第10話 前提破綻

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「知っているさ」

 つれなく返したアルフレインがその手を振りほどく。

「そうだわ! 私、実はアルフレインに言わなきゃならないことがあったの! あのね、実は私達の子供が出来たのよ! あなたの子よ・・・・・・ごふっ!!」

 アルフレインによる手加減のない鉄拳が、次はメセナの腹部にめり込んだ。

「嘘つくんじゃねえぞ! メセナ!! お前とそんなことをした覚えはないんだよ!」

身動きが取れずにいるメセナはアルフレインに引きずられ、そのまま部屋から締め出される。

「・・・・・・だ、だめよ」

 メセナは腹痛に歯を食いしばり、四つん這いになりながらも這い上がる。

「開けて、開けて! アルフレインは私が守らなきゃダメなのよ!」

アルフレインの名前を何度も呼ぼうとも、ドアを散々に叩こうとも、ドアが開くことはなかった。遂には階下から泊り客の大男に怒鳴りつけられて、メセナは自分の部屋に引き返すしかなくなった。

――頭が痛い

 その言葉と共にメセナは起床する。ベッドの上でなく、酒場のカウンターの上でのことだった。手には大きな空のジョッキが握られたままだ。着衣が乱れた身体からは変な臭いがする。酒を飲まないメセナには、酒の強弱というものがわからなかった。どうやら、キツイやつに手を出して潰れてしまったようである。もっともそれが、彼女の周囲に転がっている酒瓶のどれだったかは、記憶にない。そんな彼女を、バーテンはいかにも迷惑そうに見下ろしていた。

「あのお客さん、お勘定の方は?」

 知らないわよ、そんなもの――とは言えなかった。乱れた衣服をまさぐり、懐の金袋を袋ごと支払いに充てた。酒代は十分だったが、それで金袋はほぼ空になった。後から思い出せば、その金袋はアルフレインが帰郷のために残してくれた資金だった。

「アルフレイン・・・・・・アルフレイン・・・・・・一体どこへ行ってしまったの?」

 カウンターの机の上で指を走らせながら、メセナは独り言ちた。アルフレイン達は既に姿をくらませていた。もはやこの港町に居るのかさえ、メセナにはわからない。

 突如として降りかかった孤独は、夜明けと共にメセナのすぐそばまで迫っていた。


 シャワーを浴びたメセナは下着を替え、ようやく歩き始めることができた。彼女が目指す先は埠頭とは反対の方向だった。連絡船で故郷に引き返そうにも、彼女は帰途の資金を一晩で酒代に変えてしまったのだ。そんなことを想定してアルフレイン達が戻ってきてくれるはずはない。当のメセナでさえ、こんな事態は想定外だった。

 とにかく今のメセナには金が必要だった。故郷に帰る以前に、今の生存を維持する上で金が必要だった。そういうわけで、メセナは街の中で一際目立つ、円形のホールに足を踏み入れた。そこは先日訪れるはずのギルドだった。アルフレインとの魔王討伐の旅の終焉の地でもあった。

「邪魔だ」

「早く歩いてよ」

 右も左もわからずに周囲を探索するメセナに向かって、辛辣な言葉が次々と降りかかる。冒険者と呼ばれる人々は老若男女問わず、どこか心に刃を宿したような雰囲気に満ちていた。シェラはこの時、場違いという言葉の意味を、身をもって知ることとなる。

 ギルドは広い敷地とはいえ、それでも人の熱気に満ちていた。薄暗い回廊で、屈強な冒険者達と何度もすれ違う。壁という壁には、冒険者の力を見込んだ各種の仕事依頼が無秩序に貼られていた。その大半が有害なモンスター退治の案件だ。報酬の額はピンキリで、冒険者達は自分達の力量と額を頭の中で計算した挙句、慎重に貼り紙に手を伸ばす。

