第11話 現実逃避

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 服を着替え、一足先に小部屋を出たメセナはステータスパラメータの測定結果を待ちわびた。やがて再びカウンターに姿を現した受付女の手には、白紙で戻した求人紹介の紙が丸められていた。

「これがアンタのステータスパラメータだよ」


名前:メセナ=ゼリンシカ

性別:女

出身:ルフド村

年齢:15歳

職業:魔導士

レベリング型:ベース型

Lv:1

HP:34

MP:18

攻撃力:9

防御力:10

魔力:14

耐魔力:11

敏捷力:5

習得スキル:なし

習得魔法:ヒーリング


 メセナも受け付けの女も、しばらくは無言だった。別に自分の能力に期待はしていなかった。ただ、これほどまでにひどいと悲観もしていなかった。メセナが口を開くより先に、中年女が呆れたように言う。

「アンタ、こんな程度で仕事来ると思っているの? ここにはいろんな連中が求人を出しに来るけどね、レベルの相場はせいぜい30が底辺さ」

「・・・・・・30ですか」

 手も届きそうにない数値を口にする。

「言っておくけど、これじゃあまるで農村の娘くらいのものだよ。アンタ本当に冒険者だったのかい?」

 事実上、ただの農村の娘だった。

「大体レベルが1ってどういうことだよ。一度もモンスターを倒したことはないのかい?」

「・・・・・・はい」

「こんなレベルで何が出来るの?」

「回復魔法は、使えます」

「あのさ、今は前衛型の戦士だってヒーリングくらい使えるんだよ。むしろそれが当たり前だ。まあ、ろくに字も読めない戦士だったら話は別だろうけど」

 つまり、アルフレインのことである。

「それに、回復役なんて一番厄介者にされる立場だよ」

「そうなんですか?」

「当り前さ。ダンジョンを進む時はパーティーの最後尾からついて来るだけで、魔力が尽きれば何も出来ない。前衛のメンバーが瀕死の重傷になれば責任を押し付けられるし。そんなこんなで求人に駆け込んでくる冒険者は結構多いよ」

 中年女はしばらくの間、くどくどと呟き続けた。

「それで話を変えるようだけど、この求人紹介、本当に掲示するつもりかい? 恥さらしになるだけだと思うけど」

 女は余計な仕事をしたくないとばかりに、メセナに確認を促した。

「お願いします・・・・・・それから私、諦めたわけじゃありませんから」

 メセナはむきになって返した。ギルドの業界に精通した中年女の言い分と、駆け出しの冒険者に過ぎないメセナの言葉のどちらが正しいかは確かめるまでもなかった。掲示をしてから数日、メセナに声を掛ける依頼主もパーティーも誰一人として現れなかった。結局メセナは、多感な少女としてのプライドをみすみす失っただけだった。


 冒険者としての仕事が得られない以上、メセナに選択肢は残されていない。生きるための金だけはどんどん減っていく。仕事を探そうにも、農村の娘に過ぎないメセナに対して、街の風当たりは冷たかった。農村の出自というだけで官職に就く見込みはない。多少の読み書きができるとはいえ、官房学や経営学にからきしのメセナが商人の役に立つわけがなかった。せめて下働きの侍女にでも雇って欲しいと懇願したが、田舎の娘が礼節を知っているはずがないと勝手に決めつけられて、つまみ出されるように追い返された。

 今、メセナは薄暗い路地の中を進んでいる。路脇には浮浪者達が殻の酒瓶を握りしめて湿った壁に寄り掛かっている。両側に高くそびえる建物のせいで、青空は小さく感じられた。ごみ溜めと下水を踏み越えて、裏路地にひっそりと看板を出す店を訪ねた。まるで通りがかりの客は相手にしないような商売気のなさだ。

