第1話

 生みの父はいつも言っていた。

 ──お前には大いなる使命がある、と。

 父の声はいつも一方通行だった。 会話はない。 ガラス越しの父は悲しげな顔でこうも言っていた。

 ──を助けてあげなさい、と。 僕はいつも水の中でその姿を眺めるだけだった。

 これは僕と父との約束だ。 誰でもなく、父が一方的に僕に取り付けた約束。 しかし、それでもこの約束だけは僕が守らなければならない。 だから、誰に言うでも、手伝ってもらうでもなく、僕だけがこの約束を守ればいい。

 生みの父であるが、育ての父ではない。 何も教わっていない、しかし、大丈夫。 僕は生まれながらに全てを理解しているから。

 僕の頭の中にある父の顔は今や骨となって変わり果てていた。 あの悲し気な表情を二度と見ることは出来ない。

 そう思うと少し複雑だ。 会話がしたかった訳ではない。 それでも、ただ僕が生まれる瞬間をその目に映してほしかった。 そうすればきっと、父の悲し気な表情は報われたはずだから。

「街はあっちか」 

 僕は廃墟と化した部屋を後にする。 父を残して、父だった人を残して。

 鬱蒼とした森の中を歩き続けた。 

 実に不思議だ。 記憶の中にはしっかりと森という存在、価値、言葉を様々な要素で理解しているのに、視覚情報で受け取る森は何かが違う。

 初めて機能する五感が森という情報を処理しきれていないのだろうか。

 土を踏みしめる触覚、澄み切った空気の臭い、動物の鳴き声や風に揺られる草木の声、どれもが記憶の中の確かな情報と何かが違う。

「奇妙だ」

 僕は未だ聞きなれない自分の声を再確認するようにそう呟いた。

 森を抜け、街を見下ろせる開けた場所まで出る頃には夜が明けていた。 人間が活動を始め、人間という役割を行使し始める。

「使命を全うしよう」

 父が僕に託した使命。 それが父との最後の繋がりであり、僕の存在意義でもある。

 街を見るまでもなく、父が骨となるまでに、僕がこの地球に生れ落ちるまでに相応の時間が経過している。

 情報は常に更新しなければ。

 まずは、怪人きょうだい達に会わなければならない。

 そう行動指針が確立した時、僕の脳裏に過ったのは、兄弟達が父のように全員、生の息吹を停止しているかもしれないという可能性。

「考えすぎか」

 僕はそんな邪念を振り払うように崖を飛び降りた。

 兄弟達を探そう。 

 父が残した繋がりを手繰り寄せるように僕は街へと向かった。


 街に着いてすぐに一人の警察官が僕の行く手を遮った。

 閑静な住宅街の十字路、眼鏡をかけた三十代くらいの男は呆れたと言わんばかりに溜め息を吐き捨て、

「君、服どうしたの? この時期に裸で寒くないの? とりあえず交番行こうか?」

 と、こちらが何を言う間も与えずにいくつもの質問を並べ、意思疎通さえも遮る。

 この男の一方通行な話し方はある意味では父と同じだ。 しかし、父は僕が何を言っているのか、言いたいのか理解しているように見えた。 その点ではこの男とは似ても似つかない。

 父の会話は、独りよがりのコミュニケーションだったのかもしれない。 会話の出来ない息子に対して、父が出来る最大の理解表明とも言えなくもない。 いや、空想のやり取りか。

 どの道、全てが想像の域でしかない。 

 そんな事よりも、今は一刻も早く兄弟達の安否を確認しなければならない。 故にこの警察官は邪魔だ。 

 どうする? 消してしまおうか? それが一番簡単だ。 人間の力はたかが知れてる。

 思惟を巡らせて行動しようとした瞬間、その警察官は角から飛び出して来た自転車に轢かれた。

 警察官はうがぁ、という声を残し、軽く数メートルは飛んだ。

「うわ、やばい。 サツ轢いちゃったよ……どうしよ」

 警察官を轢いた長い黒髪に藤色の瞳をした少女は、その言葉とは裏腹に表情一つ動かさず、むしろ少し楽しんでいるようにも思えた。

 少女は自転車を止め、倒れている警察官を背負っていた刀の鞘で突き始めた。

「はは、気絶してらぁ」

 少女の身なりは刀とは分不相応なほどラフで、ダボっとした黒のパーカーに足首がつぼまった黒のカーゴパンツだった。

 少女は携帯を取り出して、倒れた警察官をバックに自撮りをし始めている。

「Zにアップしよう。 万バズ確定演出」

 ニタニタと笑いながら少女は倒した警察官の事を忘れたかのように携帯の画面にのめり込んでいる。

 誰だ? いや、そんなのはどうでもいいむしろ好都合だ。 とりあえず今なら逃げられる。

 すると少女は僕に視線を移し、足元から頭のてっぺんまで舐めるようにして見てきた。

「うわ、ラッキ~。 君、怪人でしょ? 名前なに? 全力全裸少年?」

 こいつ、僕達を知っている? 面倒な事になりそうだから離脱しようと思ったが、この人間は何か有力な、怪人《きょうだい》についての情報を持っているのかもしれない。

「お前、何者だ?」

 警戒をしつつ僕は少女にそう訊いた。

 あ、待って、と少女は再び携帯の画面を見て、「うわ。 部長からメッセージ来た。 ──遊んでいる暇があるならさっさと現場に来い? 最悪だ、また会社にアカバレしたわ」と言った。

 さっきからこいつは携帯で何をしてるんだ? 僕は気になり少女に近づいて、携帯を覗き込んだ。

「ん? どうした? あ~いいよ、一緒に見よう」

 そう言って、少女は僕の方に画面を少し寄せてくれた。

 携帯にはメッセージ画面が表示されており、何を入力しようか悩んでいるようだった。

「このおっさん、仕事サボって部下のアカウント見てんだよ。 やばくない? プライバシー侵害で訴えようかな」

「何て返事するんだ?」

「ん~まぁこういう時は無難に──部下のアカウント見るな殺すぞ、かな」

 無難とは一体? 送信ボタンを押してすぐに相手からメッセージが飛んできた。

『俺上司!! 給料なくすぞ!!』

「相手怒ってるぞ?」

「あ~うん、無視しよう」

「いいのか?」

「大丈夫大丈夫、クライアント殴ったりしない限りクビにならんから」

 少女はそう言って、自転車の籠に乗せていた鞄から紺色のジャージの上下を取り出した。

「これ着ていいよ。 貸してあげる、いつまでも裸だとまたすぐに補導されるよ?」

 こいつ、悪い人間ではないみたいだ、僕は少女からジャージを受け取って着た。

「私、二牟礼憂奏。 見た目は高校生、中身は新卒社会人、座右の銘は三度の飯より睡眠確保。 よろしくね」

 幼い見た目をしているが、二十歳を越えていたのか。

「僕は最終兵器ゼキエル。 よろしく」

 二牟礼憂奏は自転車にまたがり、乗りなよ、と後ろの荷台を叩く。

 何を考えているのか分からない人間だ。 何かの罠とは思えない。 それに、ここで二牟礼憂奏と分かれるのは得策ではない。 こいつは、僕達について何か知っている。 それを聞き出すまでは警戒をしつつ、様子を見よう。

 僕は言われるがまま荷台にまたがった。

「んじゃ。 仕事行きますか~」





 

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