第2話 矛盾

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――よかった

 テッセに案内されて訪れた縦長の木造屋敷。そこは義勇軍の兵舎だった。中の様子を見たメセナはほっと胸を撫で下ろす。

「大丈夫、皆あなたと同じくらいの子達ですから」

 義勇軍という武骨な呼称なので、メセナは髭面の男達に囲まれるのではないかと憂いていた。勢いでギルドを飛び出したものの、冷静になったメセナの頭は次第に不安の種が芽生え始めていた。その種の一つが今、テッセの言葉と目の前の光景を前にして取り除かれた。

「義勇軍に新しい仲間が来てくれました」

 テッセの呼びかけに、兵舎で思い思いに過ごしていた先客達が顔を向けた。まさにメセナと同い年の少女が三人、メセナを囲むようにして立つ。

「えっと、メセナです。得意なことは・・・・・・回復魔法かな」

 何だか自己紹介という雰囲気になったので、メセナは咄嗟に頭を下げた。

「どうぞ仲良くしてやって下さい。それでは私は雑事がありますので」

 テッセが去ると、少女達はさんざめいてメセナを歓迎した。

「私、ファイマー! 剣士よ!」

 活発そうなショートヘアの少女が愛想のよい笑顔を浮かべた。

「よろしく」

 元気の良さに押され気味のメセナは少し顔を斜にして挨拶を交わす。

「レミゼです。多分、パーティーの支援を務めさせて頂くことになると思います。よろしくお願いします」

 ベールの中に金髪を収めた清楚な少女が恭しく頭を下げる。

「こ、こちらこそ」

 メセナは彼女なりの最上位の礼を返した。

「これから頑張ろうね!」

「は、はい!」

 メセナは思わず肩に力が入った。正面に立つファイマーの影にただ一人、三人目の少女が距離を置いてこちらを見ている。

「ああ、あの子? おいで、リャウ」

「・・・・・・はい」

 物怖じした様子でリャウと呼ばれた少女は歩いてきた。両手を前で組み合わせ、肩をすくめる。かなり内向的な性格らしい。かつて同類だったメセナにはそれがよく分かった。

「リャウ。これでも槍兵・・・・・・なの」

 動きやすそうな戦闘服から察しはついていたが、前衛としていかばかりか心許ない。どちらかと言えばメセナの様に内気型に分類される方だ。

「それで、メセナさんは剣士?」

「あの、実は私――昔は回復役だったんです」

「回復役だった?」

「一緒に旅をしていた幼馴染が、冒険者を諦めてしまって・・・・・・このまま故郷に帰ろうとも考えたんですが、もう一度だけ冒険者として頑張ってみようと思ったんです」

「それはどうして?」

「私、今までずっとある人に寄り添うために生きてきて。でも、最近その人と離れてしまったんです。一杯苦労したけど、今の私は、長く閉じこもってきた殻を破った気分なんです」

