第4話 内容不適切
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アルフレインは幼少の頃からずっと魔王を倒すことを夢見ていたという。手頃な小枝を拾って剣術の修行に励むなど、この数年間を夢のために費やしてきた。実はメセナと出会った日も訓練の最中での事故だった。
村を飛び出した二人は、辺境の街で下働きをしながら軍資金を稼ぎ、アルフレインは安物の青銅の剣を、メセナはか細いロッドを手に入れた。みすぼらしい装備だが、それでも少しは勇者らしく見えた。一年が過ぎて、それなりに貯金した二人は魔王討伐に向けて一歩を踏み出した。海原を吹き抜ける風を背に、生まれ育った島を出て海を渡った。
「メセナ、この先にどんな敵が待っているのかはわからない。でも俺は、絶対に魔王を倒して見せる!」
「・・・・・・素敵」
傍らに立つメセナは水平線の向こうに瞳を輝かせるアルフレインの横顔に恍惚としていた。魔王がたとえ骸骨であっても魔神であっても、アルフレインは命を懸けて自分を守ってくれる。だから自分も全力で彼を支えなければならない。メセナは覚悟していた。同時に旅の苦楽を経たアルフレインの成長を母親のように見守り続けることに、喜びを見出していたのである。
一年が過ぎたとはいえ、メセナはまだアルフレインを慕ってやまなかった。むしろ彼と過ごしたこの一年間で、その想いは強くなる一方だった。彼はいつか世界の誰よりも強くなって魔王を倒すことだろう。それは彼の積年の夢だった。だが彼は、その後のことを語っていない。このまま旅を続けるのか、故郷の村に戻るのかさえ、明らかにしていない。アルフレインが魔王を倒した後の未来は全くの白紙だった。そこにメセナは自分の姿を描こうと考えていた。アルフレインに自らの胸中を打ち明け、今度こそ彼と幸せになりたいと願ったのだった。青春を彼の夢に捧げてきたのだから、そのくらいの図々しさは許されるものだと考えていた。そういうわけで。魔王討伐は別の意味でメセナの悲願でもあった。メセナ達が一歩進む度に、夢に近づいているのを実感していた。
ところが大志を抱く二人を待ち受けていたのは、予想もしない受難だった。
二日の航海を終えて港町に上陸した二人は街の活気に見惚れていた。地形を活かした中継貿易で栄える街、フェラディスクの中心街でのことだった。手際よく魚を売りさばく市場、異国情緒の模様が描かれた壺や装飾品の数々、気品をまとうように大通りを歩く貴人。山奥の農村に暮らしていたメセナ達にとって、スレート葺きの屋根から垣間見える青空さえ、新鮮に見えた。
「大きな街だな」
「はい」
メセナはきょろきょろと見回しながらアルフレインについて行く。
「今日はとりあえず宿に泊まって、明日はギルドに寄ってみよう」
「ギルド、ですか?」
「冒険者達が仕事の依頼や情報交換をする場所だよ」
「よく知っていますね。田舎者の私は右も左もわからなくて・・・・・・」
二人は大通りを少し離れた路地に差し掛かっていた。両側の建物が高いせいで昼間でさえ日当たりが悪い。石畳は苔に浸食され、湿った壁には人気を避けるように物乞いが腰かけていた。見ていてあまり良い雰囲気ではなかった。
「ん? どうした?」
町中をきょろきょろと見回すメセナは不意に立ち止まる。後ろから歩いていた紳士が迷惑そうにメセナを一瞥して通り過ぎた。
「あれ」
メセナの指の先にあるのは日陰に隠れるように張り出された掲示板だ。額縁は朽ちかけ、無造作に貼り出された紙の一部は荒々しく破り捨てられている。活気ある港町には似つかわしくない猥雑な光景だった。
「この顔、どこかで」
メセナ達は掲示板の真ん中に張り出された一枚の紙に近づいた。一人の老婆の似顔絵が描かれ、その下には莫大な金額が太字で示されている。
「これ、シルゼスクさんじゃないですか?」
「そうか? そう言えば、似ているな。ちょっと人相が悪く描かれているけど」
というより、似顔絵の下にはシルゼスクと書かれている。アルフレインにはその字が読めないだけだ。
「下には文字が書いてあるな。メセナ、読めるか?」
「え、あ、はい」
メセナはその下の文字を目で追った。
――シルゼスク=リークル 罪名:詐欺罪 占い師を語り、法外な謝礼金を得ている。有力な情報提供者には2,500セピの謝礼金。
――これ、言っちゃダメだよね?