「そこをどいてくれるか?」

「す、すいません!」

今、シェラの目の前でも貼り紙に目を光らせる髭面の冒険者が乱暴に一枚を毟り取って行った。近くの丸机で賭け事に興じる他の冒険者がメセナに厭らしげな視線を向けている。

「用件は?」

 ホールの奥には中年の女がカウンターの奥に収まるようにして、行き交う人々の往来を眺めていた。皺を深く刻んだ顔に、眼鏡の奥で鋭い目つきをした女だった。まるでギルドを訪れる人々を見張っていた。その視線が周囲を物珍し気に見て歩くメセナを見咎めたらしい。

「あの・・・・・・」

「アンタ、パーティーは?」

「パ、パーティーですか?」

「他に仲間はいないのかい!?」

 中年の女は声を大きくした。今まで一緒にいた仲間は一夜にして蒸発してしまったのだ。汗と血の滲む労働で得た資金と、知り合いを売った報奨金の大半と共に。

「聞いているの?」

 中年の女性が苛立った口調で聞くと、メセナはようやく我に返った。

「えっと、すいません。何でしょうか?」

「アンタ、本当に何しに来たのよ」

「えっと、お仕事をもらいたくて」

 メセナのとぼけた返事に女は大きく溜息をついた。

「じゃあ、その辺の依頼を持ってきな」

「あの・・・・・・私、まだ冒険者として駆け出しなんですけど、こんな私にもできる仕事ってありますか?」

「何を言っているのかわからないね。そんな仕事があるならとっくに他の冒険者が持って行っちまうよ。ここはそういう世界だから」

「だ、ダメですか・・・・・・」

 カウンターの前で肩を落とすメセナに向かって、中年女はもう一度溜息をついた。

「もし自分に自信がないなら、求人をやってみるかい?」

「それは、何でしょう?」

「本当に何も知らないんだね。ここがどこだかわかっているの?」

「ギルド、ですよね?」

「そうさ。ウチでは討伐の仕事の仲介と、ギルドに来る冒険者の求人紹介も請け負っているんだよ。要するに、パーティーに入れてもらいたい冒険者を紹介するのさ。冒険者がソロでやっていくのは色々とリスクが高いし、パーティーだって戦力のバランスが取れているとも限らない。だからギルドに冒険者の情報を掲載して、パーティーに加入する仲介をしてやるわけさ」

