第13話 突飛

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――もう、やるしかないんだ

 次の日、メセナは勇気を固めて単独で森に出掛けることにした。これまでメセナが滞在していた街を覆い尽くすように繁茂する鬱蒼とした森、通称“大樹海”に、である。勇気を振り絞っての行動というより、捨て鉢の冒険だった。結局、街の中で仕事が見つからないあまり、活路を街の外に見出そうとした結果だ。モンスターに倒されて命運が尽きようが、どうでもよかった。途中、ギルドの求人紹介を訪ねてみたが、依然としてスカウトの話は舞い込んでこなかった。仲間が集まらない以上、自分でレベルを上げる他ない。

「いいんだわ。私は冒険者だもの。魔物くらい、一人で何とか」

 さすがにロッドで凶悪なモンスターは倒せない。かといって、攻撃魔法を知らないメセナは港町で調達した短刀を握りしめて、草木の生い茂る獣道へ分け入っていく。港町の外に広がる大樹海は昼間でさえ、鬱蒼として薄暗かった。街を拠点に活躍する冒険者達が腕慣らしに足を運ぶほど、モンスターが多く生息すると聞いている。

他の冒険者も全員がレベル1からのスタートなのだ。大勢の冒険者に出来て、自分が出来ないはずがない。

「ん?」

 目の前に茂る灌木が揺れている。明らかに何かが潜んでいる気配だ。メセナは忍び足で近づいた。

「きゃっ!!」

 大鳥がガチョウのような鳴声で空高くに舞い上がる。驚いたメセナは完全に腰を抜かしていた。もう少し度肝を抜かれていたら、間違いなく股下を濡らしていた。今でさえ、足の震えが止まらない。

「落ち着くの、落ち着くのよ。メセナ」

 気を取り直してメセナは前に進もうとした。一歩踏み出そうとしたその時、メセナはいびつな物音を聞いた。

「今度は何よ?」

 何かを引きちぎるような音。そして森中に漂う血生臭い匂い。メセナは木の影からそっと茂みを覗いた。

「う!!」

 彼女のすぐ目の前に、オオカミの口が開いていた。黄色の目をした青い毛並みのオオカミが、はっきりとメセナを視野に入れて口を開けているのである。これが何という名前のモンスターなのかを、メセナは知らない。どれだけの強さなのかを、メセナは知らない。ただ、自分が死の瀬戸際にいることだけははっきりとわかっていた。

「あ、ああああああぁ」

鋸のように研ぎ澄まされた牙の間を滴り落ちる鮮血。誰のものかは知らないが、いずれ自分のそれが混ざる光景がありありと浮かんだ。メセナは吐き気を覚えて口を押える。

「いやあぁ!!」

 オオカミの顎がこれ以上開かないという角度でメセナに襲い掛かる。咄嗟にメセナは両手を前に出した。ベテランの戦士が即座に反応したのではなく、単なる防衛本能の表れだ。あるいは、死を受け入れられない弱者の最後のあがきだった。

「あれ?」

 不思議なことにメセナはまだ手も足も持っていかれていない。それもそのはず。オオカミの顎にメセナのロッドが支え棒をしていた。アルフレインに買ってもらった思い出のロッドだ。命を救われたとはいえ、そんなことに使ってもいい代物ではない。

「そのロッドは駄目!」

 メセナはロッドを奪い返そうとするが、いつ顎が閉じるのかと思うと、迂闊に手は出せなかった。そうこうするうちに、ロッドを噛み砕こうと、無理やりにでも顎を閉じようとオオカミはもがいた。円弧を描いて曲がるロッドは持ち応えられそうにない。奪還は絶望的だった。

「ひえ~~ん」

 やむなくメセナは背を向けて走り出した。手持ちの短刀で何とかなる相手ではなかった。死んだふりももはや手遅れだ。だったらもう、走り出すしかなかった。走り出したのと、ロッドが噛み砕かれる音がしたのはほぼ同時だった。

――やっぱり死ぬのは怖かった

 木の葉をかき分け、倒木の下を掻い潜る。突き出した枝が嫌らしくメセナのワンピースを割く。地面から浮き出た根が、面白がるようにメセナの足をつまずかせようとする。

――誰か! 誰か!

