第5話 迷惑千万

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男の悲鳴が聞こえて、鉄がひしゃげる嫌な音が聞こえた。その後、後ろから浴びせられてきた機銃がピタリと止んだのだ。向こうで何が有ったのか、顧みる余裕はなかった。それでもさっきとは別の機銃が今度は、二本になって追撃してきた。ライトのすぐ下に、副砲が隠されていたようだ。

「よし、そろそろだ」

クライスは照射灯のスイッチに手を掛けた。今しがたあのような岩が現れたので、押すのには幾分躊躇した。それでも状況はさっきとほとんど変わらない。

「絶対に、ここから出るんだ!」

急に《フルークライゼ》の姿が闇に消える。同時に操縦席も真っ暗になり、前の様子がまるでわからなくなってしまった。

さっきまで後ろから《フルークライゼ》を狙っていたライトが急に妙な動きを始める。ガイドが居なくなったので障害物を探そうと辺りを慎重に調べているのだ。そしてその光はどんどん遠くなっていく。しかし、まだ《フルークライゼ》の光を出すわけにはいかない。もう少し距離を離さなければ。どこに何が有るか、全く先が見えない障害物だらけの洞窟を、クライスは長年の《収集士》としての勘だけを頼りに進んでいく。いつ前に硬い岩が現れて鼻先をぶつけてもおかしくない状況だった。するとしばらくして、眼前に別の明かりが洞窟内に射しこむのが見えた。第一採掘場は眼と鼻の先だ。しかし、その光が最後になって《フルークライゼ》の姿を顕わにしてしまった。

「不味い、追って来る」

それまで神経質に岩をよけながら進むテルゼ達の機体が、獲物を追う肉食動物の様な勢いでこちらへ急接近した。そして彼らが使っていた飛行機もここに来てその姿がわかった。

――D73型軍用輸送機

最大二十人の歩兵を空輸するレイルストの軍が一世代前に使っていた主力作戦機だ。国の紋章は引っ掻いたような無数の傷でかき消され、機体のQCMもややガタがきている。装備更新の際に出た廃品を下取りしたようだ。一体どうやって。おまけにトレードマークである上部の十ミリ機関砲はさっき岩にぶつけたせいでそっくり無くなっていた。

「あんなものは、エネレクスの資産には無かったはずなのに。しかも、あれは敵国の・・・」

おぞましい兵器の姿を見たエスライアは絶句した。

「どこかの組織がアイツ等の後ろ盾になっているんだ」

「そんな、テルゼ・・・」

ここまで来ても、エスライアはテルゼを悪く思えなかったようだ。それだけ彼は、ここに来る前に彼女に尽くしていたのだろうか。だとすれば、彼は一体どうしてエネレクス社に反旗を翻したのだろう。

「来るぞ!」

テルゼ達の輸送機には《フルークライゼ》を撃ち落とすだけの武装がまだ残っている。

「終わりだ!」

自ら銃を握るテルゼの顔が照準の奥から覗いていた。標的を射程に収めた彼はすかさず引き金を引くが、銃口が火を吹く事は無かった。

「弾切れか!」

怒りに取り乱したテルゼは機銃を投げ出して代わりに操縦席を奪った。輸送機が飛行速度を上げて急接近して来る。

「ぶつけるつもりか!」

相手は砲火の中をも進む軍用輸送機、《フルークライゼ》と正面衝突したとしても墜落する事は無いほどの外装で強化されている。それに比べて銃弾すら防げない《フルークライゼ》の鋼板がそれに堪え切れるはずが無かった。

逃げる《フルークライゼ》を小突くように輸送機がつついて来た。接触の衝撃が止むと、テルゼの部下達は輸送機の窓から顔を出して拳銃を発砲する。

「やめてえ!せめてクライスだけは助けて!」

懇願するエスライアを、テルゼは面白がっていたぶった。既に《フルークライゼ》は至る所に損傷を負っている。これでは第一採掘場までに機体が持たない。

「これで最後だ!」

テルゼは止めを刺すべく、QCMの出力を全開にした。その時、彼らの機体の後部が破裂して後ろに居た部下の一人が炎に包まれた。

「こんな時に!」

旧型のQCMを酷使したツケがここに来て回ってきた。QCMは回転機構部が吹き飛んで完全に機能をなさなくなっていた。空を我が物顔で飛んでいた輸送機の高度がみるみる下がっていく。