「ここ、でいいんだよね?」

 店の中は酒の匂いが充満していた。奥には演劇でも出来そうな舞台が設えてあったが、客も店員も見あたらない。本当に営業しているのかさえ疑わしかった。

「あら、あなたがウチで働きたい人?」

 奥の階段から誰かが下りてきた。店の主人だろう。それは煌びやかなドレスを着飾ったそれは美しい――男の人だった。髭の剃り残しを厚化粧で隠し、角ばった頬と見事な金髪が不自然だった。店長の奇抜な外見からも察せられるとおり、ここは如何わしい風俗関連の店だった。美貌に多少の自信があるメセナならば、踊り子にでも雇ってもらえるだろうと踏んだのである。来るべきかどうかは随分迷ったけれど、通りの表側に仕事はないのだから仕方がない。

「メセナと申します。お店には誰もいないのですか?」

「ウチは夜からの営業なの。そこに座って」

 促されるままにメセナは円卓の一つに腰掛ける。

「何があったの?」

 採用面接の最初の質問はそれだった。

「何があったとは?」

「アンタ、こんな場所で働きたいと思うタイプには見えないのだけど」

「そ、そうですか? でもまあ、お金がなくて」

「他に仕事はなかったの?」

 メセナは肩をすくめて頷いた。

「まあ、そういう事情を抱えた子はウチにもいるけどね」

 店長は一人納得しながらメセナの答えを書き留める。

「あの、ここって、その・・・・・・」

「何かしら?」

「私、何でもやるつもりではいますけど・・・・・・その、お客さんと、そういうのとかはちょっと・・・・・・」

 生々しい表現ができないだけに、説明は回りくどくなってしまう。それでも店の主人は納得したようだ。

「安心して。アンタに股を開かせるようなことはさせないから」

 それを聞いてメセナは愁眉を開く。

「ただ、少し派手な衣装を着てあの辺で踊ってもらうことはあるからね」

「そ、そのくらいだったら」

 ギリギリセーフと言いたいところである。

「ただね・・・・・・」

 主人はドレスの裾を引きずりながら、品定めでもするかのようにメセナの全身を見回した。時々腰のくびれを手でまさぐり、手にした一房の銀髪と、首筋の匂いを嗅いできた。どれも不快な行為だったが、ギルドで受けた屈辱を思い出せば我慢できた。この時のメセナは、少なくともこの店の主人よりは勝ったつもりでいたのである。自分の美貌には多少の自信があったからだ。この港町に来てからの七日間、初めて確信した勝利だった。

「ふうん、ねえ、ちょっと」

「はい?」

「アンタ、ここで笑ってみなさいよ」

「笑う? こうですか?」

 メセナは言われた通りに作り笑いをする。この人生最悪の状況下においてさえ、感情を完全に押し殺した血の滲むような作り笑いだった。

「ふむ、そうねえ。可愛いけど」

 主人は髭の残る顎に手を掛けた。

「悪いけど、ウチでは働けないわ」

「え!? どうしてですか!」

 メセナの笑顔が一気に崩れる。

「アンタ、自分からあまり話し掛ける方じゃないでしょ? 特に男に対して」

「ぐぅ・・・・・・」

 確かにメセナは内気な方に分類される性格だった。しかし、それが不採用理由というのはあまりに理不尽だった。

「ここがどんな店だかわかる?」

「はい・・・・・・」

「ここはね、長い間海に出たり、陸からやってきた客達が厳しい戦いの疵を癒す場所なのさ。そうした連中は、若い娘達の笑顔を見たくてやって来るんだよ。確かに、アンタみたいなのが好みの客も中にはいるけど、そんな辛気臭い顔をしていたんじゃ、お客さんも湿っぽくなっちまうよ」