「ふうん」

「皆さんはどうして冒険者に? 失礼ですがレベルはどのくらい・・・・・・」

「おっとそこまで」

 ファイマーがメセナの言葉を遮った。

「お互い、探り合いみたいなことは止めよう」

「別に私はそんな・・・・・・」

「メセナさん、駆け出しの冒険者だから仕方ないけど、一つ忠告しておくね」

 ファイマーはメセナの言葉に耳を傾けずに続ける。

「ここではあまり自分のスキルシートを見せない方がいいよ」

「どういう意味ですか?」

「スキルシートには色んな情報が見て取れるものよ。自分の強みも、そして弱みも。それを他人に知られたら、困るとは思わない?」

 レミゼが諭すような口調で言う。

「それはそうですけど」

 だったら助け合うのが仲間じゃないのか。メセナはそう言いたくて仕方がなかった。が、その想いが口にされることはなかった。

「誰か来る」

 さっきから話を黙って聞いていたリャウがふと顔を上げた。確かに遠くから足音が聞こえ、扉の前で止まった。

「失礼します」

 丁寧なノックの後、テッセが顔を覗かせる。

「お待たせしました。本件のご依頼に関して、改めて私の方から説明させて頂きます」

 テッセに導かれた先は少し大きめの広間だった。食堂として使われているのか、二列の長机に椅子が整然と並んでいる。

「まあ、その辺にお掛けください」

 前に立つテッセを囲むように、四人は丸椅子に腰かけた。

「それで、依頼って言うのは?」

 ファイマーがいきなり本題を切り出してきた。

「ご説明しましょう。皆さんにお任せしたいのは、アルベドラン山脈に巣くうモンスターの討伐です」

「アルベドラン山脈? 確かここより北の山脈でしたよね?」

 レミゼが窓の外に視線を遣った。件の山脈はここからでも薄っすらと影を霞ませている。

「アルベドラン山脈か・・・・・・」

 ファイマーが少し面倒そうな顔をした。冒険者としての地理的情報のないメセナにとってはそれが不安でたまらなかった。

「そんなに危険な場所ですか?」

「まあ、少し厄介かな」

「それで、討伐対象のモンスターとは?」

「グルム族です」

「グルム族? 聞いたこともないな。タイプは?」

「人型ですが、とにかく凶暴で。あそこを通り掛かった旅人を見境なく襲う蛮族です」

「数はどの程度?」

「少なくとも30の小集団と思われます」

「それを四人で退治しろと?」

「精強な冒険者の皆さんにとっては大したことのない戦力差でしょう。それに、これ以上頭数を増やすわけにはいかない事情がございまして・・・・・・」

 テッセは苦笑いする。


 帝王杯二回戦の日が訪れた。

「生憎だったな。俺がまだ生きていて」

 対戦者と対峙するなり、俺は鎌をかけるつもりで言った。この前の襲撃者達が帝王杯の闇討ちで雇われているとすれば、その主犯格は次の対戦者以外にあり得ない。つまり今目の前にいる相手、ということになる。

「何の話かしら?」

 一方で対戦者、黒い長髪の女は微笑を浮かべてそ知らぬ風を示した。その様子はうそぶいているようにも見えた。俺よりは少し年上の妙齢の女が次の相手だ。暗い紫色の衣服をまとい、防具は左肩と胸甲を守るのみ。その背後で朱色の長い柄の槍は、穂先に新品の輝きを滾らせて出番を待ち構えている。今日のために仕方なく、付け替えてきたのだろう。

「いいさ。どっちにしても俺は、お前を倒すしか道はないんだ」

「何を言っているのかわからないけど、随分生意気なことをほざくわね。私に恨みでもあるって言うの?」

 妖艶な笑みを浮かべたまま、女は大胆に足を開いて槍を構える。矛先を俺に向けるのではなく、右手だけでつかんだ槍を背中に、左の掌だけを正面に張り出す。一見無防備な構えかと思えば、あえて俺を誘ってくるかのような危険を醸し出している。

「悪いな。今日の俺はどうも力加減が難しいみたいだ」

 鞘を払いながら俺も剣を突き出すように構えた。その刃には俺の中の負の感情が漲っている。

「今だ!」

 試合開始を告げる銅鑼の音と俺達が踏み出すのはほぼ同時だった。背後で制止していたはずの槍が自ら意志を持ったように回転を始め、それを片手で御する女が叩きつけるようにしてぶつけてくる。前に出た俺を正面から打ち砕く恰好だ。

片手剣と槍。武器のリーチの長さを考えれば、正面からぶつかる場合には槍の方が断然有利だ。だが、その一撃を外せば攻撃と防御の両面で不利に立たされる危険性を、槍という武器は孕んでいる。そのリスクを承知の上で正面攻撃を選んだ女の顔は、常人には決してみられない自信で輝いていた。実際、柄が撓うほどの槍の一撃も見事な速さではあった。

「速いな! だが!」

 俺は正面の敵の実力を認めつつも、立ち止まりはしない。雷のごとく光る槍の穂先が俺を待ち受ける。

――《空間歪曲》

 踏み出すと同時に空間魔法を発動。俺達の間に空間の断層を生じさせ、物理的な距離を錯覚させる術式だ。

「はあぁ!!」

 旋転を続ける槍が、鎌で草を刈り取るがごとく楕円の軌跡を描く。

虎が爪を振り下ろすかのような剽悍な一撃だった。

その一撃必殺で彼女がどれだけの試練を乗り越えて来たかの想像がつく。

「もらったわ!!」

その一撃で俺の命を薙いだと、槍遣いの剣奴は確信したことだろう。

彼女の視覚がそう信じ込ませたのだ。

だが、目の前の空間がねじ曲がっていることを知らない彼女の目には、俺が槍の攻撃範囲内に踏み込んだように見えているだけのこと。

実際のところ、俺達の距離は互いの武器が届く範囲外にいる。その時点で攻撃を判断した彼女は、一撃必殺の槍を無下にしてしまった。

「なっ!」

 武器の空回りを見届けた彼女は大きく目を見開いた。そこへ槍で薙ぎ払ったはずの俺が

踏み込んでくる。ここまで来れば俺達の間に空間の歪みはない。俺の剣は目で見た通りの軌道を辿る。先手を打ったはずの槍遣いの剣奴が一瞬のうちに不利に立たされたことは、この時には誰の目にも明らかとなった。

