第9話 読解不能

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「それにしても、どうしてイラダ教会の近くにこんな水路が」

 初めて訪れた街の、ましてや下水道の地理など、アファルが知るはずもなかった。それでも幾多の曲がり角と交差点を経てアファルがヘイレル山脈へとたどり着いたのは、総毛立つようなおぞましい邪気を頼りに進んだためである。

「ここが、ヘイレル山脈?」

 枯れ木の他に全く植生のない不毛の岩肌が視界に開けた。特徴的な紫色の岩盤はそこがヘイレル山脈であることを何よりも如実に証明していた。

「まさか本当に行き着くとは」

 耳を塞ぐような遠雷の音、肌にひしひしと感じる冷気。そして山の中腹で力尽きた動物の白骨。どこに目を向けてもすぐに立ち去りたくなる光景。鎮め人がこんな場所で短い人生を迎えるのだと思うと、アファルも同情せずにはいられない。

「イクシールは、この山のどこにいるんだ? 鎮め人の儀式で何か手掛かりになることは?」

「わかりません。鎮め人の儀式はイラダ教会の中でも一握りの人間しか知りませんから」

「まあ、岩山みたいに大きな竜ならば見落とす心配はないか」

 アファルは悠長に傾斜の激しい岩山を下り始める。リエッタもそれに続いたのか、アファルを追い越して石ころが先に転がって行った。

「おい、山登りは初めてか? だったら岩を落とさないように注意しろ。俺を殺す気か?」

「す、すいません!」

 それでも石ころは落ちてくる。アファルが苛立って上を見上げたその時だ。

「私じゃありませんよ」

 何と石ころはリエッタの足元よりも更に上から落ちてくる。目を凝らすと、人間の子供ほどの背丈の猿が岩を器用に伝いながらアファル達を追いかけてくる。魔族の中でも小物のチェルカブラと呼ばれる種族だ。時折農村に降りては人や家畜を襲う被害を起こすが、戦闘訓練を積んだ人間の敵ではない。討伐者の標的となるには役不足の小物である。もちろん、禁獣を専門とするアファルは歯牙にもかけない。

「雑魚が! こんな時に!」

 剣を抜き放ったアファルは傾斜を駆け上がってチェルカブラの群れに突進した。一回、二回と、空で稲玉が走り去るのと同じように地表でアファルの剣が閃いた。その度に一匹、もしくは二匹のチェルカブラが奇声と紫色の生血を飛ばして果てた。


――環太平洋工業プラント“あけぼの”

 国家予算の四分の一をかけて建造された巨大な築城は水平線の上に大きな影を落としていた。総面積2万平方メートルの人工島。人口が縮小し、経済が衰退した日本の最後の希望として建造された工業特区。元々は採掘された海洋資源を精製し、輸送コストを格段に抑制した上で国内外の需要を満たす目的で建造されたが、荘厳な外観を一目見るべく、観光名所としての機能も果たしていた。日本中が“あけぼの”から射す新しい時代の光を夢見ていたはずだった。


――ところがその人工島は今、巨大な鉄屑の漂流物と化している。

 機銃が絶え間なく響く空の下で、五島夏樹は土嚢で作った堡塁に身を隠していた。

『B中隊より報告・・・・・・A-3集結地点に敵戦車一個大隊が侵攻中・・・・・・』

 縋るような声の増援要請はトランシーバーのノイズの中にかき消された。

「よそ見するな、五島上等兵!」

 同じ土嚢壁に張り付いていた阿久川曹長が大声で叱責する。気が付けば夏樹達が隠れる土嚢の上にも、微かな風切り音が飛び越えて行った。頭を出せば撃ち抜かれる。目に見えない死の凶弾が、突き破った土嚢の中でくすぶる。

「応戦しろ!」

 阿久川曹長の一喝の下、近くの土嚢や瓦礫の間から一斉に銃口が飛び出して応戦する。夏樹もまた、抱きかかえたM47自動小銃を土嚢の向こう側に向けて引き金を引いた。小銃は小柄な夏樹の腕の中で暴れながら怒り狂ったように火花を吹き続ける。

