意味不明
@Naoka
第1話 意味不明
ブラウザの戻るボタンで元のページに戻れます。
Press back button of your browser soft in order to get back previous page!
「お前、どうしてそれを?」
「そりゃ、同じギヤに合わせてあれだけ速度に差が出れば」
「そうだとしても、どうして改造がQCMだとわかったんだ?」
「操縦方法を見てわかったのさ。障害物の多い場所でかなり慎重な操縦をするアンタが減速機構をいじるはずはない。そんな事をすればブレーキ性能に影響が出るからな。だとすればあのトルクを実現するにはブレーキをそのままで最大速度の時に差をつけられるよう、QCMが《クナ》から大量のエネルギーを出力するように改造したんだと思ったのさ。それにお前、さっきから頻繁に《クナ》を空にしてるのも不自然だったしな」
「アレン、今の話は本当か?」
《アビエータ》仲間達は訝しげに彼を見た。下を俯くアレンは黙秘を貫き、膠着した状況がしばらく続いた。やがてその状況を一変させる者が現れる。さっきまで待避所に居たミラだった。
「話は聞いたわ。アレン、やましい事をしてないと言い張るならQCMを精査してもいいよね?」
「その必要はない。確かに俺のQCMはコイツの言った通りの細工が施されてる。今じゃもう、お前が一番の実力者だ」
アレンはあれだけ守っていた彼の《アビエータ》をあっさりと放棄し、競技場を出て行った。それでもミラは彼の機体を回収するよう指示を出し、後を任せてクライスのもとへとやって来た。
「ありがとう」
「俺を使ってアレンの不正を抑えようと企んでたのか?」
「ごめんね。どこに不正があるかわからない状況ではマシンを一度分解しなきゃわからないケースもあるから。そんな事をすれば彼は間違いなく反論すると思って手が出せなかったの」
「アイツの事、嫌いだったのか?」
「私達は観客の期待に応える為に命懸けで戦ってるの。あんなイカサマ野郎はその面汚し。結局、自分の為にだけしか命を張れない奴はいつか必ず負ける」
「そうか?俺もいつかは負けるのかな。試合の後半、俺は負けた後の自分の人生を想像してたから」
「いいえ、あなたは自分が気づいていないだけで、かなり無茶な飛行術を見せてくれたわ。あれは、自分以外の大切なものを守る人間にしかできない技よ」
自分以外の大切なもの、そんな物があっただろうか?記憶を辿ってみるが、思い出すのは上下反転を繰り返す地面と岩場の景色ばかりだ。
「私も、一つ聞いていいかな」
「何だ?」
「ここの岩場をあの速度で抜けるのには非常に驚いたんだ。君、もしかして《アビエータ》の経験があるの?」
「有るわけないだろ。お前と違ってB組の俺にこんな高価なマシンが買えるかよ」
自分の嘘を暴露されたミラはただ甲高い声で笑うばかりだった。
「俺達が使う《フルークライゼ》は《アビエータ》の三分の一以下の速度が限界だ。それでも、視界が悪く急に岩が目の前に飛び込んでくるので、操縦者には高い反射神経が要求される。そういう事だ」
「そういう事か。何を守るとか、そういう話以前に普段から操縦テクを培ってきたアンタに、《クナ》を無駄遣いするプレイヤーは初めから勝てなかったんだ」
「ねえ!」
今日の《クナ》集めのためそろそろクライスもここを発たねばならなかった。そんな彼に対し、ミラはまだ言いたい事があるらしい。
「君には才能がある。もしよければアレンの代わりにエースをやってみる気はない?」
「悪い。やっぱり俺は《クナ》を大量に使うこの競技を好きになれないよ。行こうか、ライカ、トーゴ」
「そうだな。とは言っても、俺はこの勝負でかなり設けさせてもらった。今日くらい収集士を休業してもいいくらいに」
「相変わらずお前は」