「でも私・・・・・・」

 目頭が熱くなる。喉に何かが込み上げるような気がして声が出ない。そのままメセナはスカートの裾を強く握りしめた。その近くに、彼女の白皙の頬を伝う涙が落ちる。

「諦めな」

「どうしてですか! 何でみんな私を役立たずって決めつけるんですか! 私は今まで戦ってきたのに・・・・・・こんな」

 怒りに震える撫で肩にごつごつとした手が被さった。暴挙を止めるのではなく、優しく宥めるようだった。

「すいません。私、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまって。こんなはずじゃなかったのに」

「落ち着きなよ。辛い目に遭ったようだけどさ、アンタはこういう世界に来る子じゃない気がするの。色んな客を見てきた私が言うんだから間違いない。ここには二度と、来るんじゃないよ。いいね?」

 こうしてメセナは最後の砦をも陥落させられた。しかし敵将は、決して冷酷非情ではなかった。

「待ってなさい。これを持っていき」

店の主人はメセナに当面の生活費を握らせると、彼女を通りの表側まで送り届けてくれた。


 アルバートは仰向けになったまま、うわ言のように呟いた。

「ティレサを解放する。それでいいな?」

 アルバートは答えなかった。自分にはもはや答える資格もないという意思表示かもしれない。あるいは剣奴に敗れ、条件を突き付けられた自分を恥じて、敢えて黙っているだけかもしれない。いずれにしてもティレサの自由を阻むものは現れなかった。

「あの、ニレイさん。帝王杯の決着、つけた方が良いのでしょうか?」

 その問いにキラルが身構える。

「それは自分で考えるといい。誰かに言われたから従う必要は、もうないんだ。そのために、俺はここに来たんだから」

「そうですね。もう帝王杯のことはいいでしょう。でも次にブレイド・ストラグルで会い見えた時は、手加減しませんからね」

「それでいい。心の準備をしておくよ」

 俺はそれだけ言い残して闘技場を後にする。俺の戦いは終わったのだ。後はもう、孤児院に帰るだけだ。

「ありがとう、私との約束も守ってくれて」

 後ろからキラルがかすかな声を投げかけた。

「約束、果たせたのかな。結局帝王杯優勝の話はご破算になったし、ミエラの契約剣奴になるつもりもないし」

「でもニレイが帰って来てくれたなら、それでいい!」

「市民権、まだ諦めたわけじゃないからな。さて・・・・・・次はどうするか」

 とりあえず、今はゆっくり休んでそれから考えよう。トリックスターはしばらく闘技場に足を運ぶのを遠慮することにした。



「まあ、確かに見たくないな。それ」

 僕も同意して左上にあったUNDOボタンを押した。極めて微細な傾きの直線が跡形もなく消える。UNDOボタンとはつまり「元に戻す」という意味で、パソコンに搭載されるあらゆるソフトウェアでお馴染みの便利機能の一つだ。あんまり便利すぎて、僕は時に、自分の人生にもそれがあったらなどと考えてしまうほどだ。

「まるで数学の講義を思い出すな」

 今度こそ真っ直ぐな直線を引きながら、僕はしみじみと語った。

「は?」

「いや、お前も一緒に受けただろ。微分積分の講義だよ。デルタ・シータ・矢印・ゼロだっけ。ほら、角度を無限に小さく考えることで、ゼロじゃないけどゼロとほぼ同じ微小量を定義するって。さっき引いた直線の角度もまさに、デルタ・シータというやつじゃないのか?」

「ああ、あのこじつけか。ゼロじゃないのに無限小とか、結局どっちなんだって話だよな。まあ、俺はデルタ・シータがゼロじゃないと考える側の人間だが」

「そりゃ君、デルタ・シータはある時間、デルタ・ティーの間の角度の変化量であって、それを無限小に小さく取った変化量はデー・シータだよ。数学の教授はそう言って小文字のdを使い分けていたじゃないか。物理の教授もな」

「そういう理屈を言っているんじゃない。俺は、確かにそれはゼロと違うのに、それをゼロとみなす行為自体に疑問を感じているんだ。大体、デー・シータとは小数点の向こうにゼロをいくつ積んだ数のことだろうか? 学会はそれを厳格に定義していない。理論的に無視しうる量だからと学者が恣意的に判断して、それをなかったことにする。それをいい加減というのだ」