「メセナ、どうした? 顔が真っ青だぞ」
「え? いえ、私にもその、よくわからないです」
「メセナ、お前にも読めない字があるのか? あんなに本ばかり読んでいたお前にも」
「それより私、少し疲れました。早く宿に戻りましょ」
メセナは一刻も早くその場から立ち去りたい気分だった。冷や汗が背中をゆっくりと流れる。一体どうして、こんな事実を今更になって知ることになるのだろう。アルフレインの無学ぶりに今日ほど感謝したことはなかった。
「そうだな。でも、何でシルゼスクさんの顔がここにあるんだろう」
単純なアルフレインはメセナのごまかしを疑おうともしなかった。メセナはこれだから、と内心呆れかえっていた。
「お嬢さん達、この人を知っているのかい?」
不意に話し掛けてきたのは純銀の鎧を陽の光に輝かせる街の衛兵の一人だった。もう一人の衛兵は付近を通る人影に神経質に目を光らせる。どうやらこの辺りは見た目通りに治安が悪いらしく、衛兵でさえ二人連れ立って歩く方が安全らしい。
「えっと、あの・・・・・・」
「知っているも何も、俺達の村にいるよ、この人」
アルフレインの呑気な答えに周囲の空気が殺伐とした。
「何! それは本当か!」
穏やかだった衛兵の顔色が変わる。
「え、この人どうかしたの?」
アルフレインは首を傾げる。メセナはその手を引こうとしたが既に遅かった。衛兵は唐突に真実を告げた。
「コイツは悪質な詐欺師なんだよ! 占い師を語って法外な謝礼金をだまし取っていたんだ。お嬢ちゃん達、どこの村の出身?」
「・・・・・・ルフド村だよ。ていうか、“サギシ”って何だ? 占い師のことか?」
「馬鹿だな、お前! 人を騙す連中のことだ! 例えばお前みたいな阿呆が魔王を倒す勇者になれるとか平気で言うんだよ! それより、奴め! まさか海を越えていようとは! 至急応援を呼べ!」
衛兵は慌ただしく人だかりの中に消えていく。メセナ達は人気の少ない路地に取り残された。
「あ、あ、アルフレイン?」
「メセナ、一つ聞いていいか?」
アルフレインが衛兵の姿を見送りながら尋ねた。
「え?」
「俺が騙されていたこと、隠していたのかよ?」
「ち、ちがいます」
「・・・・・・そうか」
アルフレインはそれ以上、メセナを追求することはなかった。その後、衛兵の詰め所に同行を請われた二人は今までの稼ぎが馬鹿に思えるくらいの報奨金を握らされて返された。街の通りに出た時には、何もかもが残酷なまでにぶち壊されていた。
当然のことながら、ノムラムスの大予言は的中することとなる。その三日後のアクセス数は一日五百万。一方で、官公庁やら大学、研究機関が集った専門家集団もシグマウェーブの予想に参入しようとする。どういう理論に基づいたのかは知らないが、翌日、彼らなりの予想地域と時刻が発表された。しかしながらそれは、見事に外れた。というより、俺が意図的に外させたのだ。その後も中小企業やら個人やらがシグマウェーブの予想に踏み切るが、結果的に業界はノムラムスの独壇場となる。
すでにノムラムスは五回連続で予言を的中させていた。俺の貯金もうなぎ上りになっていく。その後の予言は、人々の行動様式に大きな変化を与えることになる。
「ノムラムスの新しい予言が出たってよ!」
電車内で叫ぶ中学生。その声に合わせて、周囲の大人達がスマホをいじり始める。俺もその声に驚いた一人だ。
「冗談だよぉ」
「何だよ!」
「冗談にもほどがあるぜ、おい!」
どうやら仲間内でふざけ合っていたらしい。新しい予言が出ていないとなると、大人は何事もなかったかのようにスマホをしまい込む。そしてケラケラ笑う中学生に向かって舌打ちした。今や、ノムラムスの大予言はそれほどまでに恐れられている。上に目を遣れば、電車の中吊り広告には『ノムラムスの大予言』に関する特集記事が満載だ。
