私は山城君にオペレータを任せたいの」
「何で部外者の俺が? 塚原さんが居るのに」
「貴方じゃなきゃダメなの。レシオン君」
拓人はギョッとして夏樹の顔を直視した。
「どうしてその名前を?」
「ゲームに登録された個人情報はわかっているのよ。私が『ソードマスタ』の管理者だから」
「何だって?」
夏樹が『ソードマスタ』の管理者という事実に拓人は瞠目した。同時に夏樹の青天井な才能に驚愕した。
「このゲームはね、実は甲機の操縦と同じ操作方法に設計してあるの。つまり、このゲームをマスターした山城君は最強のオペレータとして認められたってこと」
(タダより高いものはないな)
こんなことに巻き込まれるなら無料のゲームに手を出すんじゃなかったと後悔した。
「そんなゲームならアタシだって」
佑子はまだごねている。
「佑子、貴方の順位は全国五百十二位でしょ? 彼とは雲泥の差よ」
「それでも数十万人が参加するゲームで千番内はそこそこ優秀ですよ」
その瞬間、佑子の鋭い目つきが拓人を射抜く。フォローのつもりが上から目線に取られたらしい。
「じゃあ、アイツと勝負します! それで勝った方をオペレータにすればいいでしょう?」
「ちょっと待ってくださいよ!」
狼狽する拓人をよそに、佑子はオペレータの座を奪還しようと息巻いている。
「いいわ」
夏樹は仕方ないとばかりに承諾した。
「でも、エクスフォールは一機しかありませんよ。どうやって対戦するんですか?」
「操作環境をグラフィックモードに切り替えてシミュレーション上で戦わせる。それならパソコン二台あれば問題ないでしょ? 矢那、準備できる?」
「要するにパソコンゲームでの対戦か。予備のパソコンがあるけど、オペレータ・ジョブを追加する時間をくれないかしら。五分でいいわ」
矢那は手際よく対戦準備を進め、予定したよりも早く作業を完了した。
日常的に使う普通のパソコンだが、拓人を囲むのは三面のディスプレイ。それぞれに違った画面が呼び出される。正面の画像はどこかの索漠とした景色。地平線しか映らないからどこだかはわからない。向かって右側のディスプレイには甲機のシルエットと、何を示しているのかわからないパラメータの数字が絶えず変動している。そして反対側のディスプレイはエディタ形式の真っ白な画面上にプロンプトが点滅していた。
「すげえ! これ本当に先輩が作ったんですか?」
これまで多くのネットゲームに興じていた拓人にとって、そのクオリティーの高さは輝いて映る。
「当たり前よ。これだけの画像データを高速で処理する為にグラフィックカードだって特製だから。それじゃ説明するね。カメラの映像が映っている正面がコンソール端末で、右は甲機のステータスパラメータ、左はシステムの制御画面よ」
矢那は細長い指先で画面の一つ一つを指しながら説明した。
「さあ、まずはメインシステムの立ち上げから。左の制御画面で言われた通りにコマンドを入力してくれるかしら」
甲機の操縦というのは、終始キーボードの立ち上げだけで行われる実に簡単なものだった。
「佑子、そっちはいい?」
一方の佑子は画面の立ち上げにまごついていたが、梓の助けを借りてようやく戦闘準備に入った。
「さっきも言った通り、操作方法は『ソードマスタ』と全く同一だから」
「アンタ、面倒だからってわざと負けないでよね」
「まあ、ゲームぐらいならいいか」
拓人はキーボードに軽く手を添えた。
「じゃあ、始めて」
地平線しか映らない索漠とした荒野の景色に突然、向かい合う二機の甲機の姿が投影される。鎧と片手に持つ片手剣の装備は目の前の実物と全く同一である。夏樹達は内輪のゲームを楽しむかのようにそれを悠々と観戦した。
「先制攻撃ィッ!」
「お前、いきなりかよ!」
「佑子ちゃん、いきなり本気?」
佑子の甲機が片手剣を振り上げて猛然と迫る。拓人の甲機はまだ動かない。
「うるさい! これは戦争だろ?」
佑子が容赦なく剣を脳天めがけて振り下ろす。眼間には鋭利な剣の一閃がすぐそこまで迫っていた。そこから剣が届くまでの刹那の間、拓人は神業的なキーボード操作の早業で攻撃を躱し、がら空きになった胴を横一文字に抜いた。当の甲機にとっては鈍く光る鎧をつんざいた先に地平線の景色が開けるほど、快活な一撃だっただろう。呆気ないほどの決着に誰も何も言えなかった。
「今のって、瞬殺ですよね?」
試合開始から一分、拓人の圧勝だった。シミュレーションとはいえ、両者の力の差が十分に推し量られた結果だ。
「決まりね。オペレータは山城君よ」