「退避! 退避!」

 五月雨のような銃撃音に混じり、一際大きな衝撃音が夏樹の鼓膜を揺らす。目の前に火焔を含んだ黒煙が広がり、さっきまで前方に敷かれていた堡塁の外郭がごっそり抜け落ちている。

「“イレイザー”接近! よ、四両です!」

 21世紀以降に開発された中で最強と言われるATX-49型戦車。通称イレイザー。砲塔が咥える三十五サンチ砲の徹甲弾は、異名の通り阻む全ての対象を消し飛ばす。

「くそっ、敵戦車はA-3に集中していたはずじゃなかったのか?」

「恐らく、区画Dと区画Fの連絡橋を使ったのではないかと」

 “あけぼの”には数多くの観光客に開かれたオープンな施設だ。その地理的情報はパンフレットどころか、ホームページを通して筒抜けだった。軍人の目線からすれば、全ての城門を開け放った城に等しい。

「くそっ、中央省庁の馬鹿どもが」

 夏樹は思わず毒気づく。その間に阿久川曹長は堡塁から飛び出すなり、抱きかかえる小銃を連射する。戦車から飛び出した敵歩兵を見事に狙撃した。それでもイレイザーには砂粒が当たるに等しい。煙を吹く三十五サンチ砲の下から、二連装の9ミリ機銃が火を噴いた。

「五島、ついて来い!」

「了解!」

 機銃が止んだのを見計らって夏樹は阿久川曹長の下へ走る。二人の間の距離は百メートル。目に見えない銃弾が飛び交い、仲間が倒れるコンクリート地面の上を夏樹は全速力で駆け抜ける。


 その夜は授賞式の前夜祭がキラルの孤児院で催された。

「ニレイお兄ちゃん、おめでとう!」

 食卓に着いた子供達とキラルの声に、考え事をしていた俺の反応は一瞬遅れた。

気が付けば喜色満面の幸せな表情が一面に俺を取り囲んでいた。

特にキラルの笑顔は、今までが明らかな作り笑顔だったと思わせるほどに、この日には何倍も輝いて見えた。それはまるで、キラルと初めて出会ったかのような新鮮さだった。

「大丈夫? 疲れてない?」

 俺が呆然としているのを見て、キラルが首を傾げた。

「そ、そうだな」

 実際のところ俺は疲れていたが、それだけではなかった。さっきまでずっと、ティレサのことを考えていたために心ここにあらずというべきだ。

「ねえ、トロフィーは?」

 子供達は興味に目を輝かせる。

「授賞式は明日だから、その日に持ってくる」

「そっかぁ。じゃあ、授賞式は皆で見に行こうね」

 キラルの提案に子供達は元気溢れる返事をした。その後はいつもの夕食の時と変わらない他愛ない会話だけが続いた。

「キラル、少し話してもいいか?」

 優勝祝賀会の片付けを終えたキラルが、食卓に一人残っていた俺の前に座った。

「何?」

「実はさ、その明日の帝王杯の授賞式のことだけど・・・・・・」

 あまり芳しくない表情に、キラルにも一抹の不安がよぎった。

「俺、辞退しようかと思っている」

「えっ」

 キラルは言葉を失った。

「別に一等剣奴になるのを諦めたわけじゃない。ただ、帝王杯の決勝戦の相手が――」

「もしかしてティレサさんのこと?」

「噂を聞いたのか?」

 キラルは意外にも首を振った。

「ごめんなさい。私、決勝戦の朝はどうしても落ち着かなくて、それで内緒で買った観戦券で闘技場に行ったの。そしたらニレイの相手がティレサさんだったから」

 それから先のことを自分の目で一部始終見ていたのだと、彼女は打ち明けた。

「確かに、ニレイにとっては納得できない勝ち方だったかもしれないけど、優勝したことに変わりはないじゃない? それにティレサさんは魔導士だったんでしょ? そんな人を相手にニレイは本当によく戦ったと思う。だから・・・・・・」