予言の的中率は間違いないが、それでもシグマウェーブの理論はいい加減だから、まともな公共メディアは予言のことを言及しない。もはや人々は偉い大学教授よりも得体の知れぬ預言者の言葉に耳を貸しているにもかかわらず。
魔剣によって劇的に変わった俺の人生。しかし、良いことばかりが起きるわけにはいかなかったのだ。
俺は締め切ったカーテンの隙間から外を覗き込む。昼下がりの家の前の通り。何者かが電柱やブロック塀の影に姿を隠す。ここ数日間、俺の自宅付近には怪しげな視線が飛び交っているのだ。
「まだいる・・・・・・」
予言者ノムラムスが現れて一か月、俺の自宅の周りを監視する輩が出始めた。連中の正体は恐らく警察。事件を表沙汰にはせず、極秘に捜査して俺が尻尾を出すのを待っているに違いない。
「主よ。何をしているのだ。魔王軍に刃向かう人間は、我の剣で仕留めるのだ」
「そういうわけにはいかないんだよ」
最後に予言を発表してから一週間、レーネシエールは退屈を持て余している。俺達が迂闊に動けないのも、監視の目を気にしてのことだ。
「警察かな。いずれにしても、奴らは俺達の予言の秘密を知りたがっているに違いない。魔剣の力を示すわけにはいかないんだ」
「それは、この剣の力を他の人間に知られたくないということか?」
「いや、正確には俺達が地割れやら突風やらを起こしていることを知られたくないんだ」
俺が魔剣を持って外に出れば間違いなく尾行してくる。そしてレーネシエールの力を知れば、全ては俺の八百長だったと公表されるわけだ。
「そうか。では主よ。私に上申する赦しを与えては貰えぬか?」
「それは、何か妙案があるということか?」
この状況を打開するならば何でもいい。
「主に新しい魔剣の使い方を教える必要がある」
「この魔剣に他の使い方があるのか?」
「それを使うには、まず予言の場所をこの近くに定めて欲しい」
そういうわけで俺は新しい予言を発表することにした。場所はここから一駅離れた近所の公園。時刻は今から二時間後。
俺は何食わぬ顔をして魔剣を背負い、家を出る。電柱の影から俺をマークしていた男もやはりついて来る。俺は気付かない振りをしてひたすら歩を進める。
「駅に入るのだ」
魔剣に姿をやつしたレーネシエールが俺の耳元で囁く。言われた通りに隣町までの切符を買った。
気のせいか、H駅方面に向かう客の数が少ない。既に俺の予言を見て、危険を回避したようだ。道行く人々が次々とスマホの画面を確かめる。ニュースアプリの速報がノムラムスの新たな予言を告げているらしい。緊急地震速報なんかよりも、ずっと信頼性の高い情報だ。
「あの、すいません!」
改札口に近づいた時、俺は呼び止められてギョッとした。声の主は駅員でもなければ、俺を尾行する男でもない。それはまだあどけなさの残る女子中学生のものだった。紺の地に白いラインの入ったセーラー服。カーディガンを重ね着せず、スカートの丈も校則通りの真面目そうな少女。どうやら下校途中らしい。
「何か?」
「これ、落としました」
小さな繊手の上には十円玉が一つ。切符を買った時に券売機に残っていたという。急いでいたあまり、釣銭を取り忘れたらしい。
「あ、ありがとう」
俺は少女の手から硬貨を受け取った。
「あの、もしかして、隣のH駅に行くんですか?」
「え、あ、いや、そういうわけじゃないけど、そっちを通るかな」
「止めた方がいいです」
少女は深刻そうな表情をした。まるで、俺を気遣うみたいに。
「止めた方がいいって?」