「ここまで来たのに!何故だ!」

テルゼ達の機体は第一採掘場に不時着した。幸いそこは、鉱夫達が居なかったので怪我人は出なかった。蟻が群がる様に人が集まり、煤と恥辱にまみれたテルゼが地団駄を踏みながら引きずり出された。後から出て来た彼の部下は一人だけになっていた。

「助かったようだな」

誰かが通報したのか、《クナ》交換所に常駐する警備員が駆け付けて彼らの悪事は明るみに出た。手錠を掛けられてやや前かがみになりながらテルゼは連行されようとしていた。

「待って、クライス。お願いだから下ろして」

もう危険は無かった。《フルークライゼ》が接地しないうちにエスライアはスカートを翻して飛び降り、テルゼのもとへ駆け寄った。

「テルゼ、どうしてなの?一体誰がどうやって貴方にこんな事をけしかけたの?」

「やっぱり、アンタはお嬢ちゃんだな」

ふてくされたテルゼは心配するエスライアを鼻で笑った。ただ、それは彼女の世間知らずを馬鹿にしているのではない。ここまで酷い事をした自分を尚も信じる彼女の善意を受け止めきれない思いが有った。

「色々訊きたい事がある。国内でも有名な資源開発会社の幹部があろう事か敵国の兵器に乗っていたのだ。これがどういう事だかわかるか?」

警備の主任が深刻な表情でクライスの傍で囁いた。

「さあ、俺達の手には負えないとしか」

「ただ一つ、はっきりしている事が有る。あの男は、《蟻の巣》から出ても日の下には二度と戻れない」

「テルゼ、一つだけ教えて。貴方が私に《蟻の巣》へ行くなと言ったのは、本当に計画を邪魔されたくなかったからだけだったの?今思えば、《蟻の巣》は思っていたよりずっと危険で寒くて、人を寄せ付けない恐怖に包まれていました。そんな場所に私を行かせる事への心配も、本当はあったのではないですか?」

「仕方ないだろ。それでもアンタはここへ来てしまったんだ」

テルゼの目が割れた眼鏡の奥で光った。何が起こったのか気取られぬよう、顔を逸らした彼は逆に警備員達を率いる様にそそくさと自分の向かうべき場所へと歩み出した。

「アイツの事、少しは嫌いじゃなくなったよ。俺達も戻ろうか」

突然空から降りて来た二機の飛行物体に、第一採掘場は騒然としていた。鉱夫達の関心は、テルゼ達の乗っていた輸送機の残骸をどう撤去するかに移りつつあった。《フルークライゼ》を早く退けろという粗野な怒声を後に、クライス達も第一採掘場を出た。

「この飛行機、随分傷んでしまいましたね」

フルークライゼの翼には銃弾の穴があき、機体は洞窟の壁や天井にかすった時のえぐられたような傷や汚れが目立った。

「QCMさえ無事ならすぐ直るさ。家に予備のパーツがごまんとあるし」

「それでも、約束通りお礼はさせて下さい。《クナ》の発生原理はわからなくても貴方のお陰でエネレクス社は救われたのですから。それと、貴方には一つ謝らなければならない事が有ります」

「巻き込んだ事なら違うって」

「そうではありません。最初に《クナ》を見つけて貴方が取って来た時、私は《クナ》だけを持ち帰った貴方を非難してしまいました」

「そんな事もあったな」

「でもあの時、本当は《クナ》以外に崖から転落して気絶していた私も助けてくれていたんですよね。貴方には本当に、何と感謝を申し上げたらいいのか。それで、お礼の件ですが」

「そうだな」

クライスはしばらく考えた。あの洞窟を逃げ回った時、不謹慎ではあるがエスライアからの見返りを何か一つ思いついたのだ。だがそれは、その後の混乱と安心で記憶の彼方に飛んでしまった。