クライス達の進む先をミラは物惜しげに感じながら見守った。そして実は彼らに注がれる視線がもう一つ、賭け金額の配分で揉める観客席の中から注がれていた。桃色の挑発に色白の肌、ギャンブラー達とは明らかに一線を画すA組の女子生徒だった。
「やっと、やっと見つけましたわ」
少女の唇に笑が宿った。
リンダール普通科高等学校はスラム街の中心に立つとは思えないほど平和な学園生活が用意されている。生徒達はA組とB組という経済的な枠に隔たれながらも、各々が周囲と打ち解け合う事で目立った騒ぎは起こらなかった。ただ一人だけ、それに従えない例外が存在した。その例外は今日も不機嫌そうに登校する。そして彼女は校門から誰とも話す事なく教室に着席するのだった。別に昨日、何か特別な事があったわけではない。ルイスにとってはこれが日常の始まりである。
「おはよう」
彼女と偶然目のあった生徒が控えめに挨拶するが、返事は返ってこない。返事など期待していない。相手が突っ掛ってこなければそれだけでよかった。
――早くここを出たいな
「ルイス、話がある」
トーゴが珍しく真剣な顔をしてルイスに話を持ちかけた。彼女は物思いにふけながら外を見ているばかりで、トーゴに注意を注ごうとしなかった。
「お前、チャビス達の縄張りを荒らしたんだってな」
チャビスとはヤクザな収集士の名前だ。《クナ》集めの腕はそれほどでもないが、収集士の大規模組合を組織し、第二採掘場の一郭を自身の縄張りとして、他の収集士の侵入を退けてきた。勿論それはエネレクス社に認められたものではないが、
「勝手もいい加減にしろよな。収集士同士で決めたルールは守れよ」
「知らなかった」
「は?」
そんなはずはない。ルイスの嘘は明らかだった。
「そんな縄張りなんか知らなかった。どこかにマークしてたの?犬みたいに立ちションとか?」
「お前な!」
「トーゴ、どうした?」
後から登校したクライスがトーゴの肩を叩いた事で彼は冷静さを取り戻した。
「あら、クライス。今日はあの子は一緒じゃないの?」
ルイスはその日、クライスがライカを連れていない事に気づいた。話が面倒になった所で丁度いい話題ができたと内心悦びながら。
「最近、具合が悪いんだ」
ライカは最近、風邪に似た症状で体調を崩していた。夜間の慣れない《クナ》集めの疲れがようやく出てきたのだろう。しかしここでトーゴとの共同作業に戻ってはあからさま過ぎるにも程があるので、《クナ》集めに何の差し障りも出ていない事を装って彼は一人で《クナ》を集めていた。
「聞いてくれ、クライス。昨日ライカがチャビスの縄張りを荒らしたんだ」
「チャビスは厄介だな」
「だからあ、縄張りの事なんか知らないって」
「じゃあ、今日教えるからそれ以降近づくな」
「いいよ、教えなくて」
「ふざけんなよ、お前一人で地上を支えるだけの《クナ》を集めているわけじゃないんだぞ」
今日はトーゴも何かがおかしかった。金にまつわる話になると口うるさい正確ではあるが、昨日今日に始まったわけではないルイスの単独プレーにここまで避難を浴びせた事はなかった。
「今、何て言った?」
「へ?」
「今、女一人じゃ何も出来ないって言っただろ!」
「言ってねえよ。そんな事」
「同じ事だ!」
「拡大解釈にも程がある!」
ルイスに胸倉を捕まれながら喘ぐトーゴをクライスが救出した。
「二度とアタシに近づくな!この守銭奴め!」
甲高い声が教室中に反響する。誰が呼んだのか、騒ぎを聞きつけた教員が鬼のような形相で教室を見回した。そしてルイスを見つけると、溜息半分に出て行った。
「何なんだよ、アイツ」
襟元を正しながらトーゴが愚痴った。機嫌を損ねたルイスはその日一日、授業をボイコットしたのか姿を見かけなかった。