「すいません。予言とか、信じます?」
ノムラムスの話だなと、俺は勘付いた。
「予言かぁ。あんまり信じないかな」
その通り、俺は予言を信じない。ノムラムスは予言と見せかけて、未来を捏造しているのだから。もっとも、それを知る人間は今のところ俺一人だが。
「実は最近、ネットで話題になっていることがあるんです。この前みたいな地割れがいつ、どこで起きるかをネットで正確に予言する人がいるんです。その人のホームページが更新されていて、もうすぐH駅の近くで何かが起きるんです!」
俺を気遣って熱弁する少女。俺は彼女となるべく視線を合わせつつ、時折腕時計に目を遣った。
――まずい。時間に間に合わない
「よくわかんないけど、俺も仕事だからなぁ」
俺は適当に話を切り上げようとした。
「すいません。そうですよね。ごめんなさい。私、こんな変な話をしちゃって」
「いや、忠告ありがとう。そういえば、知り合いがそんな話をしていたのを、思い出したよ。気を付けるから」
少女は丁寧にお辞儀をする。そのまま同じ制服を着た友達の集まりまで真っ直ぐに走る。プリーツのスカートがよく揺れていた。
「いいねえ」
俺は久々の青春に心躍る。
「主よ」
「わかっている。急ごうか」
レーネシエールの忠告を受けて、俺はプラットホームに降りる手前で立ち止まり、トイレに駆け込んだ。男がトイレに入ってくる様子はない。俺は小さな窓を潜って駅の外に降りる。電車に乗るつもりは最初からなかったのだ。
予言の場所を隣町に指定したのは、徒歩で辿りつくためだ。俺は予言の場所に向かって、ひたすら線路に沿って走る。男は相変わらずトイレの外で待っているのだろう。俺がいないことに気が付いても、追って来るまでにはしばらく時間が掛かる。
「これって犯罪なのかな。くそっ! 何を考えているんだ、俺は!」
キセル乗車とは、切符も買わずに電車に乗ることを言う。しかし俺の場合、切符を買って電車に乗らなかったのだから、その意味で責められることはない。第一、俺は既に傷害罪と器物損壊罪、威力業務妨害罪に手を染めている。切符一枚のことでいつまでも拘泥するわけにはいかないのだ。
「レーネシエール! もうすぐ予言の場所だ! 魔剣の新しい力を使うには何をすればいい?」
「魔剣を地に突き立て、我の言う通りに繰り返せ。そして魔剣の名を呼ぶのだ」
「わかった!」
公園にたどり着いた俺は人気のない雑木林を選ぶ。三十五歳になると、俺も体力が落ちる。ましてや今は魔剣を背負っているのだ。
「はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ、頼むぞ! 《魔王の眷属よ! 我がもとに集え! コンチクショー》!!」
俺は魔剣を地に突き立てた。俺を中心に紫色の魔法陣が地面に広がり、緩やかに回転を始める。
「何だ! 何が起こるんだ!?」
「主よ。空を見るがいい」
雑木林を抜けると、俺の足元にあったのと全く同じ魔法陣が空に描かれている。公園で遊んでいた親子や老人はそっちの方に気を取られていて、俺の存在にすら気が付かないらしい。
「レーネシエール、一体何が始まるんだ?」
俺は雑木林から少女の姿となって現れたレーネシエールに尋ねた。
「すぐにわかる。面白いことになるぞ」
この状況を唯一理解する彼女は含み笑いを浮かべた。
「おい、何か出て来るぞ!」
「何だ、岩か?」
魔法陣の中央から黒いごつごつした影が現れる。次第にそれは大きく、形をはっきり現す。誰もが岩だと思っていた黒い影には翼と鍵爪が生え、遂にはそれがドラゴンであることを知らしめるのだった。
「なんじゃあ、こりゃあぁ!!」
