第8話 解読困難

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 メセナはアルフレインの顔を直視できなかった。というのも、彼の顔のすぐ傍らにはミリアという女の顔があったからだ。二人の顔が一緒に並ぶところを、メセナは見たくなかった。

「俺はこの街でミリアと暮らす。あのシルゼスクを売り飛ばしたらこんなに報奨金が出たんだ! それをミリアに話したら、面白い投資話を紹介してくれたんだ。上手くいけばこれの何倍もの大金が手に入る。一生遊んで暮らせるんだったらもう、魔王討伐なんかどうでもいい」

「だったら私も交易商に」

「はあ? アンタは別に要らないわよ。私にはアルフレインが居ればいいんだから」

 ベッドの上で膝を組むミリアがアルフレインをぬいぐるみのように傍に引き寄せた。

「そんな、私はどうなるんです?」

 動揺するメセナの前に金袋が乱雑に投げられた。

「お前は村に帰っていいぞ。俺はのんびり気ままに暮らす」

「それでいいんですか?」

「いわゆるスローライフってやつよ。最近流行っているだろ?」

「どこで覚えたんですか。そんな言葉」

 メセナは隣の蓮っ葉を一瞥する。ミリアは悪戯っぽく笑って舌を出した。

――アンタの入れ知恵ね

 メセナは内心腸煮えくりかえる思いだった。

「お前には感謝している」

 それだけなのか。人生を大きく変えてまで、アルフレインの夢に貢献したメセナへの感謝はそれだけなのか。

「約束したじゃないですか。私を絶対に守るって」

 アルフレインは重く唇を閉ざし、そして開いた。

「・・・・・・それは魔王と戦う場合の話だ」

 こんな時に限って、アルフレインは理知的になる。

「そんな! アルフレイン! あなたは勇者を志すのでしょ? その夢を、こんな簡単に捨てていいんですか!」

「夢ねぇ・・・・・・」

 ミリアが軽薄な口調で水を差した。メセナはこの女を仇敵のように睨みつける。

「そんなダサイ夢なんか追いかけるのは止めなさいよ。この街には楽しみがいっぱいあるんだよ」

『ねぇ~』

 アルフレインとミリアが同調した。

「冗談じゃないわ。アンタみたいな尻軽女に大事なアルフレインを任せておけないわ」

「ああ、もう! そう言うところがうざいんだよ!」

 アルフレインが机に拳を叩きつけると同時に立ち上がった。メセナは飼い犬に噛まれたように立ち尽くす。

「あ、アルフレイン?」

「お前さあ、そういう過保護的な性格何とかならないのかよ? はっきり言って異常だよ」

「異常? 私が、ですか? 別に身体中のホクロを数えることと、洗濯前の衣服に顔を埋めることくらい、普通でしょ?」

「いや、それ既に普通じゃないから・・・・・・」

 ミリアが横で目を細めて軽蔑する。

「くっ、アンタいい加減に!」

 憤激したメセナは素手で殴りかかろうとした。突き出された細腕を、ミリアは易々と交わすとしがみつき、ねじり上げる。メセナは悲痛と共に床に押し付けられた。あの外見からはとても想像のつかない膂力だった。

「こんな非力で何がアルフレインを守る、よ?」

 アルフレインはベッドに腰掛けながら、メセナがいたぶられるのを傍観している。

「しかもこの女、トロいだろ? だから仕事も全然覚えられずに雇い主から怒られているんだぜ。はっきり言って、マジで迷惑だった」

「私が、迷惑?」

 そんなはずはない。今まで店で働いていた時も、勘定計算はメセナが全部肩代わりしてやったのだ。アルフレインの知能と言えば、数を数えるのが精一杯だ。四則演算の中では足し算と引き算しか出来ない。メセナは白黒させた目でアルフレインを見上げた。頭の中は真っ白だった。アルフレインの声以外に、他の何の音も耳に届かなかった。

「しかも格好もダサいよね! 今時ワンピースとかありえないでしょ!」

 ミリアの甲高い笑い声がメセナの耳を覆う。確かにメセナの格好と言えば、文字通りの田舎娘だった。ピアスも指輪も身につけず、膝丈までの地味なワンピースをまとっている。下着とも見紛うほどの挑発的な衣装を着飾り、見知らぬ男にも不敵に話し掛ける他の娘に比べれば、スズメのようなみすぼらしさだった。

