第14話 支離滅裂

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「試せばわかりますのじゃ。ほれ、持ってみなされ」

 ラグズは少し長めの剣を手に取った。メセナは恐る恐る柄を握る。金属に掌の温度が奪われていく。

「両手で握ることはありませんのじゃ。抜いて見なされ」

「じゃあ」

 ラグズに促されるままに、メセナは柄をぐっと引いた。

滑らかな感触と共に、徐々に露わになる白銀の刀身。それが完全に姿を現しても、メセナの腕に一切の負担はない。

「すごい、鋼とは思えないほど軽い・・・・・・」

 メセナは刀身に映る自分の驚きぶりを目にした。

「攻撃力パラメータは膂力と持久力を数値化したものですのじゃ。270と言えば、大の男さえも押し退ける力ですぞ」

「そ、そんなに?」

 見た目には少しも太くなっていない腕が、いつの間にかそんな力を宿していたことにメセナは驚いた。

「それだけの力があれば、より強力な武器を装備した方が得ですのじゃ」

 そう言ってラグズは次から次へと千差万別な武器を手渡した。どれも扱えないほどの重さではなかった。

「こんなのはどうですのじゃ?」

 ラグズはポールアクスをしげしげと眺める。ポールアクスとは槍と戦斧を合わせたような武器のことだ。スラリと長い柄の上には、重厚な厚刃の斧と鋭利な刃先が黒光りしている。

「あの、私、これを選びたいのですけど」

 メセナが持ち出したのは最初に握った片手剣だった。最初に握ったせいか、この武器が何となく一番しっくりときた。それが選んだ理由だ。

「それでいいので?」

「はい」

「どうせならば、もっと大きめの剣にしては?」

 例えばマイズの扱うあの大剣のことだろうか。

「いえ、これがいいのです」

剣帯も腰に巻けるほどの大きさだったから、なおさら気に入っていた。図々しい武器を携行して街を歩くほどの度胸がメセナには無かった。

「では、お買い上げは以上で?」

「はい、あの、これで足りますでしょうか」

 ラグズはメセナが手渡した金袋の中を改める。

「十分ですのじゃ」

「色々と、お世話になりました」

「お安い御用ですのじゃ。ところで、お客さんはマイズとの知り合いだとか?」

「ええ、マイズさんもこの店をよく訪れるんですか?」

「訪れるも何も、マイズは私の可愛い孫娘ですのじゃ」

「え?」

 メセナの幸せな気分が一気に吹っ飛んだ。

「冒険者になるといって、旅に出たままほとんど帰って来ませんのじゃ。最後にあったのは、三年前になりますかの。もしどこかでまた、マイズと会うことがあれば家に帰って来いと伝えて欲しいですのじゃ。お客さん? どうしましたのじゃ?」

「・・・・・・いいえ、何でも」

 メセナは無理に作り笑いした。気前よくメセナの出立を祝ったのかと思いきや、こんな仕掛けで祝い金を自分に還元していたとは。どこまでもさもしい女戦士だ。

「私もマイズさんに言いたいことがありますので」

 店を出るまで憤懣だったが、青空の下に出た途端、今度は一気に爽快な気分になった。すれ違う人々が一瞬、自分に振り返るのだ。鎧を着けた冒険者など、この街では決して珍しいわけではないのに。

――これが、私

 街路脇の窓ガラスに映る自分はどう見てもメセナとは思えなかった。これまでも自分の美形には多少の自覚があった。しかしそれは、故郷の農村に暮らす丸顔の娘達よりは、あるいは街でゴテゴテ着飾る女達よりはマシだという相対的な自信だった。それが今は違う。

誰と並んで立っても、どこから見ても疑いようのない、楚々とした印象が輝き続けている。

「私、こんな顔をしていたんだ」

 アルフレインばかりを見ていて、自分の顔さえよく見ようとしていなかったからだろうか。あるいは生涯を農村の娘と決めつけて、美貌にあまり関心を持たなかったせいだろうか。十五歳にしてメセナは、自分の潜在力と同時に外見的な魅力に気が付いたのだった。