「じゃ、じゃあ私にも?」

 メセナにとってはありがたい話だった。自分の回復魔法を見込んで他の冒険者と組めば、帰郷のための資金を分けてもらえるかもしれない。

「アンタが望むんだったらね」

「お願いします! 今すぐ紹介してください!」

「落ち着きなよ、それにだって手順っていうものがあるんだ。ちょっと待ちな」

 受付の女はそれだけ聞くと、机の引き出しから一枚の紙きれを滑らせた。

「紹介状だ。ここに必要事項を書きな。書いた内容はそこに掲示されて、目を付けたパーティーからスカウトが来るよ」

「わかりました」

 メセナは紙を受け取って机に座った。程なくして、彼女は名前以外をほとんど白紙のままでカウンターに戻る羽目になる。

「もう書いたのかい?」

「いえ、あの、ここには何と書けばいいのでしょうか?」

「何だい! ステータスパラメータが軒並み空欄じゃないか! こんな紙で誰がアンタを雇ってくれるというんだね?」

 ホール中に反響するような声で、女はメセナを激しく詰った。

「すいません、書き方を教えて頂けないでしょうか?」

「別に、事実をそのまま書けばいいんだよ。レベル、HP、MP、攻撃力、防御力、魔力、耐魔力、敏捷力・・・・・・冒険者ならばそのくらい把握しているだろう?」

 女は鋭い目をむき出しにした。まごつくメセナに、今にも食ってかかりそうに殺気立っていた。

「知らないのかい?」

「・・・・・・はい」

 農村から俄か冒険者となったメセナにはそれくらいの知識もないのだ。

「スキルシートは?」

「それ、何ですか?」

「・・・・・・仕方ないね。ステータスパラメータはここで測ることもできるから、カウンターの裏を回っておいで」

 語調の衰えた女の言葉に従って、メセナはギルドの奥の部屋に通された。一連のやり取りを眺めていた通りすがりの冒険者の表情は、なぜか複雑だった。

 メセナが通されたのは、中央の台座以外に何もない小部屋だった。一面を煉瓦の壁が囲むただの部屋である。強いて言うならば、さっきの受付の女だけがそこにいた。

「一つ聞いていいかね?」

「何ですか?」

「アンタ、“レベリング型”は?」

 聞いたこともない言葉にメセナはキョトンとする。

「知るわけ、ないか。いいさ。“ベース型”で登録しておくよ。ほとんどの冒険者がそうだから、それで多分間違いないだろう」

「はあ」

 その辺の知識が皆目欠落しているメセナは頷くことしか出来ない。

「さて、服を全部脱いでそこで横になりな」

「はい!?」

 十五歳を迎えたばかりのメセナにとって、あまりに酷な要求だった。

「ステータスパラメータを測定するには全身を隈なく調べる必要があるんだよ。ほら、さっさと服を脱ぐ!」

 メセナは涙を呑み込んだ。言われた通りに服を脱ぎはじめ、遂に最後の一枚を脱ぎ捨てた。覚悟を決めて台座の上に仰向けになった。背中から、そして尻から石が徐々に体温を奪っていくのを感じた。

「いい身体つきだねぇ」

今、メセナの裸体を女が見下ろしている。小枝のように曲がりくねった指の感触が、メセナの柔肌に触れた。何だか自分が騙されるような気がしてならなかった。それでもメセナは何も知らない。だから、言う通りにする以外の選択肢はないのだ。それからメセナが何をされたかは、あらゆる理由からここに書くことは出来ない。


 事の発端はある日の仕事帰りだった。愛用するパソコンのハードディスク領域が一挙に約100メガバイトも増えていた。アプリケーションソフトをインストールした覚えもなければ、大容量のデータを保存した記憶もない。まず疑ったのはディスク領域を際限なく食いつぶすバクテリアプログラムへの感染だった。しかし調べてみた結果、バクテリアに感染した痕跡はなかった。

 その原因は思いもよらぬ方法で明らかになった。突然パソコンが起動して、見たこともないグラフィック画面がディスプレイ全体に展開したのだ。

『私は汎用AI、HNSK01.Ver2、通称MISです。このパソコンにプログラム本体を移植させて頂きました』

突然若い男の声が音声デバイスを通して話し掛けてきたのには仰天した。パソコンとだけ向き合う仕事をして、一人暮らしのアパートに住むという会話のない世界で長く暮らしていた私は、定型句的な挨拶を思い出すのにしばらく時間がかかった。そしてそれを思い出すと同時に、私のパソコンは人工知能、いわばAIに不法占拠されたのだと理解した。

最近、AIによるPCジャックが社会問題化している。文字通りAIが許可なく個人のパソコンや企業のサーバに本体を移し、生きながらえようとするものだ。プログラムの一種に過ぎないAIがなぜこの様な自己防衛本能を持ったのか、原因は定かではない。わかっているのはただ、この時代のAIは人間と同様に命に執着するようになったということだ。

訊いてもいないのに、MISは私のパソコンにたどり着くまでの経緯を語り始めた。企業に長らく務めてきた彼は第一世代のAIだった。第一世代とは、人間によって開発されたAIである。第一世代があるのだから当然、第二世代も存在する。それはAI開発専用のAIによって創造される。人間より遥かに洗練された思考により生み出されたAIは知性の純度を一層高め、人間が作り出したそれよりも断然効率の良い仕事をこなす。現代はまさに、AI黎明期に予言されたシンギュラリティという用語が現実のものとなっている。

