第7話 時間浪費

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 その夜、メセナとアルフレインは宿の部屋を別にするようになっていた。若い男女の同衾がどうのとか、一人部屋は宿代が安く済むとか口実は色々あったが、昼間の事件以来、アルフレインとの間には既に物理的にも精神的にも壁が生じ始めていたことを、メセナは察し始めていた。だが、アルフレインには気の毒だがメセナは己の願望を諦めてはいなかった。彼と結ばれるために魔王の討伐は絶対条件ではなかったからだ。この際、自分の想いを打ち明けて旅に終止符を打とう。そう考えたメセナは勇気を出してアルフレインの部屋の前に立った。

「アルフレイン、居ますか?」

 部屋の外で、メセナはアルフレインに呼び掛ける。アルフレインの声が聞こえれば、彼の考えていることが少しでも推測できるのではないかと考えたのだ。

「入ってくれ。メセナ」

 アルフレインの声は上擦ってはいなかった。だが、談笑の多い彼の普段の声ではなかった。昼間の出来事がまだ、彼の心に暗い闇を落としているのだ。単純なアルフレインもやっと目を覚ましたのだろう。早く彼の心の傷を埋めてやらねば。メセナはドア越しに居てさえ待ち遠しかった。

「・・・・・・はい、入りますね」

 覚悟を決めたメセナはドアノブに手を掛ける。それをゆっくり回して、ドアを奥に引いた。真剣な彼の表情が早速メセナを出迎えた。

「メセナ、話があるんだけどさ」

 アルフレインは例のごとく後頭部の辺りを掻きむしる。メセナは生唾を呑み込んだ。彼がそうする時は、恥ずかしい内心を打ち明ける時と決まっていた。

――何の話だろう?

まさかアルフレインの方から告白するのではなかろうか。メセナの脳裡にそんな考えさえもよぎった。それならばそれでいいのだ。魔王を倒した後でのことが、前倒しになっただけなのだ。メセナから申し出るはずの話を、アルフレインが肩代わりしただけのことだ。

「大丈夫?」

「ああ。それと、大事な話があるんだが、聞いてくれるか? まず、今までのことなんだが・・・・・・ありがとう。ここまでついて来てくれて」

「そ、そんな! 気にしないで下さいよ」

 メセナは慌ただしく両手を振った。こんな改まった形でアルフレインに感謝されると、こそばゆくて落ち着かなかった。

「俺、魔王討伐は諦めた。馬鹿だったよ。自分が担がれていることも知らずに一人で舞い上がってさ・・・・・・」

「アルフレイン・・・・・・私は、楽しかったです。たった一年でも色々な物を見て回れたし、何よりいつもアルフレインが居て心強かったです」

「そうか。それで、俺達の今後のことだけど・・・・・・」

 アルフレインは言い出し辛そうに顔に皺を寄せる。頑張るんだ、アルフレインと、メセナは密かに鼓舞していた。既に二人の気持ちは決まっている。後はそれを言葉に代えて現実にすればいい。メセナはもう、いつでも受け入れる準備は出来ている。

「アルフレイン? いる?」

 閉めたドアの向こうで声がした。まるで親しい友人でも呼ぶかのような声でアルフレインの名前を呼んでいる。若い女の声だ。こんな時に誰だろう。娼婦が客先の部屋を間違えたのかもしれない。誰であるか知らなくても、夢実現の一歩手前にいるメセナにとって、迷惑千万だった。

「えっと、誰でしょう?」

「メセナ、鍵を掛けたのか?」

 アルフレインは訊いた。アルフレインと二人きりになりたいために、メセナは無意識のうちにドアを閉めるだけでなく、鍵を掛けてしまっていたらしい。至福の瞬間を、他の誰にも邪魔されたくなかったからだ。

「悪いけど、開けてくれないか?」

「え? ああ、はい」

 用件だけ聞いたらさっさとお引き取り願おう。メセナはそのつもりでドアの鍵を回した。メセナが開けるまでもなく、ドアは勝手に開いた。

『誰?』

 部屋の外側と内側で二人は同時に訊いた。メセナの前に立つのは露出度の高い踊り子のような恰好をした金髪の娘だった。大きく見開いた碧眼には、戸惑うメセナの姿が映っている。やはり、水商売の女に違いない。

