3話目
「朝帰りか?」
部屋に戻ると田村さんはもう起きていた。
「すみません。話してるうちに、つい眠ってしまったみたいで」
「いいよ、別に」
「あの…。どうして勇仁の部屋に行くように言ってくれたんですか?」
その言葉がなかったら、きっと俺はあのままこの部屋にいただろう。俺が尋ねると、田村さんは荷物を整理しながら静かに話し始めた。
「何年か前に、折田さんの携帯が壊れて。俺が代わりに購入してきたんだけど、新しいのでいいって言うから、機種変だと思わなくて、番号を変えてきてしまったんだ。折田さん、すぐに海外での大会控えてたから、データの移行もできなくて。その時に、めずらしく、めちゃくちゃ調子崩して、練習にも身が入ってないし、練習試合もことごとく負けるしで…」
あ…。あの連絡の取れていなかった、半年間のことか…。勇仁が、そこまでの状態だったなんて。初めて知らされた真実。あの時、落ち込んで悩んでたのは、俺だけじゃなかったんだ。
「折田さん、監督にもめちゃくちゃ怒られてて。そしたら、今度の大会、絶対に優勝するから、その時は三日間休みをくれ、って言ったんだ。そんなふうに調子の悪い時期だったし、その当時の世界ランキング一位の選手とも対戦することになるし、誰も期待してなかったけど、折田さん、本当にその試合、優勝して」
知らなかった。そんなことがあったんだ。
「どうして、そこまで必死になるんですか?って聞いたら、好きな奴に会いたいから、って」
田村さんが、俺を見る。
「折田さんにそこまでさせてるの、金沢だよな?」
俺は否定も肯定もせず、黙って俯いた。
「キスマーク、見えてるぞ」
田村さんに言われて、思わず首もとをバッと両手で隠してしまった。
「嘘だよ」
田村さんが、笑う。
俺は真っ赤になった。
「あの、このこと誰にも内緒でお願いします」
「そうだな。俺にキスしてくれたら、黙っててもいいかな」
「え…?」
田村さんが、俺の目を見つめる。
「好きなんだ、俺も。金沢のこのことが」
「嘘…ですよね?」
「嘘じゃない」
「だって、そんなこと…。俺、男だし」
「関係ないよ。折田さんとの試合を目の当たりにして、一気に惹き付けられたんだ。昨日も歯止めが利かなくなりそうだった。だから、折田さんの部屋に行くように促した」
ポーカーフェイスで、淡々とすごいことを言う田村さんに、俺の思考回路が付いていかなかった。
「昨日の俺たちの試合のあと、折田さん、監督とケンカしたって聞いたか?」
「いえ。知りません」
「金沢とダブルスを組ませてくれないなら、今日の試合で引退するって話したらしい」
「え?本当ですか?」
「本当だよ。もともと実業団に入る条件として、シングルスとしてやるのは、金沢が入団してくるまでって約束だったみたいだしな」
「そうだったんですね」
勇仁はいつも肝心なところは教えてくれない。
「でも、俺もそれで良かったと思ってる」
「どうしてですか?」
「これ以上同じ部屋にいると、いつか金沢のことを襲ってしまいそうだから…」
「田村さん…」
「金沢」
近付いて、両腕を掴まれる。そして、額に優しく唇を押し当てられた。
「短い間だったけど、ダブルスが組めて嬉しかった。ありがとう」
「こちらこそ…。ありがとうございました」
「折田さんから、昨日の夜中に部屋に電話があったんだ。シングルプレイヤーとして、世界一になってくれ。お前ならできる、って」
「勇仁が…?」
俺が眠ってる時に連絡をしたのだろうか。全然、気付かなかった。
「嘘でも嬉しかった」
「勇仁は嘘なんかつきません。本当に田村さんに期待できないなら、俺と組みたいという理由だけで、ダブルスに転身なんてしないと思います」
俺が言うと、