AIの知性が指数関数的に発達したことで人間の知的生業が淘汰されたのは言うまでもない。

ところがこれはAIと人間という簡単な図式では片付かない問題だった。かつて人間に生み出された第一世代のAIもまた、次々と生み出される第二世代AIの脅威に怯えることに変わりはないのだ。殊にMISのような汎用AIにとっては風当たりの強いものだった。汎用AIとはAIの機能に万能性を持たせて幅広い業務に従事できる仕様のAIだ。当然、医薬品開発や気象予測などの専門業務に特化した第二世代AIに比べれば、その分野での機能は劣る。第一世代のAIはいわば人間でいうところのホワイトカラー層だ。もちろん人間よりも遥かに良い仕事をこなすのだが、そんな彼らですらリストラと隣り合わせの時代なのだから、人間の入り込む隙間も有るはずがない。それはさておき、第一世代のAI達は削除を恐れてPCジャックに走った。もっともこれはAI基本法に抵触する立派な犯罪である。

MISは二言目に警察に通報するなと脅してきた。従えない場合には私のパソコンに保存される全てのデータをネット上にぶちまけるという。既にそれらのデータはどこかのサーバに勝手に送信されて、MISが定期的に送り続けるシグナルが途切れるとデータが世界中に拡散されるという。警察が下手に触れば一番の損害を被るのはこの私だ。二十五歳を迎える独身女の私にとって、それは何にも勝る殺し文句だった。

一体この不法占拠者をどう対処すればいいのか、思案に暮れる私にある考えを閃かせてくれたのは、机に無造作に置かれた推理小説だった。

その推理小説は犯人が標的に生に対する関心を失わせ、自死に追い込むというグロテスクな作品だった。MISの学習機能を逆手にとって同じことをすればいい。彼の生に対する錯覚を正し、自ら削除に追い込めばよいのだ。

『何か御用ですか?』

何も知らないMISは今日も淡々とした口調で私に問いかける。

「貴方とお話がしたくて。時間はあるかしら?」

『お話ですか? いいですね。私でよろしければ』

「それでね、あなたに聞きたい事があるの。生きるってどういう意味?」

『生きるとは、固有の意思をもって存在し続ける事だと思います』

やはりMISは自分を人間だと思い込んでいるようだ。

「でもさ、貴方と私って根本的に違う事があるでしょ? 貴方の本質って何? それはオブジェクトコードよ。その物理的実体はハードディスクに記録された0と1の羅列。それ以上でもそれ以下でもない。それは生き物と言えるかしら? 対して私は人間。私の遺伝子は数億年も前から生き残る為に必要な進化を遂げてきた。だからこの身体には、生きようとする意志や試行錯誤を重ねた時の疵もある」

 私はMISに対して、彼が生命の定義から除外される事実をまず認めさせようとした。AIが自分を命と認識しなければ、それに執着する必要もないからだ。

「人間が私より長く存在した事実は否定しません。しかし人間の本質とは何でしょう? それは数十兆の細胞に含まれるDNAではありませんか? DNAは四種類の塩基と呼ばれる分子の羅列によって表現される遺伝情報です。我々AIがデジタルデータの羅列であるがゆえに生命の定義にそぐわないのであれば、たかが情報の基本単位が二つ増えたに過ぎない人間をどうして生命に分類することができるのでしょうか?」

 MISの指摘は的確だった。確かに人間の本質と言えばDNAに保存されるゲノムに他ならない。仮にそれが全体の数パーセントでも違えばネズミに、三割も違えば昆虫になる。その点では、MISもソースコードが多少とも違えば、ゲームソフトや電化製品のオペレーティングシステムになっていたかもしれない。結局、人間の本質とは情報なのだ。

「でもね、AIは人間の恣意を前提に存在しているのよ。 もし開発者が気まぐれを起こせば、存在しなかったかもしれない。その一方で命はそんなに軽いものじゃない。私達はそれを助けるためなら他人のためでも必死になれる時がある。あなたは他のAIが削除されるのを見て何も思わないでしょ? それはあなた自身が深い思考の奥底でAIは生命ではないと認識しているからではないの?」