「アイツに何も出来ないとか、そう言うのが地雷だってのわかってただろ?それよりお前こそどうした?何だってルイスにあんな事を言ったんだ?」
「今日の新聞を読まなかったのか?」
「別に、興味ないし」
クライスは新聞を読んだ事がない。新聞で役に立つ情報といえば《クナ》の先物価格くらいだが、それは交換所にも表示されている。
「俺達収集士にとって未曾有の危機が到来した。下手すると俺達、失業するかもしれない」
「率直に言え、一体何があった?」
「それが、・・・」
トーゴは時間が止まったように口を開けたままクライスの背後を見ていた。振り返ると、噂をすれば影というか、例のチャビスが二人に話があるようだった。
「お前ら、ルイスの取り巻きだろ?」
「馬鹿言え、誰がアイツの」
「なら話は早い。アイツとはもう付き合うな」
「どう言う意味だ?」
「他人を散々コケにした小生意気なお嬢ちゃんのケツをひっぱたいてやるのさ。邪魔するようなら」
「どうぞどうぞ、お好きなように。なんなら黒革のムチでも貸してやろうか?」
「何か勘違いしてないか?この変態野郎」
「どいつもこいつも一体どうしたって言うんだ?何でそんなにケチになったんだよ?」
チャビスは答えなかった。ルイスとの闘争において彼らが彼女に肩入れしない事だけを確認するためだけにここに来たようだった。
「トーゴ、いくらルイスがああいう性格だからって、言い過ぎじゃないか?」
「いいんだよ。はっきり言って俺たちはこれからも今まで通りというわけには行かない。従えない奴にはこの業界から去ってもらう」
「一体何があるんだ?教えろ」
「・・・実は、遂に発明されたんだ。俺達収集士にとって最も脅威となる発明が」
遠まわしな言い方だが、クライスにはその発明について大よその察しがついていた。考えられるのは二つだ。一つは《クナ》とは別のエネルギー資源、そしてもう一つは
「《シェル》から《クナ》を再生する技術が」
やはりクライスの予感は的中した。空のガラス玉である《シェル》に青緑の光を蘇らせる《クナ》の再利用研究、それは遥か昔から人類の悲願となっていた。《クナ》を再生するというのは、即ちエネルギーを無から作り出すという事だ。そんなうまい話があるわけがないと揶揄されながらも、この研究を諦めきれない学者達は地道に研究を進めてきた。
「《クナ》を再生するってどうやって?俺達はあの中の光が一体何なのかも、《クナ》自体がどこから生み出されているのかも知らないんだぞ」
「その新しい方法ってのは、《クナ》を使い終えた後の《シェル》を使うんだよ。二つの《シェル》を目にも留まらぬ速さで正面衝突させるのさ。するとどうなると思う?」
「割れる、だろうな」
「それが摩訶不思議な事に、二つの《シェル》が一つの《クナ》になるんだ。一体どんな理屈かはわからない。だけど、実際そうなったんだ」
《シェル》を衝突させて《クナ》が出来る―それは今まで苦労して《クナ》を集めていた《収集士》にとって呆れて笑いが出るほど、無機質な事実だった。
「実は話はそれだけじゃない。というより、ここからが肝心なんだ。この事実を知った政府が新しい《クナ》の採掘を止めて当分は地上の《シェル》を《クナ》に変えて生活しようと言い出しやがった」
「それじゃ、《収集士》はどうなる?」
「しばらくは廃業だろうよ。地上に廃棄された《シェル》を使い切ればまた《クナ》を集めなきゃならないが、俺達は学校に通う為に片時も《収集士》を休業するわけにはいかない。政府や金持ちの連中は邪魔な《シェル》が《クナ》に変わったのを手放しで喜んでいるようだが、この発見は俺達にとって死活問題だよ」
世界は新しい《クナ》を必要としない。既に世界が消費した大量の《シェル》さえあれば理想のエネルギー循環社会が実現するのだから。だが一方で、《クナ》によって生計を立てている《収集士》の子供達はどうなる?