「マグレだわ! インチキよ! アタシが負けるなんて!」
佑子はむずかるが、今の戦いを見れば彼女の主張は到底受け入れられるはずがない。だから誰も何も言わなかった。
「待ちなさい。騙し討ちは佑子じゃないの? 山城君が攻撃マクロを完成させる前に襲い掛かったんだから」
『ソードマスタ』のアバターは単純な攻撃コマンドの組み合わせで柔軟なアクションを発動する。しかし、実際の戦闘でコマンドを一つずつ入力する暇があるわけではなく、そこでプレイヤーはコマンドを一つのセットにしたマクロをあらかじめ用意する。これによって実戦ではアバターの操作をマクロの起動と最低限のオプションフラグだけで賄えるようになるのだ。そのマクロの組み方というのもまた、甲機の性能の要素の一つなのだろう。デバッガ・ストラグルという名前の由来はそこにあるのかも知れなかった。
「ちょっと待って。それって、さっきの攻撃マクロを山城君は即興で作ったってことですよね?」
「そこが彼の凄さよ」
「何よ、皆まで」
半べそをかきながらも、佑子も十六歳の高校生だ。いつまでも自分の主張だけを妄信し続けるほど稚拙ではなかった。
「わかったわよ。でもこれで決定ってわけじゃないんだからね! いつかアンタなんか追い越してやるから」
「せいぜい頑張りな」
矢那が佑子の背後から励ました。
「でも俺、ダメです」
満足げな夏樹の顔色が変わった。
「ゲームならともかく、本物の甲機は動かせません」
「本番もさっきの要領で戦ってくれればいいのよ」
「そういうのじゃありません。甲機が嫌いなんです」
「もしかして、甲機反対派?」
佑子の使った端末を片付けながら矢那が問いかけた。甲機反対派とは、文字通り甲機の開発に反対する人々を総称したものだ。民間団体から政治家の党派まで、規模も様態も様々な中で、一番過激とされているのが蒼穹連盟だ。世界中の甲機反対派が所属する世界最大の組織であり、この国の甲機開発にも水面下で干渉を続けているという噂がある。もちろん拓人はそこまで甲機を忌避するわけではない。彼の甲機反対派はあくまで相対的な意味である。
「どちらかといえばそうです。俺の親父は五年前に殺されたんです。スタンジアの甲機によって」
周囲の空気が急に重くなった。拓人自身、こんな話をするのは気が重かった。
「親父は甲機を取材するジャーナリストでした。甲機は人類を滅ぼしかねない酷薄の兵器だと、口癖のように言っていました。俺も甲機なんか一つ残らず地上から消えた方がいいと考えています。とにかく、俺が甲機を動かすのを親父は絶対に許さないと思います」
「夏樹、さすがに彼には任せられないんじゃないの?」
矢那が視線を投げる先で夏樹は腕を組み、壁に寄り掛かかって唇を結んだままだ。そして壁から離れた彼女はこう言った。
「そうだとすれば、山城君はオペレータになるべきよ。貴方は一つ勘違いをしているわ」
「勘違い?」
拓人は夏樹に反感的に聞き返した。梓はおずおずとしながら二人を交互に見る。
「率直に言わせてもらうけど、貴方は平和主義と甲機への無関心を混同していると思う」
「意味が分かりません」
「お父さんは甲機の脅威を世界に忘れてほしくなかったから仕事を続けたのでしょう? そこで貴方が甲機から目を背ければ、お父さんは無駄死によ」
「先輩達こそ、甲機を玩具の様に考えているんじゃないですか? そもそも『甲機による平和』以前に、世界から一つも甲機が無くなればいいじゃないですか」
「世界から甲機が一つもなくなれば、ね。でも甲機を知った世界にそんな日が訪れるかしら? 既に数十万の量産機を開発した国まで存在する以上、誰も自国の甲機を手放そうとは思わないわ。今日は帰ってもいいわ。今度の土曜日に答えを聞かせて」
「三日も待つ必要はないと思うけど、今日は失礼します」
まるで鉄枷をはめられて監獄から釈放されたように、自由の味がしなかった。これで夏樹が諦めたとは到底思えなかった。冷静なその目つきはしっかりと拓人を見据えていた。
「最後にこれだけは覚えておいて。何もせずに守れるものなんて一つもないのよ」
夏樹の呼びかけに、拓人は振り向きもしなかった。ある意味で夏樹は噂通りだった。まさか学校で兵器開発に手を染めるなんて。彼女を野放しにする学校も役人も一体何を考えているというのか。
「絶対に入部するかよ」
拓人は今しがた甲機の制御コンピュータに触れた手を見つめ、決意した。身の毛もよだつ、あの忌わしき兵器を目にするのはこれが最初で最後であると。
