第3話 理解不能

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 その日は俺が最終試合だった。その日の楽しみを終えた観客達に混ざるようにして闘技場を出る俺は、見知らぬ老夫婦の会話に足を止めた。

「本当に、可哀そうだねえ」

 今日、俺が倒した女剣奴の話をしているらしい。まるで自分の子を失ったかのように、老夫婦は悄然としていた。だが彼らは知らないのだ。彼女が裏で殺し屋を雇い、俺の大事な仲間を傷つけたことを。そうでなくても、俺は彼女に負けるわけにはいかなかった。

「それにしても、どうしてあそこで、槍を空振りさせたのやら」

 空間歪曲の魔法は対戦者本人だけではなく、彼女の側にいた観客達にも同じ錯覚効果をもたらす。一方で俺とその背後にいた人間には、彼女が俺から遠く離れた場所で、いたずらに槍を振るったようにしか見えない。その意味でこの夫婦は俺の背後で観戦していたことがわかる。

「きっと焦ってしまったんだよ。あの子には、多くの期待がかかっていたからね」

――期待?

「だからって、こんなことはたとえ神様の御意思でも、あんまりではありませんか。遺された弟さんが可哀そうよ」

「弟?」

 俺は思わず老夫婦に話し掛けそうになった。だが、二人とも耳が遠いようで、俺の声など届いていない。俺は数歩の所で立ち止まる。同時に背後に嫌な気配を感じた。

「気になるかい?」

 神出鬼没のミエラがまたしても、俺に興味を示していた。

「今日、俺が戦った相手は・・・・・・」

「彼女はね、貧しい農村の出身なのさ」

 貧しい農村。その一言で俺の中にいた女剣奴の像が別人に様変わりしていく。

「弟が難病で、その治療費を稼ぐために彼女は剣奴を目指していたんだ。その噂は帝都でも評判で、彼女には多くの支援者がいたと言うよ。もっとも、その夢に今日、キミが終止符を打ってしまったわけだけどね」

「じゃあ、刺客を雇う金は?」

「何を言っているのさ。彼女にそれだけの余裕があるわけないじゃないか。自分の食費さえも切り詰めて、治療費の蓄えにしていたくらいだから。ところで刺客って、何の話?」

「・・・・・・いや、こっちの話だ」

 俺はミエラに構わず歩き始める。あの襲撃者達は彼女が差し向けたわけではなかった。それどころか、彼女は清純な目的と手段で俺に挑み、そして敗れたのだった。

覚悟はしていた。帝王杯に参加する以上、俺は他の剣奴の夢と未来を奪うことになる。だが実際彼らが何のために戦うのかを、この時俺は初めて知った。初戦で戦った双剣の剣奴も、それ以前に戦った他の剣奴にも、同じ理由があったに違いない。それを踏み台にして今日まで戦ってきたことを、俺は今更ながら実感したのだ。

「ただいま」

 いつの間にか俺は、孤児院の戸口に立っていた。

「あっ・・・・・・お帰りなさい、ニレイ」

 俺の無事を知ってキラルは一瞬、安堵しきって力が抜けたようになる。本人に自覚はないのだろうが、他人からの目線にはそれがよく分かった。

――あの女剣奴の家族には、それがないんだよな

 あの女剣奴の身内は今頃、キラルとは正反対の立場に立たされていることだろう。あるいは俺が負ければ両者の立場は逆転していた。俺はただ、キラルにそんな気持ちになってほしくなかっただけだ。

「どうしたの? そんな難しい顔をして」

「何でもない。なあ、キラル」

「何?」

「もう少しだから頑張ろうな。みんなで幸せになるために」

「うん! 頑張ろうねっ!」

 キラルは快く頷いてくれた。そのあどけない笑顔だけが俺の救いだった。たとえ善良な他人を傷つけたとしても、抜きん出た魔力によってブレイド・ストラグルで勝ちを重ねているにしても、俺は自分の命のためだけに戦っているわけじゃない。キラルと孤児院の子供達を幸せにするために、俺は戦っている。走り出した俺はもう、止まれない。


 あの一件以来、帝王杯の試合以外に俺達が命を狙われる機会はなかった。卑劣な手段を使った参加者が誰だったのかは結局謎のままだったが、帝王杯のリングから淘汰されたのだろう。結局頼りになるのは自分の力だけだ。ティレサの言う通り、剣奴とはそういう世界なのだ。