しかしメセナも十五歳の乙女であることに変わりはない。外見の罵言には殊更に敏感だった。メセナの中を流れる血が、音を立てた気がした。

「がぶっ!!」

「きゃーー!! 痛い!! この子噛んだ! 助けてよ! アルフレイン!」

 ミリアは金切り声を上げてアルフレインに助けを求める。

「んーー! んーー!(冗談じゃないわよ! アルフレインは渡さないんだから!)」

(※噛みついていて上手くしゃべれない)

「おい、メセナ! 放せ! ミリアになんてことをするんだ!」

 立ち上がったアルフレインがメセナを引き離そうと肩を掴んだ。

「んーー! んーーんーー!!(ほっといてよ! アルフレインには私さえいればいいんだから!)」

「いい加減にしろ!」

 アルフレインのげんこつがメセナの脳を揺らした。目が白黒してそのまま意識を失いかけるほどの衝撃だったが、何よりメセナのメンタルが大ダメージを受けた。あのアルフレインが、見ず知らずの他人のためにメセナを殴ったのだ。

「見てよ、アルフレイン。こんなに歯形くっきり。痕に残ったらどうしよう」

 ミリアは白い肘を突き出して一人で騒いでいる。

「どうして? アルフレイン。何で私を叩いたの?」

「お前なんか要らねえんだよ! 傷を舐めることしか取り柄のない飼い犬が!」

「そうよ、早くその田舎女をつまみ出して! アルフレイン!」

「アルフレイン! 私のことをそんな風に思っていたの? 私をよく見て。メセナよ。あなたと幼少を共に過ごしたメセナよ」

 メセナはアルフレインの両肩を掴み、痛切に訴える。


「卿の提案を聞き入れよう。此度の帝王杯の優勝は、ニレイ=クラッドとする! 授賞式は、三日後にこの場で行う」

「ありがたきお言葉」

 アルバートは会釈しながら微笑を浮かべた。まるで当然の結果だと言っているようにも見えた。外見的には皇帝がアルバートの提案を認めた体裁だが、実質的に状況を左右していたのはアルバートの方だった。皇帝といえども、帝国最大の魔導士一派の言葉は無視できるはずがないのだ。

「待ってくれ!」

 闘技場から出ようとするアルバートに向かって俺は呼び掛けた。彼の随伴が何か言いかけたが、アルバートがそれを制した。

「ティレサを、どうするつもりだ?」

「魔導士とは気高い種族でな。誇りというものを、自分の命と同じかそれ以上のものとして生きている。君は、それを貶められた相手をのうのうと生かしてやるほど寛容かね?」

「彼女はただ自分の足で生きていきたいだけだ! アンタの誇りとは関係ないだろ!」

「君こそ魔導士の世界とは関係がないはずだ」

「つ! それは誰のせいで・・・・・・」

 俺は感情に煽られて口に出してはいけないことまで叫ぼうとしていた。一瞬言い淀んだ俺に嘲るような表情を向けたアルバートは、ティレサを拘束したまま俺に背を向けた。

 そこから先は俺が何を言おうとも、権力者達の耳に届くことはなかった。体裁だけを重視した彼らは早々に引き上げ、どこか禍々しい輝きを放つ優勝トロフィーは俺の下に転がり込むことで勝手に決着されたのだった。


 あれから二日が過ぎた。帝王杯の決勝戦以来、俺は仕事をしていない。キラルがその必要はないからと、ブレイド・ストラグルを許さなかったからだ。お陰でやることがない俺は、一日の過ごし方を考えるのに腐心した。その日は大した目的地もなく、街を出歩くに留まった。

 実を言えば、俺にはやるべき何かがあるはず。この二日間、俺はずっとそれを感じていた。俺は何もすることがないわけじゃない。帝王杯の優勝を勝手に決められて言いたいことがあるはずなのに、こうして何もできずにいるだけだった。

 焦りだけが募る俺の目の前に、酒場の看板が目に留まった。

「酒場か」

 現役の剣奴時代にはよく足を運んだ場所だ。酒に用があるわけではない。ただ、酒場にはあらゆる人間と、それが持つ情報が集まってくる。例えば名の知れた剣奴がいつどこで、誰と対戦するか、といった情報だ。自信のない剣奴はその情報によって強敵との遭遇を避ける。情報が大事なのは剣奴にとっても同じことだ。