「そうだ、一つ頼みが有るんだが」

 翌日、あんな事が有ってもクライスはいつも通り学校に通った。《収集士》稼業が学業を妨げては本末転倒である為だ。それでも昨日はさすがにしんどくて眠い。それとは対照的に、教室はある話題に盛り上がっていた。

「聞いたか?転校生が来るんだってよ」

「それも《収集士》兼業のB組にさ」

「ウソ?私は転校生は女子と聞いたけど」

「それってルイスみたいなのが来るのかよ?」

「何よ、私が二人になるとかわけのわからない事を言って」

ルイスは意図せず引き合いに出されて機嫌が悪かった。トーゴもルイスも、今日の転校生が誰なのかを実は知らない。

「しかし、どんな子だろうな。《収集士》の女子って。これで俺達の職場も紅一点が出来るわけだ」

「既にアタシが居るんですけど」

教室のドアが開かれた。教師に連れ立って入ってきた生徒の顔を見ると、トーゴとルイスの眼の色が変わった。


物体を思い通りに動かす魔力、それが念動だ。念動には動かせる物質の種類が決まっており、彼女は剣などの金属を動かせるに違いない。剣を思い通りに動かせるのだから、剣速も際限なく高めることができる。剣速は攻撃力に比例するから、俺と剣を交える直前に剣速を上げれば衝撃時の威力も青天井となる。

俺を圧倒し続けた俊敏な剣と剛力はティレサが剣に籠めたものではなかったというわけだ。彼女の剣自身に備わっていたものだったのだ。彼女はそれを、自分の腕で振り回しているように演じていただけだ。

 そしてティレサは俺の反撃を防ぐべく、下手に回避するよりも地面をぐらつかせることで俺の攻撃を阻んだのだ。これだけの魔力を宿すだけでも驚嘆に値するが、それを的確に使った判断力には脱帽するばかりだ。

彼女の魔力がまとっていたヴェールはこの時、完全に剥ぎ取られたといってもいい。どんな剛腕でも地面を割るほどの力はない。それはこの光景を見た誰の目にも疑いのない事実だ。

「どうやら、あなたも同類のようですね。道理でさっきから攻撃が当たらないはずです。とすれば、あなたの魔力はおそらく空間を歪める類のもの――まさか、その魔法って」

 ティレサが言い終わらぬうちに、地割れを起こした地面に更に衝撃が加わった。空から降ってきた何かがティレサを六角形に囲むように地面に突き刺さったのが見えた。

「一体何だ?」

 会話を止めた俺は噴き上げた砂塵の一つを見据える。そこには地面に真っ直ぐに突き刺さった石柱のような黒い物体がそびえていた。

「これは? 結界魔法?」

 黒い石柱から突然、紫電が飛び出した。隣り合う石柱同士の間を伝わったそれは瞬く間にティレサを取り囲み、彼女の身体を蝕んだ。魔導士も一般の観客達も沈黙する中、痛々しい少女の悲鳴が闘技場内に轟く。

「ティレサ!!」

「全く、どこで何をしているかと思えば剣奴に身をやつしているとは」

 呆れるような声と共に、壇上席を乗り越えて一人の男が歩いてきた。長く髪を伸ばした長身痩躯の男は、結界に囚われたティレサに軽蔑を込めた眼差しを向けていた。

「魔導士?」

 男の物腰から察するよりも、目の前の事態を考えればそう考えるのが自然だった。

「アルバート」

 ティレサが小さく呟いた。

「アルバート? グロワ家のアルバートか? どういうことだ? 帝国最大の繁栄を誇る魔導士がブレイド・ストラグルに乱入してくるなんて」

「その通り。私の名前を知るとは、君は剣奴の割に随分と魔導士の世界に精通しているね。それはさておき、お前を連れ戻しに来たぞ。身内の恥さらしにはもう見兼ねた」

 アルバートという魔導士は平然と答えた。

「身内?」

「君が戦った相手、ティレサ=エングートはグロワ家派閥のハルバート家の令嬢だ。しかも彼女は魔法の手ほどきを私から直接伝授する師弟関係でもある。それ故に彼女は近く、私と婚姻をする約束だったのだがね」