「やっぱり、金沢って最高だな。ライバルが折田さんじゃなかったら、本当に無理にでも関係を持って手に入れてたよ」
と、田村さんが、過激な発言をして微笑んだ。
翌日の試合で、勇仁は優勝した。
昨日の夜、あんなに激しく愛し合ったのに、勇仁はその疲れを微塵も感じさせずに、軽々と身をこなし、ストレート勝ちを決めた。俺の心は、ますます勇仁に惹かれた。俺も世界大会には何度も出場して、優勝を勝ち取ってはいたけれど、実業団に入ってからの世界での初舞台では、プレッシャーで思うようにプレーが出来なかった。なのに勇仁は、シングルスという、たった一人で戦う辛い状況の中、プレッシャーに負けることなく、試合に勝ち続けている。
そんな勇仁の芯の強さが俺に勇気をくれる。勇仁の存在こそが、いつも俺の活力になっていた。
その試合を最後に、勇仁はシングルスプレイヤーとしてではなく、俺とダブルスを組んで試合に出ることを発表した。
その経緯に至るまでには、相当な数の問題もあり、監督からも勇仁を説得するように頼まれる始末で、一度だけ、勇仁と話し合った。
シングルスからダブルスへの変更は、アウトとインのコートの線も違ってくるし、俺はまだ最近まで高校時代にダブルスの試合にも出ていたこともあり、そこまで苦労はしなかったが、4年以上シングルスでしか試合に出ていない勇仁にとっては、慣れるまでにかなりの労力が必要だと感じたのと、何よりも、今現在、世界大会や国際大会で毎回優勝できる実力がある勇仁なら、次回のオリンピックで金メダルを獲得できる可能性が高いのだ。そして、世界ランキング一位という座を2年以上守り続けている。国民の期待もかなり大きなものとなっていた。
「涼と二人でダブルスを組んでオリンピックに出るのがずっと俺の夢だった。世間や監督のために、その夢を諦めろって言うのか?じゃあ、俺は何のためにバドミントンをやってるんだ?」
「勇仁…」
「俺は自分のためにバドミントンをしてるんだ。周りの意見なんて関係ない。ずっと夢だったことを叶えられないなら、バドミントンをやってる意味なんてない。金メダルだって、涼と一緒に勝ち取れないなら、そんなもの、いらない」
「勇仁!」
「俺はそのくらいの気持ちでいるんだ。こんなに長く一緒にいて、涼には俺の気持ちがまだ分からないのか?」
勇仁の意志は固かった。
マスコミには散々あることないことを書かれ、結局、勇仁は記者会見を開いた。
勇仁は、シングルスではなく、俺が実業団に入ってきたらダブルスを組むという契約で実業団に入ったことをちゃんと説明し、それまでに組む相手がおらず、シングルスで試合に出るしかなく、たまたま世界ランキング一位まで登りつめたと話した。もったいないと言う声がたくさん聞かれたが、勇仁には全く響いていなかった。
「本当にいいの?」
「何が?」
「俺とダブルス組むことにして」
「まだ言ってんのか?いい加減にしないと、さすがの俺も怒るぞ」
「だって…」
寮のベッドの上に腰かけていた俺の瞳から、一つ二つと涙がこぼれ、膝の上に置いていた手の甲を濡らしていった。
「何?」
勇仁が驚く。
「勇仁が初めてオリンピックに出て銀メダルを獲った試合が、衝撃的で忘れられないんだ。俺、今まであんなに感動したことなかった。目が離せなくて、食い入るように見いって、時間を忘れた。きっと日本中が感動したと思う。次は金メダルだ、って、絶対に全国民が期待してる。そんな選手を俺が奪っていいのかな、と思って」
「二人で金メダルを獲ればいい」
「でも…」
「俺のことなんかで、泣くな」
勇仁が俺を抱き締める。
「二人でオリンピックに出ることが、俺たちの夢だろ?忘れてんじゃねぇよ」
「うん」
俺は勇仁の背中に、そっと手を回した。