「入ってみるか」

 久しぶりでもあり、もしかすると二度と足を運べない場所かもしれないので、俺は看板の下を潜ることに決めた。もしかすると内心では、情報屋としての酒場でティレサを救う手立てが見つかるかもしれないと期待していたのかもしれない。もっとも、情報だけでグロワ家に囚われている彼女を救えるとまでは考えていなかった。

 馴染みのカウンター席に着くなり、グラスを磨くバーテンダーの目に留まった。この店を二十年間一人で切り盛りしている白髪の老人だ。

「ご注文は?」

「いつもの」

 それだけでコップが俺の前に出る。ちなみに中身は水だ。下戸の俺は、それを酒であるかのように飲んでいるだけのことだ。

「相変わらずそれですか? 今の旦那は景気がいいのに」

「それとこれとは話が別だ」

「しかし、表情までが不景気ですぜ。今の旦那は」

「そう見えるか?」

「気を付けて下さいね。巷じゃ、帝王杯を優勝した旦那を狙おうと腕に自信のある輩が続々と帝都入りしていますから」

 バーテンダーは店の奥を気にしながら小声で呟いた。確かに以前と比べて、見慣れない客の姿が目に付いた。俺が視線を向けると、彼らは不自然な挙動で下を向いたり杯を持ったりする。

「大丈夫だよ。俺を闇討ちしたところで連中の名声は上がらないし、それに俺はもう・・・・・・」

「は?」

「いや、この機に剣奴を引退しようかと考えている」

 それを聞いてバーテンダーの手が一瞬止まった。

「そんなに驚くことか?」

「いえ、てっきり旦那は一等剣奴になってもブレイド・ストラグルを続けるつもりかと」

「キラルに心配されているんだよ。それに、俺はそんなことは一言も言っていないけど」

「さっきまでの旦那の顔は、そういう顔でした」

 言われて初めて俺は自分の顔に手を当てる。

「まだやり残したことがある。そういう顔に見えましたよ。そんな顔で口だけが引退しますって言っても、結局旦那は納得しないんじゃないですかね?」

「納得しないか。確かにそうだが、今の俺にどうしろと・・・・・・」

「それにしても帝王杯が終わっちまったなぁ」

 間延びした男の声がふと耳に触った。石工と思しき二人組の男が仕事帰りに一杯ひっかけに来たと見える。

「これでしばらく、愉しみはお預けだな」

「それがさ、今度ダブルクロスが開催されるってよ」

「ラジャイカ家とザンスター家の奴か?」

「ザンスター家?」

 俺は彼らの話に耳を傾けた。

「それだけじゃねえ。帝国でも名の知れた魔導士の二家が戦うんだ。漁夫の利を得るつもりか話しらねえが、あのグロワ家まで参戦するってよ」

「そりゃあ、面白そうだな」

「ああ、観戦したいのも山々だが、ソレイドとなると遠いからなぁ。仕事を休むわけにもいかねえし」

「詳しく話を聞かせてくれないか?」

 俺は断りもなく彼らのテーブルを囲む席の二つに座る。無遠慮だが、二人に一杯ずつ奢ると機嫌を損ねることはなかった。

「何だ、兄ちゃんもブレイド・ストラグルに興味があるのか?」

 酔っぱらっているのか、なぜか二人は俺の正体を知らなかった。

「まあ、そうだけど。それで、ダブルクロスの話だけど」

「おうよ。ザンスター家とラジャイカ家が昔から仲が悪いのは評判だろ? 今度のラジャイカ家の次期当主とされている若造がとにかく血の気が多い野郎でな。勝者は敗者に命令をできるという条件でダブルクロスを申し込みやがったんだ。今はグロワ家まで交えてかなりの大騒ぎになっているぞ。帝国のお偉いさん達までが注目するって話だ」

「ところでさ、ザンスター家の契約剣奴って誰だっけ?」

「そういえば記憶にねえな。そもそも契約剣奴を雇ったなんて話を聞かねえし」

 二人は難しい顔を見合わせる。

「それだ!」

 俺は目の前に一条の光を見た気がして、俄然立ち上がった。事情を知らない二人組は口を開いて俺を見上げている。

「ありがとう! 話を聞かせてくれて!」

「お、おう! そう言えば兄ちゃん、どこかで見たような気がするが」

 俺は石工達の記憶が呼び覚まされるのを待つまでもなく、椅子を立ちあがった。振り返るとバーテンダーが俺の背中を押すような目で見送っていた。


 目も開けられない眩しさの中で、俺は少しずつ周囲の環境を認識し始める。雲一つない青い空。東京のようにくすんだ青ではなく、大海の群青を薄めたような澄んだ青。そして、それを映し出す水晶のような、氷のような岩もまた青い。そして、周囲が物音ひとつ立たない静寂さ。