 近くに人の気配はない。オオカミはまだ追って来る。木の葉にうずもれた地面を力強く蹴る音が耳から離れない。

「ひいっ!」

 あてもなく逃げまわったせいだ。一歩先は断崖絶壁。近くを流れる川の水が白い筋となって遥か下の池に注がれている。

「どうして、どうして私がこんな目に遭うのよ! アルフレイン!!」

 叫んでも助けは来てくれない。来るのは死神だけだ。

「もう嫌だよ・・・・・・こんなの」

 このまま滝つぼに飛び降りるか。それとも文字通り背水の陣の覚悟でオオカミと戦うか。メセナは選択に迫られる。結果、とりあえずオオカミと戦おうと思った。自分から死地に踏み込むより、他の何かから死地に追いやられる方が、まだ勇気が少なくて済む。

だけどどうやって戦えばいい? 武器は片手に握る頼りない短刀一つだ。モンスターを見るのは初めてではなかったが、回復役としてアルフレイン達の背中ばかりを見ていたメセナはこんな時、どう動けばいいのかがわからなかった。

「落ち着いて! この剣でどこでもいいから突き刺せばいいのよ」

 などという適当な考えのまま、背後から迫るオオカミに向き直る。

「・・・・・・って、何よこれ!!」

 勇気を出して振り返るメセナは唖然とした。自分を追ってきたオオカミがいつの間にか八頭にも増えているのだ。心の中の勇気の熾火は完全に水を差された。

「やっぱり逃げようかな」

 腰を引いたその時、メセナは石に足を滑らせる。

「えっ、きゃーー!!」

 メセナは悲鳴と共に滝つぼの彼方へと消えていった。


 夜半に剣を携行した俺を見かけた門番は、当然ながら身構えて誰何の声を飛ばした。

「ニレイ・クラッドだ。ミエラ・ザンスターに取次ぎを願いたい」

「ふざけているのか! 夜中にミエラ様に用などと世迷言を」

 門の中から数人の増援が駆け付けて俺の前に壁を作った。武器は身の丈ほどもある白塗りのロッドだ。魔導士の屋敷なだけあって、警備は弟子達が担っている。どこの家でも、魔導士ならば簡単な攻撃魔法の類は身に着けている。

『一体何の騒ぎかな?』

 どこからともなくミエラの声が聞こえてきた。襲い掛かろうとしていた門番達は一歩踏み出しただけで立ち止まる。

「ミエラ様。それが、ニレイ・クラッドという者がこんな夜更けに面会を、と」

『それはボクの大事な客人だ。今すぐここに通してくれないかな?』

 用件を聞いたわけでもないのに、ミエラの返事は早かった。いかに賢明な彼女といえども、俺がここに来た理由をお見通しというわけでもないだろう。

「しかし、今はご就寝の頃合いでは・・・・・・」

『大事な客人だと、そう言ったはずだよ』

 門番達は渋々俺に道を譲った。その中の一人が案内役をして、俺は広々とした部屋の一つに通された。

「やあ、まずは帝王杯の優勝。おめでとう」

 純白のネグリジェ姿の少女が遅れて部屋に入ってきた。普段のツインテールが解かれてわからなかったが、よく見るとミエラに違いなかった。どうやら本当に寝る前だったらしい。

「お、おう・・・・・・」

「どうしたの?」

 ミエラは気にしていないが、彼女のまとうネグリジェは着心地を重視してのためか、薄い生地で織り込まれている。そこに窓から月明かりが差し込むせいで、身体のシルエットが薄っすらと浮かび上がっていた。少女の身体つきとはいえ、こうして見るとそこはかとなく色気がある。

「いや、何でもない。悪いな。急に押しかけて」

「それだけ重要な案件があるってことでしょ?」

 ミエラの洞察力に感謝しながら、俺は単刀直入に切り出すことにした。

「ミエラ、前から俺を契約剣奴にする話をしていただろ? 今更言うのもなんだが、俺を契約剣奴にする気はないか?」

「急に、どういう風の吹き回しかな?」

 今まで再三、俺の方から断ってきた話だ。さすがにミエラも即座に頷くようなことはしなかった。

「今度のラジャイカ家とのダブルクロスには、契約剣奴が必要だろ?」

「それはキミがボクのために戦ってくれるという解釈でいいのかな?」

 俺ははっきりと頷いた。

「確かにボクはまだ契約剣奴を決めていない。だけど、キミにもメリットがなければこんな話はしないよね?」

「今度のダブルクロスにはグロワ家も参加すると聞いた。勝者には敗者のそれぞれに条件が提示できるんだってな。他の魔導士はどうでもいい。だけど、グロワ家に対する条件提示だけは俺に譲ってくれないか? それが契約の条件だ」