「だがお前より遥かに賢いスパコンも、世の中の物理法則も、市場原理も、そのいい加減な計算理論を前提に成り立っているんだ。確かにデー・シータ・イコール・ゼロと認めてしまえば、プログラムはゼロ除算でストップして、世の中は大変なことになってしまうよ」

「よくわかっているじゃないか。だから俺はお前に直線を引き直させたんだ。どんなに小さなものでも、その存在そのものに意味がある。ゼロを積分しても何も生み出さないが、デー・シータを積分すればシータの項として意味を持つようになる。だから結局、デー・シータはゼロであってはならないんだ。さて余談はこのあたりにして、次は手足を作ろうか」

 立方体を分割した僕達は次に、押し出しコマンドを使って賽の目に切られた領域の一つを平面から浮かび上がらせた。Aの話によれば横に突き出したこの直方体が腕となり、下に突き出た方が足になるという。なるほど立方体に四肢が生えたわけだが、Aも僕も八十年代後半の生まれであり、日本アニメの全盛期をよく知る世代で、その分作画品質に対する眼は肥えている。故にくびれも丸みもないこの直方体を、人間の太腿として納得するには無理がある。

「僕達、二次元アニメ並みの女の子を作っているんだよな?」

「ああ、そうだ。一人原型を作ってしまえば、後はそのコピーで服装と髪型、それに体型を変えれば脇役も悪役も完成して作業が早くなる」

「だが全然人間に近づいている気がしないのだが。これではまるで木偶人形の方がマシだ」

「まだまだ先は長いからな」

「どれくらいだ?」

「富士山の一合目にも満たない」

「目標は、頂上で間違いないんだな?」

「中腹で満足するくらいなら、俺は登山をしない」

「それで、次の操作を教えてくれ」

「さっき区分けした点を隣の点に近づけいく。丸みを意識するように、一個ずつ丁寧に」

 角張っていた頂点を引っ込めてみる。周りで幾何学的な平面を形作っていた白い面が、それに合わせて有機的な勾配を醸し出す。彫刻を掘るように、内面に描く人体と比べて不要と思う角や出っ張りをそぎ落としていく。

 Aも僕も、後は無言のまま作業に従事した。手に疲労を覚えた僕は作業を交代してもらい、ディスプレイの前を立って淹れたてのコーヒーカップを掴む。陶器の白を見ていると、まだ3DCGの世界にいるような気分になる。

「随分と人間らしくなっただろ?」

 作業を開始して二時間後、3DCGソフトのウィンドウに浮かび上がっているのは角砂糖ではなく、両手両足を持った一応人間と思える胴体だった。ただ母体が立方体である故か、まだ胴体がずんぐりとしていて、その割に手足が心もとなく細い。足はともかく、腕の先はまだ直方体の名残を残したままだ。肝心の頭部も、今は形にすらなっていない。

「今日一日で、結構進んだんじゃないか」

「ああ、かなりはかどったな。今日はここまでにしようか。もうすぐバイトのシフトでね」

 Aは作り上げた胴体にファイル名を与えてデスクトップに保存し、パソコンをシャットダウンした。

「もう終わりにするのか? 俺は時間だけならいくらでもあるのだが」

「いきなり根を詰める必要はないよ。続かなくなるから。それに、君には宿題があるだろ?」

「そうか。明日はまた十時集合でいいな?」

 明日の大まかな作業内容を聞いて、僕はAが借りるアパートの部屋を出た。


 両親と同居する実家に戻った僕は、早速Aから頼まれた宿題に取り掛かる。学生時代から愛用するノートパソコンを開いて、ワープロソフトを起動する。ワープロソフトの片隅には大学時代に書き並べたレポート課題のタイトル、それに趣味で書いたライトノベルの試作品が連なっていたが、それには目もくれず白紙の新規ファイルを開く。CGアニメのシナリオを描く、それがAから与えられた課題だった。