「婚姻だと?」

「あなたとの婚姻なんて、私は望みません」

「そんなことが言える立場かな。誰が魔導士に仕立ててやったと思っている?」

 俺はティレサの言葉を想起した。自分の力で生きたいと願うティレサの願い。それはこの男に対してのものではないのかと。

「ところがこの女は側室の分際でありながら、俺に尽くすことを拒んだ。姿をくらませたかと思えば、こんな所で剣奴として家名に泥を塗る始末だ」

 アルバートは目を細めて、魔法に拘束されながらも息絶え絶えのティレサを睨みつける。

「これでわかっただろう。お前には私から逃れられないのだ。それを否定するというのなら、その魔法を自力で破ってみろ」

 ティレサは何か言いかけて、必死に四肢を動かした。しかし紫電のまとわりつく身体は思うように動かず、逆にティレサの抵抗に反応したように激しさを増す。それでも眼差しだけは、抵抗の意志を持ち続けた。

「その目・・・・・・お前はどうして私をそうやって見る? お前には私に尽くす以外に生きる道はないのだぞ」

「私は・・・・・・あなたとは」

「見るに堪えないな。これ以上の醜態をさらすのは」

 力尽きたようにぐったりとするティレサに向かって、アルバートは侮蔑的な表情一変させて振り向いた。その先には高い壇上席から試合を観戦する皇帝アトパシネの姿があった。

「僭越ながら、皇帝陛下にお願いがございます」

「許そう、申せ」

 しわがれた声が闘技場に響く。皇帝が何か言う時に私語を挟むのは死罪に値すると知って、他に物音を立てる者はなかった。

「此度の帝王杯において不肖の弟子が粗相をしましたこと、深くお詫び申し上げます。グロワ家はこの事実を重く受け止め、厳正に対処しますゆえ、どうかこの剣闘試合の即時中止を進言させて頂きたくございます」

「中止、とな?」

 アルバートは片膝をついたまま顔を上げない。

「待ってくれ!」

 真っ先に俺が声を上げた。アルバートも他の観客も、意表を突いた横槍に顔をしかめた。

「俺との剣闘試合を止めたら、この帝王杯の優勝はどうなる? 俺達の戦いは、まだ完全に終わってないんだぞ!」

「そんなものは君にくれてやる。魔導士相手にここまで戦ったのだ。不戦勝だと思えばいい」

「ふざけんな! そんなことで俺の勝ちが認められるはずがないだろ! 最後まで勝負をさせてくれ! ティレサもそれを望んでいるはずだ」

「恐れ多くも陛下の御前であるぞ。剣奴の世迷言が聞き入れられるとでも思っているのかね?」

 アルバートの言った通りだった。闘技場からたちまち武装した近衛兵が現れて、武器の鋭鋒を俺に突き付けてきた。

「アルバートよ」

 皇帝は再び威厳のある声を発した。


「野村英二さんというんですか?」

「ああ、今は無職だ。両親と同居している」

「野村さん、あなたとはいずれどこかで、お話をする機会を設けなければなりません。後ほど、こちらから連絡させて頂きます。繰り返しますが、今日見たことはくれぐれも口外しないように」

 ピュアリンは髪をなびかせて公園から立ち去ろうとした。

「待ってくれ! せめて、君の名前だけでも教えてくれないか?」

 少女はしばらく考え込む。

「命を救ってもらった人の名前は知っておきたいんだ。頼むよ」

「・・・・・・桜川、桃花です」

「桜川さん、ありがとうな」

「いえ、別に」

 ピュアリンこと桜川は少しはにかむと、足早に公園を抜けた。いつまでもその場に座り込む俺に近づいたのはレーネシエールだ。

「主よ。無事か?」

「ああ、お陰様でな。それにしても、彼女達は一体何だ?」

「話せば長くなる。だからまずはこの場を離れよう」

 レーネシエールと魔剣を回収した俺は、なるべく人と会わないように帰宅するのだった。


 レーネシエールの策略が奏功して、俺達の家を張り込んでいた警察は、翌日から姿を見せなくなった。俺が召喚したドラゴンはテレビ中継にはっきりとその姿を留めており、それと戦うピュアリンもまた、メディアの注目の的となる。これだけ奇想天外な役者がそろうとなると、もはやノムラムスの予言など相手にしている場合ではないのだ。