「知っての通り、グロワ家は帝国で最も勢力のある一派だよ。本音を言うと、ボクもグロワ家から譲歩されたいことは山ほどあるんだ。それを寄越せとは、随分高い代償だね」

「それに見合った働きはする。クライアントを後悔させたりはしない」

「そうか。元はと言えばボクが誘った話だ。大船に乗った気分でキミの腕に期待するよ。必要なものが有ったら何でも言って欲しい。ところでキミは、グロワ家に一体何を要求するのかな?」

「答えなければダメか?」

「それによってはこの契約を結ぶかどうかを考え直さなければならなくなる」

「連中に囚われているティレサ=エングートを解放するためだ」

「ティレサ? ああ、帝王杯の時の彼女か。なるほど、キミの狙いはそういうわけか」

 俺の目的をどう想像したのかは知らないが、ミエラは一瞬だけ微笑を見せた。

「いいよ。その願い、聞き届けよう」

「すまない」

「ただしキミにザンスター家の名誉を預ける以上、ボクからも条件がある」

「何だ?」

「簡単なことだよ。ダブルクロスでどんな相手と対峙するとしても、キミは全力でそれに打ち克つこと。それだけだ」

 案外当たり前すぎる条件に俺は拍子抜けした。もとい、ティレサを助けたい俺はそのつもりだった。

「俺はティレサを解放するためだったらどんな敵とも戦うし、それに俺の帰りを待つ人だっている。敗北は絶対に許されないのだが、それが条件なのか?」

「そうだよ。特にラジャイカ家にだけは絶対負けては駄目だ」

「もとい、そのつもりだ。ところで町でも聞いたんだが、アンタらはどうしてラジャイカ家を目の敵にするんだ?」

「それはね、ラジャイカ家もザンスター家も、共にゼスティア家を源流とする同族だからさ。ただ、向こうの言い分によるとあちらが本家でこっちは分家だってさ。その分家であるザンスター家の方が高い地位にあるのが気に食わないんだろうね」

「そんなことか」

「表向きには魔法技術の競い合いに見えるけど、本当は身内を少しでも帝国の要職に就けたい出世争いなのさ。それが魔導士達の実態だよ。もしかすると――」

 ミエラは一呼吸置いた。

「もしかすると、キミが一番実感していることかもしれないけどね」

「やっぱり俺に魔力があるって、知っていたんだな?」

「最初はあくまで推測だったよ。キミは魔法を隠しながら使うのがとにかく上手いからね。でも、ティレサを救うためにキミが来たことでそれが確信に変わった。キミは同類を救いにここへ来たんだよね?」

「全く恐ろしい奴だな。アンタは」

 俺はソファにもたれたまま天井を仰ぐ。その後、真剣な表情で改めてミエラと向き合った。固唾をのんで、ある質問をする。

「もしかして、俺の正体を知っているのか?」

「そうだね。キミの本当の名前はこう呼べばいいのかな? ニレイ=エルガルド君」

 ミエラは家門名の方を強調した。俺は言下に立ち上がる。柄には既に手が掛けられていた。


「こいつ!」

 ラルクは何とかその手を振りほどいたが、すでに敵は自身のライフルで白兵戦を挑んできた。銃の肩当てでラルクを小突く。胸に重い衝撃を受けながらも、ラルクは頭上に叩きつけられようとした二撃目を自分の小銃でしのぐ。メカニカルな銃同士がぶつかる音が耳元で響く。

 敵の銃に弾丸は装填されていない。そうでなければラルクは既に射殺されているはずだからだ。ラルクがその素顔を確かめる間も与えず、敵は自分の銃を捨てるとラルクの銃にしがみついた。相手は自分より案外小柄だが、近接戦闘の身のこなしといい、さっきまでの銃撃戦と言い、自分よりも遥かに教練されたプロだ。黒外套をまとった姿から察するに、恐らくはグループの狙撃役。どこの国の陸軍の中でも、エリートに分類される兵種だ。

「くそっ! 大人しくしろ!」

 ラルクは膂力で押し切ろうとしたが、敵は両手だけでなく足で廊下を蹴ってラルクの背後に回り込む。器用な身のこなしで体格差を克服しようというのだろう。ラルクの頑なな抵抗の意志もむなしく、腕を捩じられる格好になった両手がMK-45から引き剥がされる。決め手の足蹴りがラルクを前方に突き飛ばした。