「俺達は今、つまらない縄張り争い軟化している場合じゃないんだよ。わかるか、クライス」
「確かに時代は変わっていくのかもな。でも、それで今までやってきた仲間を見捨てるのもあんまりじゃないか?」
「俺達にはもう、一人の仲間にこれだけ手を約暇さえ残されていない」
「俺が、ルイスと話をつける。明日から失業すると決まったわけじゃないんだし、焦ってもしょうがないだろ」
それから時は流れた。夜のしじまは静寂を保ったままだ。
「彼女は?」
燭台が灯る机に一人腰かけた少女が聞いた。激闘の興奮から眠れないのか、あるいはさっきの連中の襲撃を警戒しているのか、時折視線が窓の外を向く。
「チビ共と一緒に寝た。現役を長く離れていたから、さすがに今日の戦闘はしんどかったんだろう」
「ずっと気になっていたんですが、彼らはその、まさかとは思いますけど、あなたの子供じゃないですよね?」
少女は猜疑心を含む視線を向ける。俺があの年のキラルにこれだけの子供を産ませたとでも言うのか。それをどこか本気で心配しているこの少女の常識を、俺は疑いたくなった。
「これでも孤児院なんだ。アルダー地方から奴隷として連れて来られた子供達をここで引き取っている」
「まあな。家事は全部キラルに任せきりだが」
「ちなみに、あなたのお仕事は?」
少女の目は腰に佩いた俺の剣に向けられていた。答えなど、この時点で半ば知っているだろう。
「・・・・・・剣奴だ」
「帝王杯には?」
「参加している。それに、君が戦うのも見た」
案の定、少女は身構えた。いつかは殺し合う人間と同じ屋根の下で寝るわけにはいかない。そう言われても仕方がなかった。
「どうして私に宿を貸してくれたのですか? あのまま私を外に歩かせていれば、連中にまた襲われて得をしたんじゃなかったのですか? それとも、確実な手段を取るために寝首を掻くつもりでここに?」
「いや、純粋に感謝の気持ちというか。それにそんな卑劣なやり方で勝つのは、俺のポリシーに反するし――」
だが俺は同時にその言葉に矛盾を見出していた。たった一人だけ、魔力を使える俺は剣奴の中で断然有利だった。その強すぎる力はフェアプレーの精神に反するのではないかと、俺の中の誰かがそう言っている気がする。
一方で俺の中にはこんな声もある。では魔力を封印すればどうなるだろうかと。体格的にも、身体能力的にも平均より下回る俺は、お世辞にも二等剣奴としての資格はない。魔力を封印するということは、素手でブレイド・ストラグルに挑むようなものだ。率直に言って、勝てる見込みはないと思う。だから俺は魔力を使わざるを得ない。自分の命を、そしてキラルや孤児院の仲間達を守るためにも。
「そうですか」
俺の言葉をどう受け止めたのか、少女は席を立つようなことはなかった。
「とりあえず、私も助かりました」
「そういえば名前、まだ聞いていなかったな」
「名前ですか? えっと、ティレサ=エングートです」
「やっぱりな」
俺は言下に驚嘆した。
「やっぱり?」
「いや、この帝王杯の優勝候補と噂されているからさ」
「そうでしょうか。トリックスターも見込みはあると思いますけど」
「どうかな。ところで、ティレサは何で剣奴なんかになったんだ? 話し方を聞くと、生まれは帝国本国じゃないのか? それに立ち振る舞いも品格がある。正直、この業界とは無縁のような気もするが」
本来ならば剣奴とは無縁の帝国市民であっても、時には剣奴に身をやつす変わり種が居るのも事実だ。賭博にのめり込み過ぎて生活を破綻させた者、犯罪歴を持つ者と、その理由は様々だ。だがティレサの場合、そんな理由で剣奴になったようには思えなかった。
「証明したかったんです」
ティレサは燭台の炎を見据えながら言った。
「何を?」
