第2話

 今から百年近く前の話になる。 ブラックダイヤモンドという悪の組織が世界征服を目論み、人々を苦しめた。

 ブラックダイヤモンド創始者にして世界一の天才科学者が創り出した怪人は、当時の軍事力では歯が立たず、人類の敗北は一寸先の未来であった。

 しかし、そこに現れたのが超人的な力を宿した少女達。 人々は彼女達を魔法少女と呼び、世界の命運を小さな手に託した。

 数十年の戦いの後、ブラックダイヤモンドは壊滅し、創始者である天才科学者Dr.氷見谷は姿を消した。

 世界に平穏が訪れ、人々はあるべき生活を取り戻した。

 ただ、彼女達を除いて。

 悪が去ったからと言って、彼女達、魔法少女の力が消える訳はなく、その力は時間と共に強大な物へ変化していった。

 各国の軍事基盤は大きく傾き、世界均衡の天秤は魔法少女一人の存在で容易に傾くシーソーとなっていた。

 彼女達のゲノム情報を解析しようと各国が動き出し、複雑に絡み合ったDNAの螺旋を紐解こうと躍起になった。

 しかし、もはや突然変異に近い彼女達の謎を解き明かす事など人類には出来なかった。 それこそ、姿を消した天才科学者でない限り。

 次第に彼女達に向けられる世間からの視線は羨望から嫌悪へと変わり始め、各国の大人達からの視線は軍事的利用価値の有無へと成り果てた。

 ここまでに要した時間がそれほど短くない事は容易に想像できるだろう。

 ただこの話は過去の物ではなく、今現在も続く話であり、毎年一定数その数は微々たるものだが、突然変異による超人的能力が十代の少女達に現れている。

 たった一人、されど一人の価値はもはや人類の手中に収まるものではなかった。

 さらにもう一点、彼女達の能力以外に人々が目を付けたのはその不老性だった。 それは、不老不死の力。

 彼女達は能力が顕在化すると同時に身体の年齢が止まる。

 この事実に目を付けた科学者は数知れず、人類の永遠の夢である不老不死が目と鼻の先に実在するという現実に人々は魔法少女の乱獲を始めた。

 魔法少女が世界を救うなどというプロパガンダを掲げた人類が今度は魔法少女達の敵となり、怪人が居た事実は忘却の彼方へと消えたのだ。

 全人類が敵となった彼女達がどういう行動をとったのかは言うまでもない。

 人類の為に奮い立たせた義侠心は踏みにじられ、社会的、あるいは道徳的に暗愚あんぐな人類に向けられる彼女達の敵愾心てきがいしんは計り知れない。

 僕は二牟礼憂奏から借りた携帯の充電口に差し込んでいた髪の毛を抜いた。 この時代のほとんどの情報は網羅した。 言わばアップデート完了だ。

「──え?」

 暗くなった画面に映った僕の瞳からは涙が零れ落ちていた。

 僕は彼女達に同情しているのか? それは違う。 これは兄弟達への涙だ。

「どうした? 調べ物は終わった?」

 僕は涙拭う。 何故、こんな機能が付いているのか、父の考えが読めない。 しかし、悪くない気持ちだ。 

 住宅街を抜け、大きな川を横断する橋を二牟礼憂奏の自転車の後ろに乗り、磯臭い川の臭いを全身で浴びながら、僕は携帯を返した。

「ああ、ありがとう。 それで、二牟礼憂奏、お前は何者?」

 携帯の内部に入っていた上司とのやり取りからしてもろくなやつじゃない事は理解できた。 というより、殆どこいつ個人の情報は入っていなかった。 仕事用か?

「憂奏でいいよ。 私は兵器って呼ぶから」

「お前が良いならそれでも良い」

「冗談冗談。 ゼキエルって呼ぶよー」

 分かった、と僕は言ってもう一度同じ質問をした。

「それは、仕事を聞いてるの? それとも、私個人?」

「どっちもだ」

「ははーソンナニワタシのコトガシリタイノカー」

 憂奏は強弱も抑揚もない平坦な口調でおどけて見せた。 

 それと、先ほどからというか初めから、自転車を漕ぎ始めてからずっと、憂奏の髪の毛が風になびいて、顔に当たる。 非常に鬱陶しい。 全てむしってしまおうか?

「速く答えろ」

「しょうがないな~本業はニート、副業で魔法対策特別派遣者をやってる。 個人で言えば、二十二歳独身、築七十年くらいのボロアパートにカエルと二人暮らし。 家賃は四万、光熱費とか諸々合わせて月に六万とかかな? 貯金残高は──」

「そこまでは聞いてない」

 魔法対策特別派遣者、魔法少女の被害に合った地域や人を救出する派遣社員。 日本全国に類似の企業が多くあり、危険を伴う反面高単価であり、金に毒された覚悟のない社会不適合者の応募が後を絶たない。 離職率は八割を超え、そのほとんどが行方不明、または死亡だったか。

 こいつにうってつけの仕事だな。

「聞いといてそれ。 傷つくな~結構見た目も中身も優良物件なのに」

 つまり、今向かっているのは魔法少女被害地かもしくは人命救助、またはその他か。

「魔法対策特別派遣者は高単価の仕事だろ? どうして、自転車で向かってるんだ? 車を買えばいいだろ」

「あ~だからさっき貯金残高言おうとしたのに。 私、とバディ組んでないから単価低いんだよね」

 怪人!? 今こいつ怪人って言ったのか?

「どういう意味だ!?」

 僕は憂奏のフードを引っ張り立ち上がった。

 グラグラと自転車が揺れて僕は荷台に尻もちをついた。

「危ないよ急に。 どうしたん、高校時代のクラスメイトの横山さん家のチワワみたいに騒ぎ出して。 あのチワワ前触れも無く騒ぎ出すから嫌いだったんだよ」

 それは知らない。 というかなんだその犬は、どこから出てきた。

「そんな事はどうでもいい。 怪人とバディを組むなんて情報はなかったぞ」

「うちの会社とか、結構どこにでもいるよ。 どこにでもいるって言ったら語弊があるかもだけど、うちと同じような会社では怪人がいる事は必須条件というか信頼に当たるからね。 バディを組むと仕事の成功確率が上がるから自然と単価も高くなる。 まぁ世間一般では公表されてないけど」

「皆生きているのか……良かった」

「あれを生きてるって言っていいのか、いささか先生も疑問を持つけど。 ちゃんと働いてるよ。 まぁ、人含め死んじゃった怪人も多いけど」

 それは、分かっていた。 全員無事なんてあり得ないと。 魔法少女との戦い全盛期でほとんどの怪人は敗北している。 

 この時代の現状を見て、正直全員死んでいる事も覚悟した。 それでも、しっかりと生き残っている奴がいるのは嬉しい誤算だ。

「どうすれば会える?」

「今から向かうとこにたぶんいるから会えるよ」

 そうか、と僕は呟き、川を見下ろす。 住宅街に挟まれた大きな川、濁った水でも太陽に反射すれば綺麗に見えるもんだ。 いや、この感情に比例して綺麗に見えているだけなのかもしれない。

 胸の奥が高鳴っているのを感じる。 皆、僕の事を忘れていないだろうか。 父と同様彼らとの交流は一切ない。 ただ、同じ人物から創られた存在という事実しかない。

 それに対して、特別な物を感じているのは自分だけかもしれない。 他の怪人は僕の様に何かを感じたり、考えたり出来ないかもしれない。

 それでも、たとえ僕の事を知らなくても一人じゃないと実感したい。

 橋を渡り終え、土手の道を自転車で走る。 すれ違うランナーや年老いた人間は口を揃えて皆が皆、こんにちは、と挨拶をしてくる。

 それに対し憂奏は、んちゃす、と軽く会釈をしている。 それが今の時代の挨拶なのか? そんな挨拶はどこにも記載されていなかった。 学ぶ必要があるな。

「──コラァー! そこ二人乗りはやめなさいー!!」

 警察官が一人、そう叫びながら自転車で追いかけてくる。

「やばい。 これ以上遅刻したらほんとに給料もらえないよ。 飛ばすから捕まってて!」

 憂奏は身を乗り出し、自転車のスピードを上げ始めた。

 すると、前方からも警察官が自転車に乗ってこちらに向かってきていた。

 一直線の道路、完全に挟み撃ちされた。

「どうする!? このままじゃ捕まるぞ!」

「──クソ!! 政府の犬どもめ! なんて汚い真似をするんだ!」

 鬼の形相で迫りくる警察官、残り数百メートルもない。

 こうなったら仕方がない、そう言って憂奏は急ブレーキをかけ、目に涙を浮かべながら僕を見つめる。

「何してる? 逃げないと!」

「ゼキエル、きみとの旅は楽しかった。 でも、今月結構ピンチで給料は絶対に欲しいんだ! だからごめん! この出会いは一生忘れないから!」

「──え?」

 そう言って憂奏は僕を掴み、おりぁぁぁぁぁ! と雄たけびを上げ川へ放り投げた。

「「ええぇぇぇぇぇ!!」」

 僕よりも叫ぶ警察官、その間に逃げる二牟礼憂奏を空中で見ながら僕は誓った。

 二牟礼憂奏を絶対に許さないと。

 そして、川へ落ちた。

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