第23話 臨時講師
社内chatでムツミさんから……『明日の午後、ヘアサロンでの指名が入ってなかったら、アカデミーの子たちに《ネイリスト、接客の心得》の講義して欲しいの〜 教本とかテキストないけど、しのぶちゃんの経験から話して欲しいの……』と連絡が入った。
あれ? いつもならムツミさんがやる内容……急用でも入ったかな?
今はカネコさんのお店にもネイルサロンTSのPCがあるから予約が入ればカネコさんが入れてくれているはずだから、明日のヘアサロンの指名をチェック……午前二件のみで午後はないから、『予約不可』に設定して……ムツミさんへ『OK』でリアクション返す……っと。
当日は女子ったままの週だったので、そのままコーデとヘア、メイクをチーフに任せる。
「店長、今日は午後、講師だったらこの間買ったタイトスカートに黒ストとチャンキーヒールパンプスの出番ですよ!」
「え〜そうかな……制服じゃ」
「ダメです! 絶対生徒に舐められちゃいけないから、ここは少しでも大人っぽくビシッ!と行かないと!」
「『少しでも大人っぽく』……ねぇ」
「そうですっ!」
というわけで朝からブラウスにタイトスカート、履き慣れない7センチヒールのパンプスでサービス……ま、座ったままだから大丈夫だけど、本社に行く途中とか講義中にコケたらいけないからなぁ……それだけが心配。
今日はヘアサロンを早めに出て、春とはいえまだ薄寒いんでスーツの上着を羽織り、慣れないヒールで本社ビルに向かう。お昼は後で頂こう。
ちょっと靴擦れして痛い……黒スト履いてるから途中で絆創膏貼れないしなぁ。
昨日から履いて慣らしておけばよかったな。
本社のトイレで絆創膏貼ろうかな……あ、でも絆創膏が目立ったら格好悪いかも。
ちょっと靴擦れが痛むけど、ヒールの踵が太いおかげで無事にコケもせず本社ビルに着いて一安心してビルの共用喫煙所で電子タバコを吸ってると……。
アカデミーの子が二人、入ってくる。
なんでわかるかって? アカデミーの子は制服じゃないけど、私服で上下ともに黒のブラウスとかTシャツと黒のパンツを着ているからね。おまけにでっかい名札つけてるし。
あ、ドアちゃんと閉めないし〜
わたしとは反対側の場所でタバコ吸い始める。
しばらく様子見てようかな……。
「ね、TS娘ってやっぱキモくない?」と背が高い子……165センチくらいあるかな?
「え〜TS市じゃ普通だし、普通の人だよ?」ともう一人の子……こちらはチーフと同じくらいだから160センチ?
背が高い子は県外かTS市外の子だろうな。
ん〜、キモいか〜確かに慣れないとそうかも……今まで言われたことないからなぁ。
しばらくタバコ吸ってるのを見てると、背が高い子はこちらをチラッと見てから、セカセカとやたら急いで吸ってる。低い子はのんびりと……タバコの吸い方一つとっても性格って出るもんだなと、ちょっと人間観察。
と、「あ、そろそろ午後の授業の準備しなきゃ」と言いながら二人急いで出ていく。
高い子の方が後から出て今度はドアちゃんと閉めたけど、『バターン』と大きな音立てる……いかんなぁ。
名札には『エンドウ』と書いてあったな。
十二時四十五分より少し前にいつものように「お疲れ様で〜す」と本社事務所のドア開けて入る。
「あ、しのぶさんお疲れ様〜」
「お疲れ様です」あちこちから挨拶。いつもの光景……なんかほっとする。
事務所内を見ると山下さんが管理部の島にいる……。
「あれ? ムツミさん今日いらっしゃったんですか?」
「そうよ〜 で、講義前にちょっといい?」と、ミーティングスペースに。
「あ、はい」
「じつはさ〜、ちょっと困ってて……」
「?」
「一人、技術は結構いいセンいってるんだけど、態度というか『TS娘ってキモいっ』て言って憚らない子がいるのよ〜」
「あ! その子エンドウって子じゃないですか?」
「え、なんで知ってるの?」
「さっき、ビルの共用喫煙所で、『TS娘ってやっぱキモくない?』って言いながらタバコ吸って、ドアバターンって閉めた子がいて……」
「あ、そうそう、その子! ちょっと態度も良くないでしょ?」
「ん〜どうかはわからないですけど、タバコ吸う速度がやたら速くて。タバコ吸うのも性格出るみたいですよ〜」
「そっか〜 今日の講義、『現役TS娘の店長』が《ネイリスト、接客の心得》の講義をするって言っておいたからかな〜」
「ま、そういった子は現場で揉まれないとなんともいえないですけど、接客業としての心得は今から持ってもらわないとですよね〜」
「そうなのよ〜……」
「わたしの経験とか、実物のTS娘見れば少しは考え、変わるんじゃないんですかね?」
「そうそう、そう思って今回しのぶちゃんに講義してもらおうと思ってたのよね〜」
「なんか後付けっぽいですけど……ま、なんとかしてみましょう」
「うんうん、こればっかりはTS娘じゃないと解決できない案件だしね」
「はいはい」
*** ネイルアカデミーにて ***
で、ネイルアカデミーのドアをノックして入室。
十人の生徒が五人づつ二列の席に着席している。
机は実習時にはネイル用ツールBOX――ベースネイルやファイル、ニッパーなどが入っている――やジェルオフマシンを置くために一人1席になっている。足元はフット用のスツールもあるんだけど、今日は講義なんで全部後ろのロッカーにしまっていて、何も置いていない。
「本日、《ネイリスト、接客の心得》についてお話しさせて頂きます中央店店長のTS娘、中島しのぶです。チビですけど、ネイリストやってます。みなさん、よろしくね〜」
「はい!」多少笑い声混じりで、全員声を揃えて挨拶。
アカデミールームを見回すと、あのエンドウさんが一番後ろの席にいた……ちょっと顔色悪いぞ。さっきのこと思い出したかな?