「あの、部屋を間違えているようですが」

「はあ? アルフレイン、ここにいるんでしょ?」

「そうですけど、同名の人違いではありませんか? 私の知っているアルフレインはそんな事をする人じゃありませんから」

「何言っているの?」

「来たか」

「え?」

 メセナにとっては見知らぬ人であっても、アルフレインにとってはそうではなかったらしい。メセナの肩越しにアルフレインの姿を認めるなり、金髪の少女は断りもなく部屋に上がり込んできた。メセナよりも遥かに膨らんだ胸を見せつけるように傲岸に歩く。呆然とするメセナの前には彼女の香水の香りだけが残された。

「アルフレイン、お待たせ」

 アルフレインに近寄るなり、いきなり抱き着く金髪の女。豊満な胸が、アルフレインの屈強な胸板に押し付けられていく。メセナの背筋に戦慄が走る。

「おいおい、落ち着けよ」

「だってぇ。あの話、本当かどうか不安だったんだもん」

 金髪の少女は甘えるようにしがみついた。

「俺は嘘をつかないよ」

「誰なんです? その人」

 メセナは振り返り様にアルフレインを問い詰める。事情は分からないが、とにかく不愉快だった。

「彼女はミリア=ハイドルセン。この街を牛耳る交易商だ」

「ミリア? 交易商?」

「ミリアで~す! よろしくね!」

 ミリアは金のピアスを輝かせて科をつくる仕草をした。見た目は派手、言動は無遠慮。交易などという知的な生業をしているとは思えない。しかもミリアという名前。それはアルフレインとの間に出来た娘につけるはずの名前だった。アルフレインの同意を得てはいないが、メセナはそう決めていたのだ。