決勝戦に臨む頃には、俺は襲撃事件のことを忘れかけてさえいた。今の俺にはそれどころではなかったのだ。

「やっぱり、アンタが決勝に出て来るか」

 あって欲しくないと願いつつも、想像した通りの光景が目の前に広がっていた。二千人が競い合う帝王杯を勝ち残り、決勝戦に進んだもう一人はティレサ=エングートだった。

「久しぶりですね」

 剣を鞘に納めたままの彼女はそっけなく挨拶をする。立ち振る舞いと言い、目つきと言い、例の襲撃事件で会った以上に隙がない。ここから先がこの闘技大会で一番の正念場になる。俺の中の何かがそう言っているような気がした。

「あの日に言った言葉、憶えていますか?」

「お互いに勝ちは譲れない。そういう話でいいんだよな?」

「話が早くて助かります」

 言葉の後、ティレサは静かに剣を抜いた。お互いに盾無しの片手剣勝負だ。

ティレサが使うのはやや刀身が長めの直剣。刀身の幅はそれなりにあるものの、厚みが極めて厚く作られている。喩えるならば木の板のように武骨な造りだ。あんな細腕でよくそんな剣を、と思えるほどに武器とそれを扱う剣奴は不釣り合いだった。しかもその剣を風のごとく迅速に扱うとは、到底信じられない。

帝王杯の勝者を決める最期の銅鑼が鳴った。観客達の怒号が闘技場の空気を揺さぶる。史上最大規模の帝王杯第一回目の優勝者が間もなく決定しようとしている。

その瞬間に立ち会おうと、壇上席側では満席どころか、席を得られなかった者達が通路を埋め尽くしてまで観戦している。

そんな普段とは比べ物にならないほどの狂騒に煽られたのか、機先を制したのはティレサの方だった。

――来る!

 しなやかな足が大きく踏み込んでくる。

それと同時に右下から斜めにすくい上げる剣筋が俺の視界に飛び込んできた。

分厚い刀身だけに、斬りつける時には低い唸りが伴う。それでも防御ができないほどではなかった。襲撃事件の時に比べてティレサの剣速は妙に遅い気がした。油断すれば命取りになりかねない危険性は残るものの、回避も防御もままならない死の必然性はなかった。

下から上がってくる剣を弾き返すつもりで、俺も上から剣を振り下ろした。

ティレサの剣を弾き返した剣で、返しの太刀を入れるつもりだ。

「がっ!」

 俺の眼前で火花が散った瞬間、異変は起こった。

膂力と自重を込めたはずの斬撃が、ティレサの剣に容易く押し返されたのだ。

剣だけではない。

まるで虎が飛び込んできたような強烈な衝撃が、俺を無理やり後退させる。

俺は踵を踏ん張らせて転倒だけは食い止めた。

「何て力だ・・・・・・くっ」

 体勢を立て直しつつも、ティレサは俺を追撃してくる。

どこか乙女のような仕草で、水平線を描くように剣を薙ぎ払う。

強烈な衝撃が、再び全身に浸透する。

ティレサは手首を返しただけの動きしか見せていないのに、それが繰り出す斬撃は重い。剣ごと腕がもげてしまうくらいだ。

――何だ、コイツ!

 俺に考える間もなく、三撃目は襲い掛かる。

今度は剣を力一杯叩きつけるような大振りでの一撃。

それこそまともに受けては身が持たない。

――空間歪曲

 寸前のところで俺はティレサとの間の時空を歪ませる。

俺がいた場所とは見当違いの場所を、斬撃が突き抜けていくのが見えた。

巻き上げられた砂塵が宙を舞う。

「あっ」

 目算を誤ったことに気付いたティレサは剣を止めた。地面に触れる紙一重の所で、剣は制止した。彼女が慌てて制止したようにも見えた。

事の詳細はどうであれ、俺にとっては反撃の好機だ。

「いくぜっ!!」

大きく跳躍した俺は地に足を付けると同時に振りかぶった剣を半ばまで振り下ろしていた。

「きっ!」

 歯を食いしばったティレサが俺を見上げる。俺は間違いなくティレサの剣を出し抜いたと確信していた。それが裏切られたのを教えたのは、手から伝わる、しびれるような反動だった。

「ごわっ!」

 降下する俺の身体が再び中に投げ出されるほどに、ティレサの斬撃は強烈な破壊力を秘めていた。どんな剣の達人でも、即興でこんな芸当は真似できない。俺は飛ばされるようにして彼女から遠く離れた間合いに着地する。