「なぜっ!?」

 寸前のところで俺の剣を槍で止めた女剣奴は、自分が置かれている状況を呑み込めずにいた。それでも危険が迫った時の本能を前面に出して、俺の剣を彼女の急所から反らさせた。

「まだだぁ!!」

 一度弾かれた俺の剣は矢継ぎ早に二撃目を見舞う。長柄の武器に対する一番の対処法は至近距離からの攻撃を間断なく続けること。早鐘を打つ心臓にテンポを合わせるように、俺はかつてないほど攻撃的になっていた。

「こいつっ!」

 懐に潜り込まれた槍遣いは、俺から間合いを取ることもできずに槍の柄だけで応戦する。応戦とは言っても、牙のごとく襲い掛かる俺の剣を振り払うことしかできない。振り払う度、俺の剣は彼女の槍に深い傷痕を残していく。

「このままじゃ、押し切られる!」

 さっきまでの自信は消え、剣奴の女の顔には焦燥感と敗北の恐怖が走っていた。完全に俺に勢いを奪われ、わけもわからぬまま次の攻撃に備えて防御の構えを取る。

――予想通りの反応だ!

 俺は内心ほくそ笑んでいた。幾度となく弾かれた剣はこの状況を生み出すためのもの。換言すれば、次の一撃も槍の柄で防げると信じ込ませるための布石だ。

――《空間断裂》

 次に叩き込んだ剣は燐光を帯びていた。対象物を物理的に斬るのではなく、空間的に裂くという点で、従来の軟弱な攻撃と違う。だが、防戦に汲々としている剣奴の女がそれを知る由はない。

「せやっ!!」

 鋼鉄の剣でさえ叩き割ってしまう剣は、傷だらけで細い槍の柄など容易くへし折ってしまう。剣速もストロークも同じはずのこの一撃の意外な切れ味が、またもや女剣奴の経験を狂わせる。なおも勢い衰えない俺の剣は女の肩口に食らいついた。左と違って、前に出ていた右肩を守る防具はなかった。もっとも、防具があったとしても俺の剣の障碍にはならない。

「がっ!」

 身の危険を感じて身体を捩るも、肩口に深手を負った女剣奴は後ろに大きくぐらついた。それでも俺の追撃を警戒したのか、柄が短くなった槍を逆手に持ってしゃにむに振り回す。俺にとっては何の脅威でもなかったが、間合いを稼ぐ時間だけは与えてしまった。

「本当に、さっきから何なのよ。この子」

 出血のひどい肩を抑えながら、恐懼にかられた眼差しが俺に向けられる。

「どうした? さっきまでの自信はどこへ行った? 刺客も失い、自慢の槍まで折られて万策尽きたか?」

 俺の心はなおも荒波を立てていた。勝利するためとはいえ、帝王杯に直接関係のないキラルや子供達を巻き込んだのだ。絶対に許せるはずがない。それを考える度、俺は背中を押されるような激しい闘争の衝動に駆られる。

「刺客って、何のことだかわからないわ!」

 女剣奴は喘ぐように叫んだ。

「そろそろ、けりを付けよう」

「こんなところで負けてなるものか! 私は――」

 余力を振り絞った女剣奴の横を、一陣の風が吹き抜ける。無慈悲な斬撃を帯びた風だった。刹那の間、女剣奴の背後ですれ違った俺は、鮮血に染まった剣を携えたまま、復讐心が満足げに消えていくのを感じた。

「汚い手でどんな夢をつかむつもりだよ、お前は」

「・・・・・・いや、だ」

 女戦士はよろけて前に歩き出す。

「こんな、所で・・・・・・」

その後突っ伏した彼女は闘技場の土にしがみつくようにして敗北を認めた。

「終わったか」

 無心になった俺は剣を掲げた。観衆達はまるで、見えない圧力に強制されるように喝采を送り始める。一方的な攻防戦と怒りに身を委ねたトリックスターに、畏怖の念を感じているようだった。