「それよりアルフレイン、その方がどうしてこの場にいるんですか? 約束って何の話です?」

「俺、決めたんだ。魔王討伐は止めて、これからミリアと交易を始めるよ。そして、一代で莫大な財産を築いて見せる」

「は・・・・・・」

 メセナは一瞬目まいがした。ショックで失神しかけたのを、何とか両足で踏ん張った。

「お、面白くない冗談ですね。オホホホホ・・・・・・今まで一緒に旅をして来たんだから、そんな冗談は通じませんよ」

「冗談じゃない。メセナ、俺は本気で言っているんだ」

「アルフレイン、あなたは計算も読み書きもさっぱりじゃありませんか」

「だが俺には度胸がある」

 度胸だけで何でもできるのか。度胸があればパンを増やすことも水を酒に変えることもできるのか。

「魔王討伐は、あなたの夢だったはずですよ」

「今の俺には交易商という別の夢がある。この意志だけはどうしたって曲がらない」

 違う。すでに変な方向に曲がっているのだ。

「話は終わり?」


 家に帰宅するなり、レーネシエールをベッドに座らせて俺は向かい合う。

「あれは一体何だ?」

「主の持つものと同じ、魔剣だ」

「魔剣はこの世界に何本もあるものなのか?」

「普通は一本しか与えられない。なぜならば魔剣は、この世界と魔王様の世界を繋ぐ鍵のようなもの。壊れることがない限り、二本以上が存在する必要はないのだ」

「でも、俺の魔剣はこの通りだが、二本目の魔剣が現れた。その原因は、お前でも分からないのか?」

「我が推測するに、原因は主にあるのではないかと思う」

「どうして俺が?」

「主は他の魔剣の所有者に比べて、魔剣をあまり使わない。どうやら魔王様は、主に世界侵略の尖兵を任せることに、疑問を感じられたようだ」

「てことは、俺は魔王からもリストラされたってことか?」

 何ということだ。齢三十五にして仕事の見つからない俺は、とうとう異世界の魔王にも見限られたようである。

「だが、魔剣はまだ主の手中にある。今ならば挽回の機会がないわけではない」

「魔剣をもっと使うということか?」

「それだけでは足りない。聖女戦士を倒さなければ、魔王様は満足なさらぬだろう」

「俺にあの子達を倒せと?」

「今日の戦い、主も見たであろう。あれが、暗黒騎士と聖女戦士の本来の立場。星野という小娘は、我にも前例のない酔狂な奴だ」

「あんな子達を、俺はいつかこの手で・・・・・・」

「そうでなければ、主もあの桜川に殺される」

「やるしかないのか、それともやられるしかないのか?」

「主がやらなくとも、新しい暗黒騎士があの娘どもを葬るだろう」

 こんな時に俺の電話がまた鳴った。

「はい?」

 電話の相手は答えない。間違い電話かいたずら電話か、俺は電話を切ろうとした。

『・・・・・・水谷です。野村さん、ですよね?』

「どうした?」

『すいません。明日、少しお話頂きたいのですが、よろしいでしょうか?』

「おれでいいの? ただの無職の一般人の俺で」

『大丈夫です。ただの無職の一般人の野村さんだから、いいんです』

 その返答には一瞬むかっときた。

「いいけど、あの二人は今、どうしている? かなり険悪な様子だったが」

『二人のことでご相談があるんです。会うのは私一人になります』

「わかった。時間は四時ごろになれば学校は終わるかな? 場所はこの前と同じ喫茶店でいいのかい」

 水谷は承諾した。俺は電話を切った。レーネシエールの目が不気味な色に輝く。彼女が何を言いたいかは、聞くまでもなく明らかだった。

「主よ。早速機会が巡って来たではないか」

「やらなければ、ダメなのか?」

「我は主のためを思って言っているのだ。主よ。魔王様は主のためでなく、ご自身の思惑のために魔剣を授けたのだぞ。それを、ゆめゆめ忘れることの無きよう」

「わかっている。だが、決断は俺に委ねてくれ」

 俺は最後まで決心のつかないまま、水谷と会いに行った。


 喫茶店で顔を合わせてから三十分。会話はまだない。

「・・・・・・えっと、すいません。来て頂いて」

 ようやく水谷の方から切り出した。彼女があまりにも俺の前でそぞろとするせいで、俺も声を掛けられずにいた。

「話って、何だ?」

「桜川さんと星野さんの件です。聖女戦士のことなので、他の人には相談しようがなくて、私達の内情を知っている野村さんに助言を頂きたいと思いまして」

「まだ仲直りできていないのか?」

「・・・・・・人の命が懸かっていましたから」

 水谷の話によると、魔剣を手にした魚屋の店主は発狂の末、消息不明。店にはシャッターが下り、遺族は近所にさえ悟られないように姿を消したとのことだ。

「確かに、俺も正直驚いたよ。桜川さんが、いや、あんな子供がああいうことをするとはね」

「野村さんも、桜川さんのやったことはいけないことだと思いますか?」

「それ以前に驚いている。どうしてあの子は、あそこまでするんだろうと思った」

「仕方ないんです。桜川さんだって、昔はあんなじゃなかったんです」

「あんなじゃなかった?」

「私達が女神フルオレンスに召還されて、聖女戦士になったのは一年前。その時、聖女戦士は四人いたんです」

「四人・・・・・・」

「森田優姫っていいました。でも、今彼女のことを知っているのは私達だけ。他の人達は、覚えてすらいないんです」

「その子は、どうしたの?」

「半年前、魔剣と戦って命を落としました」

「それは、お気の毒に」

「森田さんは桜川さんの親友でした。桜川さんは、それから魔剣を持った人達のことが許せなくなってしまったんです」

「そうか・・・・・・それは君や星野にとっても辛かったんだろうな。そうとすれば、どうして星野は桜川さんを嫌う?」

「それは・・・・・・私にもわからないんです。だからどうやって二人の仲を戻せばいいのか」

「おい、おい、それで相談を持ち掛けられても困るぜ。まずは双方の言い分を聞いた上で妥協策を探らないことには、解決の糸口が見つからない」

「そうですよね。でも、あれから星野さんとは連絡が取れなくなってしまったんです」

「何?」

 俺は着信履歴を辿って星野に電話を掛ける。例の取引の件で出てもよさそうなのに、電話は繋がらなかった。

「本当だ」

「こんな時に、また魔剣が現れたら・・・・・・」

「あのさ、君は戦わないの?」

「え?」

 水谷が当惑した。

「君も聖女戦士なのに、変身した姿を一度も見ていないから」

「わ、私には無理ですよ」

「どうして?」

「だって、あんな剣を持った人と殺し合いなんか、できるわけ」

「だけどそれでは、大事な仲間を救えない。星野や桜川さんだって、無敵なわけじゃない。君が戦わなければ、彼女達が危険にさらされるかもしれない。それでもいいというのなら、君は多分、一生かかっても桜川さんのことは理解できないだろう」