 数日ぶりに訪れたからと言って、ギルドは依然と変わらなかった。変わったことと言えば、強敵のゴーレムの討伐依頼が無くなったことくらいだ。あの不愛想な受付の女は、やはりカウンターの奥で仕事をしていた。

「求人届を出したいのですけど」

 メセナが自分から話しかけると、受付女は上目遣いになって余計に印象が悪かった。

「パーティーのスカウトかい?」

 中年女は初対面とばかりに事務的な応答をした。メセナの姿に気付いていないらしい。

「そんなところです」

「じゃあ、ここに必要事項を書きな」

 そう言ってメセナの前に白紙の様式が差し出された。以前はここに何を書けばいいのか、随分迷ったものだ。

「どうも」

 メセナは紙を受け取って事実のままを書く。今度は完璧に記載して、受付の女に提示した。それがメセナにとって、最も待ちわびた瞬間だった。生まれ変わった自分の姿を見ればどんな顔をするだろう。そればかりを期待していたのだ。

「アンタ・・・・・・」

 書類に目を通した受付の女は案の定、目を大きく見開いた。しばらくして、この書類を出したメセナの顔をまじまじと見た。自信ありげなメセナの視線がそれに合わさった。

「この前は冒険者を諦めたんじゃなかったのかい?」

「ええ、でも事情が変わったんで」

「事情? レベルが上がったことを言っているのかい?」

 受付の女は再び書類に目を戻した。レベル65のマイズでさえ仰天するほどの数値だ。冒険者の業界を熟知しているギルドの人間が、メセナの潜在力を前にして平静でいられるはずがない。

「むぅ・・・・・・」

 受付女は唸りながら最後まで読み終えた。メセナはその先の言葉が知りたくてたまらない。自分を散々に軽蔑したこの女が、メセナの見違えぶりを前に何を思うのかを知りたくて仕方がない。

「アンタ、こんな事で気が変わったとでもいうのかい?」

「え?」

 受付女の言葉は依然として辛辣だった。

「よく見て下さいよ。私、まだレベル2なんですよ」

「レベル2?」

 近くで立ち聞きしていた魔導士風の女が噴き出した。彼女はメセナのレベル2における能力を知らないのだからそんな顔ができるのだ。しかし、メセナの能力パラメータの全てを目の当たりにしたこの受付女が態度を変えないのは、どうしたことだろう。

「前にも言ったかもしれないけど、求人を出して自分を売り込む冒険者のレベルは、最低でも30が相場なんだよ。このレベルでここまで能力が上がるアンタは珍しいけど、まだその実力はレベル20程度しかない。平均からは10も下回っている」

「でも、次にレベルが上がれば30くらいの強さになるんでしょ? これだけの成長力があるだけでも、凄いとは思いませんか?」

「確かに、アンタが仮にレベル100になった時の強さは想像もつかないだろうね。だけど、それはアンタが着実に成長すれば、という話だ」

「どういう意味です?」

「レベルが上がる前に死んだら元も子もないって意味さ」

「あと1だけ、レベルが上がればいいだけの話でしょ? それってそんなに難しいんですか?」

 メセナは思わず食いついた。その勢いに周囲の冒険者が振り向いた。

「じゃあ聞くけど、アンタ、レベルを1上げるのにどれだけのモンスターを倒したんだい?」

「それは・・・・・・1体だけです」

「は?」

 受付女の顔色が変わった。


 学生にとっては夢のような話だが、SCCに籍を置くことはそう簡単ではない。他の委員会のように年始の立候補だけで認められるわけではない。配属するにはまず、数学やプログラミング、関連法令分野の配属試験をクリアしなければならない。扱うのが本物の学校ネットワークである以上、SCCメンバーには高度な技術と専門知識が要求されるのだ。そのレベルと言えば、国家資格が容易く取得できる並みの知識と技量に相当する。SCCを目指して殺到する生徒の多くはこの試験に一蹴されてしまう。それに合格する時点で、SCCのメンバーはある一定以上の知力の持ち主ということになる。そんな逸材が成績の悩みを抱えているのは確かに逆説的かもしれない。