「くそっ、どうなっている?」

 間合いを稼いだ俺に、ようやくティレサの武器を眺める余裕が生まれた。

ティレサの剣は重厚感があるとはいえ、それだけで圧倒的な攻撃力を説明できない。

第一、重厚な武器を勢い良く振り回すにはそれなりの膂力を必要とする。

あんな細腕でそれができるはずはない。

さすがは決勝戦に進んできただけの実力者だ。

対戦する者でなければわからない強さが、彼女にはある。

問題はその強さがどこから生じているのかということだ。

「どうしました? 私を倒さなければ優勝は出来ませんよ」

 俺の反撃など恐れる様子もないかのように、ティレサは悠然と近づいてくる。彼女に斬りこめば、それこそ返り討ちに遭うだろう。俺は剣を構えたままティレサの出方を待った。

――そもそもあんな力、物理的にあり得ないぞ?

 物理的にあり得ない、俺はその表現を反芻させる。物理的には説明のつかない力の存在を俺は知っている。しかもその力は俺の一番近くに存在する。

――まさか、俺と同じ魔力の持ち主か?

「それとも、ここにきて私に勝利を譲る気になったのですか?」

「冗談じゃないぜ」

「ええ、その通り。私は本気ですから」

 その言葉は攻撃に現れた。さっきまで緩慢だった斬撃の速度がここにきて、急に増したのだ。一瞬の閃きが生じたのとほぼ同時に刃が俺を殺しにかかる。空間転移魔法がなければ、俺はとっくに敗北していた。

――この力が魔力だとして、一体どういう魔法だ?

 通常、魔導士が使う魔法は一部の領域に特化したものが多い。例えば鉄を溶かす高熱の炎を起こす魔導士は、水を御する魔法は扱えない。魔法の研究は高度に専門化されており、そこで得た知見は魔導士達が命よりも大切にひた隠しにする。だから魔導士の多くは一芸に秀でた魔法しか扱えないケースがほとんどだ。ティレサも例外ではないはずだ。彼女は特定の何かを魔力で操って、俊敏な剣と剛力を得ている。俺が空間を自在に操って、トリックスターとして勝利し続けるのと同様だ。

 魔法の特性を見極めようとするが、次から次へと襲い掛かるティレサの剣はそれを許さなかった。斬撃の一つが俺の頬を掠めたその時である。

「あっ!」

 狙いを外れて空に円弧を描くはずの剣が、急に軌跡を変えたのを俺は見た。普通ならば慣性に流されて円弧を描くはずの剣が、不自然に屈曲して刃を俺の方に返してきたのである。まるで刃それ自身に、殺意が宿っているかのような執拗な動きだった。

――今の剣の動き、普通ではあり得なかった

 その動きを考察した俺は一つの可能性に結び付く。ティレサの目に見えない力の対処法も同時に見出した。

「なるほど、わかったぜ」

「何が?」

 俺の不気味な笑いにティレサが眉を顰める。

「いいぜ、この一撃で全てを決めよう」

 俺は超然とした態度で両手を広げた。頭から剣を振り下ろせば致命傷を受ける、無防備な構えだった。剣闘試合で長く戦ってきた俺だが、こんな格好の剣奴はさすがにいない。

「何のつもりですか?」

 ティレサも用心して、すぐに俺に斬りかかろうとはしなかった。しかし対峙を続けても埒が明かないと判断した彼女は、剣を正面に構えた。

「いいでしょう。私も次の一撃に全てを注ぎます」

 俺は両手を広げたまま笑った。トリックスターが次は何を起こすのだろうと、観客達が前のめりになる。

「はあっ!!」

 気合を込めた彼女は目測通り、俺の頭上から剣を振りかざした。片手に握る剣では防ぎきれないほどの速さだ。防いだとしても、剣に籠められた力が容赦なく俺の剣をへし折るだろう。

「今か!」

 俺は即座にしゃがみこんだ。不格好な俺を見下ろす彼女は戸惑いつつもそこへ斬撃を叩き込む。実はそれこそ俺の狙い通りだった。

――空間転移

 しゃがみ込んだはずの俺は一気に彼女の横合いに回り込む。立ち上がると同時に俺は剣の切っ先を上に向けていた。ティレサも俺の意図をやっと理解した。理解しつつも、振り下ろした斬撃だけは止めなかった。

「えいやあぁ!!」

 親の仇を前にするかのように、彼女は力の限りを尽くして何もない闘技場の地面を叩きつけた。

真っ直ぐな刀身が地面に食らいついたと同時に、俺の足から突き上げるような衝撃が上がってきた。

「ぐわっ!!」

 足元がぐらついた俺は惜しくも千載一遇の好機を逃す。後ろへ飛びずさった俺の前には考えられないほどの大きな地割れが横たわっていた。その起点にはティレサの剣が地面に深々と突き刺さっていた。