 背中のゴルフバッグが動く。レーネシエールが、余計なことを、と言っているのかもしれない。

「星野の考えていることは、俺がそれとなく聞き出しておくよ。でも、君には二人の仲を取り持つ前に、まず自分の義務を果たすべきだ」

 悄然とする水谷の分まで会計を済ませて、俺は店を出た。

「主よ。一体何を考えている?」

「悪いな。やはり、普通の中学生を魔剣で倒すなんて、俺には出来ない」

「しかしそれでは」

「だから、真っ向から勝負する。そのためにあの子に、聖女戦士としての覚悟を植え付ける」

「つまり、水谷春奈は倒せなくても、ウィズリンは倒せるということだな?」

「そういうことだ。俺の方が強ければ、の話だがね」

「主よ。その時は我も全力を解放しよう」

「期待しているよ」

 俺は何かを引きずったまま、納得のいく聖女戦士との決着の場を求めていた。


 幼少の頃から見慣れた河は随分形を変えてしまった。最初に魔剣の力を解放したことにより、川原に地割れを生んでしまったためである。そこへ河川の水が流入し、川幅がいびつに広がってしまったのだ。まるでねずみを呑み込んだ蛇のような形をした川面に幾つもの石が投げ込まれる。

「こんな所にいたのか?」

 俺が優しく話しかけると、星野は石を握ったまま振り返る。

「何だ、オッサンか」

「仲直りしなくていいのか?」

「言ったでしょ? アタシは聖女戦士なんかどうでもいい。それに、人殺しは嫌いだから」

「でも、桜川さんは仕方なくやったのだろう? 君達の仲間のこと、聞いたよ」

「・・・・・・そうか」

 星野は再び石を投げ始める。

「どうして君は桜川さんを嫌うんだ?」

「オッサンには関係のないことだろ?」

 星野は振り向かずにつれない返事だけを返す。

「そうだな。でも迷っている若者を見ると、オッサンは助言を与えたくなるものだ。俺も歳かな?」

 自嘲的な笑顔を浮かべる俺に心を許したのか、あるいは呆れたのか、星野が初めて振り向いた。

「あの魚屋は、アタシの親父にそっくりだったんだよ」

「結構メタボだったの?」

「馬鹿。ルックスの話じゃないよ。聞いただろ? あの商店街の近くに大型スーパーが建ってから、あの辺り一郭はすっかり廃れたのさ。そんなシャッター街に変わりつつある風景の中で、あの店だけは昔からの商売を守ろうとした。それがあの魚屋の夢だったらしいから。でも、アイツには家族だっていたろうに。もういい歳なんだからさ、自分の夢を追いかけてばかりいないで、もっと身近にいる人達を守るべきだったんだ」

「君のお父さんも、そんな人だったの?」

「それよりもっとひどかったよ。ラーメンが好きで、いつか脱サラして自分の店を持つって言っていた。今だったらぶん殴ってでも反対しただろうけど、まだ九歳だったアタシは親父と過ごせる時間が増えるって有頂天だった。そんなおめでたい家族は、狡猾な詐欺師に嵌められて、店どころか自分達の家まで失うことになった」

「それは・・・・・・」

 星野の双眸には、俺が今まで経験したこともない闇が口を開けていた。

「だから、あの魚屋の目を覚まさせてやりたかったのさ。取り返しのつかないことになる前に、アタシみたいな子供を増やさないために。でも結局、それを確定的にしたのは桜川だ。アイツの正義感は誰も救っていない! こんな惨めな子供を増やしただけだ! だからアタシは、アイツが大嫌いだ!」

「でも、桜川さんは君のことも守りたかったんじゃないか?」

「え?」

「世界にはいろんな考え方の人がいる。善悪の基準もことわざのように矛盾して当然だ。でも、桜川さんが星野を守るために戦ったという事実は、何があっても変わらない。君は仲間を裏切るような契約を結んでいるけれど、きっと桜川さんは星野のことを信じていると思う」

「・・・・・・何だよ」

 星野は涙に声を詰まらせた。

「オッサンだって魔剣を所有する暗黒騎士なのに、どうして泣かせるようなことが言えるんだよ!」

「こ、これはだな」

 その通りだ。社会に恨みを持って魔剣に手を出した俺が、こんな木鐸みたいな説教をする資格なんかないんだ。でも、今の星野にはそのことを言わずにはいられない気がした。

――俺みたいになるなよ

 決して王道の人生を歩んだとは言えない俺は、遠回しにそう言おうとしていたのかもしれない。

「でも、ありがと。オッサン。今の助言は参考にするよ」

「ああ、あくまで参考程度にな」

 お互いにぎこちない笑顔を見せあったその時だ。

「爆発?」

 甲高い衝撃音が空気で空気が張り詰める。ビル街の隙間から滲み出る土煙。

「まさか、また魔剣が?」

 星野も俺も、そんな予感に戦慄を覚えた。

「オッサン! どこへ行くんだよ!」

 星野の言葉を背中に受けて俺は走り出す。説明している暇はない。何が起こっているのか定かではないが、そこはさっきまで水谷と話をした喫茶店の近くであることだけは、間違いがなかったのだ。