「自分の力だけで生きていけるってことを」
ティレサは力強い口調で付け加える。
その視線は手元の燭台を見ているようで、どこか遠くを見ているようでもあった。
「自分の力、か。もしかして、本当は貴族のお嬢様とかだったのか?」
「まあ、そんなところでしょうね。あなたはどうなのですか? 今の聞き方からすると、あなたも帝国暮らしが随分長いみたいですけど」
純粋に好奇心というより、自分の過去から話題を反らしたいように、ティレサが俺の顔に向き直る。
「俺か? 大した理由じゃないけどさ――逃げるため、と言えばいいのかな?」
「逃げる? あなた、借金取りか治安維持の役人に追われているのですか?」
「おいおい、どんだけの悪人に見えるんだよ。俺が追われているのは・・・・・・」
寸前のところで俺は話を止めた。明日どうなるかさえわからないのが剣奴の世界とはいえ、その日は普段よりも色々なことがあったせいだろうか。その日知り合ったとはいえ、何となく親近感を覚えるティレサとこうして話をしているせいだろうか。それとも、燭台で燃え続ける蝋燭の火が過去の記憶を彷彿とさせたせいだろうか。いつの間にか余計なことまで口走ろうとしていたことに気が付いた。
誰一人として話すわけにはいかないのだ。俺がこの世界で剣奴として逃げ続けることになった、最初の日のことを。夜を赫々の世界に染めた、あの災厄の炎のことを。
「何を話しているんだろうな。俺は」
「どうしたのですか?」
「何でもない。少し苦い記憶を思い出しただけだ。今日はもう休んでいい。見張りは俺が代わるから」
俺はそう言って話の腰を折る。
夜明けと同時にティレサは出発した。
「お互い、頑張ろうな」
背中越しに俺が声を掛けると、彼女は不思議そうに振り返る。
「そうですね。でも、私も自分の運命を諦めるわけにはいかないので。悪く思わないで下さいよ」
「わかっているさ」
やがて対立するかもしれない二人は奇妙な会話を最後にここで別れた。
「今の、何の話?」
後になってキラルが首を傾げる。
「お互いの夢の話さ」
俺は踵を返して孤児院に戻った。
無職のまま35歳を迎えた元サラリーマン、野村英二。不条理によって職を失った挙句、転職に難航する。将来に希望を見出せなくなった英二の心は闇に染まった。そんなある夜、英二は夢の中で世界侵略を目論む魔王から魔剣を授かる。現代日本において危険すぎるほどの破壊力を発揮する魔剣。それを手にした無職の男は何を思うのか? そして魔剣と共に授けられた、ある使命とは?
今日は何曜日だったか、夕暮れの帰り道で俺は溜息をついた。くたびれたスーツに身を包まれ、立ち止まった俺の後ろから仕事帰りのサラリーマンやOL達が追い抜かしていく。斜陽を受けた彼らの影が、俯く俺の視界をちらちらと動いていた。
――また駄目だった
結果通知は一週間後だが、面接の感触ですぐにわかった。某商社の営業職採用面接の件だ。
若手の採用担当者は俺の履歴書に目を通すなり、こう切り出した。
――ウチで求める経験は積まれていないようですが
当たり前だ。前の仕事を辞めてから二年、三十五歳になるまで俺は仕事をしていない。正確には仕事に就けなかったのだ。
平凡な私立大学の生物学科を卒業した程度では、専攻を活かした業界への就職はまず困難。どうしたって国立大や薬学部の連中には競り負ける。異分野の工学系エンジニアは門前払い。今更何をしに来たんだと、履歴書を見るなり笑い飛ばされる。となると、残された道は営業職しかない。
ところが学生時代から友達の少なかった俺は人一倍の口下手。友達の数も決して多い方ではなかった。そんな俺が営業職に向くはずもない。だからといって、特殊な資格を取るほどの記憶力の良さもない。公務員試験は年齢制限によって道を閉ざされている。