「いえ、俺は文系科目がからっきしダメで、この前も古文が赤点ギリだったし」

「それでSCCに?」

 さすがに古文だけはSCCの実務に関係ない。ここまで言えば委員長も納得したようだった。呆れたように深く息をつくと、彼女は次の質問に移った。誠二も一安心して椅子に深く背もたれる。彼がここに来た本当の理由を詮索される心配が遠のいたからだった。

 それは二ヶ月前のこと。誠二は生徒会室の扉を叩こうとしていた。SCC本部の扉とは違って普通の引き戸を、である。

「入っていいわ」

 ノックするまでもなく部屋の主から入室を許される。

 委員会や部活動の総括を務めるだけあって、生徒会室は会議室を模したレイアウトだ。長机が部屋全体に矩形を描くようにして並び、その奥に書記用のホワイトボードと誠二を呼びつけた本人、細川明日香が半面を斜陽に照らされながら控えていた。

「よく来てくれたわね」

 誠二の姿を認めた細川は温和な表情で迎えた。二人の関係は同学年の二年生、生徒会役員と一生徒という関係である。しかし学校で知られているのはそこまでの関係であり、実は従姉でもある。

「珍しいな。学校で俺を呼び出しての話なんて」

 普段は仮名のSNSを通してのコミュニケーションが多い細川が直接対面を申し込んできたのは異例と言ってもいい。それは彼女が生徒会の仕事に没頭し、一方でそれに無関心の誠二と棲み分けするようになったというだけの話ではない。他人同士を装うことで、なるべく二人の真の関係を公にしたくないという意図がある。単なる血縁関係をも超えた、二人の本当の関係を。

「そうね。尾上君に何とかして欲しい問題があってさ」

 困惑したような顔で細川が答える。

「あのさ、生徒会ネットって使ったことある?」

 生徒会ネットとは生徒会が管理する校内ウェブシステムのことだ。光風学園では活動方針や行事日程といった告知は全てそのサービスを通して配信される他、生徒会役員の選挙を電子投票によって採決する機能もある。

「まあ、自習連絡とか見たりするくらいだけど」

「その生徒会ネットに目安箱があるの、知っている? 公開されているメールアドレスに生徒からの要望を書いて送るって機能なんだけど」

「そう言えばそんなのがあったかな」

「そこにね、こんなメールが送られてきたのよ」

 細川は几帳面に折り畳んだA4用紙を机の上に滑らせた。受け取った誠二が開いて中を確認する。


「な、何をするんだ! クラディン!」

「ザンスター、お前は私が味わってやる。全く、お前のような女がどうしてザンスターの家に生まれついたのやら。だが、今日でお前を名実共に手に入れて見せる。だが、今までの私に対する非礼についてはしっかりと埋め合わせてもらわないとな。さて、このダブルクロスで勝利した暁には、小生意気なお前にどんな恥をかかせてやろう」

 魔獣という最終兵器を投入したクラディンはもはやブレイド・ストラグルに興味を示さなかった。彼の目には勝利した後の戦利品だけが映っているに違いない。

「やめ、ろ! クラディン!」

「ふざけんじゃねえぞ!!」

「他人の心配をしている場合かな? ニレイ=クラッド」

 クラディンの言う通りだった。ミエラとは別の脅威が、この時俺の背後から忍び寄ってきた。

 反射的に身を横に滑らせた俺のすぐ近くで、刃物のような鍵爪が闘技場の土を深々とえぐった。相手は魔獣――すなわち人外の存在であるのだから、銅鑼の音が鳴ってから戦闘開始というブレイド・ストラグルの常識をわきまえているはずがない。

「引っ込んでいろ! 怪物め!」

 猛々しく叫んだ俺は空間断裂の魔力を込めた剣で魔獣の右肩に刃を食いこませた。硬質な皮膚が一気に裂けて、悪臭漂う血液が周囲に飛散する。人間ならば致命傷ともいえるこの一撃だが、魔獣を倒すには至らなかった。怯んだ様子も見せない魔獣は地面をつかんでいた鍵爪を俺めがけて突き立てる。

 空間を瞬時に跳躍できる俺でさえ、鍵爪の先端が頬に触れた。魔法ではなく跳躍によって回避することを選んでいれば、間違いなく即死だった。それくらいに魔獣の身体能力は人間のそれを凌駕していた。クラディンの過剰な自信も一応の根拠があるわけだ。

「だけどな――」

 俺は小さく呟くと次の瞬間には魔獣の頭上に移動していた。どんなに剽悍な獣であろうと、その機動力は必ず時間を消費する。その点で結局俺の速さに及ばないことは魔獣とて例外ではなかった。それからもう一つ、頭を斬り落とされては一たまりもない点では人間も魔獣も同じだ。

「俺は負けるわけにはいかないんだよ!!」

 頑強な意志が発する言葉と共に、俺は痛快な一撃を魔獣の頸めがけて叩きつけた。

 雷と同等の閃光が魔獣の頭上を射抜く。

 剣が地面を手前に止まる。魔獣の巨体の影に収まった俺がやおら立ち上がると、抱きかかえるほどの大きさの物体がべとべととした粘液をまといながら堕ちてきた。胴体から完全に断絶された魔獣の頭部だった。半開きになった口には鋸歯が櫛比し、そこから唾液がだらしなく流れ出している。

「勝負はついたぞ」

 静かに勝利宣言する俺の言葉は、この時のクラディンの耳には届いていなかった。完全勝利を確信していた彼は闘技場の光景から背を向けてミエラを愛撫するのにうつつを抜かしていた。

「おい、聞いてんのか! ロリコン魔導士!」

 叫ぶと同時に、クラディンの外道に見兼ねた俺は右腕に握るものを思いっきり投げつけてやった。それと同時に嬲られる一方だったミエラが遂に抵抗の意志を見せてクラディンの脛を蹴り飛ばす。

「ミエラ! 貴様!」

クラディンは激しい罵声をまき散らしながら執拗にミエラに迫ったが、その目の前に俺が投げた魔獣の頭部が着弾した。狙いは予想以上に正確だった。


「でも、何かあったらどうするんですか?」

ここに来る前、彼の安全が保障されないことはハッサムから再三確認を促された。それだけこの地域は危険なのだ。

公式には反政府勢力のクーデターとされているが、実際にはこの国に入り乱れて生活する多種多様な民族の利害関係が絡む、もっと複雑な内戦だ。

「残された妻子に苦労を掛けることは申し訳なく思っています。でもなけなしの金より、私は残酷な兵器の無い未来を子供達に遺したいと思いました」

それを聞いたハッサムの目が潤む。

「旦那、」

何か言いかけた時、前方を走る軍用車が突然炎を吹いた。

「甲機だ!」

後続の軍用車から飛び降りた兵士達が火柱と化した車両に向け、爆竹を鳴らすように銃を乱射する。やがてその中から現れたのは炎を全身にまといながら地面を歩く人影。

普通の人間より少し大きめの体躯だが、こんな化け物が人間のはずがない。兵士達の銃弾もものともせず、一方でその火だるまが片手で扱うショットガンは、確実に一人ずつ兵士を倒した。

「ここはダメだ! 逃げろ」

ハッサムは荒いハンドル操作で車の進路を後ろに向けた。ところが荒っぽい彼の運転は車の向きが変わった途端に止まった。時すでに遅し、既に後方には別の人影が立ちふさがっていた。時代を逆行した夢でも見ているのかと思うほど、その姿はさながら、数百年前にこの国の武人がまとっていたと伝えられる甲冑装束を細部まで再現していた。その武人が問答無用に振り下ろした曲剣が車体を容易につんざく。彼はハッサムと分断され、そのたった一撃が彼の乗る車を炎上させた。