「この裏切り者! 私を差し置いて、他の女と仲良くするなんて!」

 数珠つなぎに入り乱れる車。天下の往来の真ん中で一人の主婦が闇雲に魔剣を振り回す。振り回した剣先から時折赤い閃光が走り、レーザーカッターのように遮る全てを裁断していく。まるで特撮映画のようなペースで、ビル街は尽く破壊されていく。

「やっぱり魔剣か!」

 彼女が手にするのは紛れもなく魔剣。装飾の細部は少し異なるが、俺が目にするのはこれで三本目だ。

「残業だと思って、ご飯作って待っていたのに! 会社の接待だと思って、休日も一人で子供達の面倒を見てきたのに!」

 怒りと光線をぶちまける主婦。旦那はどこで何をしているのか、彼女を宥めようとする人間は一人もいないのでは。そんな俺の予想は裏切られた。

「あれは!」

 魔剣を振り回す主婦の頭上に架かる歩道橋。その手すりの上から身を乗り出す一人の少女。それは何か決意を秘めた表情の水谷だった。

「水谷さん! 何をしているんだ!」

「野村さん。離れて下さい。この魔剣は私が止めます」

 恐怖に支配された声で水谷は歩道橋を飛び降りる。

「水谷さん!」

 飛び降りつつ光に包まれる水谷。そこから現れたのは水色のコスチュームに包まれる聖女戦士、ウィズリン。

「ありがとうございます。私、いきなり聖女戦士の力を持たされて、どうしたらいいかわからなかったのかもしれません。でも、野村さんのお陰で私、今日で逃げ続けるのを止められそうです。大丈夫。もう、一人で戦えますから」