「みなさん、この会社の名前知ってますよね?」
「ネイルサロンTSです」と答えが返ってくる。
「そう、ネイルサロンTSですね。この会社は入社前に聞いたとは思いますけど、他のネイルサロンとは違って、TS市の特徴ともいえる、わたしもそうですけどTS娘が店長として運営している会社です。そこまでは理解してますよね?」
「はい……」と数人。
「あ、ここからはわたしが今までの経験とか学んだ心得を話していくんで、返事は特にいらないですけど、気がついた事とか、思った事があったら挙手して話していいわよ〜」
「じゃ、まずネイリストってのはただネイルサービスをするだけじゃないんですよ? みなさんも実習前に自分の事前準備してますよね? 前髪で視界を遮ってないか〜とか、ブラウスやパンツがちゃんとプレスされてるか、汚れてないか……ツールに汚れが付いていないかとか。あれって、何のためでしょう? それはまず自分が『これからお仕事始めるんだ!』っていう準備と、お客様にいやな感じを与えないためなんですよ」
「技術面についてはここアカデミーで習いますけど、事前準備って『試験に通る』ためじゃなくって、まず自分の『ネイリストのプロ』としての自覚とお客様を一番に思うこと……さっきも言ってダブっちゃうかもですけど、その『切り替え』なんじゃないかな? ってわたしは思ってます」
「あ、わたしのことを話すと、今から十五年前に初めて女子化して、それからしばらくして山下社長の元で、もちろん、アカデミーなんてなくてネイリストの修行をしてネイリストになったんですけど……」
「そのときは社長と二人だけで苦労して……ってあんまり苦労だとは思わなかったんですけどね。 それは『プロ』であり、お客様を一番に思うことで自ずと自分の『態度』とか『格好』があとからついてくるっていうのは変ですけど、変わるんですよね〜」
「サービス終わってお客様がキレイになって、笑顔で帰られるのが楽しくもあり、嬉しくもあったんで、だから苦労だとは思わなかったのかな?」
「接客業ってわたしはTS学園の経済学部で商社に就職するかな? と思ってて、自分で選んで入ったわけじゃないんですよ」
「わたしのTSトリガーは、ネイルを塗ると女子るんで、それを知ってた山下社長に『わたしのお店に来て〜 そして一緒にネイルサロンTSをやりましょうよ〜』って口説かれて、アルバイトでネイルの修行はじめたんですけど……」
「あ! 今の部分は社長にはヒミツね! 社長は『絶っ対、口説いてなんてないっ!』って言い張るんで……」
生徒たち、クスクスしてる。若い子はかわいいなぁ〜。
「あ、ちなみにわたし、オフすると男に戻る可逆性のTS娘で三十二歳です……」
「え〜! 見えない〜」「へ〜」「うそ〜」とざわざわ……。い、言わなきゃよかったかな。
ある程度落ち着いてから話を続ける。
「で、接客業なんですけど、みなさんは自分で選んだんだと思います」
「ま、小難しいことは抜きにして、要は自分の気の持ちようというか、普段から自分はネイリストのプロって思って、この本社や本社以外ですれ違う方や、同席する方が、もしかしたら自分のこれから配属されるお店のお客様と思って接すると……」
「は、はい……」と、あの子が手を挙げる。
「はい、エンドウさんどうぞ」
「あ、あの……中島……先生! 先ほどはTS娘がキモいとか、ドアを勢いよく閉めたり……」
「うん、気が付いてくれたんだったらいいわよ〜 その自覚が大切! その気遣い、大切にしてね……」
「じゃ、そろそろ時間だから、みんなプロを目指してね❤︎」
「わたしから皆さんにネイルサロンTSのスローガンを贈って終わりにします……『お客様を笑顔にしましょう!』 じゃ、今日はここまでにしますね〜」
「今日はありがとうございました〜!」とアカデミーの子たち。
「しのぶちゃんに頼んで良かったわ〜 でも、わたしほんっとうに、口説いてないんだからねっ!」
「えっ、い、いつから見てたんですか? んも〜ムツミさんってば、意地悪なんだから〜」
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