「どこだ、ここは」

 どうやら俺は本当に異世界に飛ばされてしまったようである。しかし、想像していたのと何かが違う。生態系というか、環境が全く違い過ぎるのだ。異世界というより、まるで別の惑星に来たと言った方が正しいのかもしれない。

「それに、あれは何だ?」

 空で一直線に移動する物体。まるで毬栗というか、全身に針を突き出した水晶らしき物体が、幾つも浮遊しているのである。

「ここは、一体どこなんだ?」

「ここが女神フルオレンスの棲む世界です」

 桜川は巫女のように厳かに語る。

「フルオレンスって」

 俺の背後で何かが光った。丁度演壇のように一段高くなった岩の頂上から幾筋もの光が射す。光が落ち着くと、そこには目を閉じた天女のような女性が立っていた。半透明の衣をまとい、限りなく白に近い柔肌の美形。俺達が黄色人種と呼ばれる理由がよくわかる。

「フルオレンス様!」

 桜川が駆け寄った。

『聖女戦士よ。先ほどの戦いは、すべて見ていました』

 聖女は口元を少しも動かさないのに、その声ははっきりと伝わってくる。

「水谷さんを、助けて下さい!」

『彼女は魔剣の力に蝕まれつつあります。助けるのは簡単ではありません』

 女神はあっさりと水谷を見放した。

「おい、ふざけんなよ! アタシらは中途半端な力を持たされて命張って来たんだぞ!」

 ここで星野が女神を激しく詰った。

「自分の都合で誰かを傷つけて、困っている時には見捨てるのかよ! 女神が聞いてあきれるぜ!」

『彼女を助ける方法はあります』

 女神の言葉は、何だか言い訳に聞こえてきた。

『私の力を使って魔剣の力を浄化すれば、助けられるかもしれません。ただし、それを使えば私の力は消耗してしまいます』

「水谷は、わけのわからない戦いのために命を賭けたんだ。アンタもそこまでするべきだ」

 星野の言い方は冷たかった。

『わかりました。彼女をこちらへ』

 俺は気を失っている水谷をフルオレンスの下に差し出した。フルオレンスは水谷を我が子のように抱きかかえ、まばゆい光の彼方に消えていった。

「これで、良いんだよね?」

 俺達はこの世界でしばらく、水谷の容態を見守ることになる。その最中、俺は魔剣とレーネシエールを元の世界に置き去りにしていたことに気付くのだった。


 この世界に飛ばされて何時間が経過しただろうか。元の世界と違って、まるで変わり映えのしない空の色。俺の腕時計がまだ正しいのならば、今は午後六時。夕焼けに染まってもいい頃合いだ。女神フルオレンスは水谷を連れて消えたまま、何の音沙汰もない。