「くそっ、やっぱりアクセス数が下がっている」

 ピュアリンやドラゴンの登場によって、ノムラムスの理論を半ば盲信しつつあった世間は疑問を持ち始める。俺がでっち上げたシグマウェーブの話は大幅なジャンル修正を迫られていた。

「それで、連中は何者なんだよ?」

「あれは、魔王様の世界侵略を妨害する異端者、聖女戦士だ」

「聖女戦士だと?」

「女神フルオレンスが遣わした清き力の戦士達。彼らの抹殺が、主に課せられた使命」

「そんな奴らまで出てくるのかよ。面倒くさい」

 考えてみればわかることだ。俺は既に、こことは別の世界の入り口に差し掛かっているのだ。そういう特別な存在が、俺一人である保証はどこにもない。

「聖女戦士の力に打ち克つには、魔王様の魔剣以外にあり得ない」

「つまり、この魔剣であの子達を倒せと?」

「そのために主は選ばれた」

 何だか色々なことが起こり過ぎてわけがわからない。俺は常識を超えた武器を利用して一山当てたいだけだったのに。

 俺のスマホが振動した。無職の俺に電話を掛ける人間は、一人しかいない。

「はい、野村ですが」

『野村、英二さんですよね? 桜川です』

 電話の向こうで桜川は遠慮がちに尋ねる。

「ああ、先日はどうも」

『今、時間大丈夫ですか?』

「問題ない。むしろ、用事がある方が珍しいくらいだ」

『ありがとうございます。場所と日時は・・・・・・』

 俺は机の上の紙に場所と日時を素早く書き込む。営業マン時代のスキルはまだ錆びていない。

「わかった。では後で会おう」

 俺は電話を切った。

「主よ。聖女戦士達と接触するのか?」

「ああ、さすがに魔剣を持っていくわけにはいかないから、俺一人で行く」

「気を付けろ」

「向こうはまだ、俺の正体に気がついていない」

「しかし、もし正体を知った時には油断できないぞ」

「確かに俺達は敵同士だが、あの桜川って子は公正だ」

「何を言う。一番警戒するべきはピュアリンだ。あの少女の目を見ればわかる。あれは、悪を心の底から憎む目だった。恐らく、大事な何かを失った者の目つきだ。もし、主の正体を知った時には何をするかわからない」

「あんなに優しい子が、そこまでするだろうか?」

「善人過ぎるがゆえに、悪に対しては殊更に非情になるものだ」

「忠告ありがとう。気を付けるよ」

 俺は適当に返事した。口さえ滑らせなければ問題ないはずだ。俺が魔剣を手にしない限り、暗黒騎士だという証拠がないことに、安心しきっていたのかもしれない。


 俺が呼び出されたのは学生が多く出入りするファーストフード店。自動ドアを潜った俺を見つけた桜川が手を振っている。テーブルに座ると、俺は桜川含めて三人の女子中学生と対面することになる。彼女の左に座るのはシャイリン、もう一人は大人しそうな見知らぬ少女。

「すいません。こんな所まで足を運んでいただいて」

 真ん中に座る桜川が切り出した。シャイリンは話に興味がないかのように、店の外の往来を眺めている。もう一人の中学生は気まずいことでもあるかのように、俺から視線を反らそうとする。