俺の驚き方は至って自然な反応だった。暗黒騎士の次はドラゴンかよ。
ドラゴンは翼をはためかせながら下に広がる街を俯瞰する。そして顔の半分を占める大顎を全開にした。どうやら俺は、レーネシエールの口車に乗せられて、とんでもない化け物を召喚してしまったらしい。
「おい、まさかあれって・・・・・・」
「あれは魔王軍が誇る空戦部隊の精鋭。黒の両翼で空を滑空するブラックドラゴンだ」
「そんなことを聞いているんじゃない! アイツが何をしようとしているのかを聞いてるんだよ!!」
「見ていればわかるであろう」
「何かあってからでは遅いって・・・・・・あつっ!!」
俺の背中を熱風が吹きつける。振り返った俺の視界は、まだ夕方でもないのに真紅に染まっていた。
「ぎゃあ、伏せろ!!」
俺の予感は的中した。大顎から飛び出した炎が一直線に飛び、球状のガスタンクを直撃。たちまち大爆発となった。膨れ上がった炎の熱気が遥か遠くに離れた俺の頬さえもひりつかせる。
「にげろぉ!! 怪獣が出たぁ!!」
建物という建物から混乱した群衆が溢れ出す。ドラゴンが現れた時、どこに逃げればよいのか、誰が知っているだろうか。そんなものはハザードマップにさえ書いてあるわけがない。非常時の対応とはよく言ったものだが、本当の非常時とは今まで誰もが予測だにしなかった状況のために考えなければならないものだ。最初から予測できるものを、『非常時』とは呼ばない。
群衆が目指すのは頑丈そうな建物。つまり、学校や病院といった施設だ。とはいっても、気休めにしか過ぎないのかもしれない。
「どうだ。主よ。これで一連の事件はあのドラゴンの仕業となろう」
「いくら何でもこれはやり過ぎだ! アイツを何とかしろ!」
俺は少女の姿となったレーネシエールの胸倉をつかむ。
「我にそんな力はない」
「呼ぶだけかよ!」
俺は呆れて魔剣を取りに戻る。
「主よ。一体何をするつもりだ?」
「決まっている! もう十分だ! あのドラゴンを、この魔剣で倒す」
地に突き刺した魔剣を抜き取った。
「忠告しておくが、ドラゴンの皮膚は魔剣では断ち切れない。我の魔力も、あの堅い鱗までは貫通しない」
「じゃあ、魔剣でも歯が立たないってことかよ! 手に負えない奴を、何だって呼び寄せたんだ!? お前は!」
「別に、味方を切り裂く切れ味は必要ないはずだが」
「ややこしい奴め!」
そうこうしているうちに、空を滑空するドラゴンは鍵爪でビルを引っ掛ける。コンクリートの壁が薄氷でも割るかのように脆く崩れ去った。
「このままじゃ自衛隊がスクランブル発進してくるぞ! 本当にヤバい! 死人が出る!」
俺は無我夢中で魔剣をドラゴンに向かって構えようとした。
「あ・・・・・・」
公園から飛び出した俺と、ドラゴンの目が合った。
「や、やられる!」
蛇に睨まれたカエルのように、俺は一切の身動ぎを封じられた。そしてドラゴンが黒い翼を広げて、俺の所まで飛び込もうとしたその時だ。
ドラゴンの胸に飛び込んできた何かが炸裂した。攻撃ヘリの成形炸薬弾ではない。燦然と輝く桃色の光を散らす、不思議な閃光だ。
「一体何が?」
俺もドラゴンも、謎の光が放たれた方向を見る。遠目でよく見えないが、ドラゴンとは別のビルの屋上に誰かが立っている。
「一体誰だ?」
目を凝らすと、それは少女だった。ショッキングピンクの髪をなびかせ、派手な桃色のコスチュームを着飾った少女。露出度の高いデザインで、数少なった布地の部分を過大なリボンやらフリルで埋め尽くすというトチ狂った衣装。一体何を考えているんだ。
「現れましたね! 魔王軍! この私、ピュアリンが相手です!」
――ピュアリン?