軽蔑を込めた視線で敗者を一瞥した俺は、おののく視線を背中に浴びながら闘技場を立ち去った。



「ああ、来月から月給百万くらい、稼いでやるよ! そうすればこんな家よりいい所に住めるからな! ご馳走様!」

 俺は朝食を切り上げて部屋に籠る。背後で父親の溜息を聞いた。静まり返った部屋の中で、俺は途方に暮れる。とんだ大口をたたいてしまった。上司Nはいつもこんな事を平気で口走らせていたのだ。長年座り続けた勉強机が無気力な俺の支えとなった。

「どうしたらいいんだよ・・・・・・」

 今日はハローワークに行く予定だったのに、何もやる気が起きなくなってしまった。ベッドで二度寝しようと思ったが、生憎“魔剣”とやらが横たわっている。

「そう言えばこれ、どうしてここに」

 気晴らしに俺は魔剣を手にする。ゴテゴテした見かけの割に随分軽い。軽く振るうことも出来そうだ。しかし、刃の鋭さは本物。その切れ味は、机の上に置かれた雇用保険の書類で確かめられた。真っ二つになった紙きれが手元からはらりと落ちる。

「すげえ。本物だ。じゃあ、あれも夢じゃなかったのか」

 こういうものを取得したら、警察に届け出るべきだろうか。そういえば、日本の銃刀法では外国刀剣は登録対象外だっけ。それなら黙っておいていいか。

「それにしても、魔剣なんかより仕事くれればよかったのに」

 こんな武器、江戸時代とかでは実力行使に使えたのだろうけど、現代社会で振り回せば間違いなく“ヤバい奴”だ。警察沙汰になって、その日の夜のニュースで俺の名前が日本全国に報じられる。それこそ、ワイドショーのいいネタだ。

「何か、むしゃくしゃする。こうなったら魔王軍なりきりでもやろうか」

 時間だけはいくらでも余っている。俺は物置から父親の使っていたゴルフバッグを持ち出して魔剣をしまい込む。誰にも気づかれないように、近所の川原に出掛けた。

「しかし、本当に凄い剣だな」

 俺は無心になって川原の岩と対峙する。その上には俺が載せた小さな石ころがある。

「やあ!」

 振り下ろした俺の剣は石ころに直撃。見事に二つに割れた。魔剣の刃は微塵も欠けていない。

「何たる切れ味! やっぱ本物だ! じゃあ、あの魔法も本物だったのか?」

 俺は岩に座って考え込む。確か魔王は言っていた。この魔剣の名前を声に出した時、真の力が発揮されると。

「よし!」

 俺は変な高揚感に浸って立ち上がる。そして魔剣を両手で振り上げた。魔王から教わった魔剣の名前は、今もちゃんと記憶に残っている。

「行くぞ! 《コンチクショー》!!」

 俺は魔剣を振り下ろす。魔剣が地に着いた瞬間、光の筋が走り、まるで地滑りのような轟音と共に川原の地面が裂けた。吹き飛ばされた小石が川面にいつまでも降り注ぐ。

亀裂は瞬く間に川に沿って拡大し、その先に敷かれた高架橋が両断されて堕ちた。

「えっ・・・・・・嘘だろ」

 俺の足元を起点として、大蛇のようにうねる地割れ。

「お、おおぉ!!」

 俺は狂喜したように叫んだ。何を考えていたわけでもない。現実とは到底思えない椿事に、人は意味もなく叫ぶものだ。

「はぁ、はぁ」

叫び疲れた俺は少しずつ我に返る。

こんな地割れを俺が作ったのか。

こんな剣一本で?

地球に亀裂が生じたように、どこまでも深い谷。呆然とする俺の耳に、次第に悲鳴とサイレンが大きくなっていった。



 付近の大通りには人が溢れかえっている。交差点には交通整理に追われる警察官の姿。信号機が機能していないのだ。どうやら電線を断線したらしい。周囲数千世帯は停電の被害を被っただろう。

――やべぇよ、これ

 俺は魔剣を隠しながら混乱する街中を歩いた。駅舎は出入り口まで人が溢れかえっている。乗客達が駅員に復旧の目途を問い質す。駅員は「確認中」としか言いようがない。現時点で被害の状況を知っているのは俺くらいだろう。なにせ、川に渡された高架橋が大破したのだ。復旧までには少なくとも数か月はかかる。