「こんなに人気の多い場所でいいのか?」

「むしろこういう場所の方がいいんです。何を言ったって、冗談としか思われませんから」

「なるほどな。そうとなれば本題に移ろう。まずは助けてくれたことに改めて礼を言わせてくれ。そのお礼といっては何だが、この店は俺の驕りにさせてもらうよ」

「そんなつもりで呼んだんじゃ・・・・・・」

「いいんじゃない。向こうから金出すっていうんだからさ」

 シャイリンの態度には辟易したが、俺を直接救ったのは彼女だから仕方がない。

「それでは、ごちそうさまです」

「で、君達は一体何者なんだ? ノムラムスの予言と、どういう関係にあるんだ?」

「私達の話、信じてくれますか?」

「あんな戦いを実際に見ているんだ。何を言われたって驚かないよ」

「そうですか。前に話した予言のことはご存知ですよね?」

「天変地異の時刻と場所がネットで広まっているという話だろ? 実際に俺は見たことないが」

「へえ、そういうのって信じないタイプ?」

 シャイリンがストローから唇を放して尋ねてくる。俺は頷いた。

「これでも一応、理系の大学を卒業しているからね。オカルトじみた話を頭から信じるわけにはいかないかな」

「まさにその通りです。そのサイトには、原因がシグマウェーブだとか、聞きなれない言葉が多数書かれているんです。でも、あれは全てデタラメなんです」

――そうだな

「デタラメって?」

「シグマウェーブも、アレギオン星人も存在しません。私達が直面しているのは、もっと別の現実なんです」

「それが、この前のドラゴンだったり、君達だったりするわけだ」

「私達の知る情報によると、この世界を狙う邪悪な魔王が密かに侵略を目論んでいるそうです」

「魔王? 物語に出てくるような?」

「強大な魔王とその眷属は、自分たちの住む世界では飽き足らず、異世界をも掌中に収めようとしているそうです」

「じゃあ、あのドラゴンは魔王軍か? これからも、あんな奴らがこの街に襲って来るのか?」

「その可能性はあります。でも、あの化け物を退治するだけでは戦いは終わりません。魔王は世界を侵略する前に、その世界の住人を魔王軍の尖兵として利用すると言われています」

――俺のことじゃないかよ

「この世界の人間を、洗脳するということか?」

「いいえ。魔王は味方に引き入れられそうな人間に、魔剣を渡すそうです。その魔剣は魔王の住む世界とこちらの世界を繋ぐ鍵のようなもの。魔剣がこの世界に存在し続ける限り、今回のような事件は続くはずです」

「魔剣かぁ」

「私達は魔王の侵略を阻もうとする女神、フルオレンスによって魔剣の破壊を委ねられた聖女戦士なのです」

「君達が?」

 俺の問いかけに、桜川は決意を秘めた目で頷いた。

「私達は今、魔剣を探しています。場合によっては、その所有者と戦わなければなりません」

「そうか・・・・・・それは大変だな」

「でも大丈夫さ」

 シャイリンが自信のある答えを返した。

「それはどういう意味だ? えっと・・・・・・」

「星野優。それがアタシの名前だ」

「魔剣の目星はついているのかい?」

「は? オッサン、馬鹿なの?」

「優ちゃん!」

 俺は眉を引きつらせる。優は鞄から薄型のノートパソコンを取り出して俺の前に置いた。

「これは・・・・・・」

 ディスプレイには見覚えのあるサイトが映っている。ノムラムスの予言のホームページである。

「私達はこのノムラムスと名乗る人物が非常に怪しいと考えています。このサイトに書かれる事件が、最初は地割れや突風だったので、魔剣と関係があるかどうかはわかりませんでした。でも、この前の魔王軍の襲撃は明らかに魔剣の力によって引き起こされたもの。つまり、その時刻と場所を正確に言い当てたノムラムスという人物が、魔剣の所有者である可能性は高いと思います」

――まずいぞ! これは!

 俺は話を聞きながら内心叫びたい気分だった。中学生と思いきや、頭の切れが予想以上に良すぎる。ノムラムスという架空の名前を使っていなければ、今頃は俺も滅せられていたかもしれない。

「今、優ちゃんにこのサイトの管理者を割り出してもらっています」

「え!? そんなことが出来るの?」

「まあね。上手くいくかはわからないけど」

「でも、それっていわゆるハッキングじゃないかな? 中学生がそういう犯罪に手を染めるのはどうかと思うよ」

「は? オッサン、今の話を聞いていなかったの? 魔剣をどうにかしないと、この世界は魔王に侵略されるんだよ。法律違反なんて言っている場合? この日本に、信号を法律通りに守る人が何人いるのさ?」