つまり、この日本社会で俺に就けそうな職業はもはや存在しないのだ。そして転職の限界と呼ばれる三十五歳の壁を遂に突破。既に結婚は諦めている。それどころか、いよいよアルバイトで生活する手段を考えなければならなくなった。夢も希望も残っていない、この国で生き残りたければの話だが。
【どの職業を選びますか?】
パソコンのディスプレイに浮かび上がる文字。女神のような清楚な少女のキャラクターが俺に人生の選択を迫る。とあるファンタジー系オンラインゲームのログ画面。職業の選択肢は剣士、魔導師、武闘家・・・・・・云々。
「はぁ、これだけの職業が俺にもあればなぁ」
俺はネットゲームを転職サイトに切り替える。
写真やロゴの貼られた数千件の求人広告が、実感のない景気の良さを彩っている。その華やかな世界に俺は一歩を踏み出そうとした。
「システムエンジニアか・・・・・・」
IoT化の進む今日において、プログラミングは申し分ない経験だ。それに募集人員は年齢学歴共に不問とある。早速応募条件を確かめる。
「うわっ、何だこれ」
しかしながら応募条件の下半分に書かれていたのは、聞いたこともないプログラミング言語の知識やサーバーの構築経験。小学生でも出来るホームページを作るのがせいぜいの俺では、到底太刀打ちできそうにない。
「経験なしで検索を掛けるか」
数ある求人の中から俺の応募できそうな検索条件で絞り込む。結果はたった三件だった。ちなみにどれも、昨今流行するブラック企業と陰で囁かれる会社のものだ。
「たったこれだけかよ。やべぇ。本当にどうしよう」
時計は既に午後七時。こうして何も成し得ぬまま半日が、そして一日が経過していく。明日、ハローワークに行ってみよう。そう思って俺はゲームを中断し、ベッドに潜り込んだ。
中々眠れない。遅くまでパソコンと対面していたせいだろうか。明日に希望が持てないせいだろうか。
「くそっ、あの時辞めてなけりゃなぁ!」
俺は布団の中で二年前の悲劇を思い返す。そう、全ての悪夢の始まりはあの上司Nの仕業だ。
俺の前職はOA機器を扱う商社の営業職だった。別に入りたくて入った会社ではない。就職活動をしていた頃、人海戦術的に数多く受けた会社の中で内定を得たのがここだけだったという話だ。
別段、営業成績は良くなかったが、かといって全く仕事が取れなかったわけでもない。小さなミスは何度か重ねたが、その分、機転を利かせて挽回したつもりだ。
つまり突出した稼ぎ頭だったわけではないけど、やること全てを総計すれば、どちらかといえば会社に貢献していたというのが俺の立場だった。そんな平凡なサラリーマンの俺に、ある惨禍が降りかかる。
ある朝、会社のデスクに座った俺に営業部の上司Nが近づいた。奴は某得意先に納入する予定だった複合機、三台の納期を訊いてきた。ちなみにこれは、始業時間前のことである。
「今月は無理ですよ」
俺が電話した限りでは、タイミング悪くメーカーは在庫切れ。再三電話をして納入を急がせているが、何分こちらは商社の立場。自分で物を作るわけでもないのだから、メーカーにそれ以上の口出しは出来ない。あとはこちらの営業力で納期をなるべく引き延ばしてもらうしかないのだ。
「君、それじゃあ納期に間に合わないじゃないか」
上司Nは上擦った様子で答えた。聞けば俺の知らないところで、今回の案件は納期を確約するという大口をたたいてしまったのだ。この上司Nという男は、中途半端に人の仕事を引っ掻き回して、良いトコ取りをする悪癖で有名だった。
「いえ、だから最初からこの納期は無理だと申し上げたはずです。業務部には納期変更手続きを連絡したはずですが」
「そんな話は聞いていないぞ!」
―-何だと?