「どわっ!」

 両手が丸腰で壁に這いつくばったラルクが背中越しに振り返る。時間をコマ送りにしたように、MK-45の銃口が自分の胸部を捉えていた。巻き返しを図って飛びつこうにも、フルオート射撃で蜂の巣にされるのがオチだ。死が、約八ミリの丸い暗闇から自分を狙っているのがわかる。

「わあぁ!!」

 死を覚悟したラルクは最後の抵抗のつもりで腰のオートマチックけん銃を抜いた。カートリッジを勢いよく引いた後、右手の指を引き金に掛け、弾倉を丸め込むように左手を添える。そこまでの動作を敵の射撃前に完遂できるなど、自分でも思っていなかった。強く閉じた瞼の先にヒユリの顔が一瞬浮かぶ。

 散発的な射撃音が三回鳴って、硝煙の匂いが周囲をくゆらせた。ラルクは自分がセミオートで撃たれたのだと思っていた。だが、目を見開いた彼の胸元に銃創は見当たらない。激しい格闘と極度の緊張で早鐘を打つ心臓は尚も健在だ。あの絶望的状況下で競り勝つほどの早撃ちスキルが新米一兵卒の自分に備わっているはずもなく、故にラルクは疑問に感じて相手を見遣る。

 勝敗を信じられなかったのは自分だけではなかった。敵はフードを目深に被っていたが、首の動きは自分の胸元に視線を注いでいることを知らしめた。その胸元からちらつく白い薄地の布は、鮮やかな赤によって次第に侵食されていく。同時にラルクは敵が握る自分のMK-45に安全装置が作動しているのを知った。突入時には確かに解除したはずだったが、さっきまでの揉みあいで意図せず作動させてしまったのだろう。それに敵が気付かなかったお陰で、自分は死地を免れたのだ。

敵もそれを悟ったが、再度安全装置が外されることはなく、床に落とした銃の傍らで自らも息絶えた。

 一人倒しただけで気を抜くなと、教官役の軍曹からはよく言われたものだ。戦場では常に生死の選択を迫られ、たった一つの過ちがこれまでの全てを無にするのだと。ラルクはその言葉を忘れていたわけではないが、つい先まで死の淵に立たされていた彼に周囲を警戒する余裕などなかった。ようやく立ち上がる気力を取り戻し、仰向けに倒れた敵の下へと近づく。争っていた際にはよく確認する暇もなかったが、敵は思っていた以上に小柄だった。ラルクも身長が高い方ではないが、敵はその胸丈くらいのものだろう。

「・・・・・・日本人?」

 ラルクにそう思い知らしめたのは、外套の下から顕われた敵の素顔ではなく、敵がまとっていた服装だった。防弾チョッキでも、ミリタリージャケットでもなく、白地に濃緑のカラーの学生服――かつてヒユリが着ていた学校のものと全く同じだったからだ。無論、敵は兵士ではなく、ヒユリと同じ年頃の少女。ラルクがよく知る、黒い艶髪をボブカットにした日本人だった。

「ど、どうして・・・・・・こんな子が?」

 敵の正体に立ち竦むラルク。そもそも彼女は本当に敵だったのか? 避難が遅れて自分と同じく極限状況で銃を手にし、単に自衛の行動に走っただけではないのか。

――もし、そうだとしたら

不可抗力とはいえ、いたいけな少女を撃ってしまった手が震え、拳銃を手放す。そんな自分に近づく足音が耳朶を打っても、今のラルクから戦意は完全に失われていた。

「そんな、何かの間違いだ。俺は、何てことを・・・・・・」

 足音はラルクの手前で止まって、自分に銃口を向ける音がした。卑劣にも生き残ってしまった自分は断罪されるべきだと考えていたラルクは一歩も動かず、ただその方向を見遣る。

 果たして銃口のすぐ向こうには、見覚えのある顔があった。真っ白な前髪から除く深緑色の双眸、骨格の細さを象徴するシャープな輪郭、そして決して笑みを見せることなかった薄桃色の唇。