「そうだけど・・・・・・」

 それは非常に不味すぎる。俺の名前が割り出されるのは時間の問題だ。

「確かに、いけないことをしています。でも、戦いが全て終われば全てを公表します」

 そこまで言われると、俺にはもはや反論できない。反論できるのは、暗黒騎士だけだ。

「それで優ちゃん。解析はいつ終わりそう?」

 桜川が星野に作業の進捗を尋ねる。あのホームページは一夜にして築いたあばら屋のような脆さだ。侵入のためのセキュリティーホールはいくらでもある。

「あの、野村さん。大丈夫ですか? 具合があまり良くないようですが」

「ごめん、あまりに突拍子もない話で、混乱しているのかもしれない」

「ああ・・・・・・」

 その時、星野が深いため息をついて肘をついた。

「どうしたの?」

「悪い、桜川。このサイト、セキュリティーが堅すぎるわ」

――いや、そんなはずはないが?

 考えてもみれば、彼女はまだ中学生だ。ハッキングに十分な知識があるわけではない。それを知られる前に、サイトを閉鎖すればいい。聖女戦士の存在は既に世間に知られつつある。ノムラムスが反応しても、今ならば何の不自然もないはずだ。

「さすがに尻尾は簡単に掴ませてくれないのね。ありがとう。もう少しだけ続けてみて」

「・・・・・・あの、もしわからなければどうしましょう?」

 ここで初めて、物怖じしていた中学生が口を開いた。肩口まで切りそろえたショートヘアの下の、華奢な撫で肩を更にすくめる。

「ねえ、君もその、聖女戦士なの?」

「そうさ。アタシらの中で一番の臆病者、ウィズリンさ。本名は水谷春奈」

「ほ、星野さん! 困ります。 本名は内緒!」

「名前知られたくらいでビクつくなよ。もしこの野郎が口を割りそうになったら、その前にアタシが口封じをしてやるから」

「俺の前で言うなよ。聖女戦士は、君達三人以外にもいるのか?」

「知らない。アタシらが知っているのは、この三人だけ。今は、ね」

「もし、このまま何も手掛かりがつかめなかったら仕方ない。その時は私達が予言の場所に先回りしよう。ノムラムスは、きっとそこに現れる」

 桜川が締めくくった。

「そういうわけで野村さん。これが今の世界の現実なんです。全てを知った上で、私達に協力することが、野村さんのためになるとお分かりいただけたと思います」

「わかったよ。この前の件も、君達の正体も絶対に口外しない。それから・・・・・・魔剣探しを頑張ってくれ」

「ありがとうございます。野村さんが相手で、本当に良かったと思います」

「そうか?」

「おい、野村」

 星野が俺を呼び捨てにする。

「な、何でしょう?」

「一応、いつでも連絡が取れるようにしておけ」

「わかりましたよ」

 俺は千円札を三枚置いて店を出た。そして大きく溜息をついた。軽い気持ちで手にした魔剣の重みを、今更になって知りながら。


 俺が帰宅すると、レーネシエールは魔剣の傍らに座っていた。

「主よ。何か有益な情報は仕入れたか?」

「いや。むしろ、向こうにこっちの動きが筒抜けだった。ノムラムスの大予言も、この辺で暖簾を下ろすべきかも」

「そうか。小娘のくせに、さかしいな」

「とりあえず、俺が魔剣士だということはバレていないと思う。でも、少しの油断が命取りだ」

「では、すぐにでも攻撃を仕掛けるべきだ」

「本当に彼女達と戦えってことか?」

「向こうは本気で主を殺しに来るぞ」

「話し合い、の余地はないだろうか」

 レーネシエールと議論を重ねるうちに、俺のスマホが鳴った。

「奴らか?」

「星野からのメールだ」

 彼女いわく、今夜七時にF駅前で会いたいとのこと。

「何だろう。俺の監視にしては間が空いていないが」

「それでは、私も行こうか?」

「いや、相手は魔剣を血眼になって探す聖女戦士だ。それに、彼女はまだ俺がノムラムスという事実に気がついていない」

 そう思っていた俺の指は止まった。そして背筋に悪寒を覚えた。

『魔剣は持って来なくていい』

 メールの末尾にはその一言が付け加えられていた。

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