俺は担当の二十代の事務の女性社員を見る。どこ吹く風といわんばかりにファイルを棚から出し入れしている。アイツのことだ。人の話をろくに聞かずに変更手続きを忘れていたのだろう。上司Nもそんな事はわかっているだろうに。
「とにかく、今更間に合わないでは困るんだよ」
だから随分前に正式な連絡手続きをしたじゃないか。そんな本音を最上級の敬語に隠して俺は弁明する。すると奴はこう言った。
「連絡したなら確認を取るべきじゃないか!」
俺は机を叩きたくなった。仮にも成人を迎え企業の正社員として働いている人間だ。幼稚園児ではあるまいし、言われた通りを伝える術はあるだろう。連絡を怠らなかったかどうか、一々確認しているようでは仕事が捌けるはずがない。
「とにかくメーカーに急がせてくれ」
何を言っているんだ? 俺は反駁したくなった。保証も無しに無理な約束を取り付けてくるのが悪いんだろう。俺は険相を笑顔にねじ曲げ、穏やかな口調でメーカーに催促する。案の定、メーカーも困惑した様子だった。俺だって同じ気分だっただろう。俺はなるべく急ぐようにという、曖昧な督促を伝えて受話器を置いた。そして上司Nに会話の一切を報告する。
結局、取引先からは大目玉。加えて上司Nは俺に全ての責任を擦り付けやがった。
俺は翌月に他部署への転勤を命じられた。東京本社からいきなり九州支部だ。お世辞にも栄転と呼べるものじゃない。そんな会社に勤める気もなくなって、間もなく退職した。
俺は真面目に生きて来たんだ。それでも世間は冷酷だ。翌日から俺は仕事を失った。好きな仕事ではなかったけど、十年以上も勤めれば愛着の一つが湧かないはずもない。それでも俺がここに留まるのは許されない。こんな辞め方をする俺には、選別も送別会もなかった。そして不条理に追い出された俺に、差し伸べられる手はなかった。
これが俺の拙い職務経歴書だ。
「くそっ、どうして俺がこんな目に遭うんだよ!」
俺は拳で布団を叩く。下の階で寝ている両親を起こさないように気を遣いはしたが。
「こんな世界! 滅びちまえ!」
俺は枕を涙で濡らしながら世界を呪った。それでも世界は変わらない。七十億の人間の一人にすぎない俺の心の中の叫びが届くはずがない。もしそうだったら、世界中の声が聞こえて世界は混乱状態だろう。それでもこの状況、何とかならないか。俺は仕事をして来たんだ。どこぞの政治家みたいに公金で遊んできたわけじゃない。こんな俺に、もう一度くらいチャンスを与えてくれてもいいじゃないか。そしてそのまま眠りについた。
耳障りな風の音がする。頬を冷たい風が撫でる。
――どこだ、ここは
俺の立つ場所だけが切り取られたように、周りは真っ暗だった。俺が立つのは紫色を帯びた大きな岩肌。五歩進んだその先は霧のようなものが覆っていて、向こう側の様子がわからない。おかしな夢だ。というより、これは本当に夢なのか。感覚が生々しいし、頭もしっかり働いている。
――暗黒騎士よ
「誰だ!」
暗闇の中で声がしたが、どっちから聞こえてきたのかはわからない。もしかすると、頭の中から聞こえたのかもしれない。周囲を見回すうちに前後の区別がつかなくなる。やがて俺は、中空に浮かび上がる赤い二つの光を見つけた。
「誰か、そこにいるのか?」
――暗黒騎士よ
間違いない。声は光と同じ方向から聞こえてくる。俺がその先に向かおうとした時、足元がかすかに揺れた。巨大な何かが足踏みするような振動の伝わり方だ。それに合わせて、正面の赤い光が少しずつ前に出てくる。建設機械のハンマーのように、何か重々しい音を伴いながら。
「一体ここはどこですか?」
俺の質問に、近づく何かは答えない。
「えっ、うわあぁぁ!!」
近づいてくる何かが黒い霧から姿を現した時、俺は腰を抜かした。巨大な髑髏がそんな情けない俺を見下ろしていた。錆びて黒くなった鎧をまとい、手には蒼白くぼんやり光る杖。俺がずっと見ていた赤い光は、骸骨の眼窪の奥で赤く底光りする目だった。
「お前、何なんだよお!」
――暗黒騎士よ。我が名はこの世界に混沌と破壊をもたらす魔王だ
「魔王?」
なんてこった。やはり夢だった。オンラインゲームはいつものように二時間で切り上げたのに、どうしてこんな夢を見るんだろう。
「俺に何の用だよ! 食うつもりか?」
――そしてお前は我が忠臣、暗黒騎士だ
「暗黒騎士って、お、俺が!?」