甲機部に絡まれて普段より帰宅の遅れた拓人はやっと自宅の敷居を跨いだ。
「もう! 兄さんたら、どこに行っていたんですか!」
家に帰るなり、玄関先で待ち構えていた少女から叱咤が飛んできた。短めの茶髪に三角巾を被り、中学の制服の上からエプロンをかける拓人の妹、山城(やまき)真弓(まゆみ)である。
拓人より一歳年下であるが、華奢な体躯に、少女らしい慕わし気な目と唇、そして囀るような声は見た目をずっと幼く感じさせる。それでも仕事で稼ぎに出た母に変わり、家事を一人でこなすしっかり者だ。夕飯を作り終えて拓人の帰りを待ちわびていたのだろう。
「ごめん」
「今日は兄さんの好きなカレーだって言ったじゃないですか!」
「おいおい、何か有ったのか?」
生活習慣のだらしない拓人に真弓は厳しかった。しかし今日はいつも以上に荒れている。
「八つ当たりって言いたいのですか?」
「ちっ、違うよ」
ご機嫌を損ねたまま踵を返した真弓は台所の奥へ姿を消した。テーブルには二つのカレーがラップをかけて置かれていた。
「母さん、まだ帰ってないのか?」
「今日は遅くなるから夕食は要らないって電話が有りました。兄さんも遅くなる日は連絡を入れて下さいね。それで、今日はどこで何をしてたんですか?」
レンジでカレーを温め終えた真弓はラップを外してカレーに手を付け始める。
「いや、部活の勧誘に巻き込まれてさ。向こうも部員確保に必死なんだよ」
「何部ですか?」
「こ・・・・・・」
うっかり甲機部と口走りそうだったのを寸前の所で呑み込んだ。今の棚に掛けられた父の遺影のお陰だ。真弓の前で甲機という言葉はタブーである。
「硬式テニス部だよ!」
「運動もできない兄さんが?」
「ひどいな! これでも俺、やる時はやるんだぞ」
「兄さんには軟式の方が向いていると思いましたけど」
「な、軟式?」
「兄さんの学校には硬式しかないのですか?」
もっとマシな嘘をつくべきだったと臍をかんだ。拓人はテニスの硬式と軟式の違いを知らない。その一方で真弓は正真正銘のテニス部員なのだ。
「ああ、いいね! 軟式か」
「兄さん、本当は何をしていたんですか? まさか女子の更衣室を覗き見なんかしてないでしょうね?」
「しないってば! それより、テレビでも観よう」
苦し紛れに拓人はテレビをつけた。臨時のニュース番組が放映されていた。普段は笑顔の女性アナウンサーが深刻な表情で草稿を読み上げる。
『お伝えしておりますように、本日午後一時頃、陸軍の深田基地に保管された最新型甲機試作機三機が何者かに強奪される事件が発生しました。試作型甲機には電子制御のオペレーティングシステムに致命的なセキュリティーホールが残されていたことが判明し、防護省はこのシステム的な欠陥が・・・・・・』
「深田か。近いな」
真弓は背後から唐突にリモコンをひったくるとテレビを消した。そのニュースを見て、真弓の機嫌が悪い理由を知った。甲機がうろつく外の世界から家族が戻らないことに、真弓はずっと不安だったのだ。
五年前に父親の死が告げられたあの日、真弓は心が壊れるほどの悲嘆に苛まれた。憔悴した状態が一週間続き、その間に痩せた頬の輪郭は今も完全には戻っていない。
父親の最後の仕事場となった紛争当事国、スタンジアは現在、すっかり落ち着いて甲機は姿を消している。けれども真弓の心の中にはまだ、甲機が影を落とし続けていた。拓人もその感情に配慮して、真弓から甲機を遠ざけるようにしている。
「何見ているんですか? まさか私がスプーンをなめるのを見て、変な妄想してないでしょうね?」
上品にスプーンを口に運ぶ真弓は、視線を落とし続ける拓人を見咎めた。
「そんなことしないって」
真弓も男のそういう眼に敏感になる十四歳なのだ。
「・・・・・・ごめんな、心配かけて」
拓人は静かに謝った。
「何で謝るんですか?」
真弓は益々怪訝になる。それは内心の恐怖を覆い隠す為に強がっているようにも見えた。
「その、帰りが遅くなったこと。でも俺は大丈夫だから」
「何か、今日の兄さん変ですよ」
拓人の滑稽さに呆れたのか、真弓は食器を片付けに台所へ立った。
(これ以上、俺達家族に甲機を近づけちゃダメだ)
拓人は真弓に、そして自分自身に言い聞かせるように反芻した。その夜、ベッドの上で今日の出来事を忘れようとしたのに、なぜか夏樹の言葉が焼き付いたように離れなかった。
――何もせずに守れるものなんて、一つもないのよ
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