「俺だけじゃない」

「え?」

「決勝戦の結果に納得できないのは、俺だけじゃないと思う。帝王杯に夢を託して戦ってきた大勢の剣奴達にとっても、アルバート=グロワの傲慢さは許せないはずだ」

「だからって、私達にはもうどうしようもないじゃない。相手は魔導士よ。戦うって言っても、これはブレイド・ストラグルじゃない。勝ち目なんか、ないよ」

 キラルの不満が徐々に表情に現れてくる。

「どうしようもない、ことなのだろうか? 俺達は剣奴だ。世界が魔法で支配されるようになっても、剣で自分の運命を切り開くことを諦めなかった人間だ。魔導士の言葉に任せて諦めてしまっては、それこそ俺は・・・・・・」

「待ってよ、ニレイ。これで最後にするんじゃなかったの? 帝王杯を優勝して、市民権を獲得したら、剣奴の世界を離れて私と一緒になってくれる。そう約束したはずじゃないの? あの夜から私が、どれだけ今日という日を待ち望んでいたか」

「キラル、待ってくれ。お前との約束は本当だ。ただ俺は、今のままではお前と幸せになる資格がないかもしれないんだ。俺は、魔導士の都合で生かされているだけかもしれない。しかもティレサは優勝できたかもしれないのに、魔導士の都合で命を消されるかもしれないんだぞ!」

「何、それ? ニレイは私や子供達の未来は大事じゃないの?」

「そういう話をしているわけでは・・・・・・」

「だって、せっかく幸せになれると思ったのに、どうしてそんなことになるの? 一番大変だったのはニレイかもしれないけど、私達だって一杯一杯だったんだよ! 試合の日には不安で胸が張り裂けそうなくらい、毎日が怖かったんだよ! それに――」

 キラルが顔を背けると、首筋の小さな裂傷が露わになる。

「確かにキラルや皆も危険にさらした。だけど、今回だけは待ってくれ! 俺にはどうしても帝王杯の優勝を甘んじて受けることはできない」

「どうしてなんだろう?」

 キラルは俯いたまま独り言ちた。

「キラル?」

「今のニレイは、どこか父さんにそっくり」

「父さんって、アルダー地方の君主の?」

「父さんは、他の何を犠牲にしても名誉にこだわる人だった。名誉がなければ生きていけない人だった。だからクラディア帝国の属州化を頑なに拒んで無謀な戦争にまで踏み切ったの。その結果、私達家族を不幸のどん底に落としたのよ。あの子達の面倒を見ているのは、今の私に出来る最大限の償い。だって私以外にそれをする人がいないんだもの。でも・・・・・・」

 再び顔を上げたキラルは目に涙をたくわえていた。

「でも! 私だってそうなんだよ! 父さんの戦争に巻き込まれた身であることは同じなのに、私を守ってくれる人は誰もいなかった。だから仕方がなくて今まで一人で戦うしかなかったの! そうやって、戦っているうちにやっとニレイに出会えたのに。私が甘えられる人に出会えたというのに、どうしてニレイまでそんなことを言うの?」