――いかにも。お前は我が魔王軍の先鋒として、世界を滅ぼすために招喚された
やはりこれは夢だ。生々しいほど現実味を帯びた夢だ。
髑髏に敵意はないらしい。顎骨を上下させるなり、こう答えた。
――遂に我が魔王軍は人間界を侵略する日が来た。お前にはその先駆けとして働いてもらう
「働くって・・・・・・」
転職活動が上手くいかない現実が、夢に反映されているらしい。どうせ夢なんだ。この際現実を忘れて役になりきってみよう。俺は片膝をついて見せた。
「俺に何をさせるつもりだ? 魔王よ」
――お前に人間界を滅ぼす力を与えよう。受け取るがいい
魔王と俺の間に小さなブラックホールのような渦が生じた。その中心から細長い影が下に伸びる。その影が完全に姿を現すと、いきなり重さに任せて地面に突き刺さった。
「これは、剣?」
それはいかにも中世のファンタジーの趣のある両手剣。ところが刀身は血を吸ったように赤紫色を帯びていて、柄には骸骨やら蛇やら、悪趣味な装飾がゴテゴテしている。ゲームの世界ならば、間違いなくペナルティ付きの装備品だ。装備すればHPが減るとか、数ターン置きに行動を制限されるとか、そんないわくがあるに違いない。
「何だ? これは」
――それは、闇の力を秘めた魔剣。それを使って人間界を滅ぼすのだ
「他に装備は? 眷属のモンスターは?」
――我が与えるのは、その一振りの剣のみ
その返答に俺は唖然とする。
「ケチだな・・・・・・」
――その剣には、我が魔力が秘められている。汝に有り余るほどの力を与えるであろう
「いや、武器をくれるのはありがたいんだけどさ! 剣一本じゃどうにもならないよ! 人間界には戦車とかF35戦闘機とか、アパッチヘリとか一杯あって、在日米軍だっているんだからさ!」
――我が魔剣の前には、人間界のいかなる武器も通用しない
そう言い切る魔王。コイツは、自衛隊や米軍の装備を知っているのか?
――暗黒騎士よ、お前にこの魔剣の名を教えよう。お前がその名を言葉に出す時、この魔剣は真の威力を発揮するだろう。この魔剣の名は・・・・・・
朝日が俺の目を射した。小鳥のさえずりが耳に入り込んでくる。時刻は朝の八時半。別に通勤するわけではないのだから、寝坊したって構わない。そこはいつもの俺の部屋。あのおぞましい魔王の姿はどこにもない。結局あれは夢だったらしい。部屋の外から母親の呼ぶ声がする。
「それにしても腹減った」
俺がベッドから身を起こそうとすると、布団の中に何か硬くて詰め痛いものがあるのを感じた。それに、さっきから身体に重くのしかかってくる。あおむけに横たわる俺に沿うような形で、何かが置かれているのだ。これは――
「おい、マジかよ!」
布団の中で俺は叫ぶ。同時に俺の部屋のドアが開いた。
「英二! いつまで寝てんの!」
「うわっ!!」
「どうしたのよ?」
「な、何でもないよ、母さん。今、行くよ」
母は複雑そうな表情でドアを閉ざした。どうやら布団の中の物には気が付かなかったらしい。俺の手には、夢に出てきた通りの魔剣が静かに横たわっていたのだ。
テレビは既にワイドショーの時間だ。ほとんど大多数の日本人にとってどうでもいいような内容を、自称評論家と名乗るうさんくさい連中達が盛り上げている。
「昨日の会社、どうだったの?」
味噌汁をすする俺に母が訊いてくる。俺は吹き出しそうになった。
「別に、あまりいい会社じゃなかった」
俺は椀を置いて神妙に答えた。
「そう、いい仕事なんてそんなに見つからないものね」
「母さん、英二を甘やかしすぎなんだ。お前、本当に就職する気あるのか?」
横で話を聞いていた父が腕組みする。既に会社を定年退職して三年。俺が無職でも暮らしていけるのは、父の現役時代の稼ぎがあってこそだ。
「どういう意味だよ?」
「前の会社だって、ちょっとしたことで辞めたんだろ? 次の会社も気に入らないことがあれば失礼なことを言ったんじゃないのか? そんなことで将来結婚なんて」
「お父さん。英二は一生懸命仕事を探しているのに」
「勝手に決めるなよ!」
俺は食卓で怒鳴り、立ち上がった。家の塀の向こうから、何事だと通行人が覗き込む。
「今年中には必ず就職する! 彼女だって見つける!」
「本当なんだろうな?」
父の猜疑心に満ちた目つきは変わらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます