第36話
「次は凛がやってみるか」
「やってみたいんだけど…」
「ん?」
い、言えない…翼の顔しか見ていなくて、珈琲の作り方はまともに見ていなかったなんて絶対に言えない!なにか良い感じの言い訳は…
「や、やっぱりなんでもない!お手本ありがとう」
やっぱり言えない!こうなったら今まで見てきたネットの知識や、翼が作るのを見てきた記憶で作るしかない。
「良いの良いの。んじゃ最初は豆を挽くことからだな。ミルに豆をセットするのは俺がやっちゃうな」
少し不思議そうにしていたが、彼はそう言って瓶の中に入っている豆を取り出してコーヒーミルに入れる。
豆をセットしてもらったミルのハンドルを持ち少し動かしてみると、想像したよりもハンドルが硬かった。固形の物を砕くのだから当たり前のことだが、翼がやっているのを見ると簡単そうにやっていたためびっくりした。
力を込めて更に回すと今度はしっかりとハンドルが回ってくれた。ガリガリと音を立てながら削れていく豆の音は何とも言えない安心感をくれる。勉強の時にこの音を聞いていると言う人がいるのも納得出来る。
しばらくハンドルを回し続けると抵抗感が無くなり、中の豆をすべて挽き終わったことが分かる。
「これをフィルターに移しちゃえばいいんだよね?均等にセットすれば大丈夫?」
「まあそうなんだけど…今回は凛の好きなようにやってみてくれ」
「でも私が好き勝手にやっちゃうと翼に美味しいコーヒーを…」
「凛なら美味しい物を作れるから大丈夫。それに俺は凛が頑張って作った物が飲みたいから。だから今回は自分の思うままにやってみてくれ」
「わ、分かった…頑張ってみる!」
「ん…頑張れ」
彼にエールをもらった私はもう一度カウンターに向き合い、フィルターに挽いた豆をセットする。しっかりと平らにしてと…先程まで火にかけられていたケトルを手に取る。随分と良いものを使っているようで、さわり心地や見た目が普通の物よりも良い事が分かる。
「少しずつゆっくりと…だよね」
私は翼に問う訳でもなく、気付いたら独り言を発している。それほど、私は今ドリップにのめり込んでいるのだ。
お湯を少しだけ注ぎ、少し待ち豆を蒸らす。これは歩いている時になんとなしに教えてもらった事だ。なんでも豆とお湯をなじませるための行程だそうだ。この作業をすることで豆の個性を最大限に活かすことが出来るようになるらしい。だが私は生憎正しい蒸らし時間という物を知らないし、本当にこのやり方が合っているのかも分からないため、今回は見よう見まねのお湯の注ぎ方で、蒸らし時間は20秒程にするとしよう。
蒸らし時間の20秒が経ち、今度は抽出の行程に入る。確か回しながら入れるのが正解なんだよね…豆の中心から「の」の形で回しながら少しずつお湯をかけていく。このようにお湯をかけないと豆全体に均等にお湯が行かず、味を損なってしまったり、お湯が落ちにくくなってしまうというのをネットで見たのを思い出す。
三回に分けてお湯を注いで少し苦労したが、私が人生で初めて作ったコーヒーが完成した。
「できた…!」
「おつかれさま。これが凛の初めての手作りコーヒーだな!」
彼は私が抽出したコーヒーが入ったポットを眼前で揺らしながらそう言う。
「うん!美味しく出来ているかは分からないけど飲んでくれる?」
「当たり前だろ?むしろ俺が飲んで良いのかって感じだよ」
「それこそ当たり前だよ。だって私は翼に飲んで貰いたくてこのコーヒーを作って、私の色んな初めては翼にあげるって決めてたんだから!」
「さいですか…」
彼は顔を赤くしながら、呆れた様子で私のことを見てくる。なぜそんな顔を…
「お前絶対にそう言うこと他の男子に言うなよ」
「なんで?」
「なんでも!絶対にだからな!」
「はいはい。なんか分からないけど分かりました」
まずこんな事を言う相手なんて翼しかいないのだから無用の心配だ。
「それじゃあ飲んでみるか!」
「う、うん!飲もう!」
お店の綺麗な模様な入ったカップに珈琲が注がれていく。
「「いただきます」」
カップに口を付けると珈琲のいい匂いが鼻孔をくすぐる。そして今度は味を確かめるために飲んでみる。
しかし・・・
「あんまり美味しくない・・・?」
確かにそれなりの味のものはできていると思う・・・でも翼が淹れた物に比べると明らかに味が劣る。
「凜がそう思うのは豆を挽ききったからだな」
「え?そういうものじゃないの?」
確かに私は豆が粉々になるまで挽いた。だってインスタントのものは大体そうなっているし・・・
「豆を挽ききると味にばらつきが出ちゃうんだ。粗さが目立つようになるから味が纏まらないのもある。だから豆を挽く時は少しだけ挽かれていない物を残すのが大事なんだよ」
「へー・・・じゃあ今回は豆の粗さでこの味になった?」
「いや、後は蒸らしの時間かな。凜の20秒間蒸らしをするっていうのは間違えではないんだけど、今回はもう少し蒸らした方が味が濃くなって美味しくなったかな。豆の種類によって蒸らし時間は変わるからさ」
「なるほど・・・豆の種類か」
翼が教えてくれたことをメモに記しながら、呟く。豆の種類と言ってもその種類は沢山ある。その種類の特徴を今からすべて覚えるというのは中々大変だろう。記憶力には自信があるためやろうと思えばすぐにできるとは思うが、今はやめておこう。
「翼はこれ美味しくない・・・?」
「そんなわけないだろ。美味しいよ」
「本当に?気を使わなくても大丈夫だよ?」
「いや、本当に美味しいよ。初めてでこんなに美味しく淹れられるなんてすごいよ。俺なんて最初のころは蒸らし時間も適当で味が薄かったり、香りも立たないものばかりだったからね」
「翼にも美味しく淹れられない時があったんだ」
「当たり前だろ。人間誰しも初めは初心者なんだから最初から完璧でいようなんて考えなくて良いんだよ。だから今回淹れたやつはすごく美味しくできたって胸張って良いんだぞ」
「うん。ありがとう」
彼に諭されて嬉しく思いながら、もう一度カップに口を付ける。
口に入れた珈琲はさっき飲んだ物より美味しく感じた。
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