「ハッサム!」

間一髪で脱出した彼の呼びかけに返事はなかった。代わりにさっきの甲機が邪魔な机でも退かすように、車を脇へ寄せて彼に一歩ずつ近づく。

「新世代の破壊兵器なんて、表現力不足もいいトコだ。無茶苦茶すぎる」

たった数分で一体何人を手に掛けた? そんなことを思う彼の命も今、死の水際にあることに疑いはない。そんな時に彼が取った最後の行動は、妻子への訣別と手にしたカメラで目の前の光景を撮影することだった。

(ごめんな。父さん、帰れなかったよ)

慈悲の欠片もなく振り下ろされた剣は、彼に最後の別れを言わせる間も与えなかった。


「ねえ、君。ちょっといいかしら?」

三年生の女子に声を掛けられて、山城(やまき)拓人(たくと)は思わず鼻白んだ。律義に着こなした制服の上にさらりとした金髪を被せた少女が彼を直視していた。その顔は凛としていて、清冽な水を思わせる知性と冷静さを感じさせた。

難関とされる有名私立高校、船東高校に入学して二ヶ月が過ぎ、新入生も希望の部活動に落ち着き始めた初夏の日のことだった。

下駄箱のすぐ外では、この春新入部員を獲得出来なかった部が残り少ない帰宅部の生徒達に、放課後の勧誘活動を仕掛けていた。

「ウチの部活に入らない? 山城拓人君」

拓人は頷かなかった。相手があの新藤(しんどう) 夏樹(なつき)だと知っていたからである。噂通りの美貌に何をさせても模範となれる万能の器用さ。それだけ資質に恵まれていながら実は彼女はあまり友人が多くない。それが不気味であった。だからあることないことを色々と噂される。そしてそれを確かめようにも万人に斥力を働かせる彼女の妖艶さを突破できるものはなかった。だから彼女は黒水晶のように、怪しくその輝きを増す一方だ。

「いいわ。とにかく来てくれる?」

手を引かれてはないが、夏樹の宿す一種の引力が拓人を日盛りの校庭へと誘う。

運動神経抜群の夏樹ならば運動部の可能性も考えられる。拓人は運動がてんで苦手だった。運動だけではない。有名私立高校の生徒とはいえ、入学後の学力試験は下から三番目の成績。ここでの彼は取り柄もない劣等生である。

しかし厳密には取り柄が全くないわけではない。巷で話題の剣戟オンラインゲーム、『ソードマスタ』の腕前だけは確かだ。プレイヤー同士を純粋にキャラクターの操作技術だけで戦わせる奇想天外なゲームシステムが彼らの自尊心をくすぐり、任期は爆発的に広がった。今やダウンロード人口は国内の半分とも言われ、その中でも今や拓人のハンドルネーム、『レシオン』は全国にその名を轟かせている。キーボードで編み出されたとは思えないほどの柔軟で機敏な動き、それが拓人の持ち味であった。

最も、品行方正を教育理念とするこの高校でそんな素養は何の自慢にならない。だからそんな拓人と対照的な夏樹が部活に勧誘するなど、夢にも思わなかった。もしかすると部の最低所属人数の三人を確保する意図で、頭数さえそろえばよいのかも知れない。あるいは決して評判がいいとは言えない彼女のことだ。部活動を隠れ蓑にして、よからぬ企みに巻き込むつもりではないか。

少し前を歩く夏樹の軽い足音を聞く度に拓人の不安は次第に大きく膨らんだ。

「ここよ」

アパートのような運動部の部室棟を通り過ぎ、その陰にひっそりと建つ古い備品倉庫の前で夏樹は足を止めた。

そこは車三台が収まる広さで、白塗りの壁は西日を受けて今は橙色である。校庭の反対側に新しい備品倉庫が設置されて以来、その倉庫は使われていないはずだ。

シャッターは塗料が剥離して随所に錆がはびこり、土埃で曇った小さな窓は中を見通せない。こんな場所で一体何をするというのだろう。

「ここで待ってなさい」

犬を躾ける様に拓人を置きざりにして五分、先に倉庫に入った夏樹はまだ出て来ない。

(このまま逃げようか)