唖然とする一方で、少女はビルから飛び降りた。その姿はピンク色の光に包まれて、落下するどころか上昇を始める。間違いなく、空を飛んでいるのだ。
「何だ? 何が始まるんだ?」
そのうちに少女はドラゴンと派手な空中戦を繰り広げる。ミニスカートを翻しながら、少女は素手でドラゴンと殴り合う。俺は一体、何を見せられているんだ?
「きゃあぁ!!」
ドラゴンの振り回した尻尾が少女を直撃。弾き飛ばされた少女はこっちに飛んでくる。
「ぎゃあ!!」
激しい地響きと共に少女は墜落。砂塵がこっちまで飛んでくる。普通の人間ならば、即死どころか原型を留めていない。
「大丈夫かよ、おい!」
俺は魔剣をそっちのけで少女の下に駆けつける。
「くっ・・・・・・」
痛みに呻吟する少女。近くで見ればその衣装の奇抜さがわかる。それにしてもこの少女、どこかで見たような。
「だ、誰ですか? こんな所にいたら、危ないですよ・・・・・・」
「人のことを心配している場合かよ? 怪我は?」
不思議なことに、少女が負ったのはほんのかすり傷だ。少し破れたコスチュームなど気にも留めず、少女は闘志に満ちた目で立ち上がろうとする。よろけたところを俺が支えに入った。
「あ、あなたは」
意図せず急接近した俺と少女の顔。その時になって俺達は互いの顔を思い出す。
「お前、さっき駅に居た中学生じゃないか!」
「あなたは、さっきのお兄さん!」
「一体こんな所で何してんだよ! その恰好は何だ?」
正体を見破られた少女は視線を斜にしながら答えた。
「・・・・・・私は、あれと戦う宿命を負った者です」
少女は空の上でこちらを待つドラゴンを見上げた。
「あれは、人類を滅ぼそうとしている魔王の手先です」
少女はきっぱりという。
「ま、魔王だと!?」
――それって、俺のことじゃん!
「とにかく、世界を救うために私はあれと戦わなければならないんです」
「待ってくれ! そんな身体じゃ無理だ!」
「大丈夫です。こんな痛みくらいで、泣かないもん!」
涙をこらえ、細長い脚で立ち上がる少女。何と逞しい。
「君は、どうしてそこまで・・・・・・」
「もう誰も、悲しませたくないんです! だから!」
少女は一人で立ち上がり、何もない手にロッドを出現させた。それを構えて改めてドラゴンと対峙する。
「私の命に代えても! ここは守る!」
その言葉と同時に、ドラゴンの胸から何かが飛び出した。剣のように鋭い、黄色の閃光が輝く。ドラゴンは間違いなく苦しんでいる。
「何だ?」
「全く、アンタは下がっていなよ」
俺達の背後から、もう一人同じような格好をした少女が飄然と現れる。こっちは衣装と髪の色が金色だ。それに、熱情的なピュアリンとは対照的なニヒルな目つき。
「シャイリン! どうしてここに!」
「アイツはアタシ一人で片づける」
シャイリンと名乗る少女も手にロッドを出現させる。色を除けば、何から何までピュアリンとお揃いというわけだ。
「一撃で仕留めるよ」
ロッドを振りかざすシャイリン。宝玉の埋め込まれた先端から、矢のように鋭い閃光が飛んだ。既に背後から貫かれたドラゴンは空中で悶えながら浮き沈みを繰り返す。そこへ、非情な止めの一撃が放たれた。
耳を塞ぎたくなるような慟哭が街全体に響き渡る。頭を射抜かれたドラゴンは石化した様に硬くなり、空中で分解しながら潰えた。
「助かった・・・・・・」