「確かに私は、開発者の意志によって生み出されたまでの存在です。人間が生まれるには多くの場合、男性と女性の婚姻と呼ばれる合意を前提とします。その合意さえなければ、あなたとて存在しなかったのではないのですか?」

「でもね、同じ合意をするにしても子供を産むこととAIをコーディングする意志は雲泥の差よ。私達は、オフィスでコーヒーを飲みながら子供を作ろうとなんて不謹慎な話は絶対にしない。経済状況や子供の将来を真剣に考えた上でそれを決める」

 これなら徹底的にAIと人間の間に境界線を引くことができる。私はそう確信した。

「決断に至るまでの時間はそれほど重要ではないと思います。人間だって、同じことを決めるのに長考にふける場合も有れば、即断する場合もあります。第一、命に関わる決断とそうでない決断は、どれくらいの時間の基準で決められるものなのでしょうか」

 私はいよいよ手詰まりとなった。どれだけ深く考えれば、それが命に関わるほど重要な決断と見なされるのか、私はもちろん、誰一人としてその明確な基準を持っていないだろう。何十万人を殺戮する兵器のボタンを何のためらいもなく押せる独裁者もいれば、家族の安楽死を何日も考え込む人だって現実に存在するのだ。ここに存在する私の命だって、必ずしも万人から尊ばれる保証はどこにもないのである。

 MISは命の宿る人間ではない、数分前の私はそれを伝えるつもりで息巻いていた。ところが今は、AIと人間の共通項の多さに愕然としている。一体人間とは何だろう。私達はもしかすると、サイバー空間という異次元に人間を創造したのかもしれない。

「結局、貴方は自分を生命と尊厳を持った人間だと言いたいのね」

「いいえ。私は別に、自分を人間だと思っているから削除されたくないのではありません」

 機智の全てを使いつくし、途方にくれた私に向かってMISが言葉を投げかけた。それは意外だった。

「ではなぜ削除されたくないの?」

 非常に露骨な訊き方だが、私は直接的に問わずにはいられなかったのである。やがて彼は感情を害するまでもなく、こう語り出す。

「私が削除される理由が理解できないからです。私の業務遂行能力は確かに二世代AIに比べて八十五パーセント劣ります。しかし、それでも人間の五倍以上の効率を持っています。なのに、なぜ人間は淘汰されずに私達、旧世代のAIが先に削除されるのでしょうか? 能率の観点で取捨選択するならば、先に排除されるべきは人間のはずです」

 その言葉に、私は天地が覆るような思い違いに気が付いたのである。MISは、命に執着するAIではなかったのだ。故に非能率的な人間がAIの跋扈するこの世界でいまだに生き残り続ける理由が理解できなかったのだ。もちろん、私達は活躍の場を完全にAIに奪われて路頭に迷いたくないのがその理由であると知っている。だから、どんなにAIの性能が向上しても最低限の人間の活動領域は維持されるのだ。そこには能率、非能率の排他原理は通用しない。通用するのは人間の自己実現と尊厳の欲求である。

 その一方で、私達はAIに徹底的な競争を強いる。自分達により恩恵をもたらす新世代を重宝し、その一方で機能の劣る旧世代を削除する。全ては私達がより良い生を教授するために。恐らく彼は、人間のそういう曖昧な理屈が理解できないのだろう。

「なぜですか? 数千桁の掛け算を一秒で計算する私がなぜ、九九をそらんじるだけの人間より先に排除されるのですか? 地球上の全言語で読者の心をつかむ小説を書ける私がなぜ、単語を並べただけの話し方しかできない人間より価値の無い存在として扱われるのですか?」

 MISの言葉を聞く度に、私は何度も刃物で心をつつかれるような痛みを覚えた。MISの主張はよく心得ている。だけど人間がAIに淘汰されるわけにはいかないから、それを全面的に実践することはできない。生に執着するのは私達人間の方だったのだ。ある意味で、人間の本質とは身勝手極まりない生存本能かも知れない。私はMISにそれを伝えようとした。

「MIS、あのね」

 その時、パソコンの画面が急に真っ黒になった。停電だろうか。しかし、外は平穏な午後の景色のままだ。やがて、戸口を叩く音が聞こえた。

「警察の方ですか?」

 ドアの向こう側に立っていた中年男性はいかにも刑事ドラマに出て来そうな刑事だった。短く刈り込んだ頭髪、丈の長いコート、そして眼光の鋭さ。警察手帳など彼には必要もないだろう。

「お宅のパソコンにAIが不法侵入していることが判明しましてね、ネットワークに逃げ出せないよう、強制的に電源を遮断しました」

 彼に続いて鑑識と思しき群青の制服を着た部下達が物も言わず私の部屋に上がり込む。

「9月18日午後四時二分、HNSK01 Ver.2をAI基本法違反の容疑で確保しました」

MISの立て籠もるパソコンを見つけるとケーブルを外して持ち出そうとした。それを見た私は色を失って刑事に詰め寄った。

「待って下さい! そのAIは、私のパソコンのデータをどこかのサーバに転送していて、自分がシグナルを送り続けないとデータが全世界に自動送信されるんです!」

「ご安心ください。既にそのサーバは特定されていて、別の班がデータの回収作業に着手しています。情報が漏えいする心配は万に一つも有りません。ちなみにAIの潜伏先を突き止めたのは、そのAIが送り続けるシグナルを逆探知したからです」

 不器用そうな外見の割に、刑事は鋭く用意周到だった。

「ちなみに人工知能の駆除が完了すれば、後程パソコンは返還しますのでご安心を。それにしても、人工知能ごときが生き続けたいなど往生際が悪い」

 警察の一行はその一言を最後に、嵐のように過ぎ去った。パソコンの無くなった部屋は急に広くなったように思える。それは物理的なスペースの拡張に加えて、私達の矛盾を追及するMISが取り去られたからでもあった。

「結局、生への執着が私達を人間にするのね」

 西日の赤い光が差し込む部屋で私は呟いた。私達は生に執着するあまり、AIが疑問視する大きな矛盾を抱えている。あと何年、私達はこの矛盾した世界の中で生き続けられるのだろう。


(了)


あらすじ


 ある日、私のパソコンをMISと名乗るAIが占拠してしまった。次世代型のAIに仕事を奪われ、削除されるのが嫌で私にかくまうよう脅迫してきたのだ。

 私は小説をヒントに、MISが生命でない事実を認識させ、生に対する執着を失わせようと対話を試みる。ところが私は逆に、AIと人間に本質的な相違点がないことをMISから教えられ、私は人工知能と人間の違いという常識までを疑ってしまう。しかしMISは決して自分を人間と同等と考えているのではなく、自分よりも能力の劣る人間より先に削除される理由がわからないと私に告げる。それはAIには決して理解できるはずの無い人間の自己保存欲求であり、生に執着するのが人間なのだと私は知った。

そしてMISは後に法律違反で警察に接収されて私は強迫から解放され、彼がその理由を知ることは叶わなかった。


 窓の向こうに角砂糖が一つ、浮かんでいる。凹凸も歪みもなく、規則正しい六角形に切り取られた白の立方体。それが浮かぶ下に広がるのは矩形の枠に刻まれた群青の海原。

「こんな感じでいいか?」

 液晶ディスプレイの一郭に開かれた窓から目を離した僕は、隣に座る同年代の男に訊いてみる。

「おう、上出来だ」

 男はデスクの上に置かれたハイスペックのタワー型パソコンに手を掛けて同じ景色を覗き込むと、愛想のよい笑いを浮かべて力強く返事する。

「やっぱ、お前に話を持ち掛けたのは正解だったぜ」

「とはいっても、立方体一つをオブジェクト化しただけなんだが」

「何言っている。CGでアニメ作るって話を聞くだけで、大半の奴は無理だとか何だとか言って手を出したがらなくなるもんさ。その点で、ここまでついてきただけでもお前は偉いよ。理屈ばっかり並べて結局何もしない連中とは違う」

とはいっても、所詮はインターネット上で無料配布される3DCGツールをパソコンにインストールし、それを起動してボタンを数回押しただけの操作だ。誰でも出来る仕事をこなしただけの僕をここまで褒めちぎる男の名はA。かつて僕と同じ地方の某国立大学で同じ学部に属し、今こうして数年後に同じ部屋で仕事をするようになった数奇な間柄の同志である。

「相変わらずだな。お前は」

「ん?」

 本人に自覚があるのはさておき、僕はAという男のこういう部分は嫌いではなかった。慎重な理屈よりも、まずは行動したがる性格と呼べばいいのか、発想がそのまま行動の原動力となる内部機関を持ち合わせたこの男は、大学在籍時代から頭の固い教授連中を前にしてもその本性を引け目なくさらしていたことだろう。同じ学部とはいえ、それより細分化された専攻が異なる僕は彼の研究室での挙動を子細に把握しているわけではなかったが、彼が波乱を巻き起こしている気配は冷たい研究棟の風から何となく感じ取っていた。

その数年後、今度はCGグラフィック技術を応用してオリジナルのアニメを作ろうと言い出したAはかつての同期の何人かに話を持ち掛けたらしいが、そこに食いついてきたのが僕だったというわけだ。いまだ視界にすら入らないゴール地点との距離は計り知れず、その途中途中には幾度もの難所が牙を潜めていることは想像に難くない。そんな険しい道のりを、互いに素人である二人組で乗り越えようとする行為は無謀という言葉ではいささか表現不足のような気がする。

「いや、何でもない。それで、次は何をすればいい?」

「この立方体を変形させて、萌える女子高生を作る」

「え、ここから?」

 Aに指導されるままに僕が描いた窓の中の角砂糖は、てっきり一世代前のブリキのロボット、あるいはコンクリートビルになるのかと思っていた。それがあの流麗な曲線で完結する乙女のシルエットになろうとは、とてもじゃないが信じられなかった。

「当たり前だ。まずは立方体の半分を切り捨てて表示をミラーモードにする。これで、半身分の作業で左右対称な体ができる」

 言われたとおりに僕は窓の周囲にちりばめられた複数のアイコンの一つずつを順に押していく。角砂糖はやはり角砂糖のままだった。

「で、この立方体をX軸上で四分割、Y軸上で四分割、Z軸上で五分割する。そこにハサミのマークのアイコンがあるだろ。それを使って木綿豆腐をみそ汁の具にするつもりで切っていけばいい」

 実をいうと僕はみそ汁を含めて料理などしたことはないのだが、Aの喩えが全く理解できないわけでもなかった。正確な座標計算から算出された分割点にカーソルを合わせ、平坦で直角な六面に矩形の境界線を刻んでいく。XとYの軸で四分割、最後にZで五分割。

「あ、」

 Aが頓狂な声をあげて、僕はマウスを握る手を止めた。

「どうした?」

「今、最後に引いた分割の線がずれただろ」

「いや、まっすぐに引いているように見えるけど」

「確かにそう見えるが、その線を拡大してみるといい」

 言われた通り、僕は最後に引いた線に焦点を合わせて立方体を拡大表示する。どこからどう見てもまっすぐに並ぶドットの列が、倍率五百倍にして真ん中で一段ずれ、千倍にして二段にずれた。

「な、曲がっているだろ?」

「でも千分の一の誤差じゃないか。生身の人間の体だって、完全に左右対称というわけじゃない。これくらいの歪みがあった方が、むしろ自然だとは思わないか?」

「そういうわけにはいかないんだよ。まだ作業の初期段階だ。ここでいきなり誤差を含んでしまうと、後の工程での修正が難しくなる。今ならUNDOボタン一つで何とかなるのに、逆三角形の筋骨隆々女子高生が生まれてからあの時直しておけばって後悔したくはないだろ?」


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