「やはりお前の魔力は念動か」

 俺の言葉にティレサは思わず振り返る。


 ――昼下がりのファミレス

 俺は突然現れた魔剣の魔力と共に入店する。店は比較的閑散としていて、近くには三人組の女子大生しか座っていない。彼女達は下らない話に盛り上がっていて、俺達に気付く様子もなさそうだ。

 俺はレーネシエールと机を挟んで向かい合っている。レーネシエールが甘味処に行きたいと言い出したから、連れて行くついでに詳しい情報が欲しかった。

「お前は一体、何者なんだ?」

 店員が持ってきたパフェを上手そうに食べるレーネシエールに俺は問うた。

「我は、魔剣コンチクショーに宿される魔力の化身。魔剣そのものではない」

「つまり、剣に宿る力ってことか?」

「今まで、主が解放してきた魔剣の力は、主の闇の心に反応した我の魔力によるもの。そうやって魔剣に魔力を注ぎ込むことで、魔力を持たぬ者でも魔剣を扱えるようになるのだ」

「てことは、俺の心の闇がお前の力を呼び出して、ビルをぶっ壊したり、地割れを起こしたってことか?」

「そういうことだ」

 俺は魔剣に視線を戻す。魔王の言葉もまんざらではなかったわけだ。

「主が魔剣を使いこなすようになれば、他にも出来ることがある」

「何だ?」

「それは時が来れば教えよう」

「それで、魔王とは何者だ?」

「魔王様は、我を生み出した絶対的な存在。人類含めた他の種族の滅亡または絶対服従を目指している」

「魔王は、この世界も手中に収めようとしているのか?」

「この世界にはまだ、敵も多い。魔王軍本隊が出撃する前に、魔王様の忠臣として見込んだ住人に魔剣を授けて戦わせる。この世界が陥落した暁には魔王様の片腕として、この世界の管理を委ねられる」

「てことは、俺がやがては人類全体の執政官になるわけか」

「そこで主に問いたい。同族と戦ってまで、魔剣に忠誠を誓うことは出来るか?」

 俺はこれまでの人生を振り返る。友達も、良い事も数少ない人生。得体は知れないけど俺を食わせてくれる魔王と、俺を使い捨てにした日本社会。どちらを選ぶかは秤に掛けるまでもなかった。

「・・・・・・俺は、少なくともこの世界には居場所がないと思う。この世界では仕事がなければ生きていないのに、それを誰も与えてくれない。それは、俺に生きるのを止めろって意味だと思う。だけど・・・・・・」

 俺は拳を握りしめた。

「そんなことが出来るかよ! この際、魔王の配下でも何でもやってやる! だけど、魔剣の使い方は俺に考えさせてくれ。如何せん、この世界の人類は強力だ。自分たちの住む世界さえ壊しかねない破壊兵器を幾つも持っている。直接的な戦闘は控えたい」

「よくぞ言った。主の期待に沿えるように、我も全力を尽くす」

「よろしくな。・・・・・・それでその、言いにくいことなんだが、お前には一人分の食事を食わさなければいかんのか? 何分俺は無職で、金に余裕がないのだが」

「厳密にいえば、主の心が闇にさえ染まっていれば、我は魔力を供給し続けることが出来る」

「はあ? じゃあ、何で喫茶店に来たいって言ったんだよ!」

「主と、信頼関係を得るためだ。主が我を詮索すると同時に、我も主が魔剣の所有者として相応しいかどうか、見極めさせてもらった」

「それで、結果は?」

 レーネシエールはスプーンを置いた。

「申し分ない。不束者ではあるが、これからもよろしく頼む」

「こちらこそ、またパフェを馳走になろう」

 俺は眉をひきつらせた。

「それでさ~~本当に大変だったのよ~」

 会計を済ませようと立ち上がった時、俺の背後に座っていた女子大生の会話が耳に入ってきた。

「彼氏のウチに行ったらさ、電気止まるし、帰りの電車は橋が落ちるで大変だったのよ~。仕方ないから彼氏の車で送ってもらっちゃったぁ」

 馬鹿みたいに笑う茶髪の女子大生。こんな女に貢ぐ男がいるのか?