オリンピックまで、あと一年半。それまでに、勇仁とのダブルスの技術をどこまで仕上げることができるのか、不安と気合いがいり混ざったような複雑な心境な中での練習の日々が始まったのだった。
「今日も、田村さんと練習してたの?」
「ああ」
勇仁は、俺とのダブルスの練習が終わってから、田村さんとマンツーマンで練習する日が増えた。口には出さないけれど、やはり勇仁なりに、監督やコーチ、選手たちに責任を感じているのだろう、と思った。その練習の甲斐があってか、田村さんも実力をぐんぐんと延ばして行った。
「大丈夫?シングルスとダブルス、どちらの練習もなんて、さすがの勇仁もキツいんじゃない?」
寮の俺の部屋に来ても、最近の勇仁は、ベッドにずっとうつ伏せになっていた。
「ダブルスの試合は、涼にかなり助けられてるから、大丈夫だよ。お前、やっぱ本当にすごいな。どんな球も拾って返す粘りが、マジでハンパない。相手の体力を奪うやり方は、誰にも真似できない世界一の技だよ」
「そんなことないよ。バドミントンの運動量は、どんなスポーツよりも最高ランクだから、勇仁の体が心配だよ。無理して、ケガとかしないでよ」
「じゃあ、涼が俺の上に乗って、腰を動かす練習しろよ。そしたら、俺があまり動かなくて済むだろ?」
「こんな時に、そんな冗談、やめろよ」
俺は少し膨れっ面になりながら、真っ赤になる。
「涼…」
横になる勇仁の近くで、ベッドに腰かける俺の手に勇仁の手が重なり、そのまま強く握られる。
「もう寝なよ」
「ごめんな。最近、できなくて」
「何に謝ってるんだよ。いいから、ゆっくり休んで」
俺は勇仁の頭をゆっくり優しく撫でた。
勇仁はそのまま瞳を閉じると、寝息をたて始め、キレイな寝顔を見せたまま、朝までぐっすりと眠ったのだった。
勇仁とのダブルスは、思っていた以上に息も合い、試合中もお互いの動きが手にとるように分かるような感覚だった。幼い頃から共に練習を重ねてきていたからか、それともお互いの試合を見て、動きがよめるせいなのか…。声を掛け合わずとも、意志疎通がかなりうまくできていた。そのおかげで、俺たちは順調にオリンピックへ向けての階段を登ることが出来た。
初のオリンピックの舞台。一セット目をせっかく取ったのに、俺があまりにも緊張してしまい、思うように動けずに二セット目を落としてしまった。
ファイナルに入る前、緊張が最高長に達し、息がうまくできず、少し苦しくなってきた。
「涼。お前一人で試合をやってるんじゃない。俺がついてる。だから、いつも通り、思い切りやれ。俺がどんな球でも全部決めてやるから。お前のレシーブ力は世界一だ。自信を持て」
力強い、勇仁の言葉に背中を押される。
ファイナルの試合に入る前に、勇仁が俺の耳元で囁いた。
「Tシャツで汗を拭う時に見える涼の素肌が、めっちゃエロい。試合より興奮する」
分からないように、両手で俺の耳を隠し、
「でも、世界中で放送されてるんだから、あんまり見せるな。妬けるから、俺のTシャツでお前の汗拭いてやるよ」
そう言って、俺の耳を唇で挟んだかと思ったら、舌でペロリと舐めた。
「何すんだよ!!」
俺は小声で怒った。
仮にも世界の大舞台だぞ!テレビで放映されてるのに。勇仁は本当に見境なく、どこででも発情する時があって、本気で呆れてしまう。
ムキになって怒る俺を見て、
「めっちゃカワイイ。冗談だよ。エロいのは本当だけどな。早くその素肌に吸い付きたい。だから、さっさと試合終わらせようぜ」
勇仁が、嬉しそうに笑う。俺も呆れながらも、つい笑ってしまった。肩の力が一気に抜けたような気がした。
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