「・・・・・・ごめんな」

 俺は立ち上がって剣帯を腰に巻いた。

「必ず戻る。だから信じて、俺を待ってくれ」

「どうして、どうしてなの。ニレイ!」

 キラルは机に覆いかぶさるようにして嗚咽を漏らした。そんな彼女を労わるように子供達が囲む。

「キラルお姉ちゃん、どうしたの?」

 一人の子供が俺に疑問をぶつけてきた。俺は黙って孤児院を出る。

「ニレイお兄ちゃん、どこへ行くの?」

「やり残した仕事がある。それを終えたら、また戻る」

 街の角を曲がる前に、俺は孤児院を振り返った。

――ごめんな、キラル

 キラルとの約束を果たせないことを謝ったのではない。キラルに本当の理由を告げられなかったことを謝ったのだ。

俺は今まで、魔力も武器の一つだと割り切ってブレイド・ストラグルを勝ち進んできた。そこで同じく魔力を持ったティレサと対決した。彼女は能力も未来を勝ち取る権利も、俺と対等のはずだった。ところが俺達は雌雄を決せぬまま、ティレサは自由を奪われ、俺は市民権を押し付けられようとしている。こんな理不尽は、たとえ自分にとって有利だとしても許されるはずがない。今の状態で、俺だけが幸せになるわけにはいかないのだ。

 ティレサと改めて決着をつけるかどうかは別として、俺は長く苛まれたこの境遇の出口に向かってようやく一歩を踏み出すことができた。その先には帝都の中心街に堂々と構える、ザンスター家の屋敷があった。


 元の世界に戻った俺達はしばらく星野を探すことになる。星野どころか、魔剣とレーネシエールまでが行方不明になってしまったのだ。不幸中の幸いというべきか、主力となる星野が音信不通の間に新しい魔剣は現れていない。

「どうだった?」

 ハローワークに出掛けることを口実に、俺は桜川達と合流する。彼女達の話によると、依然として星野は学校を休んでいるという。

「家族の連絡もつかないのか?」

「星野さんの家、一家離散状態だから」

 桜川が言い出しにくそうに説明する。そう言えば星野は、父親の事業が失敗したことを話していたのだ。

「他に行き当たりそうな場所ってあるのか?」

「どうかな。あんな成りをしていても、カラオケやゲーセンに入り浸っているって話は聞かないし」

 案外、真面目な奴らしい。

「まあ、身を隠すなら普段行きそうな場所に行くわけもないか」

「ところで、魔剣は見つかったのですか?」

「そっちも見つからない。俺にとってはその方が良かったのかもしれないが」

「まさか、星野さんが魔剣の所有者になった、そういうわけじゃないですよね?」

 水谷が恐ろしい想像に身震いする。

「それは考えにくい。確かに星野は魔剣と契約を交わしたけど、それは女神フルオレンスを殺害しなければ成立しない。だから星野がまだレーネシエールに会いに行くはずはない」

「フルオレンスの殺害?」

 桜川の顔色が変わった。

「ごめん、君達には詳しい話をしていなかった。星野が魔剣の言う通りに女神フルオレンスを狙ったのは、自分の聖女戦士の力を取り払うためだったんだ」

「それじゃあ・・・・・・大変じゃないですか!」

「どうしたんだい?」

「すいません、野村さん。私達には女神フルオレンスの気配が薄々わかるんですけど・・・・・・女神フルオレンスはもういないんです」

「何!? だって、星野は暗殺を一歩手前で止めたんだから」

「実は、あの時の傷が原因で、今朝ほど気配が消えてしまったんです。それでもまだ私達、聖女戦士としての力は残っているみたいですけど」

「じゃあ、つまり契約は成就したわけか」

「女神フルオレンスの気配が消えたことは当然、星野さんも知っているはず。そうすると、魔剣に接触を図りに行ったかもしれない」

「星野が危ないな」

「野村さん、魔剣を所有していたならば、魔剣の場所を特定する探知能力は備わっていないのですか?」

「そうは言われても、いつも一緒にいたからな」

「お願いします。試すだけでも」

 桜川が俺の手を握る。感電したような胴震いが俺の背筋に伝わってきた。

「よし、やってみよう」

 やり方はわからなかったが、とりあえず桜川達の方法を倣うことにした。

「いいですか? まずは目を閉じて下さい。周囲の音だけが聞こえるはずです。その状態から、周りの音が自分の内部で聞こえるのだと認識してください。そうすれば、世界に自分だけが存在するような感覚になります。その時に初めて魔剣を思い浮かべると、どこに行けばいいのかがわかるかもしれません」

 言われた通りにやってみる。魔剣の代わりにレーネシエールの顔を思い浮かべてみる。そう言えばアイツは、俺みたいな奴にもずっと付き従ってくれたっけ。この世界に他の魔剣が現れた時点で俺が魔王からも見放されたのは自明なのに、それでもアイツだけは見捨てなかった。だから今回の一件とは別にアイツともう一度だけ話がしたい。そしてレーネシエールに、俺の考えを伝えたい。

「・・・・・・なんとなく、わかった気がする。北の廃病院だ」

 俺の示す先に、黒ずんだコンクリートの建物が見える。

「あれは、病院ですか?」

「何かお化けが出そう。取り壊せばいいのに」

「そう、十年前に廃業したんだ。でも抵当権が複雑に入り乱れているせいで、簡単に更地にすることは出来ないんだ。だからああして今も建物が建ち続けているわけ」

「星野さんは、あそこに居るんでしょうか?」

「わからない。俺が感じ取ったのは魔剣の気配だから、星野がそこにいる確証はない。でも、魔剣の場所さえ押さえてしまえば星野の安全も確保されるはずだ」

「そうですよね! 行きます!」

「俺も連れて行ってくれ!」

 駆け出した二人の背中を見て、俺が呼びかけた。

「俺には魔剣の力はない。でも、この戦いは俺にも責任がある。だから、俺も一緒に行かせてくれ」

「わかりました。でも、無理はしないで下さいね」

 俺達は廃病院を目指した。

 十階建ての病院は床まで陥没して、場所によって複数のフロアが吹き抜け状態になっている。錆びかかった鉄骨が踏みしめる度に軋み、雨水か敗れた水道管か、水野滴り落ちる音がする。

「レーネシエール、居るのか?」

 俺の呼びかけに返事はない。

「もう、ここにはいないのでしょうか?」

「いや、居ると思う」

「どうして?」

「これを見てくれ」

 俺は足元に落ちていたコンクリートの破片を見つめる。

「何です?」

「この石、さっきまでここにあったんじゃないか?」

 石の近くには同じ形のシミが見つかった。

「つまり、誰かがここを歩いた時にこの石を蹴り飛ばしたということですか?」

「ああ、しかも水が乾かないほど、つい最近にな」

 俺は廊下の先を視線で辿る。ここから歩いたのだとすれば、足場から言っていきつけそうな場所は一直線だ。

「行ってみよう」

 忍び足で近づくにつれて、細長い影が向こうで揺れている。外はもう夜だが、月明かりの分だけ、病院の窓際の方がまだ明るかった。俺が歩み出そうとしたその時だ。

「危ない!」

 桜川が俺の手を引いたその直後だ。禍々しい紫色の閃光が俺の目前を通り過ぎて病院の壁に炸裂。コンクリートの石礫が頬を打った。

「今のは?」

「ここから先は私達が行きます! 野村さんは隠れていてください!」

 桜川と水谷は変身し、今しがた閃光の飛んできた方角へと走る。

「俺は何をしにここへ?」

 置き去りにされた俺は隠れるべきか、桜川達に合流するべきか逡巡する。このまま彼らを放置するわけにはいかないが、追いかけたところで何ができるわけではない。今の俺に魔剣はないのだ。

「いや、待て。魔剣の所有者は俺だ」

 星野はレーネシエールと一緒のはずだ。俺はまだ魔剣の所有者であるならば、何か役に立つかもしれない。その結論に立った俺はもう、迷わなかった。


 レーネシエールは不吉な笑みを浮かべて立っていた。魔剣を片手に、全身に傷を負っていたシャイリンをあざ笑うかのように見下ろして。

「くっ、話が違うぞ」

「心外だな。聖女戦士の責務から解放してやろうと言っているではないか。生という苦痛と共に、な」

「冗談じゃないよ」

「星野さん!」

 ピュアリン達が合流する。

「お前ら、どうしてここに?」

「大切な仲間を、これ以上失いたくないから!」

「は? こっちは女神フルオレンスをやろうとしたんだぞ? 今のアタシは魔剣の所有者達と同類だ。そんなアタシを、助ける価値なんかあるのかよ」

「その魔剣の所有者達を救うのが、私達の役目でしょ?」

「ピュアリン・・・・・・」

「ごめん、私、聖女戦士になって戦うようになって、初めて分かったの。世界にはこんなにも苦しんでいる人達がいるんだって。私達が助けないと、そういう人達の一部が道を間違えて誰かが不幸になる。だから私、それを止めたい。それ以前に、友達にそんな思いをさせたくない!」

「滑稽な。我は千年もの間、ありとあらゆる人間の手に渡っているが、お前のようなきれいごとをいう奴は既に大勢知っている」

「だから私が今度こそ皆の願いをかなえるの!」

「小癪な!」

 レーネシエールが魔剣を一閃させると、紫色の烈風がピュアリンに襲い掛かる。ところがそれは、横合いから飛び込んできた青い光の幕にかき消された。

「水谷?」

「無理かどうかはやってみなければわからないよ。私だって、聖女戦士として戦えるのか、ずっと自信がなかった。でも、野村さんが私の背中を押してくれたお陰で、今は自分の足で前に進むことができるもん」

「あの男は・・・・・・」

「この世界をあなたの好きにはさせない!」

 ピュアリンとウィズリンが息を合わせたようにレーネシエールに驀進する。二人の戦いぶりはこれまでにない勇猛果敢なものに変わっていたが、魔剣はそれを苦も無く捌き続けた。

「いい加減にしろ。子娘どもが!」

 防戦一方だったレーネシエールの剣が遂に攻勢に転じる。たった二撃でピュアリンとウィズリンは魔剣の前から弾き飛ばされた。

「自分の幸せを願うことは他人の不幸を願うこと。人間達の世界は所詮、競争社会。お前はまだそれを知らないだけだ」

「違う!」

 レーネシエールの言葉を否定したのは俺だった。

「主よ。久しいな」

「レーネシエール、今すぐこの世界から手を引け。俺はもう、お前を必要としていない」

「主よ、血迷ったか? 我の力無しでどうやってこの世界を生きていくつもりだ? それに、主はこの世界の崩壊を望んだではないか?」

「ああ、確かに俺はこんな世界をぶっ壊そうとした。真面目に働いてきたのに、つまらないことで仕事を無くして、誰も助けてくれない。俺以上に不幸な人間はこの世界に存在しないんじゃないかとまで考えていた。だけど、この子達にあってからは違う。俺の半分も人生経験がないのに、大事な人を亡くしたり、家族がバラバラになっても、世界のために人知れず戦ってきたんだ。他にも世界にはそんな人達が大勢いるはずだ。世界はこうやって、色んな人達の我慢で成り立っているんだ! 俺はもう、そんな世界を壊したくない」