「ええ、マジ優しいじゃん!」

「でも、あれは正直本命じゃないって感じ? だからメールで別れようかなって思う」

「え~~そうなの? 大学だって国立出てんでしょ?」

「確かに頭はいいよ。でもさ、その分意識も高いっていうか、俺は研究しかやらねえってずっと言い張ってんの。研究補助の仕事らしいけど、月給十万だってよ。賞与なしで」

「はは! マジ貧乏じゃん! バイトかよ!」

「そうでしょ! そんな奴と人生を数十年も一緒にできるわけないじゃん! 絶対アタシの方が稼いでいると思うよ」

「いるんだよねえ、そういう意識だけ高い奴」

「そう、それで別れ話を切り出そうと思って彼氏の家に行ったら、あの地割れ事件でしょ? もう踏んだり蹴ったりよ。お陰で言いそびれちゃった。今度メール送っちゃお」

「骨折り損のくたびれもうけ、みたいな?」

「あんな事になるって、最初からわかっていたら、行くんじゃなかったと思う」

――最初からわかっていたら?

 何か俺の頭に、いい考えが浮かんでくるような予感がした。もし、あの未曽有の地割れのことが最初からわかっていたら・・・・・・。

「それだぜ!」

「主よ、一体どうしたのだ?」

 レーネシエールは俺を見上げたまま、首を傾げる。

「このクソみたいな状況を脱却する、とっておきの方法を思いついたんだよ!」

 俺は店の中で一人興奮していた。



 その日、帰宅した俺はパソコンを立ち上げるなり、猛烈な速度でキーボードを叩き始める。その集中力は、晩飯も風呂もそっちのけにしてしまうほどのものだった。

「出来た!」

 作業を完了したのは午後十一時を回った頃だ。レーネシエールが俺の肩越しにディスプレイを覗き込む。

「主よ。これは何だ?」

「ホームページだ。このパソコンに表示されている内容を、世界中のどこからでも見ることが出来るんだ」

「それは、一体何のために?」

「俺達魔王軍の活躍を、世の中に知らしめるんだよ」

「我らの動きを知られては、敵軍の策にはまるのでは?」

「逆だ。俺達が人類をコントロールするんだよ。いいか、このホームページってやつは、見た奴の数が多いほど、人気が高いってことだ。そこに、色んな物を売りつけようとする奴らがいて、俺のホームページに広告、つまりは宣伝文句を載せてくれと頼みに来る。この世界では、それで金が稼げるんだ」

「よくわからないが、我は何をすればいいのだ?」

「いいか。俺が今からここに、適当な場所と時刻を入力する。その時刻にその場所で、俺は魔剣の力を解放する。お前は地割れを起こすなり、突風でビルを吹き飛ばすなりしてくれればいい」

「それだけでいいのか?」

「世間はまだ、魔剣の力を知らない。この一連の事件を奇怪な自然現象だと考えている。もし、その自然現象の場所と時刻を正確に言い当てることが出来たら、誰だってその情報を欲しがるだろ?」

「それで、この“ほおむぺいじ”を見に来るのか?」

「そして俺達は広告収入を得る、そういうからくりだ」

「雲をつかむような話だが、上手くいくだろうか?」

「行くさ、絶対に。誰だって、こんな災害は避けたいと思うからな」

 俺は確信をもって頷いた。


 俺はその日のうちにホームページを無料のストレージに登録した。内容はこうだ。


【預言者ノムラムスの大予言】


 最近頻発する地割れや局地的突風の数々。実はこれらは大宇宙のシグマウェーブにより引き起こされたものだった!? シグマウェーブとは地球から三百億年離れた銀河のL9銀河系第一惑星のアレギオン星人が発する脳波の一種。それが地球に届いて大気を歪め、プレートに深刻なダメージを与えているのだ!!

我々はシグマウェーブを水晶玉によって感受する方法に成功。予言者ノムラムス様は全国各地で災害が起きる正確な時刻と場所を特定できるようになった。このホームページは、ノムラムス様の寛大なご意思に基づき全人類にシグマウェーブの速報を無償で公開するものである!(バナー広告募集中)


 いかにもマッドサイエンティストが飛びつきそうな狂気じみた内容。よく読めば突っ込み所満載の怪しい話である。まともに信じる人間がいれば、それこそ警戒した方がいい。

 もちろん、これは俺が即興で考えたフィクションだ。ホームページを見た研究機関が間に受けないよう、わざと突飛な設定を盛り込んである。だが、ここから先に書くのは全て紛れもない“事実”である。

――20XX年5月17日(火)午後2:13 K県S市北部

 そこが、次に俺が魔剣を振るう場所だった。


 俺はSNSを通じて一人でも多くの人間にホームページを紹介した。

>>何これ?