拓人の心に一瞬、魔がさした。しかし後の応酬が怖くて実行には躊躇した。

そんな不敵な行動に出なくとも適当な理由を考えて断ればよいのだ。生まれてこの方、ネットゲーム以外に長所のない拓人にとって理由はいくらでもあった。

「あれ? 誰かいます?」

突然、甲高く囀るような声を背後から浴びた。

幼げな顔立ちに小柄で、その瞳は娑婆苦を知らないように、奥底まで澄み渡った女子が好まし気に拓人を見つめている。

彼女は拓人と同学年ではなかった。制服の袖や裾のラインは青色、つまり二年生だ。

「えっと、新藤先輩に連れて来られたのですけど」

「もしかしてウチの部の新人さん?」

彼女の目は爛々と輝いた。夏樹と同じ部活に所属しているらしい。強面の愚連隊ではなくてよかったと、拓人は安堵の息をついた。

「それじゃ、この部活って・・・・・・」

「ヤナ先輩、新人さんですヨ!」

話も聞かず振り返った彼女は後ろに手を振った。すると部室棟の影からもう一人、三年生の女子が現れる。

抜群のスタイルに黒く長い髪、清楚な美人である。しかし長い黒髪はクセではねかえり、ブレザーの下にパーカーを着るなど、本人はその恵まれた容姿を何とも思っていないようであった。

「その子が?」

落ち着き払った声だった。ここまで出会った部員は夏樹を含め全て女子。

この部活は裁縫部や茶道部のような文化系の部活だろうか。いずれにせよ、女子ばかりの部活ならば入部を断る妥当な理由になる。

「それで君、専門は? 装甲? 駆動系?」

「何の話ですか?」

装甲、駆動系――

どれも女子高生には、殊にこの船東高校にとっては縁のない言葉だ。それ以前に拓人は入部の意思を決していない。

誤解を正そうと口を開きかけると、シャッターが耳障りな軋み音を立てて巻き上げられ、その中から夏樹が現れた。

「待たせたわね。あ、皆も来ていたの?」

「ここは一体?」

薄暗い倉庫の奥から機械油の匂いに混じって女子がよく使う香水の香りが漏れ出した。蛍光灯が照らす内部は学校の備品倉庫とは全く様相を異にしていた。

ガレージのように工具や工作機械が並び、最新のパソコン機種まで揃っている。その中の幾つかは特別なカスタマイズを施されていた。

そして何より、中央で人の形をした黒い影が直立不動の姿勢を保って、周辺の機械と配線でつながっているのが目を引いた。

黒い影の正体は鎧武者、あるいは騎士のように黒光りしたプレートアーマーの鎧姿だった。滑らかな曲線で体表を完全に覆うボディは力強い艶を輝かせ、大の男を約一・五倍にサイズアップした体格は地面に据え付けられ、背中に収まる洋剣は迂闊に寄せつけないほど、繊細に研ぎ澄まされていた。

周囲の空気を歪めるまでの威圧感を放つその外見を見ればわかる。これはかつて五十年前の戦争で使われた遠隔操作型の有機駆動体兵器、甲機である。

「これって」

甲機を間近で見たことに、そして甲機が自分の通う学校に置かれていたことに、拓人は戦慄を覚えた。

「甲機よ。コードネームはエクスフォール。十年前に開発されたエレディアをベースに改良したもので、全長一・八米、重量五百二十キログラム。最大馬力五百五十メガ馬力に最高時速八十キロ米。最長稼働時間、七十八時間。長さ九百ミリのソード型エクス・ブレイドを搭載して、制御系は二点支持型に対応した・・・・・・」