「星野さん」

 退屈そうに空を見上げる星野の後ろから、桜川が歩み寄る。あれから二人の距離感がどう変化したのか、星野は振り向く様子もない。

「ありがと」

 桜川は言い出しにくそうにそれだけ呟いた。

「何の話?」

「その、水谷さんをここに連れて来てくれて」

「別に。あんな奴でも、居ないよりはマシだからさ」

 星野は相変わらずつっけんどんに返した。

「その、ごめんなさい。この前のこと」

 桜川は居ずまいを正し、水谷の前で頭を深く下げる。水谷はその様子をしばらく眺めていた。

「アンタは聖女戦士の使命に従って正しいことをしたと思うよ。それにアタシには、アンタを責める資格なんかない」

「どういうこと?」

「じきにわかる。だから今は言わない」

「おい、二人とも」

 そこへ俺が呼び止める。俺達の立つ場所から少し離れた場所で光の柱が立ち上がったのだ。

「水谷さん!」

 桜川は目の色を変えてそれを追いかけた。次に星野が俺の横を通り過ぎようとする――が、そこで足が止まった。

「今夜、契約を履行する」

「え?」

 俺の耳元で星野は小さく呟くと、何事もなかったかのように桜川を追いかけた。

 女神フルオレンスに抱かれる水谷は自分の力で立ち上がった。そして、数時間前の俺達の様にこの数奇な世界の様相を一つ一つ観察し始める。

「桜川さん?」

 水谷に向かって桜川が飛び込んできた。そしてしがみついたまま、水谷の肩を涙で濡らした。

「よかった! よかった! 私、水谷さんまでいなくなるんじゃないかって心配だったんだよ!」

「ご、ごめんなさい。私こそ、今まで戦いもしなかったくせに無理をして」

「全くその通りだな」

 感涙にそぼ濡れる二人とは対照的に、星野は至って冷めている。

「でも、よくやったと思うぜ」

 星野がパーカーのポケットから出した手の親指を上に立てる。

「俺からも礼を言わせてくれ」

 俺が最後に水谷の前に出た。

「野村さん・・・・・・」

「よく戦ったな。君の勇気は大したものだ」

「いえ、私。野村さんに助言を受けたおかげで強くなれたんですから」

「そうか」

 俺は踵を返して女神フルオレンスに向き直る。

「ありがとうございました」

 俺は女神フルオレンスに礼を言う。ところが彼女は俺に視線を向けることなく、やがてその膝を折れるように曲げて倒れ込む。

「大丈夫ですか?」

 元来色白なので気が付かなかったが、さっきより女神フルオレンスの顔面が蒼白だ。

『ごめんなさい。力を使い過ぎました』

「負担をかけてすいません」

『いいえ。少し休めば治ります。ただ、あなた方を元の世界に戻すだけの力がありません』

――要するに俺達は缶詰か?

 無職なのだから元の世界に戻ってやらなければならないことは特にない。今月分の年金は既に収めているのだから。

「それは大丈夫です。聖女戦士の力を使えば、元の世界に戻ることは出来ます」

『そうですか。しかし、あなたは』

 全員の視線が俺に集まった。

「俺のことはいい。みんなは家の人が心配するだろうから早く家に戻りなさい」

「でも、野村さんが」

「あとで女神様に送り返してもらうよ」

「そうですか。それでは」

 桜川達は聖女戦士に変身する。

「すいません。先に戻りますね」

 各々ロッドを掲げた三人は光の柱に包まれたかと思うと一瞬にして姿を消した。ところが居なくなったのは二人だけだった。

『シャイリン、どうしました?』

 たった一人残されたシャイリンに女神フルオレンスが問う。

「悪い、女神様・・・・・・」

 ロッドを下ろし、女神フルオレンスに近づくシャイリン。

「アタシ・・・・・・やっぱりアンタのことが嫌いだ」

『何を言っているので・・・・・・これは!?』

 シャイリンが振り下ろしたロッドが女神フルオレンスの身体に光の鞭を打つ。

『シャイリン、一体どういうつもりです?』

「うるさいんだよ! アタシ達のことは助けなかったくせに、今更世界を救えとか、ふざけたことを言わないでよ!」

 シャイリンが第二撃を繰り出す――ところがそれより先に彼女の頭上から光の矢が降り注いだ。

「くっ、新手か!」

 見上げるシャイリンの上には、さっきまで優雅に空中を漂っていた水晶体が赤い光を帯びて集まっている。どうやら女神フルオレンスを守るつもりらしい。

「こざかしい!」

 シャイリンはロッドから無数の光の矢を打ち放つ。滞空していた水晶体は初めの一撃でほぼ全滅。ところが程なくして新手が補充され、シャイリンに向かって反撃する。

「キリがないな!」

 上空に跳躍して水晶体の一つを踏み割ったシャイリンがぼやく。水晶体の数は時間に比例して空を埋め尽くすほどまでになり、女神フルオレンスには近づけなくなっていた。

「だったらこれなら!」

 シャイリンのロッドを起点に蜘蛛の巣状に稲妻が展開する。随所に電光石火の閃光が走り、漂う水晶体を尽く破壊する。その破片が地上に雪のように降り注いだ。水晶体の妨害は、この時点であらかた一掃されていた。