>>頭おかしくね?

>>絶対怪しい

 もちろん、誰も信じるはずがない。やがて、こんな胡散臭いサイトを紹介する俺の常識まで疑われるようになった。だが、宣伝としてはこれで十分だ。ここに書かれている時刻と場所の通りに地割れが起きれば、こんなふざけた話も否応なしに信じざるを得なくなる。人間は、経験によって学習する動物だから。

 時刻はあと五分。俺は高校時代の級友に会いに行くと装って、K県S市北部の山から街を俯瞰する。

「あれが標的の道路か?」

 山の中腹に蛇行する車道が見える。車通りはほとんどない。魔剣で破壊する施設は事前に把握済みだ。いかんせん、現代では日本全国の航空写真がインターネットで閲覧できるようになっている。

 魔剣で破壊する標的は人的被害を与えてはならない。世界に絶望したとはいえ、俺にはまだ、この剣で人を傷つけるだけの覚悟はなかった。しかし、人間生活に全く影響しない標的を狙っても仕方がない。そうでなければ、誰もホームページにアクセスする必要がないからだ。

「主よ。準備は整った。いつでも行けるぞ」

 レーネシエールの言葉を受けて、俺はゴルフバッグから魔剣を取り出す。それにしてもこの魔剣、鞘でもあればカッコいいのだが。

「よし、行くぞ!」

 俺は足を広げて魔剣を車道に向かって構える。車が近づく気配はない。

「秒読み開始・・・・・・5,4,3,2,1、今だ! 《コンチクショー》!!」

 俺は魔剣で山の地面を叩きつける。山の斜面が地滑りを起こし、杉の木が根元から押し流される。そこへ口を開けたように地割れが裂開。道路はせん断されてガードレールが引きちぎられる。

「やっぱりすげえな! この魔剣」

 寸断された道路には地震によって山から岩やら倒木やらが転がり込んでくる。それを発見した乗用車が急停車した。運転手は車から降りるなり、携帯電話をかけて右往左往する。警察や消防が駆け付ける前に俺は山を下った。会社を辞めるまで、久しく達成感を覚えていなかったことを思い出しながら。

 さてと、俺はパソコンを開いてSNSの反響を改めた。

>>ウソ! 何で分かったの?

>>このノムラムスって、マジ神かかってる!!

>>弟子にして下さい

 SNSはまるで火に油を注ぐように全国に拡散。俺が先日立ち上げたホームページは一日にしてアクセス数が五十万を超える。

「いいぞ! これは、大成功だ!」

 俺はパソコンの横で歓喜した。



ノムラムスは一夜にして有名人となり、二夜にして偉人となり、三夜にして聖人となった。

今やノムラムスの名前を知らぬ日本人はいないのではないか? 地方にはノムラムスを崇拝する信心深い団体がちらほら出現し始めている。社会現象と呼べる生易しいものではない。ここまで来ると、マスコミさえも無視できなくなっていた。

『宮原先生、シグマウェーブとは本当に存在するのでしょうか?』

 不安な表情でアナウンサーが同席するゲストに質問する。番組のシナリオだろうが、ある意味でアナウンサーの本音かもしれない。

某有名大学教授は険相を浮かべる。彼の沽券からすれば、俺の創作話に太鼓判を押すわけにはいかない。だからといって、ノムラムスが地割れの起こる場所をどうやって特定したかという疑問は、絶対に氷解することはないのだ。

『・・・・・・現時点では、何とも言えません』

――そら、見ろ。これが科学技術立国日本の限界だ。頭良さそうな顔をするくせに、難しい話ばかりを並べて世間の疑問に真っ向から答えようとしない。お前らはノムラムス以下だ。

 かつて理科系の大学生だっただけに、俺は心底嗤った。

 俺を差し置いて正社員に就職しやがった俗物共が戦慄を覚えるのは、まだこれからだ。

 一方でノムラムスの下には目論見通り、バナー広告の依頼が殺到。話題のネタとあって、最初の広告収入は何と月三百万円だ。俺の前職の年収並みだ。

「主よ。次はどこへ行くのだ?」

「そうだな」

 俺は翌日、ホームページを更新する。

――20XX年5月22日(日)午後4:22 A県G町

 それが、次の標的だ。

 この日、世界は再び恐怖に震撼することになるだろうが、それを知るのは世界広しと言えど、まだ俺一人に過ぎないのだ。

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