「Y駅まで車を出しますけど、誰か利用される人はいますか?」

 駅のバスロータリーに車を停める女性が群衆に向かって呼び掛ける。バスもタクシーも乗り場は長蛇の列。ボランティア精神によって便乗を始めたらしい。やがて、サラリーマンらしきスーツの男が女性に近づいて、車は発進した。

 空にはけたたましいプロペラ音が響き渡る。自衛隊所属のもの、テレビ局のもの、ありとあらゆるヘリコプターが川の方角に飛んでいく。

 どうやら俺の家は停電の被害を免れたらしい。

「英二、どこへ行っていたの!」

 玄関先で母が血相を変えて飛んでくる。

「ちょっと、散歩。何かあったの?」

「川で突然、地割れが起こったの。地震もないのに、一体どうしたのかしら。隣町は全世帯停電ってよ」

「マジか」

 居間に戻ると、朝のワイドショーは臨時ニュースに変わっていた。子供の頃からよく見た川の風景が上空から撮影されている。取材班は緊張した様子で地割れの全容と被害の最新状況を報じている。

「とりあえず、セーフか」

 事件への俺の関与が気付かれていないことに、内心ほっとする。そもそも、こんな惨事がたった一人の無職が招いたなど、誰が信じるだろうか。

「何が? それよりアンタ、何でゴルフバッグなんか背負っているの?」

「何でもない ちょっと散歩していただけだ」

 家族にさえ明かすわけにはいかない。この未曽有の大災害が、俺の背中の魔剣によって引き起こされたなど、口が裂けても言えるはずがないのだ。

 部屋に戻った俺は部屋のドアを施錠する。そしてゴルフバッグから魔剣を取り出した。

「えっと、あの夢は現実で、この魔剣は本物で、だとすれば、俺は本当に暗黒騎士なのか?」

――こんな無能の俺が、人類を滅ぼす暗黒騎士

 その結論に至った時、まるで大空に羽ばたくような高揚感が沸き上がる。全身の底から総毛立つ。

「イヤッホオォ!!」

 俺は興奮しきっていた。今夜は眠れそうもない。ベッドで数回飛び跳ねて、馬鹿犬みたいに部屋を駆けずり回り、気が付けば魔剣を片手に意味不明な踊りを演じる。

「すげえぞ! 俺は暗黒騎士だ! 人類よ! 我が膝元に屈するがよい!」

『英二! 何を馬鹿なことを叫んでいるの! 静かになさい!』

 ドアの向こうから母の叱咤が飛んでくる。

「・・・・・・すいません」

 俺は一息ついて椅子に座る。それでも興奮は一向に下火にならない。そんな有頂天な気分に終止符を打ったのは、足元に落ちている紙きれを見た時だ。魔剣の試し切りに使ったハローワークの書類である。

「あ・・・・・・」

 俺の思考はファンタジーから現実に引き戻される。魔剣の力には驚愕するが、この力で食っていけるかというと、そういうわけにもいかない。履歴書に暗黒騎士の経歴を載せるわけにはいかないのだ。第一、こんな物を面接会場に持っていけば間違いなく警察を呼ばれる。

「こんな剣があってもなぁ」

 どうせならば、俺を異世界に連れて行ってほしかった。最近流行りのライトノベルみたいに。あるいは、あと二十年早く魔剣を手にしていたならば、俺の人生は劇的に変わっていただろう。勉強も運動も得意ではなく、不良のサンドバッグとして殴られ続けた青春時代。今更こんな力を手に入れたところで、それを生かす場を俺は失っていた。

「ああ、魔剣を手にしても俺の人生、何も変わらないや」

 俺は改めて自分の不幸を呪う。あの面憎い上司Nの顔が思い浮かぶ。あの男さえいなければ。俺は最後の居場所を失わずに済んだ。そう思うと余計に腹が立つ。

「・・・・・・そうだ」

 魔が射したとは、こういうことを言うのだろうか。その晩、俺は魔剣を背負い、自転車で出掛けることにした。

 駅には振替輸送を待つ乗客がまだ掃ききれずに残っている。自転車をこぐこと一時間。ようやく俺は前職の勤務先に到着した。

「静かだな」

 反対側のビルから見渡す職場は、三十階建てのほぼ全面ガラス張りのビル。二年前まで俺は、十七階の隅で朝から晩まで仕事に追われていた。辞めてから三年近く経つのに、当時の出来事が鮮明に浮かんでくるのはなぜだろう。

「ようやく復讐の時が来たぜ」

 俺は魔剣を取り出してビルに対峙する。朝の騒ぎのせいか、この時間にしては珍しく誰もいない。人を散々こき使ったくせに、他の社員は優遇されていると思うと、余計に腹が立つ。

 俺はビルに向かって魔剣を構えた。

「くそっ!! ふざけんな! この馬鹿どもが!」

 両手で振り上げた魔剣を振り下ろす。

「ぶっ壊れちまえ! 《コンチクショー》!!」

 魔剣が斬りつけた先から、疾風が生じてビルを飛び越える。

そして繰り出された衝撃波はビルの中央部に直撃。ビルを覆うガラスがほぼ全部、粉微塵に砕けて下に落下。土砂降りのダイアモンドダストといった具合だ。突き抜けた衝撃波はビルの反対側を破って書類を街頭に撒き散らす。

 女性の甲高い悲鳴が俺の立つ屋上まで上ってきた。

「ぎゃははは!! ざまあみろ!」

 俺は悪魔のように嗤った。会社から追い出されたことを恨む人間は世間にごまんといる。しかし、俺ほどに復讐を成し得て快哉を叫ぶ者は他にいない。

 もちろん、この事件も翌日のニュースで取沙汰された。地割れに局地的な突風。度重なる珍事件に、マスコミは翻弄されることになる。



 あれから一週間。巷では未だに俺の地割れと突風事件が賑わいを見せている。胡散臭いSF作家やら、超常現象の研究家と名乗る人物が出演し、各々の想像を披露する。

 宇宙人のメッセージだとか、正体不明の電磁波の一種とか、よくもこれだけのことを考えるものだ。そして面白いことに、どの推理も外れている。

 インターネットの世界ではもっと自由な議論が繰り広げられていた。殊に興味を惹いたのは、自称超能力者が一連の事件を自分の仕業だとする書き込みだ。もちろん、誰からも相手にされていない。

「おっ、メール?」

 ディスプレイの右端にメールを受信したというメッセージが浮かぶ。差出人は『M物産株式会社 総務部人事課』。内容は、先週の面接での不採用通知だった。

 結局、魔剣を手にしたところで俺の人生は何一つ変わらない。

「くそっ、このままじゃ暗黒騎士は餓死するじゃないか!」

 その一週間、俺は夢の中で魔王と再会することはなかった。ただ、魔剣だけを所有している。

 世の中なんて残酷なものだ。コミュニケーション能力とか、問題解決力とか、そんな得体のしれない能力で人間に優劣をつけて人生を決めつける。俺は現実に仕事をして来たんだ。潜在力よりも、今の俺を見て欲しいのに。

「わかんねえよ。どうしたらいいんだよ!」

 俺の目は魔剣に移る。最近、何かある度に俺は魔剣のことを考えている気がする。こんな俺に仕事を与えてくれたのは、皮肉にも異世界の魔王だけなのだ。

「もうやだ! 俺、人間やめる」

 俺は立ち上がった。このメールを送り付けた奴は、俺から仕事を奪った。つまり、俺の人生を奪った。だから仕返ししてやろうと思った。魔剣の力を使って。

「よくも俺を落としやがったなぁ!! 《コンチクショー》!」

 俺の魔剣が閃いたのは、俺を落とした会社の門前でのことだった。道路からビルに向かって、八階建ての本社ビルが真っ二つに割れた。


 魔剣の力は絶大だが、それでも俺の日常は変わらない。今日も登下校の小学生を見送りながら、年老いた両親と朝食を囲んでいる。

「英二、アンタ運が良かったよ」

「何の話?」

「ほら、アンタがこの前面接を受けた会社。地割れに巻き込まれてビルが倒壊したんだってね」

「・・・・・・ああ、そうだね」

「最近、地割れとか突風がやけに多いな。この辺り」

 父が厳かな顔で味噌汁をすする。

「でも、ビルが倒壊したのは日曜日だろ? 俺がそこに勤めていたとしても、難は免れたと思う」

「それがね、丁度ビルで仕事をしていた社員が巻き込まれたらしいのよ」

「え・・・・・・」

 俺は顔面から血の気が引いた。

「あの会社、ノルマが厳しくて社員が休日にも仕事をしていたんですって。時間外手当を貰えない上にそんな災難にまであって。労災の適用範囲に当たるかどうか、裁判沙汰にまでなるそうよ」