「どうして、ここにいるんですか?」

 ラルクと対峙する少女は小さなソプラノ声で問う。出会った頃から変わることのなかったよそよそしい口調。そこにいるのは間違いなく、ヒユリだった。

「ヒユリ、なのか?」

 二か月前に帰国したはずの彼女がここにいて、同じ制服の少女が自分達と銃口を向けあっている。ラルクの中で、数々の疑問が衝動となって喉の奥からこみ上げてくる。

「何で、お前がここにいるんだよ! 何でそんなもの持っているんだよ! まさかテロって、お前達が関係しているのか?」

 ラルクのいずれの問いかけにも、ヒユリは答えなかった。ただ、ラルクが少しでも変な真似をすれば即座に引き金を引けるように、指には発砲寸前まで力が込められていた。

「あなたには、関係のないことです」

「どういう意味だよ!」

 ヒユリが次の言葉を発しようとした寸前、階下から人の気配がした。重々しい装備の音も伴って聞こえてくる。そのことで彼女はそれが味方でないと判断したのだろう。彼女もまた、ラルクが倒した少女と同じく戦場に似つかわしくない薄手のセーラー服姿だったためだ。

 ラルクから銃口を放したヒユリは廊下の奥へまっすぐ突き抜けた。

「ラルクか? やられてないよな?」

 真っ先に合流を果たしたのはラルクと同じくビル内に駆け込んだ二人の戦友だった。


 かくして歴史に残るほどにセンセーショナルな首都のテロ事件は一応の沈着に向かっていた。ラルクが死闘を繰り広げたビルから出て来る頃には辺りは安全地帯と化して、負傷者の救護活動や掃討作戦の戦闘指揮が行われていた。

「よお! 第一功労者殿」

 休憩中、道路わきのベンチに腰かけていたラルクの背中を威勢良く叩くのは第333小銃中隊を束ねる壮年の中隊長だった。直属の上官とはいえ、百余名の部下を抱える彼が末端のラルクに直接話し掛けることはこれが初めてだった。

「敬礼はよせ、ここは戦場だぞ」

 冗談交じりに呟きながら、背筋を伸ばしたラルクの右腕を無理やり下す。狙撃を警戒しているというより、フレンドリーな対話を望んでいるのが本音のようだ。

「たった数ヶ月の訓練で、よく頑張ってくれた。お陰で助けられた部下が何人もいる」

「そんな、俺はただ・・・・・・当然の任務を果たしたまでです」

「今回の第一功労者として叙勲されると決まっても、そう思うか?」

「冗談は止めてくださいよ。俺が倒したのは、一人だけですよ」

「その一人を倒したお前が一番のエースなんだよ」

 中隊長の顔から笑みが消えて、赤い十字が張り付く救護テントに視線が向けられる。

「今回の事件、少なくとも十人程度のテロリストが実行犯と推計されているが、連中の大半、というよりお前がやった奴以外はまだ逃亡を続けている。こっちは二十人近くやられているのに」

「そう、ですか」

「連中は間違いなく特殊訓練を受けた決死隊とみて間違いないだろう。そんな奴らと戦って生き残ったお前は凄いよ。もっと自分を誇りに思っていい」

 中隊長が思い描く敵の姿は、筋骨たくましい大男だろう。味方にここまでの損害を与えた敵の正体を知ったら、彼は何と思うだろう。真実を語ることは、いなくなった戦友たちの愚弄につながるのではないか。


「貴様! もう一度申してみよ!」

 天に届くほど高い宮廷の天井に、雷のごとく咆哮が轟いた。見開いた目を充血させ、怒りに震える腕を抑えながら国王、サンダスカは謁見を申し出た一人の預言者を見下ろしていた。

「僭越ながら、リラディア家の中に将来、この国を滅亡に導く定めの者がおります。私は自らの運命の書に従い、そのものの存在を公にするべく参上致しました」

 国王の逆鱗に触れた預言者は臆する様子もなく、自らの役目を演じるのだった。リラディア家とはこの国を束ねる気高い王の一族。要するに、王族の中に謀反を企てる者が紛れていると示唆しているのだ。

「聞き捨てならん! 王族に対する冒涜ぞ! 誰か、その者を即刻斬り捨てよ!」

 謁見に立ち会った重臣達はすぐに動こうとはしなかった。やがてその一人が恐る恐る前に出る。

「お待ちください。あの者はリラディア家の謀反人の名を控えておる様にございます。処罰はその名を聞き出してからでも・・・・・・」

「貴様もリラディアの血筋を愚弄するか!」

「申し訳ございませぬ。決してそのようなことは」

「ええい! 貴様らがやらねば、予が自らてをくだしてくれよう!」

金と宝玉に彩られた剣がゆっくりと鞘から抜かれ、閃光を描くと同時に、玉座に続く絨毯は鮮血に染まる。生々しい光景を目の当たりにした貴婦人の数人が悲鳴を上げて失神した。