「次はアンタだ!」

 そのまま上空から女神フルオレンスに向けて急降下するシャイリン。ところがここで、元の世界に戻ったはずのピュアリンとウィズリンが立ち塞がる。

「なっ! アンタ達、どうして?」

「それは私達も同じよ! シャイリン、一体なぜこんな事をするの?」

「邪魔だ! 退け! そいつを殺せば、アタシは自由になるんだ!」

「違う! 女神フルオレンス様は、私達に大事な物を守るためにこの力を与えてくれたのよ! それを忘れたの?」

「そんなもの、アタシは最初から望んじゃいないんだよ!」

 シャイリンの攻撃にウィズリンが弾き飛ばされる。しかし、ピュアリンの障碍だけはどうにも取り除くことができなかった。

「退け! 桜川!」

「ヤダよ! 退かない!」

「だったらお前も・・・・・・」

 シャイリンはふと後方に気配を感じる。空の果てから多数の水晶体がこちらへ向かってきている。状況はシャイリンにとって不利に傾く一方だった。

「一旦退くしかないか!」

 周囲の水晶体を粉砕してシャイリンはロッドを掲げる。水晶体が攻撃を仕掛けたのは彼女が元の世界に転移した後のことだった。

「シャイリン・・・・・・」

 粉々に砕けた水晶の前でピュアリンが膝まずく。

「星野さん。一体どうしてこんな事に」

『おそらく、彼女は魔王軍に寝返ったのでしょう』

 女神フルオレンスは衝撃的な事実をあっさりと語る。

「魔王軍に? どうして星野さんが?」

『理由はわかりませんが、魔王軍は私の命を狙っています。恐らく、魔王の眷属に都合のいい約束を吹き込まれたのでしょう』

「そんな・・・・・・」

 横で聞いていた水谷が絶句する。

『それにしても、聖女戦士が敵に寝返るなんて』

 女神フルオレンスの表情は依然として穏やかだったが、思わぬ味方の寝返りに多少の衝撃を受けたようにも見えた。

「星野さん。最初からそれが目的だったの? 水谷さんを助けるためじゃなくて、女神フルオレンス様を倒そうとして私にここに来ることを勧めたの?」

「星野さんは、どうなるんですか?」

『彼女が魔王軍と繋がっているのだとすれば、彼女自身が暗黒騎士となることも考えられるでしょう』

「星野さんが私達の敵に? どうしてそんなことに」

「・・・・・・みんな、聞いてくれ」

 ここで俺が前に出た。

「野村さん?」

「その、言い出しにくいことなんだが・・・・・・こんな事になった責任は、俺にある」

「え? 何を言っているんですか? 野村さんは別に」

「実は俺は、暗黒騎士なんだ。もっと言えば、俺がノムラムスだ」

「はい?」

 桜川は事情を呑み込めない様子で首を傾げるだけだった。しかし、彼女の表情が次第に強張るのを見る度に、俺の胸は痛くなった。

「そういえば、ノムラムスって・・・・・・野村さんに名前が似ている!」

 水谷は今更そのことに気が付いたらしい。

「隠していてすまないが、俺は魔剣を持っている。君達と初めて出会った時に見たドラゴンは、俺が召喚したものだ」

「・・・・・・嘘、ですよね?」

『いいえ、事実です』

 女神フルオレンスには全てお見通しの様だった。

「最初からわかっていたんですか?」

『私には、人の心の純粋さが見えますので』

「そうですか」

「止めて下さい!」

 桜川がかぶりを振った。

「どうしてみんな、嘘ばっかりつくんですか! 私にとっては皆、大事な人なのに! 野村さんは、凄く優しい人だと思っていたのに!」

「ごめん、実は俺、前の会社を腹が立つような理由で辞めてさ、その後もずっと仕事がなかったんだ。それでこんな世界、滅びちまえなんて本気で思っていたら、俺の前に魔剣が現れたんだ。俺も、君達によって消されるべきかもしれない」

「馬鹿!!」

 桜川が俺の胸に飛び込んできて、俺の胸を何度も叩いた。

「野村さんが悪いなんて今だって思っていません! でも、どうして言ってくれなかったんですか!」

「怖くなったのかな。君が、暗黒騎士を本気で倒す覚悟が伝わって来たから」

「確かに、今までの私は魔剣を倒すためならその所有者も、どうなってもいいと思っていました。でも、水谷さんが命を懸けて魔剣からその人を解放した時、そして星野さんが水谷さんを救おうとして必死になっていた時に私は何も知らなかったんだって反省したんです。だから今はただ、野村さんと星野さんを魔剣から救いたい」

『よくぞ言ってくれました。私の力はじきに回復します。その力で、現実世界に戻ったあの子を救うのです』

「俺も手伝わせてくれ。星野は多分、俺の魔剣に宿る魔力と接触しに行ったはずだ。俺で何か力になれば」

「一緒に戦いましょう。野村さん」

 俺は桜川の手を取った。

「どうしました?」

「いや、君達のような子達ともっと早くに出会っていたら、俺も暗黒騎士にならずに済んだのかなって」

 俺は今更になって後悔しながら、女神フルオレンスの棲む世界を後にした。

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