「野村さん・・・・・・」

「魔剣を手放すだと? 主よ。もう一度考え直すがいい」

「何度考えても答えは同じだ。俺はこの世界を自分の力で生きていく。お前との契約は破棄だ」

「・・・・・・そうか」

 レーネシエールは静かに答えた。

「・・・・・・失格だ。主にはこれまでも散々忠告してきたはずだが、ここまで言われては仕方がない」

 レーネシエールは魔剣の切っ先を俺に向けてきた。

「野村さん、下がって!」

「コイツの始末は俺がつける」

 俺は一歩も下がらなかった。他人のために命を懸けて戦う桜川達に、これ以上俺の後始末を押し付けるわけにはいかないのだ。

「武器も無しにどうやって我と戦うつもりだ? そもそも主は魔剣なくしてこの世界ですら生きる術がないのだろう?」

「ぐっ・・・・・・それはそうだな。だけど・・・・・・」

 俺は手を前に差し出した。

「他人を恐怖に陥れるだけの力なんか、本当の強さじゃない! 俺の手に戻って来い! 《コンチクショー》!!」

 俺の言葉を受けると、魔剣の化身は甲高い声で嗤った。

「そんな言葉で私を止められるとでも思ったか?・・・・・・な!」

 レーネシエールの手に収まっていたはずの魔剣が小刻みに揺れ動く。まるで意志を持って彼女の手から逃れようとするかのようだった。

「馬鹿な! 主の心には闇が感じられないのに! なぜお前はそこへ行きたがる!」

 レーネシエールは魔剣に向かって檄を飛ばすが、それでも魔剣は彼女の手を離れて前に出した俺の手に柄を握らせてくれた。久々の重々しい感覚がずっしりと手に伝わってくる。

「レーネシエール!!」

 俺は魔剣を手にレーネシエールに向かって走り出した。レーネシエールの発する赤黒い衝撃波が俺と魔剣を阻む。

「魔剣の化身である我を倒せば魔剣の力は完全に失われるのだぞ! いや、それ以前にその剣では我を殺せない」

「だから言っただろ! 俺は魔剣の力なんか無くてもこの世界を生きて見せる!」

 競り合う末、衝撃波を振り払った俺はレーネシエールに魔剣を叩きつけた。魔剣の刀身が木っ端微塵に割れていく。

「魔剣が・・・・・・」

「これでお前はこの世界に居られないはずだ」

「なるほど、主の狙いは魔剣そのものの破壊か」

 俺の狙いを悟ったレーネシエールの影は既に薄まりかけていた。

「済まないな。俺の我儘に付き合わせちまって」

「言ったはずだ。我は主の闇の心を力の源にしていると。主にそれがない以上、我はこの世界に存在する意味はない。それでも、主との日常は楽しかったぞ」

「なあ、お前は本当にこの世界から消えるのか?」

「もっとも、我を必要とする人間はこの世界に大勢いる。あるいは我が、彼らの手に渡れば再び会うこともあるかもな」

 レーネシエールは奥の暗がりへと消えていく。

「レーネシエール、ありがとうな! 今まで手伝ってくれて!」

 俺の言葉が聞こえたのかそうでないか、レーネシエールは一度足を止めると、再び歩き出して消えた。


 その日、ネクタイを締め直した俺は玄関先で桜川達と出会う。

「星野、大丈夫なのか?」

「これ位の傷・・・・・・」

「そうじゃなくて、桜川さん達と仲直りしたのかよ?」

「それは・・・・・・」

 困惑した表情の星野の両肩を桜川と水谷がつかんだ。

「大丈夫だよね!」

「おい、暑いんだから離れろよ!」

「その様子だと大丈夫か」

「それより野村さん、その恰好・・・・・・」

 水谷がスーツ姿の俺を眺め回す。

「ああ、これ?」

「スーツ、てことは、遂に転職先が見つかったんですか?」

 桜川が目を爛々と輝かせる。

「いや、その・・・・・・まだなんだよね」

 俺は言い出し辛そうに言う。

「でも、今日の面接でばっちり決めて来るよ!」

「大丈夫なのか?」

 星野が冷やかす。

「ああ、今度こそ、俺は社会復帰して見せる!」

「頑張ってください!」

「皆こそ、頑張れよ。世界を救う重要な使命もそうだけど、これから人生いろいろあるんだから」

「アンタに言われたくないよ・・・・・・でも、ありがとう。アンタが居てくれなきゃ、多分アタシ達は三人ともここには居なかった」

「私達、これからも三人で頑張ろうって約束したんです」

「あの、そろそろ」

 水谷が時計を気にする。

「そろそろ行かなきゃ、野村さん、今度こそ仕事が決まるといいですね!」

「ありがとう」

 桜川達は青空の下を駆けていく。俺も前に進む時だ。一歩を踏み出そうとした時、突然風が吹いた。

『またいつでも私の力を借りてもいいのだぞ』

 レーネシエールの声がした気がした。

「悪いけど、そうはいかないな」

 俺は気にも留めず歩き始める。三日後、俺は晴れて社会人に復帰した。

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