「そんなことじゃなくて! 何で甲機が学校の倉庫にあるんですか!」

立ち尽くす拓人を尻目に、彼女達は平然とシャッターを潜り、各々周辺の機械で作業を始めた。

「甲機部。それが私達の部活だから」

そんな部活は聞いたことがない。そもそも学生が兵器を製作するなんて問題だろう。これは立派な軍事研究である。

大学や軍産複合企業ならばともかく、ここは平和な国にあまたと設立された普通科の高校だ。漫画に出るような士官学校ではない。

「顧問は?」

「国語の葉山先生になっているけど、正直全く興味ないみたいよ。まあ、顧問なんか必要ないけどね」

 聞けば顧問は一度もこの倉庫に来ていないという。

「この甲機、プラモの模型とか彫刻ではないですよね?」

「本物よ。装甲は純リジウム合金、中は人工筋肉とそれを制御する電気系統が完備。充電も完了したから、本当に動かせる。いっとくけど、学校に許可は取ってあるから」

「一体、何でこんな物を」

「君、自分の才能を磨きたいとは思わない?」

「才能?」

 拓人には全く縁のない言葉である。そもそもこんな兵器と自分の才能に何の関係があるというのだろう。

「甲機のこと、全然知らないってわけじゃないよね?」

「まあ、はい」

 これまで偵察任務が主だった従来の無人兵器とは次元を異にし、甲機は歩兵の機動力と戦車にも劣らぬ戦闘能力を持つ画期的な兵器として登場した。

人間の歩兵が担う突撃戦法や掃討作戦はそっくり甲機に取って代わられ、今では軍人は自国に立地する施設から甲機を遠隔操作する時代に突入しつつある。

「いい? 甲機はただの無人兵器とは違うの。その特徴の一つが全身を覆うリジウム装甲よ。対戦車砲を至近距離で直撃させても破損しない硬い装甲。その裏側は高い衝撃吸収性と耐熱性の化学繊維に裏打ちされているから爆風にも耐えるわ。現時点でこのリジウム装甲を破壊できるのはエクス・ブレイドだけよ」

「エクス・ブレイド?」

「リジウム合金は甲機の武器にも使われているの。この武器に高電圧をかけると原子レベルでリジウム合金が励起して、近くのリジウム合金を分解する。これがリジウム装甲を破るエクス・ブレイドの原理よ。エクス・ブレイドには絶えず電圧をかける必要があるから、必然的に本体から切り離せない近接戦闘型の武器になる。背中の剣がそれよ」

「ちなみにこの鎧、私がデザインしたんですよ! 応力集中とか、断面二次モーメントとか全部計算して」

さっきの二年生が旋盤を扱いながら自慢げに語る。

「リジウム装甲だけで重量は四百キロを超えるわ。だからアクトロンという駆動系で動かすの。エンジンやモータみたいな回転型の発動機とは違う、伸縮性の人工筋肉よ。減速機構を介さずにストローク運動を実現できるから、エネルギー効率が格段に高いの。それが照準射撃を振り切る俊敏さと、鉱山機械にも劣らないトルクの源よ」

甲機について熱弁をふるう夏樹の話が一段落すると、拓人は口を開いた。

「つまり何を言いたいんですか?」

「わからない? これだけ画期的な兵器は他にないわ。だからどこの国も、総力を挙げて甲機開発に乗り出そうとしている。それでこの国も遂に新しい国産甲機の開発に乗り出したってわけ」

「国産甲機? 既にこの国には甲機が軍に配備されているじゃないですか。閲兵式とかによくテレビに映るでしょ? たしか一八式っていう名前でしたよね?」

「一八式は五十年前の初代甲機とスペック的にはほとんど変わらない旧世代の輸入品よ。戦力としては張子の虎以下だわ」

「甲機開発基本法って知っている? 甲機の開発に民間企業や大学の参画を促すための法律よ。それのお陰で、私達高校生だって技術さえあれば甲機を開発出来るの。だからこれは違法行為じゃないわ」

「でも俺、特に物理とか苦手なんで。しかもプラモも作れないほど不器用だし」

「貴方に任せるのは電気系統でも外装でもないわ。むしろ、山城君にしかできないことを任せたい」

「俺に任せたい仕事?」

「お疲れっす!」

溌剌とした声と共に、ムチムチした体つきの女子生徒が倉庫の機械を乗り越えてきた。下はスパッツ、上着を脱ぎ棄て、ブラウスは袖をまくったいかにもスポーツ系の物腰。その格好と桃色の髪には見覚えがあった。

「あれ、新入部員? 何だ、B組の山城じゃん」

少女の声のトーンが急に低くなる。

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