「嘘だ・・・・・・」

「大丈夫よ。英二。あなたはまだ運があるのよ。きっとそのうち仕事だって」

「ごちそうさま」

「英二? どうした?」

「ごめん。ちょっと俺、気分が悪い」

 吐き出しそうだった。憔悴しきった俺は蹌踉とした足取りで自分の部屋に戻る。

「なんてことだ。俺は会ったこともない他人をこの手で・・・・・・」

 普段、何気なく振り回してきた魔剣が急に恐ろしくなった。二度と使うまいと思った。これは本当に、人類を滅ぼす武器だ。

「お寺に預けようか。どっかの火山に投げ入れようか」

 必死に魔剣の処分を考える俺。こんな武器、俺が扱うには危険すぎる。どこかで破壊するか、封印するしかない。ましてや悪人の手に渡ったとしたら――考えたくもない結末だ。

「主よ」

「へ?」

 突然、俺以外に誰もいないはずの部屋で、俺を呼ぶ声がした。十歳ほどの少女がベッドの上の魔剣の傍らに座ってこっちを見ている。

面識もない少女だ。第一、頭髪を紫に染めて、赤い双眸は刃のように怪しく光る。それに、コスプレと思しき黒と赤を基調とする奇抜なドレス。稚気の抜けない少女の顔は、それでも怜悧というか、鋭さを感じさせる。

「お前、誰だ? それよりどこから入った?」

窓にもドアにも鍵がかかっているはずなのに。少女は物音一つ立てずに部屋に入ってきた。

「何を言うのだ。主よ。我はずっとそばに控えていたではないか」

 少女は魔剣の上に片手を乗せる。いや、そんなことって、あるはずがない。だが、既にそんな有るはずのないことが立て続けに起こっているのだ。

「まさか、お前って魔剣なのか? 《コンチクショー》なのか?」

「それは少し語弊がある。私はこの魔剣、《コンチクショー》に秘められた魔力の化身。便宜的にレーネシエールという名を与えられている」

「レーネシエール・・・・・・」

「主よ。何ゆえに魔剣を手放そうと考えるのだ?」

「決まっているだろ! 危ないからだよ! こんな物を使っていたら、凶悪犯で死刑台送りだ!」

「これは人間と魔王軍の戦い。主には魔王軍として命を賭す覚悟は出来ていないのか?」

「ないね!」

「では、今更魔王軍から翻って人間側に就くというのか?」

「そもそも俺は魔王軍に味方するつもりはない。勝手にこの剣を渡されただけだ!」

「しかし、主は魔剣を使いこなし、人類を恐怖に陥れている」

「あれは、そのつもりじゃなかったんだよ! 誰もいないと思って、日曜日を狙ったんだ!」

「主は人間を傷つけるつもりはなかったと?」

「俺は、人殺しじゃない」

「だが、その剣を手にするということは、心に闇を抱えている証拠。主は何かしら、この世界に不満があるのでは?」

「不満? ないわけじゃないけど」

「・・・・・・主は魔剣を手放して、これからどうするというのだ?」

「どうするって、そりゃあ・・・・・・」

 俺は「真っ当に生きる」と断言するつもりが言い淀んだ。そもそも俺にはもう、未来がない。アルバイトだって、体力的に何歳まで続くかわからないし、年金さえも貰えるかどうかわからない。

「主の決断を否定するつもりはないが、我に助言を与えさせてくれ」

 レーネシエールは舌足らずながら、思慮深い口調で切り出した。

「いつの時代、どの地域においても、実力のある者が世界を支配する。これは、我が知る人間の永久不変の公理だ」

「永久、普遍の公理・・・・・・」

 確かに、俺は無力だ。その上この魔剣まで手放したら、俺に何が残るというのだ。良心の呵責を感じつつも、ここで魔剣を手放すのはいい考えではないのかもしれない。

「それでも主の考えが変わらなければ、我は他の主を探そう」

「・・・・・・待ってくれ」

 俺は立ち上がったレーネシエールの小さな手を掴んだ。彼女は妖艶な微笑を浮かべる。

「お前の言う通りだ。俺の魔剣になってくれ」

「願ってもない言葉、感謝する」

 こうして俺は、レーネシエールという存在から今までの状況を整理することになった。

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