俺は全身の力が抜けて座り込む。そこへ、シャイリンとピュアリンが俺を囲むように立った。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう」
疲弊した俺を気遣うピュアリン。その様子をシャイリンは冷めた眼差しで傍観する。
「シャイリン、ありがとう」
「本当に威勢だけで何も出来ないのね、アンタは。アタシが来なければどうするつもりだったの?」
「ごめんなさい」
「ホント、使えない」
桃色の少女に対して居丈高になる黄色の少女。まるでアニメの世界が現実に写像されたような彼らだが、こういう部分は現実的だった。
「君達、喧嘩は良くないと思うが」
「あ? 誰よ? オッサン」
「おっさん!?」
この世に生まれて三十五年。初めての「オッサン」宣告に、俺は心底傷ついた。
「えっとね、駅で偶然知り合っただけなの」
「は? 知り合ったって? アンタ、変身前の正体を見られたってこと?」
シャイリンの目が鋭く光る。それを指摘されて、ピュアリンも「あっ」と声を漏らした。
「どうしよう。私達の正体が」
「それ、今更言うこと? どうだっていいじゃない。この際アタシが!」
シャイリンがロッドを俺の眼前に突き付ける。
「おい、待ってくれよ! せっかく助けた一般人を口封じのために殺すのか? そんなヒーローがどこにいる?」
「うるさい。これは世界のためだ。世界のためならオッサン一人の命を犠牲にするのが正義ってもんだ」
「一体どういう教育を受けてきたんだ!」
「シャイリン、待ってよ! いくら何でもひどすぎるよ!」
シャイリンの間にピュアリンが割り込む。
「退け、役立たず」
「退かない!」
一瞬、ピュアリンの全身から光が沸き上がった。彼女のシルエットがわからなくなるほどの眩しさまで輝いた後、光は一瞬で拡散した。散りゆく光の粒子の中から現れたのは、駅で出会った時のピュアリンの姿だった。
「私達、みんなを助けるためにこの力を託されたんだよ! それを忘れたの?」
ピュアリンは仲間と対峙したまま一歩も退かない。
「ちっ、わかったよ」
シャイリンはロッドを下ろす。そして彼女もまた、ピュアリンと同じように普通の中学生の姿に戻るのだった。ブレザーの代わりにパーカーを着ているが、多分同じ学校だろう。それにしても、ピュアリンは清楚な黒の長髪に対し、シャイリンは元に戻っても金髪のままだった。
「その代り、ソイツの監視はアンタが責任持つんだよ。もし、アンタ達が口を割ってアタシらに危険が迫った時は、二人とも抹殺するから。それでいいだろ?」
「・・・・・・わかりました」
ピュアリンは重々しく頷いた。シャイリンは背を向けると、パーカーのポケットに手を突っ込んで歩き始める。そして公園の出口に差し掛かった辺りで振り返った。
「そういえば、アイツは?」
「アイツ?」
「オッサン、アタシらと同じような格好をした奴をもう一人見なかった?」
「記憶にないな」
「来ていません」
「またサボりやがったのかよ」
そして公園はピュアリンと俺だけになった。遠くからサイレンが近づいてくる。
「俺達も早く逃げた方がいいのかな」
「そうですね。ただし、あなたには私達の秘密を知った以上、箝口令を敷かせて頂きます」
ピュアリンは俺の運転免許書と携帯番号の提示を求めた。
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