「えーと、あらすじはこんな感じか」

 Aの要求は女子高生が活躍する現代劇のコメディーストーリー。僕達がわざわざ作らなくても、日本にはその種の作品が星の数ほど輩出されている。アニメを作るにはとにかく金が掛かる。そうやって必死に作ったものだから、製作者側は元手を取ろうと高額なDVDや衛星放送の有料チャンネルの中に作品を閉じ込め、正当な対価を支払う人間だけに視聴を許す。もしそんな常識をすっぱ抜いて、素人がお金をかけず、それも少人数でアニメを作って動画配信サイトに公開したとすればどうだろう。お金の話と無関係に、誰もが楽しめるそれなりにクオリティーの高いアニメが現れたのだとすれば、動画再生数がたちまちうなぎ上りになって一攫千金が掴めるかもしれない。これこそAが僕に説明した成功への方程式だ。

 無論、僕も彼の話を鵜呑みにしてこの話に飛びついたわけではない。Aから壮大な構想の全容を明らかにされた当初は、実現可能性の観点から僕も尻込みした。だが、Aの計画を無謀と一蹴するほど、あながち僕も冒険が嫌いではなかった。というより、冒険を敬遠する権利など僕に残されていなかった。

 某アメリカ企業の倒産から端を発した、底なし不況のせいで僕の就職活動は全滅。アルバイトで糊口をしのぐにも、人見知りの性格が災いして人手不足のはずの外食屋やコンビニの店員にさえなれなかった。そういえば学生時代にはレポートの文章力を何度か評価されたのを思い出した僕は己の文才を信じ、藁にも縋る思いでライトノベルを書き上げては新人賞の応募フォームボタンを押した。もといアニメ好きな性格に加え、メディアミックスが盛んなこのジャンルに留まれば、いかに本が売れない世の中とはいえある程度の収入が見込めるという思惑があった。だが肝心の作品は一次選考より上まで一向に突破する様子もなく、果たしてその思惑が間違っていたのかどうかはさえ、いまだに確かめられてはいない。そこにAから持ち掛けられたのがこの話だ。

 ファイブフォース分析。僕が拙いライトノベルを書いていることを知ったAが持ち出してきた言葉だった。その意味自体は僕も知っている。企業がマーケティング研究をする手法の一つで、商売に乗り出そうとする業界に働く五つの力を分析して魅力度を推し量るというものだ。ちなみにその五つの力とは買い手、供給者、競合者、新規参入、代替事業のこと。

まず買い手とは小説の場合、読者のこと。子供でも買えるライトノベルの場合、相場は大体五百円から七百円で、作品の完成度が低ければいかに安価とはいえ、買い手はつかない。その点でCGアニメの場合、配信されるのは無料動画サイトだから、ほんの少し興味があるだけでユーザーは気軽に閲覧ボタンを押してくれる。つまり小説に比べてコスパが問題視されることは少ない。

次に供給者とは制作活動に必要な資源や道具のこと。最近のパソコンでは何らかのテキストエディタが標準搭載されるのが普通だし、それがなくても原稿用紙と鉛筆があれば執筆は可能だ。一方でCGアニメの場合、必要になるのは今使っているモデリングソフトの他にモデルを動かすアニメーション制作ソフト、制作した動画を圧縮データ形式に変換するための動画編集ソフト、更にはクオリティーを上げるためのエフェクトや音声を織り込む各種のツールやプラグインが必要だ。それらをサイトの海から掻き集めてくるのはいささか骨の折れる作業ではあるが、最近は優秀なフリーツールが出回るようになって、自宅のパソコンにある程度のスペックが保証されている限り、特殊な機材は必要ない。

競合者と新規参入はほぼ同じ意味で、同業者という枠で括ってよい。標準的な日本語が書ければ誰でも小説を書けるという意味で、国民全員がある意味ではライバルだ。一方でCGアニメを作ろうとすると、多くの人は足掛かりも見つけられないのが普通だろう。つまりクリエイターの人数はアニメの方が小説に比べて遥かに少数で、その分ネタが被るリスクも少ないというわけだ。