「有り得ぬ。我がリラディア家にそのような不埒者がいるなど・・・・・・」

 国王は荒々しい息遣いで玉座にしがみつくようにもたれかかる。老体に鞭打つこの行動はよほど身体に負担をかけたのか、彼はその数日後に崩御する運命となる。一方、誰もが忘れようとしたこの預言者が実はこの世界のストーリーテラーだったと明らかになったのはその翌日のことだった。人々は恐れていた。リラディア家に芽生える不穏な兆しは間違いなく忍び寄っていることを。


 ネットゲーム好きの高校生、山城拓人は新藤夏樹から甲機部に勧誘される。甲機とはかつて世界大戦で活躍した遠隔操作型の有機駆動体兵器だった。拓人の才能を見出した夏樹は彼を甲機、エクスフォールを操るオペレータに迎える話を持ちかける。夏樹達は最強の甲機を決める公開対戦試験、デバッガ・ストラグルを制覇する大望を抱いていた。当初、拓人は父親を甲機によって亡くした過去を持つため、甲機部と距離を取っていたが、奪取された甲機に妹の真弓が襲われたのをきっかけに、拓人は甲機部に入部して人々を救うことを決意する。

 デバッガ・ストラグルで拓人を待ち受ける多彩な甲機の性能は拓人達の想像を超えるものばかりだったが、全身を守る装甲を刃に変える秘密兵器、エクス・ドライブを武器に、拓人はエクスフォールと共にデバッガ・ストラグルのトーナメントリーグを戦い抜く。

 デバッガ・ストラグルを制覇したエクスフォールは軍からの正式内定を受けて国防の重要任務を任されるはずだった。しかし、甲機反対派の勢力によって政治家の父親を暗殺された夏樹は防護省大臣、赤荻卓三に私怨を抱いており、競合する他の甲機が破壊された直後を見計らって反乱を起こす。夏樹は世界中にエクスフォールの情報を諸外国に流出させて赤荻を失脚させるべく決起する。デバッガ・ストラグルによって対抗する甲機戦力が消失した今、夏樹を止められるのは拓人だけであり、拓人は無制限のエクス・ドライブ機能を持つエクスフォール改との死闘を繰り広げる。

拓人の活躍により、夏樹のエクスフォール改を撃破し、その計画を阻止した末に夏樹は軍に身柄を拘束される。夏樹の死罪は確実だったが、拓人の機転を利かせた行動が彼女の命を救う。しかし夏樹が甲機部に戻ることは当然許されるはずもなく、それが拓人との別れになるのだった。

拓人はその後、夏樹の話した事実を公にして赤荻の悪事を暴き、一方でこれ以上、誰も甲機のために悲しませないことを誓って翌年のデバッガ・ストラグルを決意した。


「お子さんの写真ですか?」

車の後部座席で写真を見つめていた彼はふと声を掛けられた。自覚しないうちに随分長い間、家族の写真を眺めていたようだ。

現地でガイドを請けた浅黒い肌の運転手の男がバックミラー越しにこちらを見ている。

男の名前はハッサム。故国から海を越えた大陸に単身で渡り、右も左もわからない彼をここまで導いた恩人だ。座席から半身を乗り出したよそ見運転だが、車は今、岩一つない広大な砂漠を走っている。遥か前方を走る軍のジープに追いつかない限り、事故の起きる余地など万に一つもない。スタンジアと呼ばれるその国は国土の大半がこんな景色だ。

「ええ、妻と子供二人を故国に残して来まして」

「しかし旦那も物好きだ。内戦ですっかり荒廃したこの国に自分から乗り込んでくるなんて。お子さんも寂しがっているんじゃないですか? いくら仕事とはいえ」

彼は慌てて訂正した。

「生業でここに来たのではありませんよ。この内戦で密かに《甲機(こうき)》が使われていると聞いて、世界にその警鐘を鳴らしたい。そのために来ました」

「ヤマキ・シンジロウさんですよね? お名前」

現地で出会ってから数時間、ハッサムはようやく彼の名前を憶えてくれた。それでもイントネーションはまだおかしくて、まだ別人の名前のように聞こえる。

「そうです。ここからずっと東の島国から来ました」

ジャーナリズムが彼の仕事である。とはいえ、安全で儲かる仕事の山は他にいくらでもあった。


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