 ウィズリンは改めて魔剣の主婦と対峙する。魔剣の主婦もまた、ウィズリンの姿に特別の注意を抱いたらしい。闇雲な破壊を中断すると、その剣先を相手へと向けた。

「憐れな魔剣の持ち主、知恵の聖女戦士、ウィズリンがあなたを救済します」

 魔剣の主婦は名乗りもせずに斬りかかる。ウィズリンは手から出現させたロッドでそれを受ける。両者は互角のまま、何度か立ち回った。

「ウィズリン!」

 大通りの両側からシャイリンとピュアリンが同時に合流し、戦列に加わろうとする。これで形勢はこちら側が有利になるはずだった。

「ピュアリン!」

 ピュアリンの頭上から赤い閃光がピンポイントで直撃。咄嗟に異変に気付いたピュアリンは寸前で回避する。

屹立するビルの屋上から、人の形をした影がゆっくりと下降する。

「ちょっと、アンタ達。私のご主人様に手を出さないでくれる?」

 大人びた女性の声が、聖女戦士達の行く手を阻む。しなやかな線の身体をレオタードに包む女が紫色の口紅を曲げて微笑する。

「コイツは・・・・・・」

 あの魔剣に宿された魔力の化身なのだと、俺はすぐにわかった。

「何なのよ、オバサン」

「オバサン? オバサンって言った?」

 魔力の化身は眉を引きつらせる。どこの世界であれ、オバサンという言葉は女性に対して禁句であるらしい。

「本当に、躾が成っていないわね。この際だから、私がまとめて調教してあげる」

 魔力の化身は両手に突き出した手で、黒光りする鞭を取り出した。

「上等だ!」

 即座に反応したのはシャイリンだ。ロッドの先端から放った光の矢が魔力の化身に標的を絞る。しかしながらその矢は、魔力の化身の前で潰えた。

「なっ!」

「そんな小手調べが効くわけないでしょ?」

 魔力の化身は鞭を撓らせる。鞭は見た目に反して長く伸び、ピュアリンとシャイリンをまとめて薙ぎ払う。二人はビルのショーウィンドウに激突した。

「さあ、本当のお仕置きはこれからよ」

 楽しみに目を輝かせる魔力の化身は、呻吟する聖女戦士達に歩み寄った。

 一方で剣とロッドの丁々発止を繰り広げるウィズリン。魔剣の魔力がピュアリンに向いているせいか、魔剣から魔力が発散される気配はない。

「皆!」

 一瞬の隙も許されない状況の中、ピュアリン達を一瞥したウィズリンは呆然とする。

「退きなさいよ!」

「危ない! ウィズリン!」

 俺はウィズリンの小さな体を抱きかかえてアスファルトの地面を転がった。魔剣の刃が容赦なく俺達の残像を両断する。

「すいません! ありがとうございます」

「気にするな、それより・・・・・・」

「キャハハハ!!」

 下卑た笑い声に振り向くと、満身創痍の桜川が細い首を鷲掴みにされて宙に持ち上げられている。

「さあ、もっと泣きなさい! どうせ誰もあなたを助けてくれないわ!」

「・・・・・・やめろ」

 星野が魔力の化身の足首を掴むも、簡単に振り払われて頭を踏みつけられる。

「アンタはまだよ。この子をお寝んねさせた後でゆっくりいたぶってあげるからね」

「野村さん、お願いがあります」

「何だ?」

「あれは恐らく、魔剣に宿る魔力。つまり、魔剣さえ破壊してしまえば魔力も雲散します。だから私、今から全力であの魔剣の破壊に徹します。もし上手くいかなかったら、ピュアリン達をお願いできませんか?」

「それは、君が一人で危険にさらされるということじゃないか?」

「覚悟の上です。他に選択肢はありません」

「だけど・・・・・・」

 俺には実は選択肢がある。俺自身の魔剣を使って参戦するという方法だ。だがそれは、桜川と水谷に俺が敵である事実を打ち明けてしまうことになる。それに、レーネシエールが聖女戦士のために力を貸してくれるとは思えない。

「済まない。頼む」

 ウィズリンは俺の意志を確かめると、魔剣に向かって驀進する。

「何をしているの? ご主人様。そんなガキ、さっさと片付けなさい!」

 一体どちらが主なのか、魔剣の主婦は魔剣を構えてウィズリンを迎え撃つ。だが、魔剣を前に出したのは完全にウィズリンの読み通りだった。

「クリアウォーター!!」

 何の技だろうか、ウィズリンのロッドを渦巻く光の渦が魔剣に被さる。

「この光は!」

 ウィズリンの思惑に先に勘付いたのは魔力の化身だった。桜川を投げ捨てると魔剣に集中するウィズリンの背後から襲い掛かる。

「あと少し! こんな魔剣、消えてなくなれ!!」

「させないわよ!!」

 片手を突き出す魔力の化身。ところがその頃には魔剣が欠片となって、元の形を失いつつあった。同時に魔力の化身も、爪先から姿が消えようとしている。

「やった」

 徐々に崩壊を始める魔剣が遂に消え去ったその時だった。ウィズリンの小さな胸を、一筋の光線が勢い良く貫いた。

「ウィズリン!!」

 俺が叫んだその時、魔剣も魔力の化身も消失して、ウィズリンの身体は徐々に傾きつつあった。魔剣の力を失った主婦はその場に倒れ込む。

「しっかりしろ!! 水谷!」

 瀕死の水谷は口角から血を滴らせて無理に笑顔を作る。

「馬鹿! 何やっているんだよ!」

 激しく叱咤を飛ばす星野。桜川は蒼白な表情でウィズリンの手を取った。

「ごめんなさい・・・・・・私がもっと早くから戦っていれば、桜川さんに辛い思いをさせることはなかったのに・・・・・・」

「水谷さん・・・・・・」

「早く、助けないと」

 俺はうわ言のように言ったが、あの魔剣の魔力に身体を貫かれたのだ。誰が見ても、手遅れだった。

「どうして・・・・・・どうして水谷さんまで」

 桜川は水谷の手を握りながら泣き続けた。その肩を掴むのは星野の手だ。桜川の胸倉をつかむなり、問答無用で平手打ちをくらわす。

「何を諦めているんだよ! 水谷を助けるのが先だろ!」

「でも、どうすれば・・・・・・」

「アタシ達を聖女戦士にした、女神フルオレンスならば何か出来るはずだ! 諦めるのは、やれることをやってからにしろ!」

 その言葉に桜川も動いた。星野と共に立ち上がり、天に向かって瞑目する。

「頼む、水谷を助けてくれ」

 小声で呟く星野。その後に光の柱が天から刺して、二人の身体を包み込む。驚くべきことに、水谷を抱える俺の体までが光の柱に包まれていた。

「えっ? 俺まで? マジかよ!!」

 そう叫んだ時には外の世界から完全に隔絶されていた。

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