最後に代替品とは各々の人気を脅かす他のメディアの存在だ。これはもう言うまでもなく、昨今の活字離れによってCGアニメの方に軍配が上がるだろう。その点で動画の代替品となるアミューズメントと言えば、VRとかARといったものが相当するのだろうが、まだ市場で一般的に出回る代物ではない。

そこまでの話をAから聞かされた僕は舌を巻く。突拍子な企画を次々と打ち出すだけでなく、それを論理的に分析する彼でなければ、僕もこの話に応じることはなかっただろう。高い巨木に実る果実を手に入れようと思った時、地面を跳ね回るのではなく相応の高さのはしごを作り、そこに上れと助言する。それがAのやり方だ。


 翌日、Aは例のパソコンの前でさも得意げな表情を浮かべながら僕の来訪を待っていた。

「すごいな。これって昨日のデータか?」

「大分いい体つきになって来ただろう?」

 昨日までずんぐりとしていた首なしの胴体は綺麗なくびれ曲線が滑らかにつながった人間の体そのものに様変わりしていた。一本の棒に過ぎなかった手足も、肘と膝の区切りがはっきり見て取れる。色と質感はデフォルトのままだが、シルエットだけで判断するならば誰が見ても若い女性の身体だった。

「お前が作ってくれたデータの頂点を微調整してみたんだ」

「お前にこんな画才があるとは思わなかったよ。芸術学科に進学していた方がよかったんじゃないか?」

「いや、絵が描けなくてもこのくらいは誰にでもできるのさ」

 Aはウィンドウの上からツールバーを引き出してその一つを選択した。芸術的なオブジェクトの背後に一つの写真が写る。美しい身体のラインの女性が半透明になってAのオブジェクトと重なった。こんな美人の知り合いなどいるはずもないAのことだから、ファッション雑誌の一ページを切り取ったものだろう。

「大抵のモデリングツールには下絵ってものがあってな、アニメ制作の現場でもこうやって手書きや写真のモデルに合わせて頂点を移動する。それなら誰にだってできるだろう」

「そうやって作るんだ」

 アニメファンを自称しておきながら、そんな基礎的な知識もなかった僕は少し恥ずかしくなる。今更ながら自分がガイドの助けもなしに手探りで険しい山道を登ろうとしている愚かさを実感させる。

「でも、このテクニックが有効なのも首から下までだ。ここから先はそうはいかん」

 身体が完成したところで、次に頭部の作成作業が待っている。基本は身体の部分と同じ作り方ではあるが、素材となる図形は球体。ポリゴンで形作られたサッカーボールが体の真上に浮かぶ。あとはポリゴン分割と変形を繰り返しておよその顔形を作るのだが、Aの言う通り一筋縄というわけにはいかなかった。

「何だよ、それは半魚人か?」

 Aがからかったその顔は、美少女どころか人間とも程遠い単なるポリゴンの塊でしかなかった。

「難しいんだよ」

 身体の場合と違って、頭部には幾何学的な規則性がない。特に顔の部分は鼻や顎など複雑な出っ張りがあり、数少ないポリゴンで表現しようとすると他の部分が引きずられて変形してしまう。かといって、最初からきめ細かいポリゴンを成形しようとするのは、砂場の砂を一粒ずつよその場所に移し替えるに等しい気が遠くなるような作業だ。

 やむなく僕は中途半端に作った頭部オブジェクトを廃棄し、元の球体からやり直す。一時間後、出来栄えは前とほとんど変わらなかった。

「どうして出来ないんだ」

 自分の絵心のなさに絶望しながら、僕は生気のない半魚人の顔と向き合う。CGは手書きのようにきめ細やかな表情を描けるわけではないが、それでもプロはもっと生き生きとした表情を作れている。

「何か特殊なプラグインでも使っているのかな」

 弱音を吐く僕の横でAは画面をじっと見据える。何回か角度を変えてみて、不意に口を開いた。

「これ、最初からポリゴンの分割を間違えてないか」

「え?」

「球体オブジェクトを作る時、構成ポリゴンを四角にするってオプションがあるだろ。デフォルトではそれにチェックが入っていないんだ。だから球体の両極がエッジになって、変形の度に歪んでいくんだよ」

 その結果、魚のような顔になるのが失敗の本質らしい。果たして三回目にポリゴンを四角にしてみると、さっきまでの苦労が嘘のように出来栄えが改善された。まだ少しバランスが取れていない部分は残っているが、誰が見ても人間の顔だ。

「見てくれよ! これ」

 三時間後、僕は別作業に入るAを呼んだ。漫画デッサンの本を参考にポリゴンを操作して、いたいけな感情を生むほどの少女の容貌がようやく完成したのだ。

「ほう、見事だな。こっちも準備できたぞ」

「何が?」

 僕が顔のポリゴン操作に没頭している間、何やら持ち出してきたノートパソコンを弄っていたAがUSBメモリをつないだ。

「まずは目の部分のポリゴンをアクティブ状態にして、質感プロパティの設定画面を開いてくれ。そこにテクスチャを設定するボックスがあるだろ。USBに入れている『瞳テクスチャ』っていうファイル名を開くんだ」

「よし」

 一連の操作を終えた僕は確定ボタンを押す。同時に、僕が描いた少女の両目に瞳が宿った。少女漫画でお馴染みの、宝玉のような楕円形の双眸。中には薄っすらとした輪郭の瞳孔と光の反射がきめ細やかに配置されている。

「瞳や服の柄はテクスチャマッピングっていうテクニックを使うんだ。要するに、自分が描いた絵をポリゴンに貼り付ける操作のことだ」

「じゃあ、この目はお前が描いたのか?」

「そうとも。ちなみに使ったのは誰もがよく知る表計算ソフトだ」

「そんなものでできるのか!?」

「表計算ソフトにも、丸やら四角やらを描く機能があるだろ? あれで描いた図形にはぼかしや光彩、コントラストとかが色々設定できて、それをうまく組み合わせればつぶらな瞳を描けてしまうのさ。これくらいの作業なら、有償の描画ソフトを買わずに済む」

「そんな使い方があったのか。僕は大学時代の実験データをまとめるくらいのものだと思っていたよ」

「道具の使い方を決めるのは人間だよ。さて、次が頭部の中でも一番厄介な作業だ」

「というと」

「髪の毛。ここが一番の難所だと言われている」

 あの絹糸のように柔らかで繊細な髪の毛を、単純なポリゴンの平面で描く。今までの作業はCGアニメの指南書で統一されたやり方が確立されているが、髪の毛の場合はクリエイターによって色々な作り方がある。色々試した結果、僕達が考案したのはまず頭部オブジェクトの上半分を髪色に染め上げるというもの。もちろん、これだけではただの丸刈り坊主だ。その後に前髪、サイド、後ろ髪として、ポリゴンの平面をつなげていき、額から項までを神が被さるように整える。コツとしてはS字ラインを意識することだ。S字ラインというのは本来背筋の曲げ方をS字カーブ型にすると佇まいが美しく見えるというデッサンの基本手法だが、頭部の場合も同じ法則が当てはまる。それに頭部のボリュームはなるべく大きめに作った方がいい。そうすれば正面から見て小顔と認識されやすくなる。

 質感は目の場合と同様、髪の毛専用のテクスチャを貼り付ける。単色の髪色と思われがちだが、俗にいう天使の輪や陰影がないと作り物の印象がぬぐい切れないからだ。

毛先はまだ座標系に固定されているが、それでも柔らかな印象を与える豊かなブロンドヘアの完成だ。さっきまで人体模型にしか見えなかった身体が、髪を付けたことで感情に訴えてくるようになった。

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